ぶらぶら人生

心の呟き

2月尽 シデコブシの蕾

2023-02-28 | 身辺雑記
 昨日今日、日差しが柔らかくなった。
 それを感知したのか、シデコブシの花が蕾み、開花の気配を見せ始めた。
    


    


 今朝は、資源ごみを出す日であった。
 早朝、昨夜まとめておいたゴミの束を3往復して、ゴミ置き場に運んだ。

 昨夜は、夕食後、ゴミをまとめた。
 新聞、冊子、ダンボール、瓶類、ペットポトルなどなど。前回、雨のために出せなかったゴミもあって、結構嵩張る量となった。
 
 人間は、日々平等に与えられた24時間を生きながら、雑用に費やす時間が実に多いなあ、とつくづく思う。

 今日で、2月が終わる。二月尽。
 われながら、よく頑張っている。どこまで頑張れるのやら? とも思う。
 些細なことでも、自分でできたことは、
 <よくできました!>
 と、自分を褒めることにしよう、と思う。
 人に褒められることは、全く望めない老女ゆえ。

 今日歩いた歩数の合計は、6598歩。今年になっての最高歩数。散歩として歩いたわけではなく、行動したことの結果である。
 これも、
 <よくできました!>
 の一つである。

 幼稚な発想ながら、少しでも心軽やかに生きられるなら、いいことだと思う。
 今、このブログを書きながら、自分を褒めるために、自分が褒められるために、なかなかうまくできない掃除や片付けができるといいな、と思っている。


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クリスマスローズの咲く庭・殿敷侃作品のある庭

2023-02-28 | 草花舎の四季
 夕方、草花舎へ出かけた。
 Yさんへ池田晶子の本を届け、コーヒーをいただいて帰る。

 草花舎の庭に咲いているクリスマスローズの花を眺める。
 俯いて咲くので、カメラに収めにくい。
 Yさんが手を添えて上向かせてくださった。
 ひっそりとうなだれ、自己主張の控えめな花を、いろいろな角度から眺める。
 なかなか精巧で、奥ゆかしさのある花。

    


    


    



 中庭には、殿敷侃さん(1942〜1992)の作品が三つ置かれていた。
 私は、昨年、開かれた殿敷侃展を見ていない。その折に、展示されたものの一部かと思う。
 私は、殿敷侃さんについて、自信をもって語るほど、その人や作品について、理解しているわけでもない。
 が、まだ幼かったご本人も両親も、広島に投下された原爆の犠牲者でいらっしゃることは知っている。その悲劇の記憶は、幼い殿敷さんの心に刻み込まれ、長じての絵画や造形作品に反映されている。
 半世紀の短い生涯のなかで、試みられたことは多彩である。集団で作品を構築されたり、稀有な作品の数々を制作されたり、作品を通して、たくさんの問いかけを後世に残された偉業は大きいと思う。

     


       

    


 屋敷前に、桜が咲いていた。
 Yさんが数枝折りとってくださったので、家の花瓶にさして、楽しんでいる。
    


 喫茶室の花瓶にさしてあったスイセン。
     



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津田医院へ サザンカの花盛り

2023-02-28 | 身辺雑記
 快晴の一日。
 今日は、定期の診察を受けるため、津田医院へ。
 バス停に向かう10時過ぎには、冬の名残の冷たい風が、かなり強く吹いていて、せっかくの晴天なのに残念だった。
 バスを待ちつつ、風さえなければ完璧な春なのにと思いながら、一片の雲もない群青色の空を見上げた。

 今日は血液検査の結果についての説明を受けた。数値が高めなのは、肝臓と腎臓である。<肝腎>なところに問題あり、ということだが、いつものように、「この程度なら、心配はいらないと思います」と、先生。
 私も、痛みさえなければ気にかけないことにしている。

 津田薬局の脇にあるサザンカの花が、真っ盛りであった。
 サザンカは、思いのほか、花期の長い花のようだ。
 風もようやく治っていた。

     青空とサザンカ。
     


 ぽとりと花ごと落ちるツバキの身仕舞いと違って、サザンカは、無数の花弁で地面を染める。
     


    花と空の鮮やかな色彩。    
    


 バスの時間までに、待ち時間があったので、薬局の裏手にもまわってみた。
 梅の木、2本に会った。
 こちらは、静謐な佇まいで、直線的な枝枝に、花をたくさんつけている。
    


 津田医院の隣はお寺である。その一隅に、六地蔵があった。
 その存在に、今日、初めて気づく。
 おまけに、六体だけでなく、中央の台座に地蔵ではない存在がある。お釈迦さま? 
    


 乗るバスは、旧市街地を通って駅前に出るバスだったので、途中、市役所前で下車。
 にぎり寿司が食べたくて、裏通りにある「みのり」というお寿司屋を探した。ところが、そのお店がなかなか見つからない。
 途中、立ち止まってスマホで地図を確かめたりもした。が、結局、見つからなかった。歩き回っているうちに、肩にかけているバッグが重くなってきた。

 諦めて、ショッピングセンターで買い物を済ませ、帰宅することにした。にぎり寿司はお店の商品で我慢し、その他、前回買い忘れた卵やコーヒーを求め、その他、必要な食品も買い求めて、タクシーで帰宅。かなり疲れながら。

 送ってくださる運転手さんが、近所のよく知る方だったので、<「みのり」を探したが、見つからなかった>と話をした。
 運転手さんは、街の事情に詳しい。
 店仕舞いをされた由。
 すでに、「みのり」の看板も下ろされた、とのこと。
 馴染みの、美味しいお寿司処がなくなったのは残念である。


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『愛』

2023-02-26 | 身辺雑記
 久しぶりに、小説を読んだ。

    井上靖 作 『愛』

    


 角川文庫で、100ページほどの小説集。
 「結婚記念日」
   「石庭」
 「死と恋と波と」
 の3遍が、おさめられている。

 上掲の作品は、あらかじめ<愛>にまつわる作品集として書かれたものではなく、それぞれは独立した短編であったものを、たまたま文庫本として、3作品をまとめるにあたって、『愛』という表題がつけられたもののようだ。

 最近、小説を読みたいという意欲がわかず、もっぱら評論やエッセイの類を読んできた。その方が、読みがいがあると思っていた。
 が、久しぶりに、井上靖の小品を読んだところ、小説も読むに値すると、改めて思い直すことになった。
 人々の心の機微が細やかに描かれていて、理屈ではなく、読む者の心に直々訴えかけるものがある。 
 井上靖の作品はかなり読んできたし、その詩(散文詩)も含めて好きな作家である。しかし、この小冊子は、買ったまま、書棚で眠っていた。
 短編だけに、いっそう言葉が選び抜かれ、緻密な味わい深い文章となっているような気がした。
 ありふれた市井の人が織りなす平凡な出来事が描かれているにも関わらず、人と人との関わりのなかで生まれる、心中の機微が、読者の心に、しみじみと語りかけるように書かれている。
 小説でなくては味わえない妙味を改めて感じた。

 野村尚吾の解説が、本の最後に載っている。それによると、井上靖が、『闘牛』で芥川賞受賞を受賞された1950(昭和25)年当時に、この『愛』の3作品も書かれた様子である。

 いい作品は古びないものだなと、つくづく感心する。


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ツバキ 落日

2023-02-26 | 身辺雑記
 晴れやかな天気なのに、大気が妙に冷え冷えして、老体にこたえる。散歩に出かけたいという意欲をそいでしまう。

 気分転換に、家の周囲を折々歩く。

 白いツバキの一つが、やっと開花の気配を見せてくれた。明日は、完全に花開くだろう。

    


 ピンク色の椿は、毎年、花数が少ない。が、今年は例年よりやや多めに咲き続け、目を楽しませてくれている。

    


 夕方、犬走りを歩いていると、折から、夕陽が西の山に入ろうとするところだった。

   隣家の彼方に見える夕陽。
    


 遮るもののない広場に出て、今日の落日を眺める。
    


 目を中空に転ずると、暮れ残る空に、五日の月があった。
   


 空を眺め、夕陽を眺め、月影に会い、今日も一日無事であった。
 自然は無言だが、私のよき話し相手になってくれる。

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雑草を楽しむ

2023-02-25 | 身辺雑記
 地面に目覚める春を、ここしばらくは楽しんでみようと思う。
 が、昨日比較的軽やかに行動したと思っていたところ、疲れが残ったのか、今日は朝から全く意欲が湧かなかった。

 午後、こんな暮らしをしていてはいけないと、自らを鼓舞し、海の見えるあたりまで行ってみようと、身支度して外に出た。
 
 一歩外に出て、これは普通の寒さではない! と、思った。気温はそれほど低くないのに、とにかく風が強いし、肌を刺すような冷たさだ。

 10メートルほどのところにある空き地で、地面を覆う草を覗いてみて、引き返した。

      ホトケノザ
   


       イヌノフグリ
    


        アザミ
    


        スイバ
    


 帰宅して、裏口から入ると、コンクリートの穴から芽生えた植物に気づいた。
 早速、Google lensを当ててみると、<西洋オダマキ>と教えてくれた。
 正解かどうかはわからない。
 確かにオダマキの葉に似ているし、かつて(ずいぶん昔の話だが)、手前の花壇に、オダマキの花の咲いていた時期があった。  
 ひょっとして、その名残?
 引き抜かないで、様子を見ることにしよう、と思う。

    



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久々の外出

2023-02-24 | 身辺雑記
 年齢と関係なく、髪や爪は容赦なく伸びる。
 前回から、一か月も経っていないのに、髪がうるさく感じられ、今日、美容院へ出かけた。

 帰途、イオンへ向かって歩きながら、路傍のわずかな土に、芽吹いた野の花を眺める。
 よく見かける花であっても、名前が出てこないのが残念である。

  ハコベであろうか?
  葉が柔らかそうな感じである。
    


 下掲の野花を、Googlelens で調べると、タネツケバナ とあった。
 が、正否のほどは分からない。
   


 昼食は、妹と一緒にジャルダンで。
 
 家では食事が進まず、こんな調子で、健康を維持できるだろうかと、私自身の食生活を自ら案じることが多いのに、今日はみないただいた。美味しいものなら食べられるのだ、と思いつつ。

 (しかし、夕食は、買ってきた小鯛をお煮付けしたりしたが、全く食欲なし。
 お昼にたくさんいただいたので、当然のことかと思いつつ、……。)

    ジャルダンでいただいたご馳走の一部
    


    


 最近は、外歩きを全くしていなかった。
 しかし、今日は別人のように、気分も足も軽く、さっさと歩けて満足した。



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雑草の芽生え

2023-02-23 | 小庭の四季
 二月の庭には、まだ草萌えの気配もなく、寂しいものだと思いつつ、砂利のある場所や土の面に目を凝らす。

 11月の末、草取りをしてもらった。
 作業をしてくださるメンバーによって、その都度、徹底度に差がある。
 長年、シルバー人材センターのお世話になってきたなかで、昨年末の草取りは、最も徹底していた。そのせいで、いまだに、庭がなんとなく整っている。

 しかし、そろそろ草萌えの季節である。
 地面をよくよく眺めると、ぽつぽつ、若緑がのぞき始めている。

 「千曲川旅情の歌」(島崎藤村)を思い出し、
   緑なす繁縷(はこべ)は萌えず
 と、口ずさみつつ、これが「ハコベ」であろうか? と、眺める。

 「ヨモギ」も、伸び始めている。
 ヨモギという植物は、伸びすぎると根が深く、除草の厄介な植物である。

 家にいる間は、運動をかねて、できるだけ草取りに励もうと思っている。

    

      ハコベ ?

    
  
       ヨモギ
   (大きな葉は、ツワブキ)

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東山魁夷画文集 別巻

2023-02-22 | 身辺雑記


     


       東山魁夷画文集 
        自伝抄
       『旅の環』


  私の手元にある『東山魁夷画文集』は、1〜10と別巻からなる。1978〜1980年にかけて出版された作品集ある。

 その別巻(自伝抄「旅の環」)を、昨日読み始めて、今日読了した。
 
 東山魁夷は、1908(明治41)年〜1999(平成11)年を生きられた画家である。私の手元にある画文集の後、さらに20年近く活躍されているので、私の本では、晩年の文章を読めないのが残念である。
 
 この本には、生い立ちに始まって、諸外国、日本の各地を旅されたことなどが、実に詳細に書かれている。
 画家としてのスタートは、決して早い方ではない。が、画家を志されてからは、一目見れば、東山魁夷と分かる独特の世界を創り出された。

 川端康成との交友についても書かれていて、
 <そうだ、私が最後に、京都文化博物館で見た展示会は、
 特別展「川端康成と東山魁夷 ー 響きあう美の世界」(2008年)
 であった>と、思い出したのだった。

 旅するときは、常に、画家の目で細やかに観察しておられる。

 <鳥取から白兎海岸を過ぎ、いよいよ、日本海に沿っての旅も西の果てに近付く。益田から山口県との境に近い戸田小浜は、以前にも写生したことがある。荒磯に打ち寄せる波の泡の美しさを崖の上から飽かず眺めて、皇居宮殿の壁画「朝明けの潮」の波の表現のヒントを得たのも此処である。寄せる波、引く波の状態が、こんどの障壁画にも参考になる。>

 引用文にあるように、益田の地にも足を運んでおられる。そして、画家の眼で、視界に入る世界をしっかりと捉え、作品に生かしておられるのだ。

 私も、新幹線のない時代から、ずいぶん旅を楽しんだ。しかし、私の旅は、自らの楽しみの域を出るものではなかった。それはそれで、自己満足はしているけれど……。
 老いてなお、旅に出たいという思いが揺れている。


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肌寒く、気だるく…

2023-02-21 | 身辺雑記
 もっと心軽やかに、晴々と生きたいのだが、なぜか元気が出ない。老いゆえだろうか?

 庭に出てみると、空は晴れやかで、春の気配をかもしている。しかし、散歩に出かけてみようという気にはならず……。

 結局は、居間に立てこもって、東山魁夷の画文集を読んで過ごす。


       今日の空
    


    


     開花寸前の紅椿
    


  花壇で、三年目を迎えた多肉植物
    



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