いつもの年は、とっくに賀状を整理し、戸棚に納めている時期なのだが、今年は当選番号(くじ)の点検がまだなので、棚の上に無造作に置いている。
過日、姪が来たときに、今年は当選番号が新聞に出ていないのか、見落としたのか、いまだに分からず、点検が済んでいないと話したところ、ネットで調べたら? と知恵を貸してくれた。が、急ぐことでもないと、そのままにしていたところ、先日、ATさんから、くじそのものがまだ終わっていないのだと聞いた。
組織が変わったのだから、すべてが例年通りとは限らないらしい。
今日の郵便物のなかに、知らぬ土地からの、知らぬ名前の葉書があった。
はて? と思いつつ仔細に見ると、私の知己の息子にあたる人からだった。
<父が、昨年の十二月二十五日に他界した>とある。彼からの賀状が届いていなかったことを思い出した。未整理のため不明だが、まだほかにも届かぬ理由の分からない人が、幾人かありそうな気がする。
病名は記されていないので分からないが、急逝ではなかったのだろう。年賀状が既に書けなかったのだから。
亡くなった知己は、今年定年を迎える世代のはずだ。が、私が知っているのは15歳の少年の姿である。それ以後会っていないので、15歳のままが思い浮かぶだけである。
津和野で出会った知己である。
かわいい彼女を連れて、よく私のところに遊びに来ていた。
同じ年の彼女であった。
気後れすることもなく、津和野の静かな町を少年少女は堂々と歩いていたものだった。あまりにもあっけらかんとしていたので、むしろ微笑ましくさえ感じられた。
私は、二人のその後の人生について、詳しいことは知らない。
ただ仲良しの二人が、結ばれることはなかった。
それぞれの道を歩き、それぞれに幸せだったはずである。
少女の方は、15歳の頃から今に至るまで、姓が変わった後も、賀状だけは届けてくる。
少年の方からは、永らく音信がなかった。
が、平成の始め頃、突然電話をかけてきた。
近況を報じた後、昔付き合っていた少女の住所を知らないかと尋ねた。それが一番知りたいことだったのだろう。
私は、住所録を取り出して、かつての少年に知らせた。
それ以来、彼からも賀状が届くようになった。
微笑ましいカップルだった二人に、歳月を経て、改めて文通があったのかなかったのか、そのことは知らない。賀状の交換くらいは始まったかもしれない。
かつての少女には、昨秋、長門峡の道の駅で、偶然会った。
友人の車で、山口から帰る途中だった。
ちょっと休憩して帰ろうと、広場を歩いているときに、声をかけられた。
もう孫もいるというのに、15歳の少女の面影を留めていた。
その頃、既にかつての少年は、病む身であったのかもしれない。
そのことを彼女は知っていたのかどうか。
訃報の葉書を手にしたまま、津和野の町並みに少年と少女の歩みゆく姿や、訪問した私の家から帰ってゆく、二人の後ろ影を思い出していた。
40余年も前の光景なのに、なんと鮮明なことだろう!
私の心の座席表から、またひとりの姿が消えた。
が、その二人のシルエットだけは、永劫に消えそうにもない。
(添付写真 昨日、散歩からの帰り、黒猫に出会った。近くのお寺の前で。警戒しながらも、逃げるでもなく、ふり向いてくれた。)
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