ぶらぶら人生

心の呟き

時、移ろいて…

2013-06-30 | 身辺雑記
 6月が、今日で終わる。
 今年も、半分が過ぎていった。

 時の過ぎ行く速さ!
 とにかく無事であることを喜びとする。

 30個咲いたテッポウユリは、わずか2個が残るのみとなった。
 紫陽花も、やや疲れ気味。

 暑い夏の訪れを予感させる空の青さ。
 梅雨明けは遠くないのか?


  

          

pcの買い替え

2013-06-28 | 身辺雑記
 9年前(2004年)、PCを始めたときから、PCのことは全て、ソコロシステムズのお世話になってきた。
 最初に手にしたのは、<東芝のウインドウズXP>であった。
 しかし、それは、しばしば故障した。
 エアコンなどでも、運、不運はある。
 東芝製品が悪いのではなく、ただ私の入手したものにやや欠陥があり、ただ運が悪かったのだと思っている。
 最後の修理以後は、問題もなく利用できた。
 
 PCが生活の一部になると、修理のために、パソコンなしの生活を送るのは、面白くなかった。
 そこで、一つが故障しても、心配しなくてもいいように、新たにPCを求めた。
 翌年のことだっただろうか。

 そのとき、ソコロシステムズが用意してくださったのは、<DELLのウインドウズXP>(今、使用しているもの)であった。
 そのPCは、至極調子がよかったので、先に求めた一台のPCは、予備として存在し続けるだけのことになった。

 今回の買い替えは、XPのサポートが、来年の4月で終了することに備えるためである。
 ソコロシステムズでは、XPに代わるものとして、<ウインドウズ 7)を勧められた。

 が、ちょうどその折、朝日新聞社が、土曜日の<be>に、「ウィンドウズXPの寿命」という特集を上・中・下の3回にわたって連載した。
 その記事により、それぞれのPCに、サポート期間があることを知った。
 <7(セブン)>は2017年の1月まで。
 新たに出た<8(エイト)>は2023年の1月まで、と。
 (私はPCについて無知であり、故障しない限り、永久に使えるものと思っていたのだが…)

 あと何年、PCを友として生きられるのだろうか?
 <7(セブン)>のサポート終了時期まで、元気でPCを楽しめるかどうか?
 確かなことは分からない。
 ただ7年後に元気でPCを使用できたとしても、その終了にあわせて、新しいPCに挑戦するのはおそらく無理だろう。

 そんなことを考えながら、PCの選択に迷っているとき、 鎌田實著『がまんしなくていい』を手にし、その一挿話として、<九〇歳の人気ブロガー>の話を読んだ。
 「さっちゃんのお気楽ブログ」についてであった。

 70歳で油絵を習い始め、77歳で短歌を、80歳でPCを購入、84歳でブログを始めたという堀江幸子さん、通称さっちゃんの話である。
 自分の描いた絵をアップし、日々の暮らしや遠い日の思い出などを綴ったブログとのこと。
 さっそく、PCを開き、ブログを探したところ、すぐ見つかった。
 優しい雰囲気の具象画と、やわらかい文章が綴られていた。

 鎌田實氏は、<新しいことに挑戦するのが大好き。こういう人はボケない。>という例として、上記のブロガーのことを紹介されたのだ。
 立派な人もあるものだ。

 私は、ふと父のことを思い出した。
 90歳を過ぎて、英語の勉強をしたり、句作をしたりしていた。
 ある日、パソコンをするのは無理だろうか? と、私は相談を受けた。
 私が定年を待たず退職して間のないときであったから、55歳くらいの時のことである。
 今ほど、PCが普及している時代ではなかったし、当時、私はパソコンに全く興味を感じていなかった。
 そこで、いい加減な対応におわった。
 90を過ぎ、視力も落ちている父が、もし挑戦したとしても、自信喪失に陥るばかり、無理をすることはない、と内心では思っていた。
 が、父は96歳で命果てる日まで、常に意欲的であった。

 あの時、私も一緒にPCを始めていたら、もっと飲み込みも早かったであろう。
 私が実際にPCを始めたのは、父の死後10年が経ち、喜寿を迎えてからであった。

 余談となるが、老人介護に、ネガティブな接し方はいけないと、つい最近、テレビで知らされた。
 <後悔先に立たず>だ。
 父にやりたいことをさせてあげればよかった! と。
 私はその他のことでも、父に制約を課した。
 例えば、外を歩くことなど。
 父は、70代も80代も、よく歩いていた。5キロから10キロ。
 今のように、まだジョギングやウオーキングが盛んではなかったころである。
 父は、先駆者のようなもの。
 自分の健康法として、生活の中に、ウオーキングを取り入れていたのだ。
 ただ、90歳になる直前に、血小板の減少その他、重篤な病を患った。
 が、父は気力?で恢復した。
 ただ私の目には、体力的な弱りが感じられたので、外歩きは禁じる形を取った。
 家の中の廊下を、早朝(私がまだ寝ているうちから)歩いていた。
 外を歩きたかったのだろうな、と今は思う。
 一緒に歩いてあげればよかった、とも。
 全て、後の祭りだ。
 亡き父に、ゴメンナサイ! と言うしかない。

 私には幸か不幸か、干渉する人がいない。
 自由に、といってもかなり覚束ない足取りで、これから先、老いの道を歩んでゆくことになるだろう。

 ところで、PCの話だが、私も、前述の<さっちゃん>のように、あるいは元気で90歳を迎えられるかもしれない。
 そして、90歳にして、PCを友とし、生きる愉しみを味わえるかもしれない。
 しかし、私は普段から、あまり遠い先を考えることができないでいる。健康には、あまり自信がないのだ。
 明日が分からないと、常々思っている。
 <来年のことを言えば鬼が笑う>というのは、真理を伝えていると信じている。
 それでいて、未来が読めないことも事実である。
 90歳で、PCに向かっている自分を仮想して、物事を進めるより仕方ないようだ。

 そこで、決断して選んだのが、<ウインドウズ8>の方である。
 ソコロシステムズのTさんは、私のために、二度も見積もりを立て直してくださった。
 そして、6月18日に、いよいよ取り付けてくださった。
 今度は、NECの機種を選んだ。
 画面上はかなり違っているけれど、私がPCですることは限られているので、日を待たず新しい機種中心にやっていけるだろうと思っている。
 今は、インターネットでの調べごとをしたり、ワード画面の使い方に慣れるよういろいろ手探りで試みたりしている。
 ウインドウズXPのサポート終了までには、後10ヶ月あるので、それまでにはかなり自在に使いこなせるようになるだろう。
 月に一回、ソコロシステムズのTさんが来宅してくださるので、分からないことは、その時教えていただくことにしている。

 下の写真は、<ようこそ>の画面の後に出てくる<スタート画面>(上)
       次いで、左下のデスクトップを開くと、出てくる画面。(下)

         

         

藪柑子の花

2013-06-26 | 身辺雑記
 どうして、こんなに小さく咲くのだろう?
 いつも、藪柑子の花の小ささを不思議に思う。
 葉影にひっそり咲くので、見落としてしまうことが多い。

 手元に置いている、『歳時記』(夏)を開いてみた。
 索引に、その名がない。
 ? と思いながら、広辞苑を調べると、<冬の季語>とあった。
 今は、本箱にしまっている『歳時記』(冬)を取り出し開けてみると、そこには作品(句例)も掲載されていた。
 そうだ、赤い実こそ、尊重されるのだ。
 千両の実などとともに。
 
   目立たぬを生き甲斐のごと鎮まりて咲く藪柑子の花にわれを重ねつ

 今年は、花数が多い。蕾のときから、花開く日を心待ちし、折々のぞいていた。
 その日を見逃しまじ、と。

 やっと一部が開花した。(写真は昨日撮ったもの。)

     

 今日は梅雨空。
 昨夜来の雨が降り続いている。
 こんな雨の日は、心が落ち着く。

 カーテンを開け、玄関先の植物を観察する。
 ギボウシは、雨に打たれて哀れな姿になっている。
 お行儀よくすっとした立ち姿で咲いてくれれば、見栄えのする花なのだけれど。

 藪柑子の木は、木陰にある。
 葉影にうな垂れて咲くその花は、程よいお湿りをいただいているのだろう。

6月の庭 (紫陽花、咲いて)

2013-06-25 | 草花舎の四季
 昨日、久しぶりに草花舎へ行く。
 <紫陽花>の庭になっていた。
 額紫陽花の種類が多い。しかし、額にも、微妙な違いがある。

         

         

  

  

  

 ケムリノキの風情が、面白い。
     
        

 その他の花々。
 昨日初めて見たのは、レモンとズッキーニ。
 レモンの花はすでに散り落ちたものもあった。蕾の写真を撮っておいた。
 ズッキーニは、プランターに栽培してあった。
 その茎も葉も、そして、花にも実にも、初めてお目にかかった。

  

  

  

 カレーライスやデザートの後、コーヒーが運ばれた。
 見ると、カップの表面は、小さな池となり、窓外の空や木を映していた。
        
        

 Yさんと、ゆっくり雑談を愉しんで、帰途についた。
 梅雨空は曇ったままの午後であったが、窓から入る風が心地よかった。

坂を上ると

2013-06-24 | 身辺雑記
 草花舎からの帰り、行き同様に段々道を上った。
 今日は、階段の数を数えながら。
 全てで、わずか15段。
 前回通ったときには、雨に濡れた夏草に覆われていたが、いつの間にか草が刈ってあった。
 歩きやすい。
 帰途の難所には違いないけれど、今日は雨も降らず、楽に上る。

      


 坂を上りきると、数メートル先に、Rさん母子と<ゆきちゃん>(白い犬)の姿があった。
 <ゆきちゃん>が、いち早く私に気づき、向きを変えて私に近づこうと必死である。

           

           

 私の方からも歩み寄り、しばらく<ゆきちゃん>と遊ぶ。
 かなり大きくなった<ゆきちゃん>だが、やんちゃぷりは相変わらず。

 梅雨の夕べの、のどかなひと時。


  ≪追記≫  ㋅25日

 過日(6月23日)、 「慰霊の日」 (沖縄)の追悼式典の模様をテレビで見た。
 ありきたりな式辞などが続いた後に、 小学1年生・安里友気ちゃんの自作の詩「へいわってすてきだね」 の朗読を聞いた。
 その詩に吸い込まれ、久しぶりに心を打たれた。
 美しい魂に触れ、喜びを感じた。

 昨日の新聞で、再び活字を通して、詩の心に触れた。
 読んでまた、感動を新たにした。
 この幼い少年の願いが、未来永劫のものでありますように!

 「へいわってなにかな」
 と考え、
 少年の感じた平和のイメージが述べられ、素朴な人間関係や少年が日常目にする風景が綴られている。
 それが、今のままに存在し続けることを念じている。
 理屈ではなく、そこに紡がれる言葉が、すばらしい。

    おともだちとなかよし。
    かぞくが、げんき。
    えがおであそぶ。
    ねこがわらう。
    おなかがいっぱい。
    やぎがのんびりあるいてる。
    けんかしてもすぐなかなおり。
    ちょうめいそうがたくさんはえ、
    よなぐにうまが、ヒヒーンとなく。
    みなとには、フェリーがとまっていて、
    うみには、かもめやかじきがおよいでる。
    やさしいこころがにじになる。
    へいわっていいね。へいわってうれしいね。
    みんなのこころから、
    へいわがうまれるんだね。

 これに次いで、戦争の恐ろしさ、平和の時代に生まれた喜びをうたい、平和の永続を希求している。

    これからも、ずっとへいわがつづくように
    ぼくも、ぼくのできることからがんばるよ。

 との決意で、この詩は括られている。

 この少年の願いが、損なわれることがありませぬように! と、活字で読んで、また願いを新たにする。
 この思いは、単に、一少年の願いではない。多くの心ある人びとの願いである。

 私はかつて、石垣島や西表島には旅したことがある。
 が、与那国島は知らない。
 地図上で、日本の最西端の島<与那国島>を確認し、少年の詩に出てくる「ちょうめいそう」「よなぐにうま」、フェリーの止まる港などを調べた。
 猫も山羊も、のんびり暮らしている島。

 与那国島の温和な地に、いつまでも伸び伸びと成長する少年の姿があり続けますように!

梅雨の月

2013-06-22 | 身辺雑記
 雨の日は少なくても、お月様や星影を眺められる夜はなかった。
 今は梅雨のさなか、当然の如く、曇り空の夜が多い。
 が、今晩は、例外であった。

 9時半、期待はせず、広縁から東方の空をみると、お月様だ!
 14夜の月だろうか。

 隣家の屋根の上に、遠慮がち明るんでいた。
 お月様は、鎮静剤のように、心を休めてくれる。

      


 
 以下は、最近、庭に咲いている花々。

         
                 南天の花

         
                 ランタナの花

                          
                     ギボウシ

         
           雑草のコニシキソウが、地所を広げ始めた             


         
              可憐なムラサキカタバミ

今日も、雨の止み間に

2013-06-21 | 身辺雑記
 台風4号は低気圧に変わり、勢力が弱まったようだ。
 が、今日も、晴れやかな天気にはならなかった。

 雨が降ったり止んだりの一日。

 雨の止み間をみて、今日も散歩を兼ね、ポプラに出かけた。
 小さな買い物のために。

 自らの年齢を考え、近道はやめようと思いながら、今日も、草に覆われた段々道を歩いた。
 二等辺三角形の長辺に当たる近道。
 段々の数は知れたものだが、足場はよくない。
 
 近所の1歳年上の女性が、一昨年、同じ道を降りていて、転ばれた。
 「もう、あの道は通りません!」
 と、憮然とした表情で言われた。
 骨折はなかったけれど、怪我で暫くは不自由された。

 それを聞いたときには、私も、近道するのはやめようと思ったのだが…。
 やはり今日も、夏草の伸びた段々道を上り下りした。
 近道は、やはり魅力的なのだ。
 転ばぬように、一歩一歩を踏みしめて。

       
           帰途、上る前に、見上げた段々道


 国道の脇に咲く、木の花に気づいた。
 アカメガシワの花とウツギ(卯の花)だろうか?

          

         


 庭のテッポウユリは、早く咲いた花から順番に、落花し始めた。

         

雨の止み間に

2013-06-20 | 身辺雑記
 一昨日の夕べ以来、止み間なく降り続いた雨は、相当な量に達したらしい。
 幸い、当地に、大きな被害はなかったけれど。
 明日も、雨になるらしい。
 北上中の台風4号の進路次第では、風を伴う雨となるかもしれない。

 今日は午後になって、雨の止み間があった。
 明日のことは当てにならない。
 そこで、急遽、郵便局に出かけた。
 土日の前に、支払いを済ませたい用があったので。

 雨上がりの戸外はさわやかだった。
 梅雨のじとじとした不快さがなく、少々肌寒いくらいだ。

 郵便局で、嬉しいニュースを聞いた。
 燕の雛が3羽、誕生したという。
 用を済ませたあと、局のKさんと一緒に外に出て、巣を見上げた。

 巣の中で、蠢くものがある。
 小さな黒い頭が見え隠れしていた。
 親鳥を待っているのだろう。

     

 見上げた空に、親燕が旋回していた。
 Kさんと私の存在が気になるのか、巣に戻ろうとはしない。
 結局、餌をもらう子燕の様子を眺めることはできなかった。

 (それにしても、近年、燕が少ない。
  日本は、燕にとって、棲みよい場所ではなくなったのだろうか。
  さえずりを耳にし、見上げた電線や空に燕がいる、そんな心の和む機会が乏しくなった。
  この季節、燕をみかけないと、楽しみが半減する。
  今年は、ホトトギスの声も、二度聞いただけである。)


 帰途、また小雨が降り始めた。
 が、傘を広げるほどでもなかった。

 花に止まる蝶の、のどかな光景を眺めたり、キササゲの花を見上げたりした。

     

      

黄色い花 似て非なり

2013-06-18 | 身辺雑記
 ビヨウヤナギとキンシバイ。

 咲く時期も同じだし、雰囲気も似ている。
 しかし、よくみると、かなり相違点がある。

 二つの花を並べておこう。

 ビヨウヤナギは、家の裏庭に、咲き続けている。
 20年以上昔、今は閉店された近所のお店で、この花を初めて知った。
 花瓶から一茎もらってきて、土にさしたのだ。
 
 簡単に根づいた。
 成長が早く、以来、毎年花をつけてくれている。
 雄しべの長い、おしゃれな花だ。
 梅雨時の庭に、小さな花火を打ち上げている。
 
 キンシバイの方は、あちこちで見かける。
 ビヨウヤナギに比べて、おとなしい感じだ。
 品のあるのは、キンシバイの方だろうか?

 人によって、好みは異なるだろう。

     

       
            ビヨウヤナギ(未央柳)

     

       
            キンシバイ(金糸梅)

山口に出かけて

2013-06-18 | 身辺雑記
 過日(15日)、山口に出かけた際、いつもの習いで、書店にも立ち寄った。
 PCを買い替えるに当たって、新PCの参考になる本を求めたり、さらに添付写真の2冊を求めたりした。

 『日本の樹木』 (山と渓谷社 刊)。
 今まで、樹木を調べるときには、父の遺した書籍『樹木 1』『樹木 2』を利用してきた。
 やはり、<山と渓谷社>刊の本である。
 その2冊に収録された樹木数が452種なのに対し、『日本の樹木』には、3倍増の1446種が採り上げてある。
 写真が多いので、重たい!
 が、ページを捲り始めると、眺めて飽きない。

       
 
 『ただ生きようと花は咲く』 <二十四節気と野に生きる花や草木のいい話>(文と写真 印南和磨)
 早速、幾編かを読んだ。
 表現が冴え、読んでいて楽しい。
 この本に登場する花々が咲く季節には、その都度、本のページを捲るだろう。

              

 山口からの帰り、津和野の菖蒲を見に立ち寄った。
 梅雨にしては、雨が少なく、初夏の日差しを浴びていた。
 大きな鯉も、相変わらず悠然と泳いでいた。