いまだに公田耕一が、心の片隅に生きている。
見ず知らずのホームレス歌人・公田耕一。
2008年の暮れ、<朝日歌壇>に、突如彗星のように現れ、いつの間にか紙面から姿を消した歌人。
私はひととき、月曜日には必ず、公田耕一に会うため、朝日歌壇のページを開けるのを楽しみにした。
公田耕一に特別な視線を送った人は非常に多い。
朝日新聞の記事にもなり、天声人語でも取り上げられ、朝日歌壇には、この歌人の歌が掲載されなくなった後、公田耕一を案じる歌が多く寄せられたほどだ。
『ホームレス歌人のいた冬』(添付の写真)の著者三山喬氏も、公田耕一の存在に関心を持たれた。この本は、<その正体と、突然に消えた後の消息を求めて、横浜寿町のドヤ街に入り込んだ著者の、地を這うような探索>の追跡物語である。
結果的には、その消息は不明のままだが、この著書の徹底した追求の姿勢と綿密な記録に感動した。かつて朝日新聞の記者だった筆者の、記者の目が文中に光っている。
ありがたく思ったのは、再び公田耕一の歌に巡り合えたことだった。
以下は、引用された歌からの孫引きである。
(柔らかい時計)を持ちて炊き出しのカレーの列に二時間並ぶ
鍵持たぬ生活に慣れ年を越す今さら何を脱ぎ棄てたのか
パンのみで生きるにあらず配給のパンのみみにて一日生きる
百均の『赤いきつね』と迷いつつ月曜日だけ買ふ朝日新聞
美しき星空の下眠りゆくグレコの唄を聴くは幻
ホームレス歌人の記事を他人事(ひとごと)のやうに読めども涙零(こぼ)しぬ
胸を病み医療保護受けドヤ街の棺(ひつぎ)のやうな一室に居る
温かき缶コーヒーを抱きて寝て覚めれば冷えしコーヒー啜る
雨降れば水槽の底にゐる如く図書館の地下でミステリー読む
上記の歌は、その一部である。
第六章は、<獄中歌人・郷隼人からの手紙>となっていて、ロサンゼルスの獄にいて、公田耕一同様、朝日歌壇にしばしば登場した歌人・郷隼人に触れている。
筆者の書き送った質問に応えた手紙に、郷隼人の思いが如実に語られている。
囚人の己れが<(ホームレス)公田>想いつつ食むHOTMEALを
と、公田耕一を詠んだ歌が朝日歌壇に掲載されたことを、この本で思い出した。
真夜(まよ)独り歌詠む時間(とき)に人間としての尊厳(ディグニティ)戻る独房
死刑囚の緻密に描きし絵の中に太く「生きる」と掛け軸にあり
歌壇で読んだ記憶がある上記の歌も、引用されていた。
「<アメリカ>郷隼人」の歌は、「<ホームレス>公田耕一」よりずっと長期間、朝日歌壇に掲載された。
郷隼人は、罪を犯した後、獄中にあって歌を詠まれた。歌を詠むこと、そして、朝日歌壇に投稿した歌が、採用掲載されることを救いとしてこられたのだろう。
だが、最近、郷隼人の歌も見かけなくなった。その消息は分からない。
二人の歌人には、極限状況にありながら、歌を投稿し続けるという共通項があった。
なぜか私は、こうした逆境の中で、自らと向き合って生きる人に心惹かれる。
かつては、毎日歌壇に掲載の島秋人の歌を追い続けた。彼も死刑囚であった。
その歌歴は長く、のちに『遺愛集』という歌集にまとめられた。
今日は、その歌集を拾い読みした。
ブログを始めて間もない頃、この歌集について詳しく書いたことも思い出した。
大岡信の<折々のうた>(朝日・2006・6・15)には、次の歌が取り上げられている。
この澄めるこころ在るとは識(し)らず来て刑死の明日に迫る夜温(ぬく)し
ごく平凡に生きることもできたはずの人たち。
しかし、公田耕一・郷隼人・島秋人ら3人の歌人は、それぞれに、転落の人生を歩まざるを得なかった。
ただ、三人には救いの歌があった。そして、その歌は、読者の心に不思議な感銘を与えて止まない。