私の散歩道からそう遠からぬ所、民家の傍らに大木の桜があり、今満開だという。
友達に誘われて、今朝、その桜を見に出かけた。
こんな道があったのかと、細い坂道を登ると、その行き止まりに、空き家となった民家があり、雑草のはびこった庭に、桜の大樹はあった。すぐ前には山陰本線の鉄路があり、その上に覆いかぶさるようにして咲き満ちていた。
ゆさゆさと大枝ゆるる桜かな(村上鬼城)
句さながらの光景が、目の前にあった。
朝日を受けた桜は、吹き始めた生暖かな風に、しきりに枝を揺らしていた。それでも、まだ落花の気配は微塵もなく、まるで訪れた私たちのために、今朝、咲き満ちたかの如くであった。
桜の大樹をカメラに収めるのは難しい。足場も狭く、あまり近づけば、全容を捉えることができないし、距離を置くには鉄道が邪魔をする。光線の具合によっては、美しさが半減もする。
結局、線路を跨いで、少し離れた距離から眺めた。
「ここからの眺めが一番よさそう」
と言いつつ、カメラにも収めた。(写真)
ロシア旅行から帰った東京の友人から、
<帰ってみると、東京は満開の桜です。桜といえば、あなたを思い出します。>
と記した、帰国を知らせるメールが届いた。
一昨年の4月に、友人と千鳥ヶ淵を始め、都内の桜を見て回った。その時を思い出してのメールのようだ。
ふっと、北九州の友達を思い出した。今年もまだお花見はだめなのだろうかと。
もう十年ばかり前の桜の季節に、最愛の夫と永訣。以後、桜の季節には外を歩けないのだと話していた。幾年経っても、この季節は深い憂いに沈む、蟄居の日々が続いているのかもしれない。
花の季節が過ぎ去ったら、便りを書こう。
私自身の、桜にまつわる思い出を書き連ねれば、きりがない。
さまざまの事おもひ出す桜かな(芭蕉)
空き家となった家にも、かつては家族が住み、日ごと桜を眺めては、思い出を刻まれたことだろう。
その一部始終を見てきた桜の大樹は、今はひとり人なき空き家の前に立ち続け、気まぐれなお花見客である私たちに、何を語りかけようとしているのだろう?
私の掌よりは大きそうだった。過日、ティファニー庭園美術館で、窓越しに見た大椿にも驚いたが、大きさではそれを超えていそうだ。
日ごろ歩く道をちょうっと外れたことで、こんな異様な椿に出会うとは!
しかし、大きければいいというものではない。もの珍しいし、超大輪の椿に驚嘆はしたけれど、私の好みからいえば、外れの規格品である。
なんにでも、規格を外れるものはあるらしく、世界一大きな男の話が、ネット情報に出ていた。なんと236センチの長身! 結婚のお相手が見つかったというおめでたい話で、それはよかったと思いながら、私は思わず天井を見上げた。頭のてっぺんが、どの位置にあるのだろうか、天井につかえるのではあるまいかと。
長身がいいとはいっても、ほどほどがいい。
椿も同様。
花作り名人にそう言われて、諦めかけていたが、先日こっそり花園を覗かせてもらったところ、淡いクリーム色の椿が、なんとか開花していた。(写真)
気象状況が不適だったのか、少しいじけたような咲き方である。ただ、色は珍しい。
蕾のときは、もっとはっきりした淡黄色をしていたのに、開花してみると、少々ぼやけた浅い色となった。
<木の芽>は千差万別で、色も様々、芽立ちの時期も一様ではないようだ。
枇杷の木は、比較的早く、見ようによっては銀色に光る白っぽい葉を幾枚か束ねた状態で、枝々の先端に直立させる。(写真)
特に若木のせいか、新芽の勢いがよい。
ぼんやり屋にも、一際目立つ存在として目に留まる。
そもそも、葉っぱは大きめで、あまり風情のある木ではないが、今の季節は、春を最も謳歌している樹木のように見える。
大きな枇杷の木には、この時期、小ぶりの緑色した実が、寄り集まって、沢山なっている。
今年の春は、政治の世界でも、新規の活動が始まろうとしている。
木々の芽吹きのように、新風がもたらされ、もう少し住みよい、心の和む暮らしのできる世になるといいのだが。
電話がかかってきた。未知の番号表示に、警戒心を高めながら受話器をとる。
「元気ですか」
と、いう言葉を聞いただけでは、誰か分からない。
「声だけでは、分からないだろうね」
そこでやっと、働いていた当時の上司の顔が浮かんだ。
「あっ、分かりました」
「光栄です。実は……」
ということで、その後は、公私にわたる様々な話となった。
今年は年賀状が届かなかったので、心配していた旨伝えると、引き続き不幸があり、年末押し迫っていて、欠礼の葉書を出しそびれたとのことだった。
幾つになったか、と年を聞かれ、年齢を答えると、自分は一回り上だから、と話された。それでも世直しに夢を持ち、一候補の責任者となって活動される姿勢を立派なことだと思った。
「遊びにいらっしゃい」
それが、電話のおしまいの言葉だった。
語らいは楽しく、信念の人である。いつか機会を作って、訪問したいと思っている。そう思いながら、一度も訪ねることをせず、今日まで来てしまったのだが……。
朝の散歩で、海に向かって坂道を下っていると、立ち話中の女性に会った。
一人は顔見知りである。
昨夜は大変な嵐だった、と話し合っておられる。二人が、私にも同意を求めるような表情だったので、歩を緩めて会話に加わった。
「嵐でした?」
「それはもう、ひどい風と稲光!」
「何時頃?」
「真夜中」
私は知らなかった。よほど深い眠りの中にあったのだろう。道理で、今朝、裏庭が汚れていた。木の葉や枯れ草が舞い込み、その狼藉ぶりに不審は抱いた。が、そんな強風や雷光雷鳴が轟いたことなど、露知らなかった。
「よかったですね。私など、それから朝まで眠れなくて……」
と、言われ、われながら不思議であった。わずかな物音や些細な異常にも、敏感な方だとばかり思っていたのだが。神経が鈍磨したのだろうか?
不気味な嵐模様にも気づかず、安眠できたとは幸せなことだ。周囲の、ただならぬ情況に怯える夢も見なかった。耳元に風の吹き荒れる音を聞き、閉じた目に差し込む異様な雷光を浴びれば、少しは怯んで、悪夢にうなされてもよさそうなものなのに、今朝5時のサイレンを聞くまで、ぐっすり眠ったらしい。嵐は、音色もゆかしい音楽に、雷光は、極楽のやさしい光とでも、感じていたのだろうか。
見知らぬ人が立ち去られ、二人だけになった。
昨日より気温が下がっているらしく、浜から吹きくる風が寒い。寒風の中で、暫く立ち話をした。
雑談というのは、話題が焦点なく行き交って脈絡を欠くことが多い。話しているうちに、一つだけ明らかになったことは、私たち二人は、学校こそ異なるが、同級生だということだった。私は勝手に、顔を見知っている人を、少なくとも二つ三つ年上だとばかり思っていた。が、早生まれと遅生まれの差しかないことを知り、急に親近感を覚えた。
「面白いものを見せてあげる」
と、誘われて、反対側の道端に移動した。
「まあ」
と、思わず声を上げて、しゃがみこんだ。
そこには、コンクリートの裂け目に、小さな命が芽吹いているのだった。
自生した花、ビオラだろうか?(写真)
極小の花である。それでも健気に、浜から吹きくる風に花びらを揺らしているのだ。一心に生きている、小さな命に、なんだか心が熱くなった。
こういうものに巡り合えるから、散歩は楽しいのだ。
顔見知りの女性は、
「歩け、歩けと言われれば、余計意固地になって歩きたくないの」
と、おっしゃる。
「分かります、その心境。私もずっとそうでしたから…。でも、今は大儀なときもあるけれど、こんな予期せぬものに出会える喜びがあるから、やはり今日も歩こう、という気になるんです」
「明日も、見てやってね」
小さな隙間から生じた命に、明日も会うため、この坂道を海に向かって下ってゆくことだろう。
毎日の日課として、楽しみながら、よく続けられたな、というのが今の実感である。
パソコン歴もまだ浅い。
マウスでパソコンを操作することさえ知らなかった三年前の春、有限会社「ソコロ」を訪れ、指導を仰いだ。機械に弱く、年齢相応に頭の働きも鈍くなっており、教える側の人から見れば、実に厄介な生徒だったと思う。にもかかわらず、「ソコロ」の方たちは皆親切だった。特に担当のSさんにはお世話になった。
その年にデジカメの扱い方も指導していただき、旅の思い出など、A4に編集して記録する楽しみも覚えた。その指導は、Wさんから受けた。さらに、ブログの講習会で、指導を担当してくださったのも、Wさんであり、現在の楽しみを伝授していただいた恩人である。
人生の末年に、こうした類の楽しみを得ようとは、想像もしていなかった。
最初の二年間は、こんなこともできるのかと興味津々、遊びとして図形描画やお絵かきなどをして楽しむ傍ら、丹念な日記やエッセイ風のものを書いたりした。勿論、インターネットで調べをしたり、メールで人に便りを送ったりも、日常的に行ってきた。
Sさんの示唆もあって、私流のブログを始めてみようと思い立ったのが、昨年の3月末だった。「ソコロ」でブログ講習会があると聞いて、出かけることにした。
指導者は前述したWさんである。いよいよ書き始めたのが3月30日。したがって、今日は「私のブログ年」としての、初めての大晦日、立ち止まって考えるには適当な日である。
一年間、身辺の由無し事を書き綴ってきた。その件数は、561件。A4用紙に印刷した枚数は460余枚となった。量的には申し分ない数値だが、問題は内容である。
後者については、心満たないものがある。本当に書きたいことを、何一つ書いていないという思いが、くすぶっている。
ブログという場で書きうることに、おのずから制限を設けている感じがする。その解消法は、自分で考えるしかない。今後、どれだけ心血を注いだものが書けるか、能力、体力共に自信はないが、未公開の書き物を始めてみたいという思いは強い。そして、それは、長年続けてきた縦書きの形式で、書き綴りたいと思っている。
ブログは今後も続けるつもりである。これを機に、いろいろな機能を持つアドバンスに、申し込みをしてみようとも思っている。
考えてみると、9月から始めた朝の散歩は、私の視野を広げてくれた。家の中に居続けるだけでは見えないものを沢山見てきた。それを素材として、メモの範囲の、軽いものだが、書き留めることもできた。
表現上では、どんなつまらない素材を書くときにも、結構苦労している。<てにをは>の使い方、副詞の位置、文章のリズムなどなど。翌日、文章をがらりと変えることも珍しくない。幾度も推敲する長年の習慣から、これで十分、という気になかなかなれない。そこで字句を書き換えてみたりする。これは人には見えない努力であり、私の訂正箇所など、おそらく誰にも気づかれないだろう。自己満足に過ぎないと思っている。消しゴムを使わずに、自在に書き換えが可能なのは嬉しいことだ。
印刷してから、また手を加えることもある。人から見れば、馬鹿馬鹿しい努力であり、その結果がこの程度かと笑われそうであるが、私自身はそのプロセスを結構楽しんでいる。
見えない努力を重ねても、なお初歩的なミスや根本的な思い違いを平気で書き記しているに違いない。その数が少しでも少なくなるように、さらに念入りな推敲を重ねてゆこうと思っている。
(写真は、内容とはなんの関係もない桃の花である。カットのつもりで入れてみた。
同級生のHさん宅の前を通りかかったとき、白と緑の配合の美しさに感心して、足を止めた。
丸っこく、生命の満ちあふれた白い蕾が、緑の蕚の上に載り、点々と枝にひしめいている様に感心したのであった。)
3月21日のブログ、「ユーモラスな標識」で書いた、工事中を告げる人形が、消防車車庫前の広場に置かれているのだ。しかも、ふたり。ひとりは、二分咲きの桜を眺め、もうひとりは、国道を走る車の流れを見つめ、思い思いの方向を向いている。(写真)
初めて見た人形は、道路工事現場に佇み、強風にあおられて、ぐちゃぐちゃになっていたのだが、この人形は、広場で休憩中であり、一糸乱れぬ姿である。
このふたり、今度は、どこの仕事に出かけるのだろう?
人に似て、人ではない姿が、なんとも滑稽である。
橋の上から見下ろしながら、ひとりでに頬が緩む。
こんなものを眺めて喜べるのだから、人生、幸せというべきだろう。自分で自分が随分おめでたい人間に思えてくる。
誰彼にとなく、「ホラッ、見て。あの人形!」と伝えたいのだが、動くのは車ばかりで、人の姿がない。
登校する小、中学生の姿も見えない。これも不思議だ。
(私は、今が春休み中であることに、全く気づかなかったのだ。)
物好きな話だが、わざわざ人形の近くに行って、しげしげ眺めた。
単純な構造の人形である。その単純さが親しみに通じるのかもしれない……。
今朝は、国道を東に向かって歩いている途中、友人のMさんと久しぶりに会い、一緒に散歩した。
お天気がいいから、北浜まで行こうということになり、ふたりで鄙びた風景の中を歩いた。
鶯が、あちらこちらで鳴いている。
遠い山で、雉が、「ケーン ケーン」と大気を裂いて鳴く。
雀が、ふたりの足音に驚かされ、羽音を立て、群れて飛び立つ。
小綬鶏が、「ちょっとこい ちょっとこい」と呼びかける。姿を見たことはないのに、春先から、その声だけはよく聞く。友人は難聴気味で、聞こえないと言う。
山鳩が、「デデポッポー デデポッポー」と、野太い声で鳴いている。
鳥同士は他者の声をどのように聞いているのだろうか。
呼応して鳴いているのだとは思えない。それぞれがそれぞれの思いで、鳴いているのだろうか?
姿だけ楽しませてくれる鳥に、尉鶲がいる。声を聞いたことがない。どんな声で鳴くのだろう? 野草の中、小枝の揺らぎに目を向けると、そこには必ず、美しい装いのジョウビタキがいる。尾を細かく振って愛嬌をふりまき、実に警戒心の乏しい鳥だ。
広辞苑には、<人を恐れないのでバカビタキなどと呼ぶ。馬鹿鳥。>と書いてあった。馬鹿鳥とは、まあ失礼なこと! 知能指数が低いのかしら?
今朝も、耳には、鳥たちのさえずりを聞き、目では日ごと衣替えに忙しい野山を眺めながら歩いた。
老男は、朝の散歩が次第に苦痛だと言う。
老女も和して、時には雨を願ったりして…と、散歩をサボりたくなる真実を吐露する。
それでも歩き始めると、新鮮な空気を吸い、耳目を楽しませるものにも出会えて、心満たされてはいるのだ。
いずれ歩けなくなる日が来るのだから、歩ける今は、大儀がらずに散歩を続けましょう、と互いに励ましあう。
道端の崖に、スミレが群がり咲いているのを見つけた。そのスミレも、先日見たのと同じで、色は淡く、やや大きめである。しかし、歩けばこそ、こうしてスミレにも会える。
北浜に近づいたとき、あたり一面に、白い花が咲き満ちていた。近づいて眺めると、淡い紫色がかったのも混じっている。
「大根の花」である。(写真)
前回、友人と同じ道を歩いたときには、数本咲いていただけなのに、今は見事な花盛りだ。
「こちらは大根、あちらは菜の花」
友人に言われて、海の方角に眼を向けると、そこら一帯は黄色い菜の花畑だ。
昔から、菜の花にはなじみがある。
が、大根の花の群生を見たのは、今日が初めてである。偶然、友人と散歩のときを同じくし、北浜への道を辿ったことで、この光景に出会うこともできたのだ。
出会いには、いつも不思議がある。
「菜の花を見てると、子供時代への郷愁を感じない?」
「大いに感じる。夕暮れのイメージと結びついてね」
<菜の花畑に 入日薄れ ♪>
ふたり同時に、同じ歌詞を口ずさんだ。
「この歌、朧月夜? 菜の花には、夕月が似合うのよね」
「菜の花や月は東に日は西に」
蕪村の句を、友人は諳んじた。
朝日の中を歩みながら、句の夕景が脳裏に広がった。
大根の花も、野趣にとんだ味わいはあるが、菜の花ほどの情趣には乏しく、句にはなりにくいだろうな、と思った。思い出す句もない。
ここまで書いて、歳時記を開いた。ふと、「大根の花」も、季語として存在するのかもしれないと思い……。
句例は、菜の花ほど多くはないが、春の季語として立派に地歩を占めていた。
その項の説明に、<「浜大根」は野生化したもので、海岸の砂地で白や薄紫の花をよく見かける。>と、あった。
私の見た大根の花は、どうやら「浜大根」のようだ。
昔は、畑の隅に、種子を採る目的で大根の幾株かが残され、それが春になって、花を付けたらしい。今は種子を採るためには、専門の栽培地が設けられているのだそうだ。
畑のあり様も、昔と今では異なるということらしい。
「追記」
今日はスミレに縁のある日だった。
午後、街に出て、グラントワをのぞき、コーヒーを飲んでのんびりしすぎたため、予定のバスに乗り遅れた。一バス後にすれば、またコーヒーの梯子をすることになる。このところ胃が悪く、胃薬を飲んでいる状態なのに、無謀なことはやめよう、そう考え直し、駅まで歩いて、列車で帰った。
下車したところで、知人のTさんに会った。
「すぐそこに、スミレが咲いています。見に行きましょう」
と誘われ、一緒に崖を少し上った。
スミレは小さな花だし、色も淡く、他の雑草にまぎれて目立ちにくいのだが、<ここは私たちの場所>と言わぬばかりに群がっていた。種類は今朝見たのと同じであった。
いつ見ても、スミレはいい。気取りのない優しさが好きなのだ。
スミレを見た後、路上に佇んだまま、Tさんとかなり長い間、雑談を楽しんだ。
ではまた、とお別れしたときには、薄暮が迫ろうとしていた。
バスに乗り遅れ、列車で帰ったことで、Tさんにお会いし、スミレにも出会った。
朝にも夕にも、出会いの不思議を感じる一日だった。
「コスモス」(宇宙)と題する作品である。
作者は、韓国のイー・ジヘという女性とのこと。
容易に理解はできないが、そこに違和感なく存在することが、嬉しい。
作者の意図とは異なる受け止め方をしているかもしれないけれど、宇宙というもの、天地の広大な空間の中に、様々な国々、民族などが調和している姿を、あるいは調和的存在であって欲しいという願望を、作品から感じる。
観続ければ、また新たな感想を持つことになるかもしれない。
「草花舎」で感じる楽しみの一つは、掲げられたり、さりげなく置かれたりしたものに、目と心を留めさせるすばらしさが秘められていること、本物の味わいがあることである。
その名を聞くと、「リナリア」。
植えられたものではなく、ひとりでに生えた花とのこと。
この花は、どこかで見たことがあるような気がしていた。
記憶をたどると、妹の庭で見た花と同じだ。そこには数種類の異なる色の花が咲いていた。
妹に、その名を聞いたとき、「ヒメキンギョソウ」だと教えてくれた。
似ているはずである。
調べた結果、「リナリア」の和名が、「ヒメキンギョソウ」だと分かった。
わが家の花壇には、<ヒメ>を外した「キンギョソウ」がある。よく咲いてくれるが、繊細さに欠けている点が、私の好みではない。