ぶらぶら人生

心の呟き

12月31日(月)の新聞より (写真 キャベツ)

2007-12-31 | 身辺雑記

 ※ 8面  opinion
 素粒子 2007年 夕刊1面時評 筆者が振り返る
  うそで固めた国で    河谷史夫 論説委員
 <夏に出た加嶋祥造さんの「求めない」に、「求めない―/すると/ほんものをさがしている自分に/気づく」とあった。
 「素粒子」は夕刊の、吹けば飛ぶような時事寸評コラムである。国際化といわれるのに英訳もされず、IT時代というのにサイトにも載らない。古風に、あくまで古風に、ただ紙の上に14行、200字前後で、日々何かにつけて「求める」というふらちな試みである。>

 この文章で始まる論説は、二重の意味で懐かしかった。
 思わず「お久しぶりです」と、会釈し微笑みたくなる思いは、筆者・河谷史夫論説委員に対してであった。朝日新聞の重鎮などに面識があるはずもない私だが、河谷論説委員には、二度ほど接点があるのだ。
 一度は、十年前の晩秋のころ、山口市後河原の、師の家の洋間で、お会いしたのだった。
 当時は編集委員のお仕事をしておられ、「人と人との物語」を夕刊に書いておられた。<人と人と>の関係として、<中原中也と師と>に焦点を当てて書かれる予定があり、東京からはるばる取材に来られたのだった。
 師はすでに87歳、しかも大きな患いのあとでもあり、師の仕事には補助役として、私が必ずお傍にいた。そんな関係で、茶菓の接待だけでなく、お話にも加わったのだった。
 二度目は、師の一周忌に、亡き師を偲びながら、遺稿集「続 留別抄」を編集し、それをお送りしたときだった。その後の私を案じ、無事を喜ぶお手紙をくださったのだった。そいう儀礼をきちんと果たされる方でもある。
 
 私のところは夕刊が届かず、河谷論説委員の<素粒子>も読むことができないのだが、昨年末にも、今回のようなまとめの記事は出て、懐かしく思ったのだった。
 二重に、といったのは、「求めない」の引用に接したことである。
 十二月初旬に上京した際、書店で求め、単純にみえる言葉の奥に潜む深い意味に惹かれ、今でもしばしば机上において手に取る本である。
 今回の論説も、「求めない」の引用に始まり、最終章にも、「求めない」からの引用で締めくくられているのだ。
 <「求めない―/すると/ちょっとはずかしくなるよ/あんなクダラヌものを求めていたのか、と」
 ――と加嶋さんは言う。
 「求めない―/すると/ひとから自由になる」
 「求めない―/すると/失望しない」
 いかにも、政治家に腹が立つのは、求めすぎていたからかも知れなかった。
 うそで固めた国で生きていくには、もう求めないことだ。来年から、少しは利口になろうかと思う。>
 と、結ばれている。

 私の今朝は、またしても、もの探しに始まった。
 河谷氏の文章に接した直後、あの切り抜き(人と人との物語)は、どこにあるだろう? と……。
 四年前の年末、山口から持ち帰った荷物の一部は、まだ箱に入ったまま片付けていないものもある。しかし、未整理の三つの箱のなかにはなかった。
 さて、と思いながら、それならと調べた戸棚に<重要>と書いた大きな封筒を見つけた。師の晩年の新聞記事など切り抜いたものをまとめた封筒に、河谷氏の<人と人との物語>も一緒に入っていた。
 「その一 一つのメルヘン」 「その二 故郷へ」 「その三 『朝の歌』」 「その四 また来ん春」となっていて、平成10年2月23日~26日にかけて掲載されている。
 この記事から判断して、お会いしたのは前年の晩秋の頃かと判断したが、あるいは、平成十年の年初めだったかもしれない。日記を辿れば分かるはずだが、今年最後の今日、日記探しをしている暇はない。

 河谷史夫論説委員は、<今月で任を離れる>と、文中に書いておられる。素粒子の担当を終えられるということだろう。
 ものの見方に確たる信念のある人なので、また紙上に書かれたものを拝読する機会があればと願っている。
 (今日の記事は切り抜いて保存しようと考えている。)

 ※ 2面 ひと
 第49回日本レコード大賞作曲賞を受賞した作家
    新井 満さん(61)
 芥川賞から19年、になるという。私の好きな作家であり、「千の風になって」で、私も心を救われたひとりとして、その受賞を心から喜びたい。

 ※ 21面 充実の人生へ
 メビウスの環 詩人・杉山 平一
   年の瀬と新年 つながる表と裏
 
 大変<質のいい文章>というのがあるように思う。読むものの心に、優しいが、確かな響きを伝えてくれる文章。
 この詩人の文章を読むのは初めてなのだが、感心し、この記事も切り取った。
 <表と裏とが交互に現れるメビウスの環は、「絶望するな」と呼びかけてくるようだ。あの形こそ、生きることの意味をよく象徴する形ではないだろうか。>
 と、詩人は書いている。旧制の松江高校に三年間学んだ人で、その昔を懐かしんで訪れた松江の駅頭で、メビウスの環の大きな彫刻に出会ったと述べられている。もう20年も前のことと記してあるが、現在も、それはあるのだろうか。年に数度は訪れる松江なのに、私は気づいていないのだが……。

 ※ 19面 
 年越しの数字 課題残した生活ニュースから
  一千人 薬害肝炎救済  「一律救済」、立法目指す
  5千万件 宙に浮いた年金記録 持ち主捜し、作業難航か
  183件 リコール社告 食品でも「偽造ドミノ」
  6% 温室効果ガスの排出削減目標 日常で排出増、険しい道
  522カ所 石綿被害 新たに確認 国も公表へ
  時給687円 最低賃金改定 引き上げ幅 今後も議論
  150円 ガソリン代 食品・燃料代 値上げ続く

 この数字に残された課題が、来る年、どう解決されてゆくだろう?
 数字は、事実を歴然と示す。

 ※ 10,11面
 2007 1月~6月  年金不信深まるばかり
 2007 7月~12月 バタバタの首相交代

 
と分けて、今年の主なニュースを取り上げている。
 下欄には、<哀悼>欄をも受け、国内、海外の亡くなった人たちを写真入りで載せている。
 このページを見ていると、本当に時は流れているのだという気になる。
 11ページの右上に、山藤章二さんの政治漫画が載っている。
 思わずにやりとして、?と思考回路が停止した。
 福田総理が滑り台の一番下まで滑り落ちている。
 添えられた文は、
  支持率急落、
     というほどの大げさなものか
     どうか、と思いますけどね…
 と、総理が年金問題で発言した言葉が記されている。
 そこまではよかった。
 その左横に、小沢さんの顔が半分のぞいていて、吹き出しには、「KYなおひと!」とあるのだ。総理を揶揄しているようだが、<はて、KY?>とは、最近の流行語?と不審に思い始めたら、気になって仕方がなくなった。
 いつもの習いで、辞書を調べ、知恵蔵を調べたりしたが、分からない。
 みな忙しくしている今年最後の日に、電話して聞くわけにもいかない。
 そうだ、新聞社に直接教えを請えばいいのだと、西部本社に電話したところ、お正月休みに入っていて、繋がらなかった。
 今、私の頭は、<KYなおひと>という意味不明な言葉で、混迷を極めている。(誰か教えてください!)

 (添付写真は、隣家の畑でみたキャベツ。よく巻いている!) 

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差し入れの牡丹餅

2007-12-30 | 身辺雑記
 昨夜、誘眠剤の力を借りて就寝したのは、十二時をどれくらい過ぎていただろうか?
 今朝も、障子の明るむ気配を感じながら、なおベッドでぐずぐず過ごした。
 勇気を出して、新聞を取りに行った時には、六時半になっていた。
 いつもの悪習で、ベッドで新聞を読んだ。
 読み終えても、なかなか起き出す気になれず、<さて!>と、幾度も掛け声をかけるだけで、身体を起こすことができないでいた。

 八時前、ついに呼び鈴が鳴って、起きざるを得なくなった。
 知人のSさんだった。
 「午後、来る予定だったけど、今朝、お餅をついたので」
 とのこと。
 神仏に供える重ね餅、お雑煮用の丸持ち、さらには牡丹餅などが、二段の箱に収められていた。大根や葱の一抱えも添えて。思いがけないプレゼント!
 来訪者のベルに促され、慌ててパジャマのまま玄関に出たので、戸外の風がひときわ冷たかった。
 Sさんも、
 「入って、入って、風邪を引くよ」
 と言い残し、そそくさと帰って行かれた。

 久しぶりの牡丹餅だ。
 三つあるうち、二つは一度に食べられるだろうと思い、お皿に分けた。(写真)
 食べ過ぎになるだろうかと危惧しながら。
 まだ搗きたて餅のほのかな温かさが残っていた。
 少々食べ過ぎの感はあったが、好物なので美味しくいただいた。
 ただ、お昼を過ぎても昼食が欲しくないのは、朝の牡丹餅がこたえているのだろう。食が細くなったことは確かなようだ。(牡丹餅を二つも食べた者が、言うべき言葉ではないかもしれないけれど……。)
 
 <ぼたもち>
 <棚からぼたもち>
 などと、言いつつ、餡をぬったお餅をなぜ<ぼたもち>というのだろう? と、思った。認識不足、知識不足もいいところだが、<ぼたもち>=<牡丹餅>と分かって、なるほどと思った。
 広辞苑によると、<牡丹餅>は、(赤小豆餡をまぶしたところが牡丹の花に似るからいう。「はぎもち」に同じ。)とある。そう言えば、「おはぎ」も、同根の言い方なのだろう。語源を考えもせず、固有名詞として慣れ親しんでいるものは、意外に多いに違いない。
 ついでに、「故事 ことわざの辞典」も開いてみた。
 <棚から牡丹餅>→「棚の上から牡丹餅が落ちてくる。思いもかけない幸運がやってくること。労せずに幸運を得ることのたとえ。」とある。
 この解釈は人口に膾炙している。
 なお、
 <牡丹餅で頬を叩かれるよう>→「気持ちのよいさま。また、思いがけない幸運がまいこむことのたとえ。」
 <牡丹餅の塩の過ぎたのと女の口の過ぎたのとは取り返しがつかぬ>
 そのとおりで、解説を書き出す必要もない。
 来年は、過ぎた口をきかぬよう、慎ましやかに生きましょう。(私自身への自戒)
 <牡丹餅は米、辛抱は金>→「辛抱が何よりもたいせつであることをしゃれていう。」
 <牡丹餅は棚から落ちて来ず>→「棚の上の牡丹餅が思いがけなく落ちてくるようには、物事はうまくゆかないものだ。求めずしては幸運は得られない。物事にもそれなりの努力が必要だということ。」

 <牡丹餅>遊びはこれくらいにして、買い物に出かけてこよう。
 ひと時、庭を白くした初雪も消えてしまったから。
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12月30日(日)の新聞より (水準点の標識)

2007-12-30 | 身辺雑記

 ※ 1面
 内閣改造 年明け検討
      首相、解散は「夏以降」
    2面 時時刻刻
 市民生活揺らぐ
     ブット氏暗殺 総選挙延期を検討へ
        恐怖に静まるカラチ
    3面 社説
 薬害肝炎法案 悲惨な教訓を再発防止に
 力士リンチ 初動捜査のミスが痛い
    8,9面
 事件・衝撃・歓喜 2007 あの瞬間 (写真入)
   「かばい」佐賀北 夏の甲子園初V
   横綱 懲戒処分 (朝青龍)
   反則技連発に処分 (ボクシングの亀田大毅選手)
   15歳 さわやかに優勝 (石川遼選手「ハニカミ王子」)

   散弾銃乱射 2人を殺害 (佐世保市のスポーツクラブで)
   九州で暴力団抗争激化
   市長に凶弾 (伊藤一長・長崎市長、選挙戦中の出来事)
   日本人ジャーナリスト 軍政ミャンマーで射殺 
              (ジャーナリストの長井健司さん)

   偽装偽装偽装… 食の安心崩壊
   ミートホープが
   不二家が
   船場吉兆までも

   第21回参議院議員通常選挙 惨敗、続投、死に体…退場 (安倍首相)
   君臨、接待、便宜供与…逮捕 (前防衛事務次官の守屋武昌)
   沖縄の怒り 県議会も党派を超えて (「集団自決」の記述をめぐる教科書
                           検定問題)

   中越 震度6強… 原発の安心崩壊
   能登でも震度6強
   火災・胴体着陸…空の安心崩壊

   日本女性、世界で輝く (カンヌ国際映画祭で川瀬直美監督の「殯の守」、
                  グランプリを受賞
                  ミス・ユニバース世界大会で日本代表の森理世
                  さんが優勝)
   日本の食、世界に輝く (「ミシュランガイド」東京版に掲載される店が発表
                  された。三つ星8店、二つ星25店、一つ星117店)
   星野ジャパン、北京へ (北京五輪出場決定)
   どげんかなるか (東国原英夫氏、宮崎県知事初当選)

 8,9面の写真入の記事は、その時々のテレビ画面を想起させ、出来事をふり返るきっかけを与えてくれた。だが、頬の緩むようなニュースは少なく(色字にしたのは、明るいニュースと判断したもの)、総じて人間や社会の負の部分を見せつけられる出来事や事件が多く、思い返しても哀しく、いっそう暗い気分になってしまう。しかも、ここに挙げられているのは、暗いニュースのごく一部にすぎない。かつては考えられなかったような残酷な事件も増えていて、正常な感覚さえ麻痺させられそうなほどだ。<美しい日本>は、どこかへ消えてしまった感じだ。少々貧しくてもいい、日向ぼっこをしているような、やさしいぬくもりのある社会で、余生を送りたいというのが実感である。

 (添付写真は、益田市木部町に立つ水準点の標識。この標識は、以前郵便局前にあったものである。バスの車窓から、そこに移されたことに気づき、早速、散歩がてら見にいったのは、今年の一月下旬だったように思う。ブログにも書いているはずだが……。帰途、鶯の初音を聞いたことだけは鮮明に記憶している。
 せっかく訪れたのに、標識が設置してあるだけで、肝心な石組みはなかった。いつかそれを確かめに行きたいと思いながら、そこまで往復すればかなりの距離があり、躊躇っていた。
 先日25日、クリスマスの日に、友人がケーキを持参、コーヒーを飲みつつ歓談した。その後、友人の帰りの車に便乗し、木部で下ろしてもらったのだ。
 水準点の石組みを確かめるために。
 ずっと散歩を怠っているので、帰りの2キロあまりを歩いて帰ることにして。
 ところが、残念なことに、相変わらず標識の下に、水準点の石組みは置かれていなかったのだ。草むらに隠れていないかと、念入りに探したが見つからなかった。
 どういうことなのだろう? 国土地理院の怠慢? 
 がっかりしたが、帰途、大浜の海や海上に傾く太陽を眺めたり、他家の庭先で純情可憐を思わせる椿の花にめぐり合ったり、十分散歩を楽しむことはできたのだったが……。)

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「魂合う」という言葉 また、指揮者エッシェンバッハ (写真はノボタンの蕾)

2007-12-29 | 身辺雑記
 昨夕、甥の子、小学校二年生の女の子が、姪の車でやってきた。
 「おばちゃん、大変だったの。魂(たま)が飛び出しそうだった!」
 家に上がるなり、そう言った。
 <魂が飛び出す>とは、私には聞きなれない言葉だった。が、相当のショックを受けたらしいことは、話しっぷりで理解できた。

 説明を聞いてみると、姪が運転を誤って、隣家の門柱に車をぶっつけたらしい。門柱も、自分の車も、傷つけていた。
 凄まじい音がしたという。隣家の人が様子を見に出られたというから、相当大きな音だったのだろう。
 熊本からひとり運転して益田に帰り、その足で、さらに私の家までやってきたのだ。長距離の運転で、若くても目に見えない疲れがあったのかもしれない。
 帰る際、送って出てみると、濃紺の車体なので、擦り傷は目立ちやすかった。帰ったら、すぐ修理に出すと話していた。

 今朝、その姪から電話があり、隣家に住まう人の名と電話番号を尋ねてきた。
 傷んだ車は益田で修理に出し、門柱の傷みも直してもらうから、とのことだった。
 今日は昼過ぎの列車で熊本に帰り、向こうではレンタカーを借りる手はずになっているとの話だった。
 幼い子どもを乗せて、何度も熊本、益田間を往復した経験あるドライバーでも、思いがけぬ事故を起こすことがあるから、やはり車は怖い。

 その電話がきっかけとなって、昨日、甥っ子の幼い娘の子が言った<魂(たま)が飛び出す>という言葉を思い出した。私なら、そういう時、なんと言うのだろうかと。
 <魂が飛び出す>とは、かなり大きな驚愕を表す言葉だろう。
 <びっくりした>では弱い。<魂消(たまげ)た>でも、物足りない気がする。
 そんなことを考えていると、<魂が飛び出す>とは、心臓が止まるかと思うほどの恐怖感をうまく言い当てているようにも思えるのだった。

 私は、一方で音楽を聞きながら、電子辞書を調べてみた。
 <魂消る>は、あるいは方言かと思ったが、ちゃんと辞書にある。<(魂が消える意から)非常に驚く。びっくりする。>と説明している。<魂が飛び出す>に匹敵する表現なのかもしれない。
 あれこれ調べているうちに、慣用句「魂合う」という言葉に出くわした。<魂がいっしょになる。互いに思い合う心が一致する。>と、その意を説明している。
 やや古語めいた言い回しだが、いい言葉だ。
 しかし、人間関係において、「魂合う」繋がりというのは、なかなか難しいことなのかもしれない。生涯に、真に「魂会う」人に幾人巡り会えるのだろう?
 幼子が残していった言葉から、<魂(たま)>にまつわる言葉を漢語にまで及んで調べ、ひと時、辞書遊びをした。
 暇人のなせる業である。

 私は昨夜、上手な眠り方ができなかった。就寝したときに、ふっと心臓の異常を感じたのがいけなかった。時々、脈の打ち方が、無気味なほど弱くなる。それを気にしたためであろう。幾度も夢を見ては目覚めた。いい夢は全くなかった。
 そのためか否か、朝食の後、すぐ仕事にかかれないまま、BSの、NHKハイビジョンで、バレエ音楽を聞いた。
 クリストフ・エッシェンバッハの指揮が大いに気に入った。
 ピアニストとしてのエッシェンバッハは知っていたが、卓越した指揮者であることは知らなかったし、その指揮を見るのも初めてだった。
 この人の目がすごい。輝きのある素敵な目だ。目が耳の働きもしているのではないかとさえ思ってみていた。
 すると、最後に、ラヴェル作曲「ボレロ」の演奏が始まった。
 あの独特な、軽快なリズムが、様々な楽器のソロで演奏される間、エッシェンバッハは指揮棒を使わない。目で指揮するのだ。目の玉が左右上下に動き、閉じられたり大きく見開かれたり……。
 全楽器が加わって、演奏が盛り上がってきたとき、初めてエッシェンバッハの指揮棒が動き始めた。
 なんという楽しい演奏!
 たちまちエッシェンバッハのファンになってしまった。
 今年もあと二日というのに、音楽三昧というのも、暇人のすることだろう。

 先刻、花作り名人のSさんから電話があった。昨日届けたクレマチスの写真に対するお礼の電話であった。写真を気に入ってもらえて嬉しい。

 (添付写真は、庭のノボタンがつけている蕾。蕾の色と、命を漲らせた姿がいい。何時まで花を咲かせるつもりだろう?) 
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12月29日(土)の新聞より (添付写真 椿) 

2007-12-29 | 身辺雑記

 ※ 1面
 薬害肝炎 全面和解へ
  原告、法案受け入れ
    「国の責任」言及評価
 ブット元首相暗殺
    集会で銃撃爆弾  パキスタン
  天声人語より
 <ブット氏は8年に及ぶ事実上の亡命生活から、10月に帰国した。狙われるのは承知だから、火中の栗を拾う決意だったろう。だれもが案じたなかでの凶弾によって、祖国民主化への志は、「遺志」となって凍りついた。…▼…(古代ローマの将軍、シーザーは、暗殺される前日に、どんな死に方が最良かと話題になったとき「突然の死」と答えたという。)▼古来、おびただしい「突然の死」が暗殺者によってもたらされてきた。最良どころか、志半ばの無念きわまる最期であろう。その列に加わったブット氏を悼む。そして、遺志の新たな担い手の現れることを願う。>

   
2面 時時刻刻
 薬害肝炎「丸のみ」救済
    「責任」玉虫色の決着
       証明に壁、残された課題
   3面 
 年金 遠い解決
     回復者の4割 支給漏れ
       消えた年金審査 社保庁、「約束」違反
  社説より
 日中会談 「飛躍」を語れるときがきた
 <「日中関係の飛躍」。これが福田首相の中国外交のキーワードのようだ。
 ……
 中国側の応対ぶりにも、同じ積極性が見てとれた。福田首相と温首相が並んで記者会見に臨んだ。日中首脳の共同記者会見は初めてのことだという。歓迎夕食会は元首である胡錦濤国家主席が主催した。これも異例だ。
 ……
 福田首相は北京大学で講演し、その模様は中国全土にテレビ中継された。戦争の過去について「しっかりと直視し、子孫に伝えていく」と語り、過ちに対する反省、被害者を思いやる謙虚さなどにも触れた。この思いが、広く中国国民の心に届いてほしいと思う。
 ……>

 ブット氏暗殺 民主化への遺志は葬るな 
 (ブット氏の非業の死とパキスタン情勢について述べ、<パキスタンの民主化を支援していく国際社会の行動が問われている。>と結んでいる。)

   4面
 日中蜜月 演出
   中国側、破格の厚遇
     初の共同会見・主席主催夕食会・生中継
   
7面
 支持者ら悲しみの抗議
    ブット氏暗殺 「政府の仕業だ」訴え
              現場の道路 黒い焦げ跡
     執念の帰国、無念の死 

   31面
 喜び「8合目」
    薬害肝炎 前面和解へ
           「法案成立へ全力」 不信感も根強く
                          

 紙面上の主な出来事を色分けすると、3点に絞られる。薬害肝炎福田首相の中国訪問ブット氏の暗殺に関するもの。それに次いで、年金問題も取り上げてはあったけれど……。
 今年もあと二日。両日の紙面を飾る記事は、どんな内容になるのだろう?

 (添付写真は、25日、国道わきの家に咲いていた椿。昨年の今頃から今年の春にかけて、新しい椿を見つけるたびにブログに取り上げた。その際、この乙女のような椿には出会わなかった。木部の水準点を見た帰りに目に留まり、思わず立ち止まって、淡いピンクの花弁と花芯の黄と、全体の慎ましやかな風情に見とれてしまった。)

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秋海棠の実

2007-12-28 | 身辺雑記
 26日、庭の掃除をした日、秋海棠の実の面白さをとくと眺めた。
 ゴミ袋に入れる前に、カメラにも収めた。(写真)
 花もピンクで可憐だが、実の姿も捨てがたい。
 実を眺めながら、存在するもの、すべて無意味なものはないような気がした。

 今日は久しぶりに、A4サイズの用紙に、写真をレイアウトしたり、散歩に出かけたりもした。
 先日アマゾンから届いた『生物と無生物のあいだ』(福岡伸一著)を少し読んだりもした。続いて今日は、やはりアマゾンに注文していた『第三の脳』(傳田光洋著)も届いた。
 <皮膚は未知の思考回路である。>
 <皮膚思う ゆえに我あり>など、デカルトに倣った表現に出会ったりすると、ひとりでに楽しくなる。
 今年は年末年始、ひとりで過ごす時間が長い。
 読書でもしよう。

 明日来る予定だった妹とその娘と孫娘が、予定を変更して、夕方、三人でやってきた。これで、近々訪れるはずの者はみなやってきた。
 後は、ひっそりとした一人の時間が待っているのみ……。
 どう過ごすか、その選択も自由である。
 嬉しいような寂しいような、複雑な心境である。 
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冬のオーシャンブルー

2007-12-28 | 散歩道
 まだ咲いている!
 花は随分小ぶりになったし、色も浅くなった。(写真)

 朝顔に先立って、晩春から咲き始め、今に至るもなお花をつけている頑丈な植物。
 その名を<オーシャンブルー>と知ったのは、行きつけの美容院でのことだった。

 そういえば、草花舎の庭のオーシャンブルーも、先日訪れたとき、小さな花をつけていたような気がする。
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この花は、<アプチロン>?

2007-12-28 | 散歩道
 散歩からの帰り道、他家の庭の前で佇んだ。
 この花は? と考えながら。

 草花舎の入り口に咲いている<アプチロン>の、色違いの花ではあるまいか? と。

 久しぶりに戸外を歩き、思いがけないものに出会える楽しさを思い出した。
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日本海 波静か

2007-12-28 | 散歩道
 海辺を歩くのも実に久しぶりだった。
 まるで湖水のように静かな海だ。

 年末年始は荒れ模様だとか。
 嵐の前の静けさなのかもしれない。

 沖の遥かに浮かぶ高島の辺りまで、平坦な広がりを見せていた。(写真)
 日本海らしくない海。
 しかし、こんな穏やかな日もあるのだ。
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菜の花も咲いて

2007-12-28 | 散歩道
 11月の何時から散歩を怠ってきたのだろう?
 暫くぶりに見る自然は、少しずつ変化していた。
 もう、菜の花が咲いているのだった!(写真)
 今から本格的な冬が始まるはずなのだが、<春の子>も、自然の中には、ちゃんと潜んでいるのだ。
 
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