ぶらぶら人生

心の呟き

5月が終わる

2017-05-31 | 身辺雑記
5月31日
おやおや、もう5月も終わり。
何をしていたのやら?
際立ったことは、何一つしなくても、
歳月だけは過ぎてゆく。

先日、山口の書店で求めた
2冊めの本を読了した。



なんとなく手にし求めた本。
なじみのあるお二人の対談だから、
きっと面白いだろうと、
思ったに違いない。
『老人の壁』という題名に惹かれたのかも?!
なにが書いてあるか、予想し難い未知数の興味もあったのだろう…。

養老孟司・南伸坊のお二人が、高齢者とはいえ、
題名はピンとこなかった。

今も、題名の意味は、よく分からないまま。
それでも、高度なご意見を拝聴している気分で読了。

題名をよく見ると、『超 老人の壁』とある。
すでに『老人の壁』が出版されていて、その<続編>ということらしい。

あれこれ同感したり、そういうものかなあ? と考えたりした。
そうして、5月最後の読書となった。


5月31日7時過ぎの落日。
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散歩と買い物

2017-05-31 | 散歩道
5月30日
このところ、夏日が続く。
まだ5月というのに。
家にいれば、外出に勇気が要る。
が、河口の部屋は、街に近い。
散歩を兼ねて、出かけることにためらいがない。

昼食後、バスで出かけた。
喫茶店巡りも、楽しみの一つである。
しかし、今日予定していた喫茶店は、探し損ねた。

過去、数度訪れてことのある<リバティ>に行く。
最初、友達と訪れたとき、
店名の<liberty>と<freedom>に違いについて教えてもらったのを思い出した。
遠い昔は、得意教科のつもりだった英語だが、今はさっぱりだ。
日本語だって、おぼつかない。
遣いたい言葉が、なかなか出てこない。




コーヒーとケーキ(ガナッシュ)

コーヒーをいただきながら、
スマホの地図で、今日訪れるはずだった喫茶店の位置を確かめる。
ほぼ近くを歩いていたらしい。
次回の楽しみにしておこう。

持参した本『老人の壁』を読み始める。

先客があった。
私よりは若い、高齢の女性2人。
<「です・ます」だから……。>という言葉が、二度聞こえた。
文体の話?
須臾、聞き耳をたてる。
どうやら介護の話のようだった。

イオンで買い物をし、タクシーで部屋に戻る。


廊下の窓越しに眺めた夕波の輝き。

就寝前、
廊下に出て、漁火を眺める。
上弦の月も、
やや朧な感じで空にあった。
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クスクス、うふふと笑って、夜ふける

2017-05-30 | 身辺雑記
5月29日
河口の部屋の、夜のしじまにも慣れてきた。
建物(施設)の中に居て、個室にそれぞれの人が住んでいるという意識から、
やっと解き放たれ、
自室で、自分の時間を楽しめるようになった。

夜は、先日、山口の書店で求めた本を読んだ。
斎藤茂太著『笑うとなぜいいか?』(新講社刊)




斎藤茂太さんの本に、たくさんの笑いをもらい、就寝の時間まで、読書を楽しんだ。
<笑い>は、確かに人生の妙薬だと思う。
さらに、<笑顔>は、自分自身にとっても、周囲の人にとっても心地よい春風みたいなものだ。

「一笑一若」
「一怒一老」

笑って過ごせる心の持ち方は、心がけ次第ということのようだ。

顔は、心を映す鏡!
茂太流を残生に取り入れ、笑顔で生きられるよう、努めたいものである。
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緑の量、増えて

2017-05-30 | 身辺雑記
5月29日午後
河口の部屋に帰り、
さっそく眺めた窓辺の風景。
<緑の量が増えてきたな>
と、実感する。
双眼鏡で、緑の木々を観察すると、
栴檀の木の幾本かがあり、
まだ、花色の残っている気配である。



大気が澄んでいて、
レストラン<とみ>の辺りも見える。




夕食後、入浴も済ませて廊下に出てみた。


7時5分、落日の景。


同時刻の河口の景。

夕食のお膳を返した後は、
ただ部屋にこもって過ごすことが多かった。
が、5月に入ってからは、
夜の廊下を覗くことができるようになった。

9時になると、照明の一部が消されることも分かってきた。
すると、ドアの丸窓から、部屋の灯りの有無が分かる。

ここは老人の住まい。
9時を過ぎれば、大方の人が就寝される様子である。
(河口の部屋は朝が早いので、私は10時に就寝、と決めている。)

入眠前に、再び部屋のドアを開け、西の空を見た。
落日の代わりに、
赤い三日月があった。
嬉しくなる。
(スマホに収めてみたが、全くの不作。
三日月の存在証明のために、掲載しておく。)


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ホトトギス鳴く

2017-05-29 | 小庭の四季
5月29日
庭に出ると、ホトトギスの声。

トッキョ キョキョキョキョ
トッキョ キョキョキョキョ
トッキョ キョキョキョキョ


と、少し間を置いて、
三声届いた。

緑の自然に囲まれて生活しているので、
視覚的には、たっぷりと初夏を感じてきた。

聴覚で、初夏らしさを自覚するのは、
毎年のことながら、ホトトギスの声を聞いてからである。
(昔、習い覚えた山口素堂の名句
<目には青葉山ほととぎす初鰹>
に影響を受け、季節感が刷り込まれているのかもしれない。)


この夏もまた、ホトトギスの声を聞くことができた。
命、生き永らえて……
との思いを深くしながら。

5月も残り少なくなった。

玄関先に、サツキが咲き、
花壇に、シモツケの花が咲いた。







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ジューンベリーの実

2017-05-28 | 小庭の四季
5月28日
ジューンベリーの実が、
食べられるほどに熟した。
木の下に、落ちた実もある。

昨年は、一夜にして、ヒヨドリに食べられたので、
今年も、そのうち襲撃に合うのではないかと、戦々恐々としていたが、
その気配はない。
今年のヒヨドリは、どうやら食に飢えてはいないらしい。

先日来、日々、裏庭のジュンベリーの熟れ具合を確かめている。
食するより、眺めて楽しんでいる。






枝先の実を花瓶に挿し、
食卓に置いて、眺めている。
(この花瓶は、末国清吉さんの作品。
以前の展示会で求めたもの。)

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木賊(トクサ)とドクダミ

2017-05-27 | 小庭の四季
5月27日
庭のあちこちに、ドクダミの花が増えている。

人に、あまり喜ばれない花のようだが、
野草として、花も葉の形も、茎の色も、
気に入っている。

賑やかに咲いていても、
騒々しさを感じない。
少々陰湿な感じだが、
それがまたいい。


裏庭隅の木賊とドクダミ。


一個の、ドクダミの花。
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小さな変化

2017-05-24 | 小庭の四季
5月22日
帰宅した庭の小さな変化。


サクラウツギの花が増え……。


ドクダミの花、あちこちに……。


ヒデリソウ。


芍薬。
花より葉が目立ち……。


ジューンベリーの実。


ハナミズキの葉。
幾年も花咲くことなく……。


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日の出

2017-05-23 | 身辺雑記
5月23日
刻々と、
権現山の上に
朝日が昇る。






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私の気分

2017-05-22 | 身辺雑記
大岡信著『折々のうたー春夏秋冬ー』の<春(はる)>を読了。


空青く
雀よく鳴き
タンポポの
日毎に咲けば
わが春たのし


この歌を読みつつ、まさしく私の今の楽しみに似ている、と思った。

林圭子の作という。
作者の名前も知らなかった。
が、この歌を読んで、この歌や作者に親近感を覚えた。

大岡信さんの解説によると、かの有名な歌人・窪田空穂の夫人であり、
明治29年に生まれ、平成の初年に亡くなった人とのこと。
そして、この歌は87歳当時の作という。

大岡さんの評には、

<そう知って読めば、この歌に流れている生命の無垢な流露感には驚くほかない。>

とある。



『折々のうたー春夏秋冬ー』の4冊を読了。
しかし、詩歌に関する本は、幾度読み直しても、新たな感動が得られる。
河口の部屋に置き、座右の書として、折々に楽しみたい。
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