ぶらぶら人生

心の呟き

この冬の椿 10 (福岡で)

2007-01-31 | 旅日記
 1月24日の朝、福岡の筥崎宮からホテルに引き返し、観光タクシーに乗った。
 福岡での午前中の過ごし方については、無計画であった。
 人任せに回った、付録の旅の印象は希薄である。幾枚かの写真を眺め、地図を広げて考えても、これはどこなのかしら? と、自分の立ち寄ったところなのに、よく分からない。気のいい運転手さんにいざなわれるままに、実にのんびりした3時間だったのだが……。

 したがって、この美しい椿に、どこで出会ったのか、よく分からない。
 櫛田神社に向かう途中だったように思うのだが。
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朝の散歩 筥崎宮へ

2007-01-31 | 旅日記
 昨日今日と、気分がだれている。
 昨日は、一月の中でも最も散歩に適した快晴の朝だったはずなのに、さっさと起き上がれなかった。前夜、集金常会から帰るとき、冬の夜空に10日の月が冴え、星も清らかに輝いていた。明朝は絶好の散歩日和だろう、と思い、散歩を楽しみにしていたはずなのに起き出せなかったのだ。
 どうせ今日は草花舎へお食事に行く予定だから、そのときに回り道をして、朝の埋め合わせをすればいい、などと言い訳をして。
 昼過ぎ、草花舎からの帰り、ずいぶん遠回りをして帰ったので、運動量としては十分である。ただ、早起きの習慣が崩れそうな気配である。夜明けが遅すぎるからいけないのだ、などと理由にならない理由で、誤魔化そうとしてみたりするけれど、実際は、怠け癖が頭をもたげているのである。
 今朝は、散歩に出かけはした。しかし、9時前。これでは早朝の散歩とは言い難い。
 
 起き出せなかったことで、新聞を読みながら、7時台のニュースをすべて聞いた。
 福岡ソフトバンクホークスが、筥崎宮に必勝祈願のお参りに出かけたことを報じていた。

 筥崎宮、そこへは私も、先日お参りしてきたばかりである。
 福岡のホテルが、筥崎宮に近かったので、朝の散歩をかねてお参りしてきたのだ。1月24日の朝。
 筥崎宮(923年、創建)は、宇佐、石清水と共に、日本三大八幡宮に数えられ、その名はよく聞いているのに、今までお参りする機会がなかった。
 予備知識なしに出かけたのだが、やはり<三大>と言われるだけあって、立派なお宮であった。
 テレビで、1月3日のお祭「玉せせり」(「玉取祭」)で、男たちが裸姿になり、勢い水を浴びながら、玉(重さ、8キロ)を奪い合う勇壮な祭の風景を眺めたことはあるけれど、画面では距離感や空間の広がりが分かりにくい
 実際その地を訪れてみると、参道は長く、境内も広い。
 拝殿には、朝早くからお祈りをしている若い男女(二人は他人)がいた。実に長い時間、手を合わせていた。何を祈願していたのだろう?
 私は、今日一日の無事を祈るだけ。後はひたすら無我の境を静かに生きたいと念じるのみ。

 筥崎宮では、秋には、「放生会」(一般には、「ほうじょうえ」と読むが、筥崎宮では伝統的に「ほうじょうや」という由)で、賑わうらしい。
 「放生会」は、<命を尊び海の幸山の幸に感謝する祭>(フリー百科事典「ウィキペディア」より)らしい。「~会(え)」とあるから、仏教に縁がありそうな気がする。
 別な解説には、<生きとし生けるものの命の大切さ見つめ直し、殺生を控えようという趣旨の仏教系の神事で、千年の歴史を持つ>ともあった。
 
 この季節には、花庭園に冬牡丹が咲いていたらしい。
 事前の調べをせずに出かけたので、見落としたものが色々あった。
 福岡は近いから、とは思うものの、今まで出かけた回数も知れている。余生を考えれば、そうしばしば出かける機会はないかもしれない。が、そのチャンスがあれば、もう一度筥崎宮を訪れ、文化的に価値のあるものなど、じっくり見たり、花庭園を楽しんだりしたいものだ。 
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「若冲と江戸絵画」展

2007-01-30 | 旅日記

 あれは何時のことだったかしら? と、ブログの目次を繰っていたら、昨年の7月15日の記事に、伊藤若冲の「薔薇に鸚鵡」という絵について書いていることが分かった。
 友人の車で、峠を越えて、山口から萩に行ったのは、13日のことだったようだ。
 山口県立萩美術館では、その折、「浮世絵に見る風雅と風俗」展が行われていて、その中の一点、「薔薇に鸚鵡」を観、伊藤若冲という画家に興味を持ったのだった。

 その後急に、若冲の絵が、画集やテレビを通して身近なものになってきた。
 今回の展覧会については、NHKの新日曜美術館で、昨年、知った。
 東京の国立博物館で開催中に放映されたのだから、かなり前のことだ。
 東京から京都での開催を経て、九州にやってきたのだ。
 その巡回のことは知っていたので、機会があれば、九州へ観に行きたいと思っていた。
 今回展示の若冲や江戸絵画は、すべて個人の収蔵品である。アメリカ人のジョー・プライス氏によって蒐集されたもの、プライスコレクションの展示である。
 新日曜美術館で展覧会の紹介があった折には、プライス夫妻も出演された。若き日に京都を訪れ、若冲の絵に出会い、さらに他の江戸絵画にも魅せられて、蒐集を続けられたようだ。
 アナウンサーの「一番の収穫は?」という質問に、ためらいもなく、「妻です」と答えられたのが、印象に残っている。
 夫人は京都出身の女性である。
 プライス氏は、卒業記念に買うはずだったスポーツカーをやめて、若冲の絵を買ったのだと、若き日のエピソードも語っておられた。それが日本絵画との出会いであり、慧眼発露のスタートでもあったようだ。

 しばらく若冲の絵画展のことを忘れていたが、誕生日祝に湯田温泉行きを思い立ったあとに、ふと若冲を思い出し、そろそろ九州国立博物館で開催される頃かもしれないと、パソコンで調べてみた。運よく、既に始まっていたので、太宰府まで足を伸ばすことにしたのだった。

 若冲の絵には、新鮮な感動がる。若冲については、最近、若い芸術家などからも関心の目が向けられ、その技法などに注目が集まっているようだ。
 「江戸の先端、今も先端」のキャッチフレーズは、言い得て妙である。
 見方によっては、毒の強い作品とも言える。丹念な描き方なのに、単なる写実ではない。<紫陽花双鶏図>のような雄渾な絵があるかと思うと、<鳥獣花木図屏風>のように、その独創性において未曾有の作品もある。小さな升目に色彩が施され、白い象を中心に数え切れないほどの動植物が描かれている。また<花鳥人物図屏風>や<黄檗山万福寺境内図>などのような、墨画ながら味わいのある作品もあった。

 展示は、Ⅰ 正統派絵画
       Ⅱ 京の画家
       Ⅲ エキセントリック (注、伊藤若冲・曾我蕭白・葛蛇玉の絵)
       Ⅳ 江戸の画家
       Ⅴ 江戸琳派
 のⅤ部門に分けて展示してあった。

 若冲以外でも、円山応挙、長沢芦雪、酒井抱一、鈴木其一(きいつ)、曾我蕭白、葛蛇玉など、足を留めさせられる秀作の数々があった。
 
 九州国立博物館が、他の国立博物館と趣をことにしている点は、4階の文化交流展示室にあるようだ。
 一通り、展示を見て回ったが、「若冲と江戸絵画」展に時間をかけたので、いささか疲れ気味、早くコーヒーでも飲みたい心境だった。大変大雑把に見て、ティーラウンジに急いだ。
 九州国立博物館は、出かけようと思えば、いつでも行ける場所だと分かった。また関心のある展覧会があるときには出かけることにしようと思う。

 太宰府天満宮にお参りし、太鼓橋の手前から左の道に入ると、九州国立博物館入り口にたどり着く。(写真)
 長いエスカレーターで上り、さらに長い連絡トンネルを動く歩道に乗ってゆけば、博物館にわけなく行き着ける。

 今年の1月23日は、よく遊んだ。無心に楽しみながら。
 その後は、二泊目の宿泊先<福岡リーセントホテル>へ。

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九州国立博物館と建造物

2007-01-29 | 旅日記
 九州孤立博物館は、風変わりな建物だ。(写真)
 曲線の屋根。総ガラス張りの側面に、向かいの山の風景が映し出されている。
 その位置は、太宰府天満宮を背にして、左手前方の丘に建っていると言えばいいのだろうか。
 長いエスカレーターや動く歩道で移動して、その丘に佇むと、写真の建物が目に飛び込んできた。
 
 建築については、無知に等しい私だが、最近少し関心を持って眺めるようになった。
 もう一度、人生をやり直せるなら、建築の仕事もいいかもしれないと思ったりする。創造性に乏しい人間であることも省みずに……。
 特定の土地に、目的のある建造物を創ることは、困難な仕事だと思うけれども、壮大な夢のある仕事でもあると思う。

 日本の名だたる、現存の建築家といえば、どんな人の名が上げられるのだろうか?
 とっさに名前が出てこない。
 安藤忠雄・黒川紀章・菊竹清訓(きよのり)・内藤廣など。
 故人となられた人では、丹下健三(1913~2005)・前川國男(1905~1981)といったところ。
 結局は、最近、意識して眺めた建造物に関わりのある建築家ばかりだ。

 あの独特な構造の九州国立博物館は、誰の設計になるものだろうか、疑問を抱き、帰宅後、調べてみた。
 菊竹清訓(1928~ )と分かった。
 宍道湖畔の島根県立美術館も、同じ菊竹氏の設計によるもののようだ。

 先日(1月21日)、東京六本木にオープンしたばかりの国立新美術館は、黒川紀章の設計。同じく広島の比治山公園にある広島市立現代美術館も、黒川氏の設計とのこと。

 丹下健三や安藤忠雄の作品は、いくつか思い浮かぶ。
 昨年暮れ、上野を歩いていて、東京文化会館の設計が誰のものか気になった。
 帰宅後調べて、前川國男と分かった。
 私の訪れた美術館では、東京都美術館や熊本県立美術館も、前川氏の設計によるもののようだ。

 内藤廣の名を知ったのは、身近にあるグラントワの設計をした人だからである。

 古今東西の建造物は、立派な芸術品でありながら、その設計者が誰であるかを知らずに見過ごしている場合が多い。
 時既に遅しだが、今後心を打つ建造物に出会ったら、その設計者にも、思いを馳せてみようと思っている。
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水仙の里へ

2007-01-28 | 身辺雑記
 夜明けに霙が降ったようだ。
 草原などに、その名残があって、寒々とした朝なので、散歩を中止した。

 今朝は、NHK教育の新日曜美術館「カラバッジョVS.レンブラント ▽殺人と破産・賞賛と追放▽作品と人生の光と影」を興味深くみた。
 番組案内の表現からでも、二人の画家に迫るための視点が読み取れる。
 映画監督、山本晋也氏をゲストに迎えての番組だった。
   カラバッジョ(1573~1610)イタリアの画家
   レンブラント(1606~1669)オランダの画家
 画業だけでなく、その背景にある生き方や生涯についても語られる、そこが、この番組の面白いところだ。

 スポーツには全く縁のない人間なのに、マラソンには関心がある。
 42・195キロへの挑戦には、ドラマがあるから魅力を感じるのだろう。
 今日は「2007大阪国際女子マラソン」が行われた。
 「渋井が軸に 原らにも勝機」と、朝日新聞の見出しにあった。
 渋井陽子さんしか名前を知らないので、渋井さんに頑張って欲しいと思った。
 が、マラソンは難しい。この度も、渋井さんはうまくゆかなかった。完走はしたが、10位に終わった。万全の形でレースに臨んだらしいのに、マラソンという過酷なレースには、想定外のことが起こりやすいのだろう。
 原裕美子さんが、2時間23分台の好タイムで優勝した。素人目にも、立派な走りだった。精神的にも強そうな人だ。実力はありながら、怪我のためブランクがあったらしい。
 2時間あまり、ただマラソンを見ていたわけではない。その間、確定申告を作成した。昨日やっと必要な書類のすべてが届いたので。
 いずれしなくてはならない申告書類の作成から、少しでも早く解放されたくて、毎年1月のうちに完成することにしている。今年は添付の必要書類が遅れて届いたので、書類作りも少し遅くなった。
 明日は、税務署の窓口へ届けようと思っている。

 マラソンと確定申告の書類作成が終わったところで、散歩に出かけた。
 日が差して風もなく、穏やかなお天気になったので。
 すぐ近くに、「水仙の里」がある。
 朝の散歩では、この道を歩くことを避けてきた。水仙の里や天然記念物の蛇岩のある地点に辿りつくまでには、樹間はるかに海を見下ろしながら、長い林道を歩かなければならない。一人で歩くには少々物寂しいのだ。老女だからといって安心できないのが今の世の中。心無い人に、海に向かって投げ込まれて命を失うのはいやだ。熊や猪が出ることはなさそうだが、やはり一番薄気味悪いのは人間や車に出会うことである。
 午後の3時過ぎ、この時間なら大丈夫だろうと、いつもの不安を払拭、水仙の里に向かって出かけた。
 途中、私を追い越す数台の車があった。
 水仙の里への道は、初めてではない。友人や妹と歩いたことはある。初夏には、町内会の仕事として、空き缶拾いの作業で通る道でもある。
 今日歩いてみて、林道が意外に明るいのに驚いた。周りの木々が、最近、伐採されたのだろうか。
 道の両側にも、水仙が植えられ、水仙の里の名に恥じない環境が、十分に整えられている。目的地に着くまでの道中も、水仙の香に浸りながら散歩を楽しめるようになっている。この環境整備には、沢山の人々の労力が注ぎ込まれているのだろう。
 先日、スーパーで出会ったご夫婦が、水仙を見てきたと話しておられた。広島からわざわざ来られたのだという。見事なものだと話しておられた。
 そのときから、機会を作って出かけたいと思っていた。
 そのチャンスが今日訪れたのだった。
 日曜日だし、お天気は回復したし、ということで、車で来られた人がかなりあった。駐車場には、10台あまりの車が止まっていた。

 駐車場近くの水仙の丘に、女の子が立っていた。(写真)
 「写真を撮らせて」
 と言ったら、その幼子は、丘から降りかけていた足を止め、被写体になってくれた。
 少々ぬかるみ気味の斜面を怖々降りて来る子に手を貸し、
 「ホラ、ちゃんと写ってるでしょ」
 と、写真を見せると、
 「ささき みほ」
 と、いきなり大きな声で自己紹介をしてくれた。
 「みほちゃんなの! お利口ね。…どこから来たの?」
 と、尋ねると、
 「わかんない」
 との返事。傍から様子を見ていたお父さんらしい人が、
 「益田です。きぬやの近くなんです」
 と代わって答えられた。すると、みほちゃんも、
 「きぬやの近く」
 と、お父さんの言葉を繰り返した。
 家族で水仙を見に来られたらしい。

 水仙の里までの散歩を楽しんだ上に、可愛いみほちゃんにも出会えて、いいひと時を過ごせた。
 蛇岩に降りることはやめた。そこまで行けば、もっと沢山の水仙に出会えることは分かっているのだが、海に向かって急な坂をくだるのは、一人ではいささか心細い。
 また機会があれば、ということにして、緩やかだが起伏の多い林道を引き返した。
 
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冬の雷

2007-01-27 | 身辺雑記
 昨夜の雷は、物凄さの上に「超」をつけたくなるよな凄まじさだった。
 オーバーでなく、人生最大の雷鳴だった。
 <ああ、こんな形で、人生の終わりが来るとは!> と、暫くは落雷による死を覚悟したくらいだった。
 雷光が閃くと、瞬時テレビの画像が乱れ、間髪を容れず、轟音が家を揺るがし、屋根の上を駆け巡るのだった。屋根の上というより天井裏を戦車が走り回っている感じだった。
 どこに逃れようもなく、椅子に座ったまま、時が過ぎるのを待った。
 幾度となく繰り返す、雷様の、執拗なお怒りに震えおののきながら。
 心臓のためにもよくなかった。かなり脈拍数が増えていたはずだ。

 30年ばかり前にも、雷光雷鳴に打ちのめされたことがある。
 当時は、二階に私の居間があり、階段を駆け下りるのさえ怖くて、蒲団入れの押入れに身を潜めた。
 いい大人のすることでない。しかし、あのときの恐怖も尋常ではなかった。それなのに、歳月が過ぎて、雷光雷鳴の程度がどんなものであったかは、すっかり忘れている。

 今回が最大であり、30年ばかり前のそれが、第二ということになりそうだ。
 今回は冬の雷であり、30年前のそれは夏の雷であった。

 普通に「雷」といえば、夏の季語ということになっている。
 が、冬には、「冬の雷」(あるいは「寒雷」)とか、「雪起し」(あるいは「雪雷」「雪の雷」)という季語もあって、寒冷前線の通過によって、雷の発生することは珍しくないようだ。
 
 昨夜のそれは、雪起しの雷だったのだろうか。
 今朝は昨夜の荒れ模様が嘘のようで、いつものように朝の散歩にも出かけられた。昼間も、曇り時々小雨の、まずまずのお天気だった。
 が、昨夜の雷光雷鳴が突然やってきたように、突如どっさりと大雪が降るのだろうか。節分荒れということも言われる。

 妹に会ったので、昨夜の雷の恐怖を語ると、
 「去年のいつだったか、もっと怖い雷鳴があったでしょう?」
 と、言う。昨夜のそれが私の体験とは、少々異なる様子だった。
 10キロ離れていれば、状況はかなり違うのだろうか。
 何しろ、昨夜は、私の家だけが狙い撃ちされている感じだった。
 懲らしめられて当然、などといわれそうな、そんな悪いことはしていないつもりなのだけれど……。
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赤い実 26 (湯田温泉駅前)

2007-01-27 | 旅日記
 1月23日の朝、湯田温泉駅のホームで、到着の列車を待っているとき、ふり向いた先に奇妙な赤いものが目に入った。(写真)
 実? 花? それとも葉っぱ?
 ホームと木との間には少々距離もあって、一心に目を凝らしたが、私の視力では、定かな見定めができなかった。
 <何だろう?>という、私の心の呟きを察したかのように、隣に佇んでいた同年ぐらいかと思える女性が、
 「何でしょう? 木肌はクロガネモチみたいだけど、葉がありませんね」
 と、話しかけてきた。
 常緑樹のはずなのに、何らかの異変が起こったのだろうか。
 「赤い実」ということで、カメラに収めた。

 その女性と新山口まで同行した。
 水彩画を趣味にしているとのことだった。ただし、今日は孫の面倒をみに宇部に行くのだとか。
 人が一人存在するということは、そこに一つの異なる人生があるのだと、当たり前のことを、改めて考えた。
 おさな子のお昼寝の時間には、画帳を開いて、可愛い孫の安らかな寝顔をスケッチしている、そんな初老の女性の姿を思い描きながら。
 私の人生には、ついに無縁の光景であることを、別に寂しいこととも思わず。
 人には、一人ずつ、違った人生があっていいのだ。
 
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赤い実 25 (懐古庵の庭 ソヨゴ)

2007-01-27 | 旅日記
 「冬青」と書いて、「そよご」というらしい。
 別名 フクラシバ ソヨギ とも。

 懐古庵で、誕生日祝いの抹茶をいただきながら窓の外を見ていると、前庭の、すぐ目の前に、赤い実をつけた木があった。
 店主に、その名を聞くと、すぐには思い出せぬ様子だったが、やや時間を置いて、
 「思い出しました! ソヨゴです」
 と、教えてくださった。
 艶やかな、可愛らしい赤い実が、少し垂れ下がり気味についている。

 未知の木との出会い! 
 そんなささやかな喜びが、その日のささやかな幸せでもあった。
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温もり (懐古庵の火鉢)

2007-01-27 | 旅日記
 「どうぞお手を温めてください」
 懐古庵の店主に言われて、そっと手を置く。
 やさしい温もりが伝わってきた。

 だるまストーブならぬだるま火鉢(?)
 火の気は見えない。豆炭が灰の中に埋めてあるらしい。
 一日一個で、ほのかな暖かさが保てるのだとか……。

 形状も愛らしい!
 室内は程よい暖房が施されているのだが、陶器から伝わる、ほんわかした温もりは、心の芯にまで届いた。
 なんだか幸せな気分になった。
 さりげなく置かれた、お店の器物が、旅人の心を慰める。
 
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ヤブランの実 (懐古庵の庭)

2007-01-26 | 旅日記
 懐古庵で、庭の椿を眺め、引き返そうとしたとき、足元に瑠璃色の実を見つけた。
 ヤブランというのだそうだ。
 花の季節を楽しみに待つことにしよう。
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