人をホッとさせるお顔の人がある。
昨日今日、今は2階で暮らしておられるNさんにお会いした。
4階の廊下で。
東京からお見舞いに帰っておられるお嬢さんが、Nさんを車椅子に乗せ、4階を散歩なさっているのだった。
昨日は、新聞を読んでいるとき通りかかられて。
今日は、散歩から帰ってきたときに廊下で。
ご主人は4階に、奥様は2階に住まわれ、同じ施設にいながら、生活の場を異にしておられる。
ご主人も高齢で奥様の面倒をみられなくて、奥様は2階に移られたということは聞いていた。
昨年の暮れ、脱水症で入院なさってからは、お会いすることがなかった。
亡くなった母の最後の入院が脱水症によるものであった。
母は100日の入院の末、病院で亡くなった。89歳であった。
Nさんは90余歳。なかなか退院される様子がなくて案じていたら、2階に帰っておられると聞いた。
入院されるまでは、90歳を超えたご夫婦二人で、4階の夫婦部屋で生活なさっていた。
廊下を散歩される姿を折々見かけた。
私の部屋の前にあるソファーで、一休みしておられることもあった。
もともと穏やかな雰囲気のご夫婦である。
久々に会ったNさんは、入院前と少しも変わらぬ表情をなさっていた。
言葉は語られないけれど、なんという温かなお顔であろう!
お嬢さんの押される車椅子に乗せてもらって、本当にお幸せそうだ。
昨日も今日も、立ち止まって握手し、笑みで語り合い、手を振ってお別れした。
お嬢さんは、明日東京に戻られるという。寂しくなられることだろう。
Nさんのお顔には、えもいわれぬ温かさがある。
お会いしている私まで幸せな気分になってしまう。
あのお顔こそ、
<温顔>というのだろう。
と、ブログを書きながら、私もNさんようでいたいと思う。
(おそらく無理であろうけれど……。)
人は様々。
逆に、賢(さか)しらぶるご老人もある。
体は老いても、頭はボケてはいないと思い込んでいる人もあって、(気丈であるのはいいけれど)傍目にはやや滑稽に映ることもある。自戒しなくてはいけない。
施設は、一つの社会。
家にいるときには、誰にも会うことなく、数日を過ごすのが普通である。
しかし、施設では、入居者、職員、食事や清掃の担当者など、日ごとに幾人かの方にお会いする。
そして、それぞれの生き方から、学んだり、考えさせらたりもする。
昨日今日は、温顔の人に会えて、幸せであった。
夕食膳を配膳車に返すとき、
ドアを開けた途端、真正面に、美しい落日を見た。
カメラを持って、ルーフバルコニーに行く。
今夕は、海に沈む夕日ではなく、水平線上の雲の帯に消える夕日であった。
部屋に戻り、窓の月を見る。(7時前)
その時の夕雲。
入浴後、再び月を眺める。
今日も、無事に一日を終えることができた。