ぶらぶら人生

心の呟き

『朝日俳壇』より

2016-10-31 | 味わい深い表現
10月最後の日となった。
なすべきことができないままに、時間だけが過ぎてゆく。
何かをすれば、何かが抜かる。
そんな毎日である。

今日は月曜日、朝日新聞に、『歌壇・俳壇』が掲載される日である。
一首、一句を味わいながら読む。

     花にあらずか秋蝶の探すもの (藤岡市) 飯塚柚花

            長谷川櫂 選 三席
      選者の言葉 <花でなければ何なのか。友か、はたまた死にどころか。>

上掲の句は、4人の選者に選ばれた40句の中から、私が、私の好みで選んだ一席の句である。

私も、しばしば庭に立って、蝶の行方を眺める。
軽やかに、空の彼方へ消えてみたり、また庭の片隅に戻ってきたり…。
自在な動きを追いながら、その意味(蝶の、予想外な飛翔の意図)を、作者同様、疑問に思うことも、しばしばあった。

しかし、私は、俳句や短歌など、短詩形にまとめる能力がない。
今朝、この句に接して、しみじみうまい句だなあ、と思った。


余録
   午前中、M歯科医院へ定期検査を受けに出かけた。
   デジカメをバッグに入れ忘れ、医院の入口に咲く花を、スマホで撮影。

   新しいスマホ(iphone)で撮った写真をPCへ送るのも、初めての作業である。
   過日、草花舎のTちゃんに、メールに写真を添付する方法を教えてもらった。
   が、その後、一度も試みたことがないので、はて? と、迷った。

   (以前使っていた<らくらくスマホ>とは、使用方法がかなり異なる。
    LINEメールへの添付は、方法が同じなので、問題ないようだ。)

   試行錯誤の結果、なんとか成功した。   


フクシア?
(手ぶれの写真)



ノボタンの6個め
今年最後の花となる
(デジカメで、朝、撮影)
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高砂百合と石蕗

2016-10-29 | 小庭の四季

茎丈20センチほどの先に、高砂百合が二つ咲いた。
頼りなげな蕾をみながら、開花には至らないだろうと思っていたのだが…。
生命力のすごさを感じる。

背景には、石蕗の花。




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作家・高井有一さんの訃報

2016-10-28 | 身辺雑記
昨日、朝日新聞の紙面で、高井有一さんの訃報に接した。
同学年の作家として、親しみを感じていた作家のひとりである。
(高井有一さんのほか、同学年で、健在な作家といえば、黒井千次さん、五木寛之さん等。
 私の好みでない作家は、他にもいらっしゃるけれど…。)

今年の初めに読んだ二冊の本について書きかけたブログは、未定稿のままになっている。


 (以下は、書きかけの原稿) 
昨年12月20日の赤旗<日曜版>で、高井有一さん(1932~)がエッセー集を出されたことを知った。
高井有一さんの本と一緒に、顔写真も載っていた。
おじいさんになられたな、と思った。  
私もすでに申し分のないおばあさんである。
高井さんは昭和7年の遅生まれ、私は8年の早生まれ、という違いはあるが、同学年である。
生誕地は違っていても、同じ時代の空気を吸って生きてきたと思うだけで、(心の問題として)友人のような気がする。
 
永らく会うことのなかったなつかしい知己に、偶然巡り合えた喜びを感じなら、記事を読んだ。
『北の河』(芥川賞受賞作)を読んで以来である。

 『時の眺め』 (新潮社・2015年10月30日刊)と一緒に、『この国の空』も、注文した。(写真)




先に、小説『この国の空』を読んだ。
これは、1983年に書かれた作品である。
1945年の東京が、小説の舞台となっている。
高井さんは、次第に世間から薄れゆく戦争の記憶を、改めて世に問いかける形で、書き留めておきたかったのだろう。
体験というものは、想像力をはるかに超える。
しかし、戦争を体験しなくては、戦争の不幸を知り得ないというのは、惨めな話である。

こうした小説が読まれることで、戦争のもたらす不幸を、思い描く力は養われるだろう。
この小説は、映画化もされているという。
(帯の説明によると、二階堂ふみ・長谷川博己さんらが出演とある。)

『時のながめ』はエッセイ集である。
感慨深く読んだのだが、未定稿のままである。
改めて、本を手に取ってみると、書き込みをしたり、付箋を多くつけたりしている。
同時代を生きてきた作家の言葉の重みに、感銘を受けた証拠なのだろう。
いずれ感想をまとめるつもりでいながら、10か月を過ごしたことになる。

(未定稿は、この他にも、たくさんある。
 心を込めて書きたい稿ほど、とかく後回しになってしまう。
 気持をうまく表現出来ないままに…。)

訃報に接した今は、とりあえず、未定稿のまま、投稿しておくことにした。
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来客

2016-10-27 | 身辺雑記
60年前、少女だった知己5人の来訪を受けた。
多感だった少女時代の面影を微かに残した人たちは、それぞれの人生を生き、今は老いの入り口に立ちつつ、穏やかである。
それぞれ真摯に生きた過去を、表情に刻みながら…。

知己との2時間ばかりの歓談は、楽しいひとときとなった。
残生の少ない私には、<また、いつか>というのは、儚い希望に過ぎない。
今日、60年ぶりに会えたことさえ、奇跡に近い。
年来、親交のあるSさんの計らいがなければ、永遠に会うことのかなわない人たちであった。

花束や和菓子・洋菓子など、たくさんのお土産をいただいた。
とりわけ、<吾亦紅>を、花束の中に見つけて嬉しくなる。
薔薇やトルコキキョウなどの華やぎの中に、秋のひそやかさを秘めた<吾亦紅>!

私が、その花に気づいて愛でると、
「クラス会の名を、今年から<吾亦紅>と名づけることにしたのです。Tさんの提案で」
と、Sさん。
いい名前だ。
いつ人生に終止符が打たれるにしても、<吾も亦紅し>と信じて生きればいいのだ。
命ある限り…。


今晩、海辺のホテル「荒磯館」で、高校時代の集い<吾亦紅の会>が、催されている。
この稿を書きつつ、今は宴たけなわなのであろうと、そこに集う人たちの賑わいを想像する。







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朝の月

2016-10-25 | 身辺雑記

早起きして、資源ゴミを出した朝、未明の空に下弦の月があった。
それだけで、朝の心は、爽快であった。

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むのたけじ 『戦争いらぬやれぬ世へ』

2016-10-25 | 身辺雑記
ジャーナリスト むのたけじ(武野武治)さん(1915~2016)の死去の日から、幾日過ぎたのだろう?
戦争いらぬ やれぬ世へ』(むのたけじ語る1・評論社)へ挟んでおいた切り抜きを取り出した。




8月21日逝去、と分かる。
早くも、ふた月が過ぎた。

新聞で、その死が大きく報じられた直後に、上記の本を注文し、一語一句に感動しながら読了した。
この本は、作者の講演集である。
堅苦しい表現は、全くない。
(中には、中学生を対象にしたものも含まれる。)
そこにあるのは、作者の信念であり、理想である。

作者は、101歳の長い生涯、反骨精神を貫き通した希有な存在である。
一貫した思想は、題名にあるとおり、<戦争はいらぬ!><戦争はやらぬ!>という信念である。
今こそ、多くの人に読んでほしい本である。

それにもかかわらず、私の入手した本は、<2007年4月30日>に初版発行されたものであった。
もっともっと重版が繰り返されて当たり前と思える本なのに、腑に落ちない。

内容について、さらに詳しく書きたいが、今日は、紹介にとどめておきたい。
(詳述後にと先送りすれば、未定稿のまま、ますます日が過ぎてゆきそうなので…。)


なお、各章と章の間には、 『詞集たいまつ』からの抜粋が、紹介されている。
これまた、味わい深い詞句ばかりである。

『詞集たいまつ』は、 Ⅰ~Ⅵにまとめられ、評論社文庫として出版されている。
とりあえず、Ⅰ~Ⅲまでを、アマゾンに注文した。
(すでに入手。)
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たわいない夢

2016-10-24 | 身辺雑記

最近、たわいない夢をよく見る。
しかも、目覚めて、もの悲しくなるような夢が多い。

今朝は、夢の中で、
「せめて、住所を教えて」
と、鬼籍の人に、懇願していた。

彼岸と此岸とが混沌とした夢。
「定住地はないんだから、それは無理な話だ」
と、その人は、空を指さした。


今日、買い物に出て、
雲が美しいと思いつつ、青空を見上げたとき、
ふと、夢を思い出した。

生者は、自らの死後(いつの日か)、亡き人たちに会えると、ふと思う。
が、生きていればこそ、夢の中で会えるのかもしれない……。



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父の祥月命日

2016-10-22 | 身辺雑記
今日は、父の祥月命日である。
22年の歳月が流れた。
忌日にあたって、ことさら、在りし日を懐かしむ。

父の遺した『野に咲く花』を開いて、花の名前を調べたりしながら…。
この本には、父の字で、<平成1年9月11日>と、購入月日が記されている。
その年、父は91歳。
私は職を辞し、老父母とともに暮らし始めた年である。

野の花を採集しては、父に、その名を尋ねたものだ。
父は、植物の知識が豊かだったが、私に正しい名前を教えるために、新しく購入した本なのであろう。
(このことについては、以前のブログに、書いたことがある。)


藪柑子の実。


万両の実。


(二つの実は、熟せば赤くなる。
が、その色づきには微妙な違いがあって、面白い。)

下の花は、裏庭に自生した雑草。
秋の野で、よく見かける花だが、名前が分からない。
上記した本のページを根気強く繰り、時間をかけて調べたが、
似たような花が多く、結局、名前を絞りきれなかった。
(こんなとき、父なら即答してくれるだろう、と思いつつ…。)
1センチほどの、可愛い小さな花。


今日、裏の崖裾に咲いた撫子。

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食事して…

2016-10-20 | 身辺雑記

昨日、買い物と食事のために、街へ出た。

最近、格別、頭の働きが鈍い。
頭の中がふわふわしたり、思考停止状態になったり、
なすべきことに時間がかかり過ぎたり…。

ところが、食欲だけは旺盛である。
以前より、よく食べる。
そして、人に作っていただいたものは、すべて美味しい。

Pレストランで、食事した。
ハンバーグ定食。(ライス・コーヒー付き)

 



美味しくいただいて、実に幸せ!
頭も胃と同じように、何でも受け容れてくれると嬉しいのだが、なかなか思うようにはゆかない…。
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崖を見上げる

2016-10-19 | 身辺雑記
昨日、突然、市の土木課長が、もう一人の職員を伴って、やって来られた。
わが家が、土砂災害危険区域に指定されているというのだ。
私の家だけではなく、崖に沿って建つ3軒が、該当するという話である。

父の死後、山口で10年ばかりを過ごした。
その間に一度、大雨が降り、崖の崩れたことがある。
しかし、その土砂は、建物に及ぶほどのもではなかった。

崖は、JA所有のものであり、JAの方で補強してくださった。
雨が激しく降ると、いつも警戒はしている。
が、危険区域に指定されるほどの状況に置かれているとは知らなかった。
今日来訪の要件は、近々、会合を開くので、出席してほしいという知らせであった。

そう高い崖ではない。
上の丘にあった保育所は平地に移転し、現在はソーラーパネルが設置されている。
最近は、それが突風や強風で飛ぶことはないのだろうかと、無知な私はむしろその方を心配していた。

危険なのは、崖の崩壊らしい。
裏庭に出て、崖を見上げた。
低い崖のなので、家が押し流されるような状況は想像しがたい。
(市の説明を待つより仕方ない。)





かつての崖崩れで、
一旦は土に覆われたホトトギスは、
今も、咲き続けている。


ツワブキも。
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