ぶらぶら人生

心の呟き

久々の雨

2018-08-16 | 身辺雑記
 朝から、天気の崩れそうな空模様であった。
 雨雲が広がって鉛色の空になっているのに、降り出したのは午後になってからであった。
 雨量については、よく分からない。
 窓越しに眺めているかぎり、土砂降りではなさそうだ。
 
 「こんなに雨が降らなくては、品質のいい稲は見込めないそうですよ」
 と、先日乗せてもらったタクシーの運転手が話しておられた。
 稲に限らず植物にとっては、空からの雨が必要らしい。美味しい野菜が育たないのも、降雨不足が原因だろう。
  人間にとっても、慈雨は待たれる。猛暑をひとまず鎮めてほしい。

 ニュースによると、今日も地域によっては、要警戒の大降りしをているところもあるという。

        
            朝6時20分の空

 本を読み、数独をするだけでは、日々が単調である。(熱中症を恐れ、気分転換の散歩に出かけられないのが残念。)

 今日は、『天声人語』の書き写しをした。
 コラムニストの文章や文体から、教えられることはたくさんある。
 (記事をノートに貼り付けたまま、しばらく書くことを怠ってきた。が、書いてみると、思いのほか楽しい作業であった。)

終戦記念日

2018-08-15 | 身辺雑記
 一年に一度訪れる八月十五日。
 戦争という馬鹿げたことで、不幸を招くことのないよう、誰もが自覚する日となれば、今日という日が、意義深いものとなるだろう。
 戦争の犠牲者は、戦没者やその遺族、広島や長崎の被爆者だけではない。無辜の民の命がどれだけ失われたことか。生き残りはしたものの浮浪者となった多くの子どもたちの、無残な辛さや悲しみをも戦争は残した。
 人間の歴史を思い返すと、遠い昔から、古今東西を問わず、無為な戦いがどれだけ繰り返されたことか!
 気づけば、戦争に巻き込まれているというような、過去の世代が経験したような悲しみが、繰り返されないように!
 一人一人が自覚し合えば、終戦記念日の意義が深まるだろう、と式典を見ながら思う。


      ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 私生活の面では、少々疲れを感じる日であった。
 今回持参した斎藤孝著『声に出して読みたい日本語 2』を読む。
 この本には、朗読にふさわしい各種の文章が載っていて学ぶことも多く、面白い。
 実際に声に出して朗読したり、改めて語句や表現に潜む奥深さを味わったり……。

           

 ついには立ち上がって、『ゴンドラの唄』(吉井勇)、『かなりや』(西條八十)、『あおげば尊し』を歌ったりもした。(YouTubeの曲に合わせて。)

 特に『ゴンドラの唄』については思い出が深い。昔見た映画、黒澤明監督の「生きる」のなかで、主人公を演じる志村喬の歌う場面、特に最終場面の公園でブランコに乗って歌う情景が印象に深く残っている。
 渋い歌声と人生の悲哀が、今でも鮮明に蘇ってくる。

 映画「生きる」を一緒に見、互いに涙目のまま街を歩いた友だちは、大学を出て数年後には故人となった。今までにも、ブログに幾度か書いたが、小、中、高、大学での最も親しかった友人は、皆故人である。しかも、不思議なことに不惑の年に達することなく亡くなっている。一番虚弱であった、しかも能なしの私だけが、生き残っているのは不思議なことである。

 YouTubeでは、森繁久弥と藤圭子の唄を聞いた。森繁久弥の『ゴンドラの唄』は、映画の志村喬と同様に、四つの小節中の一と四だけであった。(藤圭子の場合は、一、二、四の歌詞)
 『ゴンドラの唄』の作詞者が、歌人の吉井勇であることは、今日初めて知った。

 起立して、朗読したり、歌ったりしているうちに、少し元気が出てきた。
 私は、色々な姿勢の中で、起立している姿勢が一番楽なように思う。しゃがむ姿勢が最も苦手、正座も長続きしない。椅子もあまり好きではない。
 私の好みは、起立か横臥! 

開花はいつ?

2018-08-14 | 身辺雑記
ノボタンの蕾の頭に、やっと紫色がのぞいた。
さて、幾日経ったら、開花するだろう?




午前中に、施設に戻る。
数独を解いたり、昨日のブログをまとめたり……。

そして、夕食後、南廊下のルーフバルコニーに出て、
落日と夕空を眺める。
落日とともに、
刻々と移ろう色調を眺めて飽きず。

私は、今日を生きた!


6時53分


6時55分


6時57分


7時

Nさんの通夜

2018-08-13 | 身辺雑記
 墓参を済ませて帰宅すると、エアコンをつけたままにしておいたのに、居間は居心地の悪い熱気となっていた。昨日に続き気温が高い。その上に、西陽が斜めに差し込む部屋なので、午後は異常な暑さとなる。
 洋間のエアコンを入れ、そちらに移動する。
 少し休んだあと、喪服に着替える。N夫人の通夜に出かけるために。

 高津川河畔の葬儀場に出向く。長い付き合いなのに、お名前を知らなかった。故人となられて静子さんであることを知る。名前のとおり心静かな人であった。温情のある人。私のように、地域に馴染めない人間にも心優しかった。
 団地に住むようになっての30余年、一番お世話になったご夫妻である。

 永訣はいつも悲しいけれど、生きている者には避けて通れないことのようだ。
 永訣とは、「またね」のない別れ。
 癌の苦しみから解放され、ゆっくりお休みください、と言うしかない。


 通夜が終わり、帰りのバスに乗ると、夕景のなかに高津大橋が見えた。
 昭和60年代の3年間、目の前の大橋を越え、朝に夕にバスで通勤したことを思い出し、往時を懐かしんだ。

        

 85歳の老体にとっては、あれこれ多忙な一日だったけれど、あまり疲れを感じなかった。疲れは、いつも遅れてやってくるらしい。

墓参

2018-08-13 | 身辺雑記
 甥の車に乗せてもらって、お墓参りをする。
 三保三隅駅で合流することになっている姪を待つ。
 列車の到着まで10分余りある。

 駅前の「鐵道開通記念碑」の傍に立って見た。
 <大正十一年九月一日>と刻まれている。(大正11年は1922年。私の生まれる11年前。)

 記念碑のある一角には、遠い日の思い出がある。
 終戦後のこと。私は昭和20年(1945)、終戦の年に女学校へ入学した。
 戦争が終わると、復員兵や引揚者で、列車が混み始めた。通路だけでなく座席の間に立たねばならないこともあった。
 浜田の女学校に通学する生徒の数は、三保三隅駅で急に増える。三隅以西からの通学生は、4、5人であった。かろうじて乗車し、デッキに立っていた私たちは、三保三隅の生徒が乗車不可能ということになると、西分団長(戦時下の延長で、そんな呼び方をしていた)が、私たちに下車するよう呼びかける。
 通学不可能ということで、<公認欠席>の扱いを受けた。当時の通知表には、<公欠◯◯日>と記されていた。かなりの日数であったように思う。

 下車した私たち数人は、「鐵道開通記念碑」の周囲に置かれた石に腰掛け、家に引き返すため、下りの列車を待った。
 私の記憶では、その待ち時間に、<観世縒り>(かんぜんより、と言っていたが……)の縒り方を友達に教わり、以後上手に縒れるようになった。しかし、この記憶については、いつのころからか、疑問を抱くようになってきた。戦後すぐのころ、<観世縒り>の材料となる紙として何を使ったのだろう? と考えると、記憶が怪しくなるのだ。紙らしい紙など全くなかった戦後である。(代用品を用いたのだろうか? 何が代用品となり得るだろう?)

 今は、観世縒りを日常的に使うことがなくなった。が、私の二、三十代のころは、原稿用紙を閉じたりするのによく使ったものである。観世縒りを縒るときには、12歳の不器用な私が習い覚えた原点を思い出したものである。
         
           

           

 碑の側には、二本の古木が立っている。戦後間もないころにも、この木は立っていたのであろう。
 
 見上げると、それぞれ実をつけている。
 一つは、どんぐりの実のようだ。(下側の写真)

        

        

 思い出には、必ず時代の色がある。

 姪を迎え、5人での墓参となった。
 まず掃除をしてお参りをする。
 格別若いAYAちゃんが、よく働いてくれるので助かる。他の3人も。私だけがのそりと立って、ツクツクホーシの声を聞いている。例年よりツクツクホーシの声が多い。梅雨明けが早く、猛暑続きだったせいだろうか。墓地周囲の山々で、止むこともなく鳴き続けている。法師蝉の声には、夏への挽歌を思わせる寂寥がある。激しく鳴けば鳴くほど、寂しさが増す。
 お墓の周辺にある、木槿の花が咲き残っていた。

 私はまだ此岸にいて、順々に逝ってしまった祖父、母、父、兄を偲ぶ。

        

 帰途、5人で、レストラン<とみ>に行き、昼食をいただく。
 途中、郵便橋へ立ち寄ってもらい、鮎代を高津川漁協に払い込む。
 局前には、大きな向日葵が咲いていた。
        
           

        

 <とみ>からの眺め。
 海も空も美しい。
 施設の自室からは、よほどの悪天候でないかぎり、肉眼で<とみ>が見える。
 それなのに、<とみ>からは施設が見えにくい、と言うと、甥が双眼鏡の焦点を合わせてくれ、私の別荘(!)が、やっと確認できた。(5階の建物だから見えないのがおかしい、と思っていたのだが……。)

        

        

 食事を終えると、街へ出て、<コメダ珈琲店>で語らい、姪をみんなで駅で送り、そのあと家に送ってもらった。(私の今日はこれで終わり、というわけにはいかないのであった。)

8月13日の朝

2018-08-13 | 身辺雑記
ゴミ出しに出かけ、見上げた空(6時)

(今日は墓参ほか、多忙な一日。)






梔子のボケ咲き。しかも、蝕まれて。

トイレは温度計

2018-08-12 | 身辺雑記
 大方の部屋に温度計をおいている。
 が、トイレには備えていない。しかし、トイレは、猛暑を知らせる温度計の役をする。
 高温を察知してくれるのは、トイレの蓋である。平素、蓋は自動で開閉してくれる。体温で人影を察知して蓋を開けてくれるらしい。用を足すと、洗浄して蓋も閉めてくれる。万事自動である。
 が、高温になると、つまり体温を察知しにくい暑さになると、トイレの前で地団駄踏んでも、蓋を開けてはくれない。

 今日は、昼過ぎから、蓋が自動では開かなくなった。
 当地では、今日が、この夏の最高気温だったとか。

「穴蜂」観察

2018-08-11 | 身辺雑記
 <早朝、近所の方の訃報に接した。
 比較的親交のある人なので、昼前、お悔やみに行ってきた。
 65歳での逝去。乳がん治療に続き、リンパへの転移が分かり、闘病の末の死であった。がんは容赦なく人の生命を奪う。
 私が外歩きをしないせいもあるが、最近、姿を見かけないので案じていた。
 5月に入ってから、体調が悪化し、入退院を繰り返しながら最期を迎えられたようだ。>



 暑さのせいか、老いのせいか、無気力な日が続く。しばしば、庭をぼんやりと眺めていることが多い。

 変な虫が3匹、花壇の土の上をあちこち這い回っている。その中の1匹は、既に地面に穴を開け、直径1センチほどの穴に、入ったり出たりしている。
 退治しなくては、と急に元気が沸く。殺虫剤を手に外に出る。土の上をうろつく昆虫に噴射する。と、2匹は蜂に似た羽音をたてて飛び去った。穴のそばの虫は、穴の中に素早く隠れた。

 調べてみると、穴蜂らしい。黒色で、体長3〜5センチという。穴の中で産卵するらしい。攻撃性はないらしく安心する。 

        
             庭を這っている穴蜂

        
             穴の中に向かう穴蜂

                 追記

 翌12日も穴蜂を観察。性懲りも無く、花壇にやってくる。殺虫剤で追っ払い、開けた穴には殺虫剤を吹き込む。開けかけた穴を塞ぐため、小型の鍬で地均しをしておく。それでも、気づかないうちにまたやってきては、穴を開け始める。
 穴蜂と老女の戦い。
 見つけるや、執念深く殺虫剤を吹きかけていたところ、逆に私の方が殺虫剤にやられそうになった。
 私の負け? 追っ払うことをやめて様子を見ることにする。

花の少ない庭

2018-08-10 | 小庭の四季
 昨日の昼過ぎ帰宅した。
 庭を歩くと、かつての熱暑は少々影を潜め、気まぐれに、すーと爽やかな風が吹きすぎる。今なお、「猛暑」「高温注意」のことばを聞かぬ日はないけれど、どこかに秋の子が潜んでいるらしい。

 甲子園では、高校野球の熱戦が続いている。グランドにもスタンドにも若さが弾けている。投げたり、打ったり、走ったりする選手。そのグランドに、トンボがよぎる。アキアカネであろうか。晩夏の風情? と、嬉しくなる。

 庭に出ても、目を楽しませくれる花は少ない。

        
            桔梗はまだ咲き続けている。
              地に倒れながら。

           
          ノボタンは蕾を膨らませてはいるが
          さて、開花はいつになるのだろう?

           
               高砂百合
       前庭には、14、5本の高砂百合が生えていたが、
    家を留守にすることが多く、駆除剤を噴霧することもしなかった。
          そのため、花芽が蝕まれてしまった。
            美しい花の咲くはずがない。
       草取りをしてもらったとき、全部引き抜いてもらった。
        横庭に残されていた1本が、花をつけた。(上の花)

        
              花壇のミニバラ

        
                ランタナ
         蔓延りすぎるので、好きになれない植物。

長崎原爆の日

2018-08-09 | 身辺雑記
 広島に次いで、今日は長崎原爆の日。
 国連会議で、核兵器禁止条約が採択されたが、その実現の道のりは遠い感じだ。長崎や広島の人ばかりでなく、心ある人々はすべて、核兵器の廃絶を願っている。しかし、その実現は容易ではないようだ。
 いつになったら、核兵器のない世界が実現されるのだろう!?
 絶望的な思いの募るなか、ふと魯迅の言葉を思い出した。そして、みんなで歩めば不可能なことではない、諦めてはならないと考えた。

 <もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道なるのだ。> 

         

         
          テレビに映し出された、今日の長崎



         
               (午前の河口)

あれを読んだり、これを読んだり

2018-08-08 | 身辺雑記
            
         牧野信一(1896〜1936)の巻頭写真
          短編小説「爪」「父を売る子」などを読む。

            
              「短歌研究 7月号」
        朝日歌壇の歌を読む調子で、多くの人の歌を読む。
        小説のように、ぴんぴんと心に響く感動が乏しい。

         
          鮎川信夫(1920〜1986)の詩集
        いい詩が多い。戦前戦中を生きた人の魂を感じる。


 日ごろから、エアコン(冷房)が好きではない。が、猛暑続きなので、連日使用し続けた。ついに身体が拒否反応を示し始めた。
 午後から、エアコンの使用をやめる。網戸から風を入れることにした。ところが、風音や波音がうるさい。なかなかうまくゆかない。
 気分も散漫。本も、あれを読んだり、これを読んだり。
 感想を記したいのだが、その意欲乏し!

立秋の朝と夕べ

2018-08-07 | 身辺雑記
 いい朝である。
 今日は、暦の上での「立秋」。
 "秋"という言葉を聞くだけで、少し気持ちが楽になる。

 ここ三日、少々げんなりしている。少し元気を出そうと、毎日、<リポビタン ゴールド>を1本飲む。一瞬覚醒するような気になるけれど、万事能率がよくない。なんだか生きている意味がないような倦怠感をもてあましている。

 そんな私だが、早朝の美しい空(あるいは落日)を眺めているひとときだけは、もったいないような、生きている歓びを覚える。

        
               5時35分

        
               5時36分

        
               5時37分

             早朝の雲も美しい。
        

        


 朝陽の昇る位置も夕陽の沈む位置も南よりに位置を変えている。
 (天文学的に、理屈があっているだろうか?)

 南廊下側のルーフバルコニーから夕陽を眺めた。
 夕風が心地よく、さすが「立秋」と、嬉しくなる。

        
               7時3分

        
               7時4分
      水平線上に、横たわる雲があり、その雲海に沈む気配。

『いのちの初夜』

2018-08-06 | 身辺雑記
 先日来、北條民雄の作品を読み返したいと思っていた。が、施設へ持参していた文庫本は、昭和26年に発行されたもので、紙質が悪く、古びてもいるうえ、文字も小さく読みづらい。そのうち、書店で新本を求めようと考えていた。
 古びた文庫本は、若い日の思い出の書として捨てる気にもならず、書棚の定位置に戻そうとしたとき、一冊の忘れていた本があるのに気づいた。

            
     『日本現代文学全集74』(牧野信一・嘉村礒多・北條民雄集)
          講談社・昭和47年刊(600円)
              箱入りの本である。
* 当時の価格の安さ! 給料も安かったのだろうな、などと余分なことも考えた。

この本を持参し、今日、北條民雄の『いのちの初夜』を読み直した。

         
           北條民雄の自筆も載っている。

 『いのちの初夜』は、北條民雄(1914〜1937)の短い生涯の、初期に書かれて注目された小説である。癩病が発症し、全生園に入院した日の、最初の夜を描いた重い作品である。
 癩病については、子供のころから怖い病ということは知っていたが、悲惨な病状の具体を知ったのは、20歳のころ、この小説を読んでからであった。
 北條民雄が全生園に入院したころの病状は、眉毛が薄くなるなどの初期症状ではあった。が、その自らが癩病に侵された状況を知ったときの絶望感が、いかほどのものであったかは想像に難くない。
 人間であって人間の形状を失うばかりでなく、精神も完全に蝕まれてしまう。それでも、人間として生き続けられるのか。北條民雄は幾度か自殺を試みようとするが、実行できない。全生園に入院したその日にも、園内を歩きながら、縊死するための枝ぶりをおのずと検討したりしている。それでも、生命を絶つ決意は容易なことではない。
 最初の夜、北條民雄が見た共同の寝室部屋の光景は凄まじい。人間の形を失った人や失いかけた人たち。それも一様ではない。それらの人が発する異様な声。そして、化膿の放つ異臭など。

 北條民雄の癩発病は、私の生まれた年(昭和8年)である。今のように癩病に効く薬もなく、隔離病院はあっても、患者の人権が尊重される時代でもなかった。その絶望の深さは想像にあまりある。
 この小説の主な登場人物は、北條民雄を思わせる尾田と、すでに癩病で片眼を失っている佐柄木である。佐柄木は重篤の患者の面倒を見つつ、暗い灯火の下で小説を書いているのだ。
 凄絶な世界である。

 川端康成にその才能を見出され、短い人生を創作に励むことができた北條民雄は、不幸のなかにも微かな光明を見ることができたのかもしれない。
 23歳での夭逝の原因は、癩病ではなく腸結核であった。

広島原爆の日

2018-08-06 | 身辺雑記
 平和な世界を創るのも、戦争の悲劇を生むのも、人間である。広島の原爆の日に、ごく当たり前のことを自覚する。
 私の余生は残り少ないが、未来永劫、広島や長崎の悲劇が繰り返されることがないように! とにかく争い事のない人の世を念ずるばかり。

 今朝は山の端から昇る朝日は見られなかった。が、6時過ぎ、雲間からお日さまが顔を出した。

        

8月5日の落日

2018-08-05 | 身辺雑記
 落日の時刻をスマホで確かめると、一日にほぼ一分ずつ時間が早くなっている。太陽は、沈む位置を少しずつ南の水平線に移動しながら。
 夏至のころに比べると、ずいぶん日暮れが早くなった。
 落陽の輝きも弱まり始めた感じがする。
 相変わらず猛暑は続いているけれど。

        
                6時58分

        
                7月2分