ぶらぶら人生

心の呟き

4月、終わる

2018-04-30 | 身辺雑記
一年の四分の一が過ぎた、とブログに書いたのは
ついこの前のような気がする。
今日をもって、一年の三分の一が過ぎたことになる。
速い!速い!
もっとゆっくり過ぎてくれと、お日様やお月様に
お願いしたくなる。

ルーフバルコニーまで行かず、
私の部屋の入り口から、
ガラス越しに撮った
4月最後の落日。
今日も、水平線上の雲の中へ
消えていった。






今日は満月。
昨日の月は、黄昏時に上ったが、
今日はずいぶん待たされた。

7時半になって、
権現山の上に、
赤みを帯びた月が上った。

雑草の花

2018-04-30 | 身辺雑記
今日は、街へ出て妹に会ってきた。
バス停周辺に多数群生している草を折り取り、ポケットに潜ませた。
そして、妹に見せ、<どんな花が咲くか>
<名前を知っているか>と尋ねてみた。
妹は、「冬知らず」という草とは違うかしら?と、言った。
私は、その植物を知らない。

5時前、施設を出て、再び、道端の雑草を眺めた。
名前は知らないものが多いけれど、
それぞれみな違う顔をして、春の野を豊かに彩っている。
赤詰草や酸葉くらいは分かるけれど、
大方は、よく見る草花でも、名前は知らない。
(このごろ、正しい植物名を知りたいと、しばしば思う。)










この植物から、どんな花が咲くのだろう?
と、妹に尋ねてみた草。


妹が、夕方、LINEで送ってくれた「冬知らず」

名前のとおり、寒さの中で咲き続ける花らしい。
私は、実物に接したことがない。
あるいは関心を持って見なかったのか?

妹には、私の撮った写真をLINEで送った。
(しばらくLINEのやりとりで植物談義。)



『三匹の蟹』

2018-04-30 | 身辺雑記

大庭みな子著『三匹の蟹』を読む。
丸谷才一著『年の残り』とともに、第59回・昭和43年上半期の芥川賞受賞作。

この二作は、芥川賞受賞作として、昭和43年当時に、間違いなく読んでいる。
過日、『年の残り』について書いたブログに記したとおり、丸谷才一の著作は、その後、10冊も購読している。
ところが、大庭みな子の本は、書棚に一冊もない。
『三匹の蟹』が、私の好みの小説ではなかったせいであろう。

今回読み直しても、うまい作家だとは思いつつ、やはり好みではないと思った。
多分、人間の生き方をテーマにした作品ではないことが、私にとっては不満なのだ。

文章のうまさと、読者の好みとは、必ずしも一致しない。

この度再読して、新たに気づいたことがある。
それは、比喩の多さと、その使い方のうまさである。

書き出しの一段落(6行)の文章中に、

<海は乳色の霧の中でまだ静かな寝息を立てていた。>(冒頭文)
<藺草のような丈の高い水草>
<きいきいとガラスをこするような啼声>
<灰色の汚れた雪のような鷗>
<オレンジ色のビイ玉ような眼>


といった具合に比喩表現が出てくる。

[直喩][隠喩を文中でこれほど多用し、文章を輝かせている類例は、他にないような気がする。
下手な比喩は、かえって文章の幼稚さを際立たせるが、上手い比喩は、逆に文章の味わいを豊かにする。

温顔の人

2018-04-29 | 身辺雑記
人をホッとさせるお顔の人がある。
昨日今日、今は2階で暮らしておられるNさんにお会いした。
4階の廊下で。
東京からお見舞いに帰っておられるお嬢さんが、Nさんを車椅子に乗せ、4階を散歩なさっているのだった。
昨日は、新聞を読んでいるとき通りかかられて。
今日は、散歩から帰ってきたときに廊下で。

ご主人は4階に、奥様は2階に住まわれ、同じ施設にいながら、生活の場を異にしておられる。
ご主人も高齢で奥様の面倒をみられなくて、奥様は2階に移られたということは聞いていた。

昨年の暮れ、脱水症で入院なさってからは、お会いすることがなかった。
亡くなった母の最後の入院が脱水症によるものであった。
母は100日の入院の末、病院で亡くなった。89歳であった。
Nさんは90余歳。なかなか退院される様子がなくて案じていたら、2階に帰っておられると聞いた。

入院されるまでは、90歳を超えたご夫婦二人で、4階の夫婦部屋で生活なさっていた。
廊下を散歩される姿を折々見かけた。
私の部屋の前にあるソファーで、一休みしておられることもあった。
もともと穏やかな雰囲気のご夫婦である。

久々に会ったNさんは、入院前と少しも変わらぬ表情をなさっていた。
言葉は語られないけれど、なんという温かなお顔であろう!
お嬢さんの押される車椅子に乗せてもらって、本当にお幸せそうだ。

昨日も今日も、立ち止まって握手し、笑みで語り合い、手を振ってお別れした。
お嬢さんは、明日東京に戻られるという。寂しくなられることだろう。

Nさんのお顔には、えもいわれぬ温かさがある。
お会いしている私まで幸せな気分になってしまう。
あのお顔こそ、<温顔>というのだろう。
と、ブログを書きながら、私もNさんようでいたいと思う。
(おそらく無理であろうけれど……。)

人は様々。
逆に、賢(さか)しらぶるご老人もある。
体は老いても、頭はボケてはいないと思い込んでいる人もあって、(気丈であるのはいいけれど)傍目にはやや滑稽に映ることもある。自戒しなくてはいけない。

施設は、一つの社会。
家にいるときには、誰にも会うことなく、数日を過ごすのが普通である。
しかし、施設では、入居者、職員、食事や清掃の担当者など、日ごとに幾人かの方にお会いする。
そして、それぞれの生き方から、学んだり、考えさせらたりもする。

昨日今日は、温顔の人に会えて、幸せであった。



夕食膳を配膳車に返すとき、
ドアを開けた途端、真正面に、美しい落日を見た。
カメラを持って、ルーフバルコニーに行く。
今夕は、海に沈む夕日ではなく、水平線上の雲の帯に消える夕日であった。





部屋に戻り、窓の月を見る。(7時前)



その時の夕雲。





入浴後、再び月を眺める。



今日も、無事に一日を終えることができた。



針槐(ハリエンジユ)ほか

2018-04-29 | 散歩道
部屋に籠りっきり一日だったので、
夕食前、散歩に出かけた。
(2000歩あまりの散歩。)
風の中を歩いてきた。

桜の木の実の、
その後の様子も気になっていた。
赤く熟したものも、
赤みを帯び始めたも、
若草色のままのもの、
色々である。

実のなった小枝が、
折からの風に揺れて、
なかなか画面に収まってくれなかった。




どんぐりを少し小型にしたような形の実。
食するサクランボの形ではない。


ナガミヒナゲシの花を
一つ見つけた。


別の場所で、
ナガミヒナゲシの実も。




針槐の香が漂う季節になった。
(ハリエンジュ=ニセアカシア)
昨年も、この丈の低い木の、
房状に垂れた花の写真を撮った。






歩いているうちに、
藤棚の側に出た。
広い屋敷の一部に作られた、
かなり大きな藤棚。

隣接する畑には、
エンドウの花も咲いていた。
野菜の花だが、
おしゃれな色や形をしている
と、いつも感心する。


ヒメツルソバのかわいい花も咲いていた。
これからは、あちらこちらで見かけるだろう。


野でよく見かける花。
(その名を知らない。)


白塀の側に、咲きそろったアヤメ? アイリス?


私の部屋から見える小さなグランドで、運動会が行われていた。
多分地区民の運動会であろう。
テントが6張り。
万国旗も揺れている。
昨年も、窓辺に立って眺めた。
毎年の行事なのだろう。



散歩の途中、人影のないグランドに、
私もひととき立って、遠い海を眺めた。

落日と夕月

2018-04-28 | 身辺雑記
4月28日の落日と夕月

夕食後、落日を眺める。
(南廊下のルーフバルコニーより)

落日を一緒に眺める人もなく。
かつては、Kさん、Nさんなどと
眺めた日もあったけれど……。
ここ一年の間に出会いあり別れあり、
施設の人の動きは激しい。
『方丈記』の書き出しを思い出しながら、
刻々色を変えつつ沈む夕日をひとり眺めた。











部屋の窓からは、夕月も。



烏帽子山と平家山

2018-04-28 | 身辺雑記
今日は楽しい一日であった。
かつて同じ職場で働いた友達のRさんと、
河口の部屋で、4時間歓談した。

Rさんは、私のブログを読んでくださっている。
<窓から見える風景写真(山並みなど)>を見て、
烏帽子山や平家山が写っていると、電話で話してくださった。
私が山の名前を知っているのは、「権現山」だけである。
来訪の機会にぜひ、名前を教えてもらおうと思っていた。

今日は晴れの良い天気ではあったが、山容の不鮮明な日であった。
ぼんやり霞んだ山々を眺めながら、山の形や方角で、
「烏帽子山」と「平家山」について教えてもらった。



(夕方になって、多少山並みが見えやすくなった。
左手後方に見える高い山が烏帽子山。
その右寄りに見える、手前の山が平家山であろう。)

話というものは尽きないものだ。
<ポニー>で食事をしながら話して以来といえば、
幾年が過ぎたのだろう?
あの時は、互いのタブレットを持参して話したように思う。

人との対話を4時間も楽しんだのは、久々のことである。
二人でコーヒーを飲みに出かけようと思っていたが、それもせず。
散歩にゆこうかと言いつつ、それもせず、
ただひたすら、河口の狭い部屋で語らいを楽しんだ。
互いの来し方、行く末のことなども含めて。



夕食は、親子丼。



目先が変わると、子どものように嬉しくなる。

群生したナガミヒナゲシ

2018-04-28 | 身辺雑記
妹から、LINEメールで届いた
ナガミヒナゲシの群生。




オレンジ色のナガミヒナゲシの花は、今の季節、個でもよし、群れてよしの花である。

子どものころにはなかった花だ。
そのはず、外来種で、初めて東京で見つかったのが1961年という。
全国各地で見られるようになったのは、2007年ころからという。

ただ、ナガミヒナゲシ(長実雛罌粟<芥子>)は、その名のとおり、長実であり、その中には1000〜2000個もの芥子粒が入っており、繁殖力がものすごいのだ。その増え方は爆発的なものであるという。

妹も一昨年、一つの実を道端から持ち帰り、庭に放置したところ、昨年は数個の花が咲いただけであったのに、今年は写真のように群生したという。

園芸花として楽しむには、花が終わると同時に切り取った方がいいらしい。(粒の弾けぬうちに。)

ナガミヒナゲシは、品のいい野趣に富んだ花として好きで、数年前、増えすぎて困ると話されたヨウちゃんに頼んで、庭のあちこちに撒いてもらった。が、花は咲かなかった。よほど土壌が適していなかったのだろう。


4月28の朝日

2018-04-28 | 身辺雑記
5時半に目覚めた。
<朝日を眺めるなら今>
と、起き上がった。
カーテンを開けると、
まだ、山の端に茜色の広がる空であった。

わずかな時間、他ごとをしている間に、
お日さまが、山の端からのぞいた。
その後、山の端を離れるまでの早いこと!

(あいにく、スマホはインストール中で使えず、
アイパッドで撮影。
ブログに掲載するための最小のサイズがなく、
大きめな写真となる。)







好天の気配。
今日は、友達の訪問を楽しみにしている。
(窓から見える<山の名前>を教えてもらえるかもしれない。)

白いアマリリス

2018-04-27 | 身辺雑記
タクシーを呼んだ後、
<あッ、アマリリス!>
と、広縁に置いたままの鉢を思い出した。
水を与えずに、出かけるところだった。


白い花。

赤色のアマリリスは、
とっくに咲き終わった。
遅れて咲いた白色は、
ひと茎に四個も、ほぼ一斉に開花した。
茎が難儀そうである。


10時半、河口の部屋に戻る。
いつもの慣いで、窓に広がる景色を眺める。
と、パラシュートのような雲が浮かんでいる。
カメラを手にして立ち上がったが、
韓国と北朝鮮の首脳会談を報じる
放映中のテレビ画面が気になり、
暫く、それを見た。
両首相、和やかな雰囲気である。
民族間の融和がうまくゆけばいい、と思う。
異なる政治形態の歴史を歩んだ両者が
今日の会談でどんな一歩を踏み出すことになるのか?
関心をもって、一挙手一投足、一言一句を見守る。
話し合いが、希望や新たな時代を生み出すことを願いながら。
対立を繰り返してきた南北とは思えない雰囲気であった。
演出だけではなさそうである。

日本でも、もっと話し合いが重んじられなくてはいけない。
少数派の意見が軽んじられすぎる世の中では、
不満が募るばかりだ。
政府は、自らの不正を訊すことなく、
新たな審議を始めようとしている。
未解決の出来事について、
真摯に話し合ってほしいものだ、
などと、思いが日本にまで及んでいるうちに………、

雲は形を崩していた。
もう落下傘の形ではなくなっていた。

水と同じく、雲も一所にとどまることはない。
(人もまた同じである。)




昼前の空。