ぶらぶら人生

心の呟き

曼珠沙華を探して

2023-09-20 | 散歩道
 曇り日の午後、久々の散歩に出かけた。
 川沿いに向かうと、真正面に津和野の青野山がかすんで見える。


    



 秋分の日が近づいてきたので、そろそろ曼珠沙華が咲くころではないだろうか? と思いつつ、高津川沿いの道を、川上の方向に向かって歩いた。

 今、道沿いに多いのは、イタドリの花である。

    



 曼珠沙華の盛りには、まだ至っていない。

    



 たまたま完璧に咲いていたクリーム色の曼珠沙華。

    



    薮の中の曼珠沙華。

    



 以下、? のついた花名は、Google lens で調べたもの。

     ワスレグサ ?

    



       フヨウ

 蕾がたくさんついている。花盛りの日が楽しみである。

    



     タイザンボクの蕾 ?

    



      ツルバキア ?

    



    ルリマツリモドキ ?

    




     ミヤギノハギ

    



   チャイニーズ ブルンバーゴ ?

    



 桜並木の小径に咲くタマスダレ。

    



 桜並木の小径に、たちまち増えたイヌタデ。

    



  ササキビ であろうか?

    


 散歩を楽しむには、少々暑すぎた。大気の中に、まだ秋の気配は微塵もない。
 が、今、野にある草花は、秋の気配を感じて咲いたものばかりである。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キクイモの花が咲いた

2023-09-19 | 身辺雑記

 今日、嬉しかったことといえば、昨日は一つしか咲いていなかったキクイモの花が、もう一つ咲き加わったこと!


     




 お隣から、季節の果物・梨をいただいたこと。大きくて立派な形をしている。
 「敬老の祝いに贈ってきた梨」とのこと。
 何処産かは、聞き忘れた。二十世紀梨でないことは確かだけれど。

     



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日が終わる

2023-09-18 | 身辺雑記
 今日の夕食は、重箱膳であった。
 10日は、「じゅうの日」にちなんで、毎月、「重箱」のお膳が運ばれる。
 しかし、今日は、18日。
 ? の気分。
 暦の上では、今日が「敬老の日」らしい。
 カレンダーが、赤い数字になっている。

  施設の「敬老のお祝い膳」は、すでに10日にいただいている。そこで、18日の今日へ、10日の重箱膳が振り替えられたということらしい。

 私自身が90歳にもなってみると、長寿は、決しておめでたいことではないような気がする。
 
 100歳で、現役の薬剤師という方を、テレビが報じていたのを見たけれど、それは非常に特殊な人である。
 むしろ人の助けを借りながら、命ながらえている人の方が、はるかに多いのが現実である。元気そうでも、週に何回か、デイサービスへ出かけられる人も、結構いらっしゃる。
 デイサービスの経験がないので詳しいことは分からないが、幼稚園ならぬ、老人園のような処だろうか。
 私は介護支援を今のところ受けていない。が、決して心身ともに、健康体ではない。
 明日の朝の目覚めがあるだろうか? と、就寝前にはいつも思う。が、今日までのところは、次々と新しい朝がきて、今日まで生きてきただけのことである。明朝のことは分からない。



     夕食膳の飾りもの

    



 夕陽を眺めるのが好きである。
 今日も、美しい落日であった。
 このところ、日ごとに、日没の時間が早くなり、今夕は、夕食膳を配膳車へ返す前に、水平線へと沈み始めた。
 今では、実感の失われつつある言葉だが、まさに、<釣瓶落とし>の日没である。

 落日は刻々と、海上や空の色を変えながら、海の彼方へ沈んでゆく。

 落日のひとときは、私の人生を支えてくれた鬼籍の人たちに、一方的に語りかける時間でもある。

 

    


          ↓

     


          ↓

     



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花と夕焼け

2023-09-17 | 身辺雑記

 Tさんが、夕方の散歩で摘み取ってこられた花を裾分けをしてくださった。
 しっかり水揚げをして、花瓶に挿す。


  キクイモ・センニンソウ・イヌタデ

     


    
       センニンソウ

    


        イヌタデ

    



 夕食後、ルーフバルコニーから眺めた夕焼け。静かだが激しく燃えて。
 刻々と変化しつつ、宵の闇へ。

    




    




    


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝露の小径

2023-09-17 | 散歩道


 気温が30℃に上がる前に歩いてこようと、
朝の散歩に出かけた。
 久しぶりに、桜並木の小径を歩く。
 朝露が靴を汚す。が、それよりも、歩いていることに心が弾む。部屋に籠りっきりの生活では、どうしても、精神的にはよくない。


     桜並木の小径

    


 カラスウリが、緑の実をつけていた。
 (下の写真)
 ただ、アケビは記憶している位置に見えなかった。(が、私の見方が悪かっただけで、夕方、散歩されたTさんから、アケビは健在だが、色づきの気配は感じられないし、その実はまだ小さいままだったと、教えてくださった。)


     カラスウリの実

    

 

 葛の花は、以前どおりで、花数は増えていなかった。見た位置に咲いていたものだけであった。期待外れである。


   



 ただ今、小径は、ツユクサの最盛期

 ツユクサの里、と名づけてもいいほど、たくさんのツユクサが、露をおびて咲いている。
 
    


          ↓

    



 ツユクサに混じって、イヌタデも咲いていたが、まだ威勢の乏しい。

    



 桜並木の小径をそれて、大塚神社通りを歩く。

 人家のそばには、アサガオが咲いていた。

    


  フウセンカズラの花と実にも出会う。

    


     フウセンカズラの花

    



   ツバキの実も、色美しく。

    



 殺風景だったソテツの今は、見事な風姿。

    




        ニラバナ

    



 [追補]

 桜並木の小径で、初めて目にした花。
 Google lensによると、
 キクノハアオイ (?)


    




  施設前の花壇に咲くアベリア。





コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心もの憂く

2023-09-16 | 身辺雑記


 美しい朝陽を眺めてスタートした今日であったが、なんとなく心が鬱しがちな一日であった。


   



 自室から海の方を望むと、松枯れが進み、景観が損なわれている。

    



 廊下に出て、海側を眺めても、枯れた松が目立つ。
 取り除くことも、大変な作業なのだろう。

 小学校の低学年のころ、江津市の嘉久志というところで過ごした。その海岸の松林は、実に見事だったように記憶している。
 私自身が幼くて、眼にするものが、実物以上に立派に見えたのかもしれないけれど。
 
 借家住まいだったので、4年間に3度転居した。
 初めは国道沿いの家だった。長じたのちも、松江方面へゆくときなど、幾度か昔の家を懐かしんだものである。
 しかし、後の二箇所、松林のある海辺近くの借家と、山陰本線の線路脇にあった家とが、今も健在であるかどうか分からない。
 ただ大塚の松林を眺めるとき、幼い日の記憶として存在する堂々とした松林が、思い出としてよぎるのはしばしばである。
 海岸線に並行して植えられた長く続く林であった。


    



 施設の生活が7年目になる。
 入室当初、机の引出しに入れたもので、一度も手に触れたことのないものがある。一旦整理しておこうと、すっかり忘れていたものもある。
 今日は引出しの整理整頓日。
 画帳が3冊も出てきた。
 すっかり忘れていた。
 1982年ころ、何かのはずみで描いてみたらしい。
 アケビや好物のイチジクを描いたものもあった。


 昔のスケッチ(アケビ)

    


 この絵には、10月12日の日付けが付されている。
 桜並木のアケビも、色づき始めるころなのかもしれない、と改めて思う。


  
 イチジクは、かなり貧相である。
 ありのままを描いたのか、描き損ないなのか、よく分からない。






 画帳には、たくさんの余白が残っている。
 時には、下手なスケッチを楽しもうと思っている。
 早速、目の前のワレモコウをスケッチしてみた。

    



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久々の散歩

2023-09-15 | 散歩道


 朝から雲が低く、終日、曇り日であった。
 時折、小雨も降ったらしい。


    



 施設では、毎日が、部屋に籠りっきりの生活である。格別の猛暑続きで、外歩きはできず、心は、少々鬱しがちであった。

 今日は、午後になっても、幾分凌ぎやすかった。
 久々に、戸外へ出てみた。
 

 相変わらず雲が低く、青空はない。


     河口からの眺め。

    



  鴨島大橋の方向を見ても、高い山並は見えない。

    



 トベラの実が、大きく膨らんできた。そのうち弾けて、赤い粒々の実が現れるだろう。

    


 
 ブタナは春の花かと思っていたが、この時期にも咲いていた。
 この花は外来種。
 私の生まれた1933年に入ってきたと知っただけで、格別、親しみを覚えている。


    



  ヘクソカズラの花期は長く、施設の北寄りの一角に、群がって咲いている。

    




 先日来、4階の相談室近くの窓から、2階の花壇に咲いている花を眺めている。
 あの花は、 リナリア であろうか? と思いながら。


    
    
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨の日の帰宅

2023-09-14 | 身辺雑記

 自室からの早朝の眺め。
 空の大半を重い雲が占めている。
 わずかに、夜明けを示す太陽光が眺められるのみ。

  



 雨降るなかの日帰り帰宅。

 雨の止み間に、庭に出てみた。
 季節の移ろいを感じさせてくれたのは、タマスダレの花。

     



 季節外れのシモツケの花。

     


 
 木々の葉は、水滴をとどめて。


    モミジの葉

     



    ジューンベリーの葉

     


 4時半、タクシーに乗り込むと同時に、篠突く雨となった。窓からの風景が全く見えなくなるほど。その勢いは15分でしずまり、ほっとする。あの調子が一時間も続けば、なんらかの被害が出たはず。

 今日の雨で、少しでも凌ぎやすくなってくれるとありがたい。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝の空の月と星

2023-09-13 | 身辺雑記
 早朝の空に、月と星を見る。
 スマホのカメラで撮った月は、まんまるく見えるが、下弦の月であった。さらに上空には、一つだけ輝いている星もあった。


    




    



 午後は、施設の玄関に、ローソンの簡易なお店が設けられ、日用品など求めることができて助かった。
 トイレットペーパーやティッシュペーパーのほか、糊やフリクションの替え芯を求めることができたのが、ありがたい。
 おやつに類するものも買ってみる。

 98歳の方は、幾種類ものパンを買っておられた。施設の食事も完食すると言っておられる。長寿の秘訣は、食にあり! ということなのかもしれない。私も、もう少し食べられるといいのだが。


 今日は、辰濃和男の『私の好きな悪字』(岩波現代文庫)を読み始める。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月12日

2023-09-12 | 身辺雑記
  
   今日の朝陽と夕陽と河口風景。

 朝も夕べも、空が朱赤色に燃える日であった。

    



  夕食後、南廊下のルーフバルコニーに立って、刻々と沈む夕陽を眺める。

    




   同時刻の、河口の穏やかな夕べ。







    




      ワレモコウ
    新たに一枝もらって。

    



     その花と蕾と葉

    



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『平穏死という生き方』

2023-09-12 | 身辺雑記
 
       石飛幸三 著
    『平穏死という生き方』


    


 施設の移動図書館から借りてきて、読んだ本。
 最晩年をどう生きるかについて論じられている本は、以前にも読んだ気がする。
 母に次いで父が他界した後のことだった。
 まだ過剰な延命処置が一般的であった時代であった。
 私が尊厳死協会に入会したのも、その過剰な延命治療はしてほしくないという意思表示であった。

 この本に書かれているような「平穏死」のあり方は、平成の終わり頃からは、かなり一般的になりつつあるのでは? と感じている。
 ただ、この本では、各自が、悔いなく逝くためには「入舞」(人生最後の生き方)を準備することの大切さが説かれている。
 最後まで明るく、自分を生きる。自立した人生の最終章を送ること。
 心がけで、それがどこまで可能かどうか、その点は不明だが、かくありたいという願いだけはもって、老いの日々を過ごすように努めたい。
 平穏死を念じて。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『極上の人生』

2023-09-11 | 身辺雑記
       辰濃和男 著
     『極上の人生』
            人生を楽しむ四つの美学


    



 一章 ただ一心に  無心の美学
 二章 今を楽しんで ゆとりの美学
 三章 のんびり、ぶらぶらと 懶さの美学
 四章 全身で命を感じる 隠りの美学

 特に三章の、画家・熊谷守一の生き方、詩人・村上護の生き方に触れて書かれた文章が心に沁みた。
 熊谷守一は好きで、上京の折、その美術館を訪れたこともある。
 
 せかせかせずに、ぼやっとして生きるのは、やさしそうで、案外むずかしい。
 私自身、老いてなお、何かに追われるように、心忙しく生きている。
 考えてみると、なんだか愚かしくなってきた。
 ぼやっとして生きていることのなかから、見えてくるものは、もっと豊かな世界かもしれないと思う。
 〇〇をしながら、また別の〇〇をしている生活が多い。ガチャガチャと何かしていないと、怠けているような感覚が身についてしまっている。

 それが果たして極上の生き方であるのか? と、この本を読みつつ考えた。
 
  
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久々のグラントワ

2023-09-10 | 身辺雑記
 久しぶりにグラントワへ行き、『松竹大歌舞伎』を見る。
 演目は、『土屋主税』と『汐汲』。
 日本固有の古典芸能の世界に浸りつつ、非日常のひと時を過ごす。

 開演までにかなりの時間があり、一緒に出かけたTさんOさんと、廊下に活けられた花を眺めたり、椅子にかけて、雑談をして過ごす。

    



   大きな花瓶に活けられた花々






  Google lens で調べてみたが、判断しかねるものが多い。


     ユウゼンギク ?

    


    
  クルクマエメラルドチョコゼブラ
    (和名・ハルウコン)

 和名なら覚えられそうだが……。

    




 帰途、ショッピングセンターまで歩く。
 途中、足を止めて眺めた花々。


      ハツユキカズラ

    


         ↓

    




     セイヨウニンジンボク

    


         ↓

    




     ヨウシュヤマゴボウ

    


        ↓

    



     ヤブラン ?

    



  インドクワズイモ(インド食わず芋)
    
    




       タマスダレ

    



  アオハダ? (或いは、アオダモ?)

   爽やかな雰囲気の葉と花

    


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

敬老のお祝い日

2023-09-10 | 身辺雑記
 施設では、今日、敬老の日のお祝いがあった。相変わらず、コロナ患者が減らない状況下、祝いの集いはなく、長寿を祝して、記念のお箸が届けられ、昼食には、祝いのお膳が運ばれた。

 4階の最長寿は、98歳がお二人だが、3階や2階には100歳がいらっしゃるようだ。
 長く生きればめでたいということでもないように思う。日々衰えゆく自分自身と付き合うのは、なかなか大変! というのが私の実感である。かといって、どうする術もないのだけれど。
 日本の現状、世界の動向を見ていても、夢があるわけでもなく、また夢を紡ぐ力もなく、あてどなく刹那的に生きるしかない。
 私に可能なことを楽しみながら、ケ-セラ-セラ と、呟きつつ。


   そのお箸と祝い膳。
   

    



    



    




       朝焼けの空

     



   いたずら書きしたような落日

    

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サフランモドキほか

2023-09-08 | 身辺雑記
 今日は、日帰り帰宅し、ひとときを家で過ごした。
 今日あたり、大気のなかに、ひそやかながら秋めくものがあって、ずいぶん凌ぎやすくなった。特に、夏嫌いの私にとっては、ありがたい。

 Tさんから、メールで届いた写真。
     サフランモドキ

 この写真のように、群れて咲いているのは、初めて眺める光景である。
 蕾を見るのも初めて。花よりも、濃い赤紫色をしている。


    



 帰宅したときには蕾だったニラが、昼過ぎには開花した。小さな花だが、清楚で愛らしい。


    


        ↓


    




 キキョウは、前回同様、崖に向かって咲いていた。庭の片隅に、秋が潜んでいる感じである。



    



 前庭のシロシキブ、ムラサキシキブは、ともに、それぞれ実となって。



    





    




 花壇に、また一つ、1センチほどのミニバラが咲いていた。



    



 Amazon へ注文しておいた本2冊(いずれも辰濃和男のエッセイ集)が、届いていた。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする