ぶらぶら人生

心の呟き

今夕の月 

2024-09-11 | 身辺雑記



 昼間の風景を眺めて、今日も、<🟦=青の日>だと思う。遮るものの少ない施設の4階で暮らしていると、青色に包まれている感じである。
 連日、猛暑らしいが、クーラーの効いた部屋にこもっていると、暑さの程度は分かりにくい。

 Tさんから、お月さまが出ていると電話があったので、自室のベランダに出てみる。
 少々南よりの空で、身を乗り出さないと見えにくい。そこで、南廊下へ行ってみた。
 換気のためだろうか、ルーフバルコニーへ出るドアが開いていたので、バルコニーへ出てみる。
 宵となっても、相変わらず、むっとした暑さである。

 今宵の月を眺める。
 確か、一週間先が満月のはずである。
 今日の月は、半月より少し膨らんだメロン型である。


     ルーフバルコニーより

     





     自室のベランダより

    



 空には薄明が残っている。が、地上は黄昏色である。

  
    



 
       川側の黄昏


    



    

 五木寛之の金沢を描いたエッセイを注文したつもりだったのに、届いた本は、金沢を舞台にした短編小説集だった。 
 「金沢あかり坂」「浅の川暮色」「聖者が街へやってきた」「小立野刑務所裏」の4編を読んだ。



     

 


 老女となったせいか、小説よりエッセイがはるかに面白いし、読みごたえがあると感じる。


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『百人一句』

2024-09-06 | 身辺雑記





 高橋睦郎著『百人一句』を読んだ。
 自宅の書棚から持参していた本である。

 俳句の歴史は、短歌に比べれば、ずいぶん短いが、それでも現在に至るまでの俳人のなかから、100人を選び、それぞれの代表作をとりあげるのは、大変な作業だったと思う。

 正岡子規以後の俳人であれば、名前と人口に膾炙した句なら知っている。が、古いところでは、芭蕉や蕪村、一茶程度の知識しかなかった。
 この本で、その他大勢の俳人や句に出会うことができた。

 瑣末なことだが、原石鼎の生まれが、島根県とは知らなかった。しかも、私の母の生まれ故郷である、出雲の塩冶出身と知って、改めて親近感をおぼえた。

 百人の俳人については、掲句のほかに数句がプラスして紹介されており、一冊を読了することで、ずいぶんたくさんの俳句鑑賞を楽しむことができた。


     




 俳句や短歌で、自己表現ができたらいいなと思うけれど、私は、その才に恵まれていないようだ。
 駄文であっても、文章なら書いてみようという気になれるけれど……。



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光の道 その他

2024-09-05 | 身辺雑記



 今日も、落日を眺めるため、夕食膳を配膳車に返すと、スマホを手に廊下へ出た。
 日没の太陽が、海上に赤い光の直線を象っていた。
 赤い光の道は、できる日とできない日がある。そして、できる日よりできない日の方が、はるかに多い。
 その原因が、よく分からない。  
 ネットで少々調べてはみたが、納得できる説明は得られなかった。

 

     


  (赤い光の道を拡大してみた。)



     




     




     山側に昇る朝陽。

 (夕陽に比べれば、朝陽ははるかにおとなしい。)

     



       山側の夕空。

     




 [追記]
 外出禁止の今、カロリー計算された3食の食事はきちんといただいているのだが、なんとなく口が寂しい。
 思いは、他室の人も同じである。
 施設の方にお願いして、卵や果物(いちじく、みかん、なし等)を買ってきていただいた。もちろん、買い出しの費用を負担して。
 欲しいものが、手元にあるだけで、不思議なほど心が豊かになる。
    
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快晴の日の落日

2024-09-04 | 身辺雑記



    9月4日 完璧すぎる落日

     

       18時30分


      

                   18時33分

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『こころは今日も旅をする』

2024-09-04 | 身辺雑記



 <ラジオ深夜便>という放送があることは知っているが、それを聞いたことはない。
 眠剤を飲んでベッドに入るので、深夜になっても眠れず、ラジオでも聞こうか、と思ったことがない。
 ただ、施設の巡回図書に、毎月、その冊子があることを知って、気楽にページを繰るようになった。
 特別構えなくても、気楽に読めるエッセイが並んでいる。
 ごく最近、8月号と9月号を読んだ。


     



     

 

 五木寛之は、かつてから、ラジオ深夜便との関わりが深いらしい。上掲の雑誌でも、氏のエッセイを読んだ。
 その直後、『こころは 今日も 旅をする』の出版されたことを知り、早速、Amazon へ注文した。

     
      五木寛之 著

  『こころは 今日も 
旅をする』



      



 私より5か月早い生まれの五木さんとは同学年である。(最近のブログに書いた、作家・黒井千次さんも同学年。)
  91歳を過ぎて、今なお生きている身にとっては、同世代の人々が、老いてなおどんな作品を書いておられるか、また、その日々を、どのように生きておられるかについては、強い関心がある。


 しかし、この本は、老いに焦点を当てて書かれた本ではない。ただ、近年のエッセイであれば、老境にある身の、生活の現状や心境が、おのずとみえてくるに違いない。そうですよね、と頷けるところが必ずあるだろう、そんな思いで、読んだ。
 <国民学校>を卒業した、と書いてあるのを眼にし、私も同じく<国民学校>の卒業生であり、お互いに、戦時下という特殊な時代を生きてきたのだと納得する。

 いつも矍鑠としておられる作家だが、<髪の量が減った>と、この本には記されていた。さもありなん、と思う。90歳を過ぎてなお、髪がふさふさというのは、かえって不自然かもしれない。

 全く気張ったところのないエッセイ集を読み終え、さらに、末永い活躍を念じている。
 世界の、そして日本の、最高齢作家は誰なのかしら? と思案しつつ……。

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8月に続いて外出禁止

2024-09-03 | 身辺雑記



 とりあえず2週間、ということになっているが、9月に入っても、外出禁止の日が続いている。
 3階にコロナの罹患者が出て、階を跨ぐ移動も、11時半からの、自由参加のテレビ体操も中止。
 自由を禁止される生活は、幼い日の、戦時下の生活を思い出させる。
 たまには帰宅して、共同生活から解放され、時間にとらわれない日を過ごしたいと思う。が、その願いは、今のところ叶えられそうにない。
 毎月、第2週の金曜日に開かれる<ローソンの日>も、中止されるらしい。施設にいて買い物できるのは、入居者にとっての楽しみとなっているのだが……。


 自室前廊下で、5号室のTさんと眺めた、今夕の落日と夕焼けの空。
 眩しさのない落日は、幼いころ、画才の乏しい私が、クレヨンで描いた絵のようだ。
    
     



 午後、コロナに罹患していないか、綿棒を鼻孔に差し込んでの検査があった。
 結果は異常なしであった。が、どうも、苦手な検査である。
 しばらくの間、目がショボショボするし、鼻の奥に痛みが残る。


 [追記}ひと月に一回、美容室で、髪をカットしてもらっている。
 が、外出禁止の今は、それがかなわない。予定日から、20日が過ぎ、さすがに鬱陶しくなってきた。そこで、洗髪後、自分でカットを試みた。時々、合わせ鏡で、出来具合を確かめながら……。(自己評価は、70点くらい。)

 父母の晩年には、散髪専用のハサミを求め、私がカットしていた。しかし、自分の髪を自分でカットするのは、今回が初めてのことである。

 
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河口の水面に

2024-09-02 | 身辺雑記




 今朝、廊下のブラインドを開けているとき、川面に、白鳥らしきものがいるのに気づいた。
 間違いなく、二羽の白鳥である。
 これからしばらく、河口を住処にしてくれると嬉しいのだが……。


     




     



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台風一過・秋晴れの一日

2024-09-01 | 身辺雑記




     


 当地では、台風10号の影響少なく、晴れやかな9月となる。
 ただ、熱暑は続き、秋めく気配は、全くない。
 施設では、外出禁止の8月に続いて、9月も、差し当たり2週間は、外出禁止の上に、階を跨ぐ移動も禁じられ、窮屈なことになった。
 全てはコロナ対策!
 老いの日々をコロナにいじめられている。
 会いたいという人に会うこともできない。
 老いの身は、大事にされる一方で、体力や覇気の喪失に繋がる日々を余儀なくされている。
 施設では、個より全体が重んじられる。集団生活とは、そういうものだと理解はしつつ、わがままな私は、内心晴れやかでない。



 9月のスタート日の今日は、朝陽・夕陽ともに美しかった。


     

 
 (自室・右窓の真正面の山から昇る。)



     



  (自室前の廊下から、今日の落日を眺める。)
 
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台風10号接近中

2024-08-28 | 身辺雑記



 台風の接近により、夕方の空模様が怪しくなった。それでも、重い雲の隙間から、落日は、海上に光を送ってはいる。
 進路予想では、当地にも影響のありそうな気配である。が、大雨にならぬよう願っている。自宅の方は、<絶対の安全地帯>とは言えないので……。


    




    




 朝、Tさんと階下に降りてみた。
 小さな花畑の、草花の様子を見るために。
 懐かしい草花3種。

    




     




     




  ★  庭に降りる、最後の機会となった。
    直後に、階を跨ぐ移動が禁止となっ
    てしまった。
    行動の規制は、心の規制でもある。

     
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漢字についてのエッセイ

2024-08-26 | 身辺雑記



 辰野和男の本を、家から2冊持参している。
 今日は、その一冊『私の好きな悪字』を読了。

 私が下手に説明するより、森本哲郎の解説の一部を引用して紹介した方がよさそうだ。

 「粗雑・雑音の「雑」は嫌われるが、雑木林・雑貨屋・雑記帳には、なつかしい味がある。雑・懶・迷・忘・愚・落・老など歓迎されない漢字を著者は「悪字」と名付け、その価値を再発見する。漢字の一つ一つから織りなされる深い思索とともに、時代に流されないやわらかな生き方を指南するエッセイ集。 
 『漢字の楽しみ方  悪字の数々を弁護する』を改題。」




    


 一つ一つの漢字は、それぞれ深い意味や味わいを持っている。この本を読むことで、一個の漢字が持つ、その意味や味わい深さを、改めて、存分楽しむことができた。
 作者は、朝日新聞の『天声人語』を、1975年から88年にかけて担当された方でもある。
 『天声人語』は、603字(原稿用紙一枚半ばかり)という限られた字数のコラムである。
 私自身、その当時の『天声人語』も読んでいたが、確かな筆力で、味わい深い文章であった。

 この本は、購入当時(2002年)に一度読んでおり、今回は再読である。それにもかかわらず、改めて、漢字一字の持つ奥深さを味わいながら、ページを楽しんで繰ることができた。

 机上には、いつも電子辞書を置いている。
 それを利用して、日々、絶え間なく、言葉の真の意味や味わいを深めている。
 老いつつも、今のところ、眼も指先も、自在に活躍してくれているのを、心から、ありがたいことだと思っている。

 
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8月25日の夕空

2024-08-25 | 身辺雑記


 ひととき雷鳴が轟いて、一雨あったが、土地や大気が潤うほどの量ではなかった。
 が、その一雨があったせいか、今夕の落日は格別美しく、海面に鮮明な光の道を留めつつ、雲の中へ沈んでいった。

    




 落日後の空を眺め続けていると、羽田行きの飛行機が、私の耳には音も届かぬ高い空の彼方を飛び去っていった。


    


 時間はたっぷりあるのに、無為の一日。
 昼前、Tさんと、1階から5階までの階段を2往復する運動? をした以外は、部屋に籠りっきりの生活である。
 このことを成し遂げたという実績のない時間を過ごした。

 あと一週間! (の辛抱で、不自由千万な生活に終止符が打たれればいいのだが……。)

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八月の満月

2024-08-20 | 身辺雑記



 八月の満月を、部屋のベランダに出て眺めた。
 満月は、山の端を離れるにつれて輝きを増し、9時半近くには、夜空の雲まで明るく染めていた。
 (スマホで撮った、私の写真としては上出来! と、満足している。)


     




 今夕、施設前にある小さな花壇の草取りを手伝った。ついでに、日ごと、4階の、廊下の窓から見下ろしている百日紅の花を、直接眺めた。
 ピンク色の花である。
 (家の庭にある、至極平凡な百日紅も、花をつけているだろうな、と思いつつ。)


    



 日の暮れが早くなった。
 辺りは、たちまち黄昏の気配となり、上空だけに明るさの残る光景となった。

    


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津田医院へ

2024-08-19 | 身辺雑記



 8月になって、初めての外出。
 津田医院へ行き、検診を受けた。
 家の方には、確か3日分の薬があるはずだが、施設へ持参している薬は、昨日でなくなった。そこで、今朝は薬を飲まずに病院へ行ったせいか、血圧が189と高く、驚いた。でも、低すぎるときのような違和感や不安はない。
 先月受けた血液検査の結果表も、今日いただいた。
 項目別に、LやHがやたらに多い。半年前の検査では、まずまずの結果だったのに、どうしてこういう結果になるのか、よくわからない。
 「90歳とは、とても思えませんから」と、先生は、励まして下さったが、見かけは達者そうでも、体の中は、かなり弱っているらしい。

 今は、自在に買い物もできない。タクシーの運転手・Sさんは、よく知っている方なので、
 「僕が買ってきましょうか」
と言って下さった。が、荷物を抱えて、施設の事務室前を通る勇気もなく諦める。
 3食は施設の食事をいただいているけれど、果物やお菓子など、美味しいものが食べたくなる。
 <無い無い尽くし>は、どこか昔(戦中戦後)に似ている。
 窮屈千万!

 幼い日々は、戦中戦後の不自由に耐え、老いの日々は、コロナ禍で自由を奪われている。私だけではないのだが……。


 待合室に、鬼灯(ホオズキ)があった。鉢植えされたものであろうか。
 初夏の散歩道で、イヌホウズキは見かけたが、本物には会わなかった。
 花屋さんには、この夏、置いてあっただろうか? 鬼灯は、妙に懐かしい
 来夏まで命があれば、ホオズキを買って、机上に置いて眺めていたい。


    



 待合室の窓辺にあったカエルの置物。
 親蛙・子蛙のいろいろ。


    




    



    水槽で遊ぶ熱帯魚。

    




 以下は、廊下と自室の窓から眺めた夕景。

    




    




    


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秋の昆虫に出逢う

2024-08-10 | 散歩道


 猛暑続きのなか、心弾まぬ日々がすぎてゆく。外出禁止中なので、家へ帰って気分転換をはかることまもかなわず。
 自分で自分を楽しませるしか方法はないのだが、そんな努力も面倒になってきた。
 一瞬、心を和ませてくれたのは、夜明けの光景。

    5時30分 日の出の気配

  



     5時39分 日の出

     



 早朝の窓(廊下)に、薄緑色の虫が止まっている。地面から4階の窓まで飛んでくるとは!
 キリギリスであろうか? (あるいはバッタ?)

 [追記 イナゴのようにも見える、とRemさんからコメントをいただきました。そういえば、イナゴにも似ているな……?]

 秋だなと、と思いつつ眺める。

     


 4階に暮らしていては、初秋の夜の風情とも、無縁である。
 スズムシなども、鳴いているのであろう。
 京都の鈴虫寺(妙徳寺)で、鈴虫の声を聞きながら、説教を聞いた日を思い出す。話の内容は、全く覚えていないけれど。
 友達に鈴虫をもらって一夏楽しんだこともある。しかし、鈴虫の末路は哀れで、再び飼いたいとは思わなかった。
 家の周囲も、コンクリートが多くなって、草むらにすだく虫の声を聞くことが少なくなった。
 それでも、外出禁止が解かれたら、早速帰宅して自然のなかに身を置いてみたい。


     19時 落日の景

    



     真正面の高山や小島

    

      
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『四季の雑草図鑑』

2024-08-06 | 身辺雑記



 8月2日のブログに載せた『雑草先生の短歌教室』(作者・稲垣栄洋)が、とても楽しく読める本であった。そこで、その作者の専門分野の本である下掲の本
   
    『四季の雑草図鑑』

 を求め、早速読んだ。
 草花の写真入りの紹介が、素人にも分かりやすく説明してあり、折に触れて開きたくなる本である。取り出しやすい机上に立てておいて、参考にしたい。


    



 施設では8月いっぱい外出が禁じられているし、それがなくても、今年の猛暑は格別で、草花を楽しみつつの散歩などできそうにもない。
 ツユクサも、ムラサキゴテンの花も、きっと咲いているだろうな、と想像で楽しむだけである。


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