昨日、山口往復の列車の中で、福岡伸一の「生物と無生物のあいあだ」を読んでいたところ、DNAの文字配列を説明した文章の中に、<回文>のことが出ていた。
読み止しのページを開いたまま、本を膝の上に載せ、回文(上から読んでも下から読んでも同じ文章)には、どんなものがあったかしらと、車窓に流れる風景を見るともなく眺めながら考えた。が、思い浮かばない。
そこで、辞書には例文があるかも知れない思い、バッグから電子辞書を取り出して調べてみた。
<回文>の説明の最後に、⇒<宝船>とある。そこへジャンプして調べてみた。
そこには、回文歌が載っていた。
「ながきよのとおのねぶりのみなめざめなみのりぶねのおとのよきかな」
「宝船」の説明には、<正月の、初夢を見るために枕の下に敷いた縁起物>とある。それに、上記の回文歌などを書き添えたらしい。
こんな風習は、いつの頃から始まって、いつの頃まで行われたのだろうか?
非科学的であり、合理性などないが、生き方の中に、こんな風流とゆとりがあってもいいなと思う。
(添付写真は、お花屋さんの店先で見たネコヤナギ。早くも春のおとずれ。)
読み止しのページを開いたまま、本を膝の上に載せ、回文(上から読んでも下から読んでも同じ文章)には、どんなものがあったかしらと、車窓に流れる風景を見るともなく眺めながら考えた。が、思い浮かばない。
そこで、辞書には例文があるかも知れない思い、バッグから電子辞書を取り出して調べてみた。
<回文>の説明の最後に、⇒<宝船>とある。そこへジャンプして調べてみた。
そこには、回文歌が載っていた。
「ながきよのとおのねぶりのみなめざめなみのりぶねのおとのよきかな」
「宝船」の説明には、<正月の、初夢を見るために枕の下に敷いた縁起物>とある。それに、上記の回文歌などを書き添えたらしい。
こんな風習は、いつの頃から始まって、いつの頃まで行われたのだろうか?
非科学的であり、合理性などないが、生き方の中に、こんな風流とゆとりがあってもいいなと思う。
(添付写真は、お花屋さんの店先で見たネコヤナギ。早くも春のおとずれ。)