今年のうちに、しておきたいと思うことが幾つかある。
来週の今日は、早くもお正月、新たな年のスタートの日となる。
<今日と明日>の境よりも、<大晦日とお正月>の境には、意義深い、堅固な境界線を感じる。
時間的には、なんら異なるところはなく、ただ年を跨ぐという違いだけなのだが…。
年内に果たしておきたいことの一つに、<老人ホームS>に、Oさんの見舞うことがあった。
今日、それを果たし、安堵した。
ベッドの上で休んでおられるOさんに、無事お会いできた。
昨年の夏以来である。
前回お会いした時より、言葉少なであった。
やはり少しずつ、老いを深めていらっしゃるのだろう。
でも、表情は穏やかで、私の見舞いを喜んで下っているのはよく分かった。
帰宅後、自宅に電話すると、子息が電話口に出られた。
誕生日を尋ねた。
大正9(1920)年12月25日生まれだと教えてくださった。
「今日が、95歳の誕生日だったのですね」
と話す。
私より12歳くらい年上だということは知っていたが、確かな生年月日を話題にしたことはない。
お会いしたとき、誕生日のお祝いをいえなかったのは残念だ。
老いの日々を生きるものにとっては、一寸先の未来を読むのが大変難しい。
Oさんの明日も、私の明日も。
老少不定とは言いつつも、老人にとっては、終焉までの道のりが短く、しかも不透明である。
来年は、春が訪れたら、またお見舞いに行こう、と思っている。
といっても、私の体力があり、Oさんが多少でも喜んでくださることが前提の話である。
以前のブログにも書いたが、Oさんには、大きなご恩を感じている。
現在のような介護制度のなかった時代、父と母の老いを支えていただき、私は勤めを続けることができたのだ。
帰宅後、庭の落ち葉を掃いた。
珍しいことだが、玄関の近くにあるヤマボウシの落葉が、早々に完了!
今年の気象異常が、関係しているのかもしれない。
梢のてっぺんに、数枚の葉を残すロウバイは、例年よりはやく蕾を膨らませている。(下の写真・左)
花壇のシクラメンは、植えた時のまま、小さく咲き続けている。(下の写真・右)
今晩の月(宵の7時)
【12月28日 追記】
今日の『天声人語』(朝日新聞)に、25日の月について書いてあった。
クリスマスと満月が重なるのは珍しいことらしい。
実に、38年ぶりだという。
そんなことは全く知らずに、雲間に照る月を眺めたのだったが…。
次回、クリスマスと満月が重なるのは、2034年とか。
生きているのは不可能な、ずいぶん遠い先のことである。
(天声人語のコラムニストは、吉田兼好の『徒然草』や李白の「静夜思」などを引用し、<冬の月>についての所感を述べておられる。)
来週の今日は、早くもお正月、新たな年のスタートの日となる。
<今日と明日>の境よりも、<大晦日とお正月>の境には、意義深い、堅固な境界線を感じる。
時間的には、なんら異なるところはなく、ただ年を跨ぐという違いだけなのだが…。
年内に果たしておきたいことの一つに、<老人ホームS>に、Oさんの見舞うことがあった。
今日、それを果たし、安堵した。
ベッドの上で休んでおられるOさんに、無事お会いできた。
昨年の夏以来である。
前回お会いした時より、言葉少なであった。
やはり少しずつ、老いを深めていらっしゃるのだろう。
でも、表情は穏やかで、私の見舞いを喜んで下っているのはよく分かった。
帰宅後、自宅に電話すると、子息が電話口に出られた。
誕生日を尋ねた。
大正9(1920)年12月25日生まれだと教えてくださった。
「今日が、95歳の誕生日だったのですね」
と話す。
私より12歳くらい年上だということは知っていたが、確かな生年月日を話題にしたことはない。
お会いしたとき、誕生日のお祝いをいえなかったのは残念だ。
老いの日々を生きるものにとっては、一寸先の未来を読むのが大変難しい。
Oさんの明日も、私の明日も。
老少不定とは言いつつも、老人にとっては、終焉までの道のりが短く、しかも不透明である。
来年は、春が訪れたら、またお見舞いに行こう、と思っている。
といっても、私の体力があり、Oさんが多少でも喜んでくださることが前提の話である。
以前のブログにも書いたが、Oさんには、大きなご恩を感じている。
現在のような介護制度のなかった時代、父と母の老いを支えていただき、私は勤めを続けることができたのだ。
帰宅後、庭の落ち葉を掃いた。
珍しいことだが、玄関の近くにあるヤマボウシの落葉が、早々に完了!
今年の気象異常が、関係しているのかもしれない。
梢のてっぺんに、数枚の葉を残すロウバイは、例年よりはやく蕾を膨らませている。(下の写真・左)
花壇のシクラメンは、植えた時のまま、小さく咲き続けている。(下の写真・右)
今晩の月(宵の7時)
【12月28日 追記】
今日の『天声人語』(朝日新聞)に、25日の月について書いてあった。
クリスマスと満月が重なるのは珍しいことらしい。
実に、38年ぶりだという。
そんなことは全く知らずに、雲間に照る月を眺めたのだったが…。
次回、クリスマスと満月が重なるのは、2034年とか。
生きているのは不可能な、ずいぶん遠い先のことである。
(天声人語のコラムニストは、吉田兼好の『徒然草』や李白の「静夜思」などを引用し、<冬の月>についての所感を述べておられる。)