ぶらぶら人生

心の呟き

午後の散歩

2017-02-28 | 散歩道
空と川と海
<今日だけの風景>

春の訪れを感じる好天だった。
ゆっくりゆっくり2800歩の散歩。

空と雲の眺め




川の眺め




海の眺め
岬や高島の灯台が見え、磯には釣り人の姿も。






道の辺の花たち
賑わいの予兆







2月、逃げる

2017-02-28 | 身辺雑記
窓の右寄りに、朝日が昇り……。
天空には、一片の雲もなく、快晴の始まりである。


2月も、早々に過ぎようとしている。
午前中は部屋にいて、<数独>を1問解いた後、
早速、『天声人語』の書き写しをする。

このとき役立つ筆記用具が、
ソコロシステムズのSさんに教えていただいた
<フリクション>である。

コラムニストの文章を書き写すだけで、
機器(PCなど)に頼るときと違った
脳の動きを感じる。
直筆の効果は、侮れないようだ。

あれは阿蔵寺山?

2017-02-27 | 身辺雑記
窓辺に、晴れやかな風景が広がる。
空気が澄んでいるせいだろう。
遥か遠くに、雪山が見える。
早速、双眼鏡で確かめる。
間違いなく、残雪に覆われている。
山というより、山並みの一部のように思える。

安蔵寺山ではないだろうか?
30余年前、春休みに魚待灯台に行ったとき、
雪を残す、遥かな山を見つけ、安蔵寺山に違いないと思った。
(その高さは、1263メートル。
山容には、これといった特色はない。)

それ以来の、思いがけない安蔵寺山との出会い?

安蔵寺山の山麓の町で、3年間過ごしたのも、遠い昔の思い出である。



レストラン<とみ>の見える風景。



丘の上に、集落が、いくつか見える。
それらが、何町に当たるのか、方向音痴の私には、想像不可能!

新たな勉強

2017-02-27 | 身辺雑記
昨日の赤旗日曜版に、精神科医・中井久夫さんの本が紹介されていた。
『いじめのある世界に生きる君たちへ』
この本は、「いじめの政治学」という中井さんの論文(『アリアドネからの糸』収録)を、少年少女にも読めるように書き直されたもの、という。
横湯園子さん(教育臨床心理学)の紹介文が、載っている。

いじめが後を絶たない今、多くの子供や大人に読まれる価値のある本に違いない。
目に見えにくい、いじめの背景や巧妙さを、考えるきっかけとなる著書であろう。

上記の記事を読んだ後、
私の本棚に並べたまま、読了に至っていない3冊(中井久夫さんの本)を取り出してきた。

『清陰星雨』
『日時計の影』
『私の日本語雑記』

いずれも、エッセイ集なので、拾い読みして、付箋を挟んでいる。
しかし、完読はしていない。
ぜひ、全ページを味読したい。

『清陰星雨』から読むことにし、河口の部屋へ持参することにした。
『太宰治全集 第二巻』と共に。

『清陰星雨』を開くと、付箋をつけた箇所がある。

<最近になって、手書きは脳をはげしく活性化するがワープロやパソコンは全くしないという脳生理学者の報告がいくつかある。字を書く時の手と脳との対話は非常に広汎でめまぐるしく、筆記機械では代替できない。>

と。(このことについては、以前、ブログに書いたような気がする。)

私は、平成元年からワープロを、平成16年からはパソコンを使用し、日記以外は機器に頼ってきた。
中井久夫さんの、上記した文に接して、天声人語の書き写しを始めたのではなかったか?

そのいきさつも、すっかり忘れている。
(頭が、かなり鈍っている。)

朝日新聞社発行のノート、10冊を求めたが、一冊も、使い切っていない。
2冊目の途中まで、切り抜きを貼り付けてはいるけれど…。

中井久夫さんのの記事を読み返したのをきっかけに、
まず、貼り付けた記事を、書き写す勉強から始めよう。
河口の部屋にいるときの、時間の過ごし方の一つとして。
[一日一記事]を目処に。

多少は、頭の老化防止や活性化につながることを願って。

書き写しノート。


かつて書いたノートの一部。
ただ書き写すだけでなく、
<タイトルを考える>
<言葉を調べる>
<要約や感想を書く>
などの欄もある。
それらの出来如何が、
老化現象のリトマス試験紙役を担ってくれるかもしれない。


出かける前、椿の開花に気づいた。
やはり寒さがこたえているらしく、
花びらが、歪である。

椿とネコヤナギ

2017-02-26 | 草花舎の四季
2月26日
草花舎で遅い昼食
食事は、味わって美味しく、視覚的にも美しいと感じるとき、至福を覚える。



椿とネコヤナギ
椿の種類の多いこと!
窓際の花瓶の中にも、幾種類かの椿が、調和よく活けられている。

ネコヤナギは銀色と決めていた。
草花舎で、今日出会ったネコヤナギは、薄赤色を帯びている。
暖かい春の気配を感じさせてくれる。

椿とネコヤナギが一つの花瓶に活けられたものも…。













長々と、Yさんとおしゃべりをした。
迷惑ではなかったかと、帰途、反省する。

春の野花

2017-02-26 | 散歩道
朝から欠伸ばかり。
昨夜も、8時間はしっかり眠ったのに。
昼前には、居眠りさえ出てきた。
このだらしない生活はなんだろう?!

河口の部屋での規則正しい生活、やや緊張を強いられる生活からの
開放感なのであろうか?

午後になっても、腑抜けた生活から脱することができない。
草花舎に行ってこようと、家を出た。
まだ枯れ色の、褐色の多い風景だが、大気は少し緩んできたようだ。

小道のほとりに、オオイヌノフグリを見つけた。
小さな薄紫の花。
地上に、春を告げている。
さらに駅近くでは、カラスノエンドウの花も見つけた。
まだ咲き始めたばかり。

野を歩いていると、欠伸は出なくなった。
やっと、私の一日が始まったかのように。







<2月27日 追記>
朝日新聞『歌壇』より

天界の輪廻と森羅万象の小さき証言者いぬふぐり咲く
(アメリカ)郷 隼人・高野公彦選の第一首

獄囚の身にあって、郷 隼人さんは、朝日歌壇に、優れた自作をよく投稿されている。
今回の歌には、昨日、私の目にとまり、地上に春を感じた<いぬふぐり>が歌われている。

楽しみは…

2017-02-25 | 小庭の四季
沈丁花、ぽつりぽつりと花開き…。
濃紅色の蕾が、花開くと淡紅色となる。
そのうち、手毬状に咲きそろうはずである。




たのしみは朝起きいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時
橘曙覧『独楽吟』より

ふと、上記の歌を思い出す。
橘曙覧の歌には、<たのしみは>で、始まる歌がたくさんある。
その一つ。

私にとっても、初めて咲く花に気づいた時の喜びは格別である。

袖垣修理と庭木の消毒

2017-02-24 | 小庭の四季
先日来の強い風で、袖垣が倒れてしまった。
10余年前に取り付けてもらったものである。

今日、O庭師がきて、修理してくださった。
同時に、例年どおり、庭木の消毒もしていただいた。




裏庭に、椿の白い花が一つ咲いた。
が、その花びらが、初めから汚れている。
(カメラに収める気にもなれないほど)
繰り返された寒冷のせいであろうか?
まだ固い蕾がたくさんある。
いずれ純白な花が、咲いてくれることを願っている。

ピンクの蕾が一つ、かなり膨らんでいる。(写真)
仔細に眺めると、花びらの一部が、少々傷んでいるように見える。
少しでも、美しく咲いてくれますように!



太宰治全集 第一巻

2017-02-23 | 身辺雑記
河口の部屋での生活は、家から運び込んだものの範囲でしか生活できない。
入居の際、「電子辞書」・「美しい日本語の字典」・「美しい日本の伝統色」(以上は、調べが目的だが、ただ読んでも意義のあるもの)その他、「声に出して読みたい日本語」「太宰治全集 第一巻」を持参した。

本以外では、気分転換や頭の体操を兼ねて、数独、ソロバン、お手玉、当用漢字表と漢字練習ノート(最近、ごく単純な漢字が、思い出せなかったり、書けなかったり、情けない思いをする。なんとかしなくては、との思いから)、素描帳などを持ってきた。
さらに、タブレットとスマホ。

昨日、「太宰治全集 第一巻」を読み終えた。
昭和34年末に、筑摩書房から出版された本である。
二段組で、活字も小さい。
が、メガネ式ルーペを買ったので、随分読みやすくなった。

太宰治(1909〜1948)は、過去の作家でありながら、古臭さがない。
最初に読んだ当時は、私自身若かった。
が、今読み返しても、新鮮さを感じる。

第一巻には、最初の短編集『晩年』(1936年)が、掲載されている。
代表的な作品では、「思ひ出」「道化の華」「彼は昔の彼ならず」「ロマネスク」など。

解説は、亀井勝一郎(1907〜1966・文芸評論家)が担当。
その中の一文には、以下のように書かれている。

<「思ひ出」のような作品は、彼の場合はむしろ例外である。自伝的要素がそのまま露出することは殆どない。しかも根底には真摯な告白がある。告白と虚構の一致という至難のわざを、独特なかたちで実現した、稀有の才能と言ってよかろう。虚構は必ず告白によって支えられ、告白は必ず虚構の妙のうちに為された。前者は作品から「わざとらしさ」をぬぐい去り、後者は告白の臭味を救った。>

確かな分析力!
私は亀井勝一郎さんの、格調の高い文章が好きで、よく読んだ評論家の一人である。

双眼鏡をぶら下げて

2017-02-22 | 散歩道
午後からは、雨が降り出すという。
午前中、散歩に出かけることにした。
大塚海岸の方向に向かって、曇り日の下を歩く。

青野山が、左手にうっすら見える。
家に居ては、眺めることのできない山である。
(半世紀も昔、4年間ではあったが、
日ごと眺めて暮らした懐かしい山である。)

青野山






初めて、海岸沿いに歩く。
河口に、最も近い道から、大塚神社に通じる道までの間。

高島


魚待灯台のある岬
(双眼鏡で見ると、灯台もレストラン<とみ>も見えた。)


帰路、私の部屋を見上げる。


大塚神社と狛犬







今日は、部屋の掃除をしていただける日。
その間、部屋からは遠い位置にあるソファ(本や新聞の置いてあるテーブルの傍)に座り、このブログを書いた。
比較的若い女性が、挨拶して、二人部屋に入って行かれた。
ここにお住まいの方か、訪問者なのか、よく分からない。

掃除担当者が、
「終わりました」
と、知らせてくださるまで、他の誰にも会わなかった。

各部屋の人たち、何をなさっているのだろう?
連日、ここで生活なさる方たちの、日常の実態は全く分からない。

今日は、ノック音も廊下の話し声も、全く気にならない。
施設の担当者に、相談にのってもらったせいだろう。
次第に、安らげる場所になるのかもしれない。