ぶらぶら人生

心の呟き

お見舞い

2015-12-25 | 身辺雑記
 今年のうちに、しておきたいと思うことが幾つかある。
 来週の今日は、早くもお正月、新たな年のスタートの日となる。

 <今日と明日>の境よりも、<大晦日とお正月>の境には、意義深い、堅固な境界線を感じる。
 時間的には、なんら異なるところはなく、ただ年を跨ぐという違いだけなのだが…。

 年内に果たしておきたいことの一つに、<老人ホームS>に、Oさんの見舞うことがあった。
 今日、それを果たし、安堵した。

 ベッドの上で休んでおられるOさんに、無事お会いできた。
 昨年の夏以来である。
 前回お会いした時より、言葉少なであった。
 やはり少しずつ、老いを深めていらっしゃるのだろう。
 でも、表情は穏やかで、私の見舞いを喜んで下っているのはよく分かった。
 
 帰宅後、自宅に電話すると、子息が電話口に出られた。
 誕生日を尋ねた。
 大正9(1920)年12月25日生まれだと教えてくださった。
 「今日が、95歳の誕生日だったのですね」
 と話す。
 私より12歳くらい年上だということは知っていたが、確かな生年月日を話題にしたことはない。
 お会いしたとき、誕生日のお祝いをいえなかったのは残念だ。

 老いの日々を生きるものにとっては、一寸先の未来を読むのが大変難しい。
 Oさんの明日も、私の明日も。
 老少不定とは言いつつも、老人にとっては、終焉までの道のりが短く、しかも不透明である。

 来年は、春が訪れたら、またお見舞いに行こう、と思っている。
 といっても、私の体力があり、Oさんが多少でも喜んでくださることが前提の話である。

 以前のブログにも書いたが、Oさんには、大きなご恩を感じている。
 現在のような介護制度のなかった時代、父と母の老いを支えていただき、私は勤めを続けることができたのだ。

 
 
 帰宅後、庭の落ち葉を掃いた。
 珍しいことだが、玄関の近くにあるヤマボウシの落葉が、早々に完了!
 今年の気象異常が、関係しているのかもしれない。
  
 梢のてっぺんに、数枚の葉を残すロウバイは、例年よりはやく蕾を膨らませている。(下の写真・左)
 花壇のシクラメンは、植えた時のまま、小さく咲き続けている。(下の写真・右)

  


                   今晩の月(宵の7時)
        

    【12月28日 追記】

 今日の『天声人語』(朝日新聞)に、25日の月について書いてあった。
 クリスマスと満月が重なるのは珍しいことらしい。
 実に、38年ぶりだという。
 そんなことは全く知らずに、雲間に照る月を眺めたのだったが…。
 次回、クリスマスと満月が重なるのは、2034年とか。
 生きているのは不可能な、ずいぶん遠い先のことである。

 (天声人語のコラムニストは、吉田兼好の『徒然草』や李白の「静夜思」などを引用し、<冬の月>についての所感を述べておられる。)
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空と雨滴と花と

2015-12-24 | 小庭の四季
 落ち葉を掃きに、庭へおりた。

 午前11時。

 天気予報では、曇り日のはずだったが、青空がのぞいている。
 ひと時の、気まぐれな晴れ間なのかもしれない。

 ビオウヤナギの葉は、みごとに雨滴を留めている。
 昨夜は、雨が降ったのだろうか? あるいは、未明の雨の名残か?
 
 木の花といえば、季節を忘れたかのように咲くノボタン(花が小さくなったが、まだ蕾をつけている)と、狂い咲きした椿の一つ(花びらが、少しだらしなくなってきた)。

 11時の庭に立って思う。
 この一瞬は、永遠に存在しないのだと、至極当然のことを…。

  

  
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寒さのあとに

2015-12-23 | 小庭の四季
 日本の四季が狂っている。
 小さな寒気が入って冬らしくなったと思ったが、寒気はたちまち去って、今日(12月20日)は、冬日和となった。
 天気予報士によると、この12月は、冬の中に秋や春が入りまじり、複雑な様相を呈しているという。

 わが家では、椿が狂い咲きした。
 ノボタンは、初夏以来咲き続けている。
 しかし、総合的には裸木が多くなり、庭は冬の風情となっている。(以下、12月20日の庭)

        

              

  

        

 
 日によって、なんとなくリズムの乱れる日がある。
 今日(20日)は、そんな日であった。
 自身の身だしなみもいい加減であり、庭の落葉も舞い散るままになっていた。

 どうしてだろう?
 こんな日に限って、来訪者が多いのは!
 前日、ショッピングセンターで求めた食品を、クロネコが配達してくれることは、予期していたことなだが…。
 その他、近所の方が野菜を届けてくださったり、近所の小学校の子どもたちが、屋根に上がった羽を取ってくれとやってきたり…。
 それらはまあいいとして、いい加減な暮らしぶりを見られたくない人にまで、訪問される日となり、年は老いても、年相応の身だしなみには、来訪者があるなしにかかわらず、気を付けたいものだと反省した。


 明21日には、郵便局へ出かける予定なので、ついでに年賀状も投函しておくつもりでいた。
 そこで、投函予定の賀状を点検した。
 昨年は、自作とはいえ、PCで印刷をしただけで、自筆の文字を書き加える元気がなかった。
 それに比べれば、今年の暮れは、立派である。
 一枚一枚に、自筆文を添える気力があったのだから。

 101通の賀状を書き終えたのは、比較的早かった。
 が、書いた賀状の中に、14日に訃報を知った知己が混じっている。

 (今年は、かつて職場を共にした人のうち、5人が他界。
  その他、身内に亡くられる人もあって、年賀欠礼の葉書は、過去最高の18通となった。
  心寂しいことである。)

 それを外す目的もあって、ついでに、一筆添えた文を読み直した。
 長文ではないから、大きなミスはなかったけれど、一枚だけ、<楽しんで>と書くべきところ、<楽し>の後、<ん>に濁点をつけ、<で>を抜かしていた。
 こんなことをするからな、とあきれながら、間違いを削って訂正した。

 何かと、することなすこと、不手際が多くなった。
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診察日

2015-12-22 | 身辺雑記
 今年最後の診察を受けた。(17日)
 血圧は異常なし。

 病院の薬局で、久しぶりに一歳年下のUさんにお会いした。
 その人が本人と分かるまでに時間がかかった。
 あまりの痩せかたや杖にすがる姿から、Uさんと結びつかなかったのだ。
 11月に、手術を受けられたという。
 でも、命を救われ、今日を生きていらっしゃるのは、よきことと嬉しく思う。

 老いの日々、病は、他人事ではない。
 今日一日を、まずは大切に生きよう。


          

                  
                    上二枚 T医院の花




  
                  17日の庭の花・椿の蕾とノボタン
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魚待灯台(正しくは「魚町鼻灯台」)のある海

2015-12-21 | 身辺雑記
 草花舎で、久しぶりに、Tさんにお会いした。
 一週間前に、スマホで送ってくださった<魚待灯台>の写真のお礼を言う。

 幾度か、散歩に出かけた場所だが、ここ数年行っていない。
 灯台への道は、かなりの悪路であった。
 釣り人くらいしか通らない、勾配のある径を上り下りして、往復しなくてはならない。

 今は、思い出を懐かしむだけである。
 Tさんに、昔同然の悪路かと尋ねると、一人では行かない方がいい、とのことだった。
 <水仙の里>への道のように、安全な散歩道になるといいのだが…。

 最後に訪れたときは、同級生のMさんと一緒だった。
 互いに散歩で、体力をつけようと努力していたころである。

 が、私の散歩は、長続きしなかった。
 私の挫折後も、Mさんは根気強く歩いておられた。
 ガンを患い、痩身だったMさんには、体力を保たねばという意識が、私よりはるかに強かったのだろう。
 しかし、数年前、故人となってしまわれた。
 生き残った者には、思い出という形で、過去を偲ぶすべしかない。

 独活の木が、新芽をのぞかせる季節だった。
 私は、春先のスーパーで売られている独活の新芽しか知らなかった。
 Mさんに教えられて、自然に自生する姿を初めて見たのだった。


 もう、<魚待灯台>まで散歩することはないだろう、という確信を抱きながら、今夕、Tさんが送ってくださった写真を、再度眺め直した。

 昭和29年(1954年)に、できた灯台だという。
 以来60余年、航路標識として、海の安全を見守ってきたのだ。
 Tさんは幼少期に、祝賀の餅まきに参加したことを記憶なさっている。
 私は、Tさんからメールをいただくまで、その歴史を全く知らなかった。
 昔から、そこに存在していたものと思っていた。
 
 
 灯台の近くの大岩に寝そべって、青い空を眺めながら、波の音を聞いたのは、職を辞して間もない、平成の初め頃だった。
 その時、行を共にした人も、今は亡き人である。
 消え残る雪をいただいた安蔵寺山をはるかに見つけて、驚いたこともある。

 計、5回は訪れているのではあるまいか。
 同行者は、毎回違っていた。
 (考えてみると、折角の来訪者を案内する場所が、他になかったということもあるのだろう。)
 
 <魚待灯台>と命名された由来については、Tさんに尋ねることを忘れた。
 <魚待>は、昔からの地名なのかどうか? 


         

  

    




 今日は所用のため、郵便局へ出かけた。
 ついでに、賀状100通を投函した。
 年末の一仕事が終わり、ほっとしている。
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12月の庭 (ケムリノキの紅葉)

2015-12-21 | 草花舎の四季
          

          

           コーヒーとケーキをいただきながら、ケムリノキ(スモークツリー)の紅葉を眺めた。

                <今年最後の草花舎ということになるかもしれない…。>


          (草花舎とは関係ない話だが、題名と写真を添付したまま、未投稿のブログ原稿が、
                         たまっている。
              身体より、頭の働きが鈍ってきた感あり! クワバラクワバラ!)
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冬の旅 その5(哲学の道から南禅寺へ)

2015-12-12 | 旅日記
  

             

  

  



  
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冬の旅 その4(慈照寺銀閣)

2015-12-12 | 旅日記
  

           

              

         

  

  

  



  

                 
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冬の旅 その3(北野天満宮・もみじ苑)

2015-12-12 | 旅日記
         

  


  

         

         

  

         御土井の悪水抜き          御土井の版築工法
  
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冬の旅 その2(車窓から)

2015-12-12 | 旅日記
      東京へ向かう車中から見た伊吹山。

     

      東京からの帰り、車窓から眺めた富士山。

     

     

     
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