ぶらぶら人生

心の呟き

雛の成長

2010-06-30 | 身辺雑記
 今日、郵便局に出かけた。
 今月は、当地の鮎、メロンの季節である。
 あちらこちらに送った代金の払い込みのために。

 燕が無事成長していた。
 局長さんが、巣の台が小さすぎたと話しておられた。
 作られた巣も自ずから小さく、成長した燕があふれ出しそうであった。
 親鳥は巣に戻ってこなかったが、賑やかに囀っていた。
 巣立ちの日が近いらしい。
 何となくほほえましい光景である。 

          

 今日で、六月が終わる。
 最近、活字が時に見えにくく、本を読むのも、ブログに文字を記すのも、少々億劫になっている。老化のますますの兆し!
 しかし、昨日は病院の待合室で、104歳のお年寄りに会い、しっかりした所作、もの言いに感心した。
 付き添いの人はおられたが、威厳があった。
 その姿から、老け込みがちな私の精神の在り様を、反省させられたのだが……。 
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6月の庭 (黄金ヤマボウシ)

2010-06-30 | 草花舎の四季
 今は梅雨のさなかである。
 28日には、当地に大雨洪水警報が出た。
 予報どおり、時折、強い雨が降って、外出の気をそぐようなお天気だった。
 居間にいても、時に襲いかかるかのような雨音が聞こえた。
 
 本来、草花舎に出かける日であった。
 もう少し様子をみて、と思っていたところへ、草花舎のYさんから電話があった。雨が相当激しいので、来店の日を改めたらとの勧めだった。

 日延べして、今日、草花舎に出かけた。
 昨日今日は、梅雨の中休みであった。
 
 草花舎の木々の葉が、水分を養分としてますます繁茂し、庭は今、緑一色である。
 大樹の一つ<黄金ヤマボウシ>が、花をつけていた。例年より花数が多いように思う。
 この木も、合歓の花同様、花は上向きに、葉の繁みに包まれた枝々の上方に咲いている。

                

                

 その他の花。
 大きな葉を持つ背高のっぽの植物。花茎も筒状に長く伸び、今から花を咲かせるらしい。(写真 左)
 夏の花、カンナ。(写真 右)

         

 昨夜、W杯の、パラグアイ対日本戦を見て、夜更かしをし、寝不足の今日であった。
 延長戦でも決着がつかず、PK戦に持ち込まれた結果、日本チームは敗退した。
 しかし、大きな意味のある負けであったと思う。日頃に味わえぬ感動で興奮し、すぐには寝つけなかった。
 睡眠不足は、たちまち今日の生活にこたえた。
 妙に脈が早打ちしたり、微熱が出たり……。
 草花舎でも、昨夜はテレビの前で過ごしたと話す人が多かった。
 多くの人々の心を奮い立たせる力が、日本代表の戦いぶりにはあった。
 
 スーザンさんは、明日、フランスから帰られるとのことだ。
 草花舎がまた、スーザンさんの雰囲気に染まり、華やぐことだろう。
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合歓の花咲いて

2010-06-29 | 身辺雑記
 病院に行く途中、バスの中から外を眺め、合歓の花が咲き始めているのに気づいた。
 定期検診のほか血液検査をしてもらった後、街に出て食事をした。
 買い物が、思いのほか持ち重りしたので、タクシーで帰った。

 タクシーの運転手に頼んで、帰途、合歓の木の傍に止めてもらった。
 今年、初めて見る花であった。これからは、あちらこちらで目にするようになるであろう。
 
 合歓は初夏の花。
 天上に向かって、小さな花火が打ち上げられていた。

     

               
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燕の親子

2010-06-24 | 身辺雑記
 親戚から訃報が届き、香典を郵送するため、郵便局に出かけた。

 「燕が孵りましたよ、4羽、いそうです」
 局員のKさんが、入り口を指さして言われた。

 私は不審に思った。
 前回、局に行ったときには、入り口に、巣づくり用の板が取り付けてなかったからだ。
 それなのに燕がいる?
 私の訝る様子をみて、
 「裏の電線で、鳴きやまぬ燕がいたんです」
 と、言葉少なにKさんが言われた。
 
 昨年の燕が帰ってきたのだろうか。そして、<わが家はどうなったんだ!?>と、哀訴し続けたのだろうか。
 局の人たちは、その燕に憐憫の情を覚え、昨年同様、巣づくりの板を取り付けられたらしい。
 早速、燕は巣をかけ、雛を孵したのだ。

 巣のなかの雛を見上げていると、局の女性職員が、小さな脚立を持って来てくださった。
 「上がってみてください。支えていますから…」
 と、勧められたが、脚立に上がるのは怖かった。
 一旦は試みたものの足元があやしく、シャッターを押せそうにもなくて諦めた。

 局員と一緒に、雛のいる巣を見上げた。
 まだ幼い雛だ。
 初めは親を待ち顔に首を伸ばしていた子燕が、急に身を潜めた。
 私たちを警戒しているらしかった。
 「親燕が電線にいます」
 局員に言われてみると、一羽の親鳥が、落ち着きなげに様子を伺っていた。
 私たちがじっと息を潜めていると、親は安心したのか、旋回して巣に止まった。(写真)

 子燕の二羽が大きく口を開いた。が、賑やかなに餌をねだる声がない。
 小さすぎて、まだ声が出ないのだろうか?
 私たちを警戒し、声を潜めていたのだろうか?

 何となく不安を覚えた。
 しかし、誕生にはすべて希望である、そんなことを思いながら、帰途に着いた。

       
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10日の月

2010-06-23 | 身辺雑記
 梅雨入りした後、好天が続いている。
 空の晴れた日の夜は、必ず戸外に出てみる。一日一日、大きくなる月を眺めるために。

 今宵は、南よりの空、電柱の横に、10日の月があった。
 毎夜、月を眺めて佇む間は、清浄無垢な心境になっている。
 ただ、週末からは雨になりそうだ。満月には巡りあえないかもしれない……。

        
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ファンクションキー(F11)

2010-06-22 | 身辺雑記
 昨日、ブログ画面を開くと、いつもと状況が異なっていた。
 画面の右端が切れ、文字が大きすぎる。
 いつもの画面に戻そうと努力した。
 メニューバーの<表示>を開け、「拡大」と「文字のサイズ」をチェックし、異常の原因が予想でき、何とか問題を解決した。
 ところが、再び画面を見ると、上下のバアーが消えている。
 メニューバーを開こうにも、それも画面上にない。
 万事休すの思い。

 今日、早速、ソコロに電話した。
 副社長のTさんが電話を受けてくださった。
 疑問点を話すと、
 「ファンクションキーの11をクリックしてみてください」
 と言われた。
 
 指示に従うと、求めていた画面が瞬時に現れた。
 機能キーの、なんという偉大さ!
 私が、昨日来の経緯(<表示>を開けて、文字の大きさを改めたことなど)を話すと、Tさんは、
 「画面を大きくしたり、小さくしたりしたいときには、<表示>の一番下の≪全画面表示≫からも、同じ操作ができるんですよ」
 と、教えてくださった。

 今日は改めて、キーボードを眺めた。F11に限らず、日頃利用しないものが沢山ある。
 6年前、パソコンを習い始めたときのテキストを、久しぶりに取り出してみた。
 文字入力の変換に、F6~F10の使い方を学習したらしく、テキストにアンダーラインを入れている。が、日頃はあまり遣っていない。
 
 パソコンに親しんで6年が経ったのに、いまだにご縁のないキーがあるということに、改めて気づいた。
 今日は、F11キーの機能を知り、一つ利口になった。
  

 × × × × × × × × × × × × × × × × × × × × 

 今日の花。

       桔梗と百合

       開花寸前の、桔梗の蕾

       ヘメロカリス
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6月の庭 (紫陽花いろいろ)

2010-06-21 | 草花舎の四季
 草花舎は、紫陽花の庭となっていた。
 至る所に、微妙に異なる色合いの花が咲いている。
 梅雨というのに、当地は雨が少ない。
 今日も薄曇りの梅雨空ながら、雨は落ちない。
 紫陽花を眺めて、庭を歩く。
 カシワバアジサイ(柏葉紫陽花)、斑入りの葉の紫陽花も咲いている。


     

     

     

     

      カシワバアジサイ

     

     

     

      斑入りの葉

     

     

 品のあるフクシャも、つつましく俯いて咲いていた。

     

 今、草花舎では、<Three Person Show / 三木俊治 楠直明 平山好哉 ARTは野となる山となる>展が開かれている。
 6月13日から始まっている展示会は、27日まで。

 戸外や室内展示のうち、気に入りの作品を添付した。

     

     

     

 スーザンさんの帰国は7月初旬の由。
 先週末、一足先に帰国されたTちゃんは、風邪気味とのことでお会いできなかった。
 スーザンさんのフランス公演は、成功裡に終わったようだと、Yさんからうかがった。
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朝顔の鉢

2010-06-20 | 身辺雑記
 昨日、妹夫婦が、朝顔の苗を植えた鉢を届けてくれた。
 三つの鉢には、花の名前を記した札が挿してあった。
 
   大輪・絞り咲き  覆輪・メリーゴーランド 桔梗咲き

 5種類の花が咲くらしい。
 日毎の成長が楽しみである。

 (私が播いた朝顔の種は、全く芽生えなかった。昨年の種の保存の仕方がまずかったのか、播き方に問題があったのか、何が原因なのかは分からない。)
     
     

 ホトトギスの苗ももらった。
 丈があまり伸びず、白い花をつける種なのだそうだ。

          
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国字の話

2010-06-19 | 身辺雑記
 昨日、ソコロのSさんが、パソコンの点検に来てくださった。
 雑談の折、<国字>の話になった。

 中国から伝来した漢字には、必ず音読みがあり、日本語の意味を表す訓読みのあるのが普通である。
 例えば、<木>の音読みは<モク・ボク>、訓読みは<き・こ>であり、<国>の訓読みは<コク>、訓読みは<くに>である。

 何気なく漢字との区別をつけずに使用している文字の一つに<国字>がある。
 漢字に似せて日本で作られた文字が<国字>と呼ばれている。
 漢字ではない証拠に、原則として音読みがない。
 (<働>は国字だが、<はたらく>という訓読みの他に、<ドウ>という音読みを持つ例外的な文字である。)

 昨日、Sさんとの話題が<国字>に至った経緯は思い出せない。が、その話をしながら、平素何気なく遣っている文字の成り立ちを面白く思った。
 そして、Sさんが帰られた後、メモ用紙に国字と思う文字を書き出してみたのだった。辞書で確認しながら…。

 国字の文字作りに当たっては、漢字の会意文字の成り立ちを応用しているものが多いようだ。

  峠(とうげ) 裃(かみしも) 垰(たお) 鞐(こはぜ)
    
  凪(なぎ) 凧(たこ) 凩(こがらし)

  辻(つじ) 込(こ・む) 辷(すべ・る)

  杜(もり) 杣(そま) 枠(わく) 榊(さかき) 樫(かし)

  鮗(このしろ) 鰯(いわし) 鱈(たら) 鰹(かつお)

  躾(しつけ) 鴫(しぎ) 襷(たすき) 畑(はたけ) 畠(はたけ) 怺(こら・える)

  等など。ゆっくり思い出せば、まだまだあるはず……。


    × × × × × × × × × × × × × × 


 今日の紫陽花。
 わが庭にある三種とも、ほぼ盛りとなった。
  

     

     

     
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日常から非日常へ

2010-06-18 | 旅日記
 13日から17日にかけて上京した。
 旅は、非日常の世界に誘ってくれる。
 梅雨入りにあわせての旅立ちであったが、お天気には恵まれた。
 羽田空港に到着後、東京駅に出て昼食をとり、まずは谷中の墓地に亡き師を訪れた。
 半年ぶりの墓参である。
 谷中の桜並木は葉を茂らせ、折から、緑のトンネルとなっていた。

 墓参の後、散歩がてら、上野に向かった。
 適当に歩いていると、家の軒先に白い花が咲いていた。夏椿(沙羅樹)であろう。

      

 適当に歩いているうちに、不忍池のほとりに出た。
 以前訪れたとき、その存在に気づいた長谷川利行の碑に、再び出会った。
 初めて碑に接したときは、長谷川利行という画家について知らなかった。今は、その人生や画業について、ある程度は知っている。
 自然石に掘られた熊谷守一書の<利行碑>の文字を眺め、長谷川利行の歌二首が、生島生馬の書で刻まれているのを佇んで読んだ。

   人知れず朽ちも果つべき身一つの
   いまがいとほし涙拭わず

   己が身の影もとどめず水すまし
   河の流れを光りてすべる

 長谷川利行は放浪の貧しい画家であったが、その絵には孤高を持する雰囲気がある。
 碑の背景の池には、蓮の大きな葉が水面を覆っていた。 
 
     
    
  
    

 かなり歩き疲れた。
 田舎と違って、都会ではひとりでに思わぬ距離を歩いてしまう。
 国立西洋美術館内のレストラン<すいれん>に入って一休みした。
 太窓に緑の庭を眺めながら。
 美術館の前庭には、夾竹桃が白い花を咲かせていた。夏を感じさせる花である。

    

 雨降りは、14日の月曜日だけであった。
 その日は、国立新美術館で、<オルセー美術館展2010「ポスト印象派」>を観た。
 名立たる画家の名作が多数並べられ、贅沢な展覧会であった。
 案内のパンフレットには、<モネ、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、ルソー、傑作絵画115点、空前絶後>と、記されていた。
 10のセクションに分け、それらの作品は展示されていた。
 とにかく豪華な作品群である。
 特に、印象深かったのは、第8章の<内面への眼差し(Inner Eyes)>であった。
 シャヴァンヌの「貧しき漁夫」、ルドンの「目を閉じて」など。
 そこには、ハンマースホイの「休息」という作品もあり、懐かしく思った。
 かつて国立西洋美術館で開催された個展で、初めてハンマースホイの作品を知り、すべての絵に共通した静謐な色彩と構図に、不思議な感動を覚えたのだった。

 いつものことながら、入館者の多さにはうんざりする。
 自分の意志で、一つの作品の前に佇むことはできない。
 ゆったりと鑑賞できないのが残念だが、仕方のないことだろう。

 美術館行きの日以外は、天候に恵まれた。
 下の写真は、帝国ホテルの17階から眺めた朝の光景である。

 在京中、隅田川を船で遊覧したり、浅草を散策したり、神保町の古書店を巡ったりした。
 なかんずく、国立博物館附属の<自然教育園>の散歩は楽しかった。
 ここは大都会でありながら、田舎の自然以上に、豊かな自然が存在した。
 都会のオアシスは、私にとっても、かけがえのない場所であり時間であった。
 ここは植物の宝庫である。数々の大樹が繁り、樹下には多数の植物が群生していた。
 ホタルブクロは花をつけていたが、概して花の少ない季節である。
 花は見られなくても、その姿を眺めることはできた。
 名札のついているのがありがたく、名前だけはなじみの植物を見つけて、いくつかをカメラに収めた。

    

    

    

    

    

    

    

    
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