ぶらぶら人生

心の呟き

県知事室にて

2008-11-28 | 身辺雑記
 県庁に出向き、県知事室にて、溝口知事にお会いすることになろうとは、考えてもみなかった。そして、一緒に記念写真におさまることになろうとは……。

 私は、<島根あいてぃ達者>のひとりとして、表彰されることになったのである。
 そんな資格があるのかどうか?
 パソコン関係でお世話になっている「ソコロ」の推薦により、私自身のIT活用の実態を書いて提出したところ、表彰を受ける結果になったのである。
 こういう晴れがましげなこと(?)は、私の好むところではないが、あえてそっぽを向くことでもないと思い、今日、県知事室に出向いた。
 表彰式の後、受賞者6人と溝口知事を囲む懇談の時間が用意されていた。
 IT活用の仕方は、6人6様である。人の仕事を通して影響を受けることはなかったが、溝口知事は、一人ひとりの活動内容を穏やかな表情で受け止め、肯いておられた。
 感心したのは、88歳の受賞者・Wさんの発言であった。
 「パソコンは、老人である自分を差別しない……」
 確かに、そのとおりである。
 この不可思議な頭脳(パソコン)は、向き合う人に対し、求めるものを与えてくれる。時に気難しく、いうことを聞いてくれないこともあるけれど……。

 もう一つ、感心したのは、表彰状の文面が、ひとりずつ違っていることであった。
 表彰の仕方が形式的でなく、一人ひとりが認められている感じである。
 私は私の日々の勝手な楽しみ方を認めてもらえた気がして、その点は嬉しかった。
 <あなたはブログの開設などITの活用に意欲的に取り組まれ……>
 に始まり、最後は、みな同じ文面の
 <今後ますますの御活躍を期待し「島根あいてぃ達者」の称号を授与します>
 となっている。

 最近、私のブログのマンネリ化が気になっていた。
 今日の受賞は、もっと意欲的に取り組めとの励ましなのかもしれない。

 松江ゆきの往復には、ソコロの社長、副社長のお世話になった。
 雨の日のドライブだったが、道中の会話を楽しむことができた。
 同乗のWさんは、実にお元気な方だ。その源は、<腹を減らすこと>なのだそうだ。腹を減らすには、働くべし、ということらしい。労働せずには腹はすかない。
 健康の秘訣は五体を使って働くこと! それがWさんの信念であり、Wさんは、今も農に勤しんでおられる様子。
 お顔の肌がつやつやして張りがある。
 Wさんの年齢を伺って、せめて80歳くらいまでは、私もパソコンに向かっていたいと思い始めた。

 が、一方で、今夕は、少々鬱した気持ちになってもいる。
 理由は、郵便受けに届いていた一枚の葉書である。
 11月に入った頃から、<年賀欠礼>の枚数が日ごとに増えているが、今日のそれは、同級生の死を告げるものであった。
 高校三年のとき、同じクラスで一緒に学んだ友達である。
 四年前、北海道を旅したとき、札幌に在住の、その友達に会った。いつか一度石見に帰りたい、その時には、また会いましょう、という約束になっていた。が、ついにその機会は潰えたのである。
 毎年、賀状を書く時期になると、同級生の誰かから訃報が届く。今年も例外ではなかった。
 親しい者の死は、個人にとって、非常に特殊なものであり、新聞の<お悔やみ>欄で他人の死に接するのとはわけが違う。心の整理に少し時間がかかりそうだ。
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皇帝ダリア

2008-11-27 | 散歩道
 <皇帝ダリア>と呼ばれる花を知ったのは、一昨年の今ごろだった。
 たまたま草花舎でお会いした人から、家にあるから見に来てください、と誘われたのだった。街に出たとき、そのお宅を訪ねた。が、あいにく誘ってくれた人は留守で、豪邸の塀の外から、その花を初めて見た。薄紫色の大きな花が、丈の高い茎の上に咲いていた。

 昨年は、妹の家でも、<皇帝ダリア>を育てた。だが、まだ、あちらこちらで目にする花ではなかった。
 ところが、今年は、そう珍しくない。背が高いので、車窓に流れる風景の中で、結構、存在感を示している。今や、はやりの花となったらしい。

 昨日の散歩道でも、二箇所で、この花を見た。
 近づいてみると、茎が変わっていた。思いの外太めで、竹のように節がある。葉は普通のダリアに似ているけれど、決して趣のある葉ではない。
 目立つのは花ばかり。
 いい名前をもらったものだ。
 この植物の人気は、この名前と無縁ではないかもしれない。 

赤い実、三種

2008-11-27 | 旅日記

                   



 昨日の散歩で、土田の浜を目指したのは、<トベラ>の実が気になったからであった。熟して弾けると、子沢山の赤い実が現れる。もうその季節になっているに違いないと思ったのだ。
 しかし、海辺に下りてみると、<トベラ>は、まだ淡黄色の殻のままであった。(写真 上)
 殻が割れ、外皮からこぼれるようにして、たくさんの赤い実が微笑むのは、いつだろう?
 後日、また訪れてみることにしよう。

 すでに殻から赤い実をのぞかせている木があった。
 海辺に近い場所では、珍しくない植物である。
 この木は、<マサキ>。(写真 中)
 実は、マサキに違いないと確信したのは、帰宅後、植物の本で確認してからであった。

 帰途、同級生の家にさしかかると、庭の<センリョウ>が、赤い実をつけていた。(写真 下)
 <センリョウ>は気難しい植物らしい。<マンリョウ>のように、どこにでも育つ植物ではないようだ。
 家の花壇に、庭師に頼んで植えてもらったが、一度目も二度目も育たなかった。日陰を好むのであろうか?

海を眺め、犬にも吠えられ

2008-11-27 | 旅日記


             

 昨日、実に久しぶりに、散歩に出かけた。小春日和に誘われて。
 土田の海岸は、波穏やかであった。風に揺らぐカーテンにも似た、凪いだ静けさ。(写真 上)
 まだまだ冬の訪れは遠い感じだ。
 海の香も、心地よかった。

 帰途、犬に吠えられた。
 見上げると、コンクリート塀の飾り穴(?)から首を出し、私に向かって吠えているのであった。しかし、長くは吠え続けなかった。
 <ああ、あの人>と、思い出してくれたのであろうか?
 一昨年の途中から昨年にかけて、根気強く散歩していた。その当時は、毎朝、この犬に出会っていた。犬の記憶力というのは、どの程度なのだろう?
 吠えることをやめた犬は、私を完全に無視し、観察者の顔になっていた。(写真 下)

さりげない紅葉 (蔦と櫨)

2008-11-26 | 散歩道


                  

 今年最後の小春日和かもしれない、そう思った途端、戸外に飛び出していた。
 久しぶりの午後の散歩である。海辺まで歩いてこようと……。
 身近に紅葉の美しい場所があるわけではない。しかし、さりげない植物も今は自らを秋色に染めている。
 上の写真は、海辺に降りる道の途中、小屋の壁面を飾っていた蔦の紅葉。自由気ままに壁を這っているだけなのだろうけれど、造形技術を心得ているかのような美しさである。壁面の左下の方には、実をちりばめた蔓草もある。

 帰途の道、線路わきに小さな櫨(下の写真)が紅葉していた。
 櫨は気取りのない美しさである。ありふれているため、それほど人目を惹く植物ではないが、紅葉の季節だけは存在感を示している。

ひとり芝居 (ヤブコウジの実)

2008-11-25 | 身辺雑記

 このところ、ブログを発信しないままに、日を過ごすことが増えつつある。
 毎日、私のブログを開き、まめまめしく読んでくださる人があれば、<はて、無投稿が続くけれど…?>と、心配してくださる向きもあるかも知れない。が、おそらく、そんな愛読者など、ありはしないだろう。
 投稿者の私自身は、意味もなく投稿を怠るとき、自らの老いを証明しているようで、いやになる……。

 無投稿のとき、ブログのカレンダーの数字は、色変わりしない。それを眺め、当事者の私自身が、さて、三日間も何をしていたのかしら? と、考え込んだりする。
 旅に出かけ留守をしたために書けないのならいい。
 猫の手も借りたいほど多忙だったというのなら、それも仕方がない。
 そんな理由は、何一つないのである。
 それでも、三日の空白ができてしまった。

 一体何をしていたのだろう?
 目の前の壁に掲げているカレンダーを見上げる。
 22日は?
 グラントワへ出かけたのだった。
 後期の<大下藤次郎>展を見に行き、ついでに、他の展示室では、<水墨画の魅力 雲谷派を中心に>展を見たり、<牛嶋 均>展も見たのだった。

 前期後期とあわせて、大下藤次郎の多数の水彩画に接した。
 この画家の絵は、懐かしいふるさとを思い起こさせてくれる。今は失われてしまったけれど、脳裏には消えがたく残っている、そんな風景。
 色彩もやさしく、山や水辺の風景が心を和ませ、違和感とは無縁の居心地のよさを与えてくれる。
 後期の絵画も、前期を鑑賞したあとのブログに記した感想と、全く変わらない。
 全ての絵画の、底に流れる響きが、非常に似ている。
 ドキッとさせる強烈なものはないが、どの作品も安らぎを与えてくれる。

 作品を見た後、友人とポニーで食事をした。家まで送ってもらってさらに語らい、そうして、その日は過ぎていったのだった。

 23日は?
 暖かな小春日和。
 怠惰な日。
 これではいけないと、夕方近く庭に出た。剪定ばさみを取り出し、鉢植えのススキを片づけたり、だらしなく垂れたギボウシの葉を刈り取ったりした。
 ギボウシに地所を奪われ、それまで存在感の乏しかったヤブコウジが、突然目立ってきた。実の数は少ないが、葉かげにひそんで、赤い粒が輝いていた。(写真)
 晩秋から冬にかけての季節、ヤブコウジに限らず、赤い実が美しい。

 夕食後、薬を飲んでいるとき、ひどくむせた。夜は、10個以上の錠剤を飲む。漢方薬やサプリメントなどを含めて。
 漢方薬の一つが、気管に入ってしまった。
 ひどく噎せて、涙を流しながら苦しんだ。胃液もあがるし、難儀この上なし。
 何でそんなことになったのか、訳が分からない。
 馬鹿馬鹿しい、老女のひとり芝居にあきれてしまう。
 そして、疲れた。発熱しているのではと、検温してみると、熱はない。しかし、疲労感は否めなかった。体力がなければ、絶命にいたりかねない、そんな苦しさであった。気をつけなくてはいけない。

 そして、24日の朝。
 昨夜演じたひとり芝居の第2幕が始まった。
 起床と同時に、咳き込み始めた。咽喉の具合が異常である。やはり風邪のぶり返しかと思った。
 洗顔している間も、咳がやまず、ついに気管がえぐられる感じとなった。ゴホンゴホンを繰り返しているうちに、白い洗面台の上に、黒っぽい小さな塊が飛び出した。
 なんだろう? と思う暇もなく、咳き込みは続いた。そのつど、ひっきりなしに、黒味を帯びた痰が出てくる。
 昨夜同様、涙が出る。ひとり芝居の主役は、目を赤くして涙を流した。
 異物が出終わると、やっと咳も軽くなった。
 考えてみるのに、昨夜、薬に噎せたとき、気管に一個の丸薬が留まったままになっていたらしい。
 治癒力というのはすごいものだと、改めて感心した。
 私が寝ている間も、異常な状態を正常に復元しようと、身体の一部は必死で働いてくれているのだった。

 肺炎にならなくてよかった。
 もう少し慎重に薬を飲むことにしよう。若いときから薬を飲むことに慣れすぎ、抵抗なく口に入れる癖がついてしまっている。が、嚥下力が弱ってきているのだから、薬に限らず、食べ物にも注意しなくてはならない。好物のお餅を咽喉や気管に詰まらせないように。若いときには、考えもしなかった問題が日ごとに増えてゆくのだろう。

 噎せることで体力を消耗したせいではあるまいけれど、この朝、もう一つ失敗をしてしまった。煮物を温めようと、鍋をコンロにかけ、温まる間にと、台所を離れたのがまずかった。
 パソコンを開けた途端に、鍋を火にかけたことは忘れてしまったのだ。その日のメールを点検し、ブログを開けてみたりしているうちに、もう鍋のことも、朝食のことも頭から消えてしまっていた。
 かなり時間が経ってから、あァ、またやってしまった! と、失敗に気づいた。しかも、鍋二つ。
 誰を責めようもない。
 朝食どころではなく、鍋のコゲ落しに専念せざるを得なくなった。
 老女の、馬鹿馬鹿しいひとり芝居。
 観客のいない、この芝居は滑稽至極。
 結構、失敗を戯画化して楽しんでいるようなところが、私にはある。
 まだ自分を客観視する力はあるらしい。

 朝の二つの失敗から、今日は台無しになってしまった。
 心身ともに疲れてしまった。
 テレビで、京都の庭に心を打たれたくらいが、今日の収穫。(<京都 庭の物語>BSハイビジョン)
 訪れた寺院を見ては、想い出を懐かしみ、訪れたことのない寺院には、いつか訪れる日のあることを念じながら。
 醍醐寺には、まだ行っていない。桜の季節に、ぜひ行ってみたい。その折、豊臣秀吉にゆかりの三宝院の庭もぜひ眺めたい。
 東福寺には行っているのに、重森三玲の作庭になる、大きな石を配列したお庭は記憶にない。紅葉のころの東福寺が訪れられたら…などと、考えながら、美しい影像を眺めた。

 そして今日。
 ひまわりカイロで心身をほぐしてもらい、気分も一新。
 さて今日からは少し慎重に生きようと思っているところである。 


贈り物 (京都産富有柿とコケ玉植えのシクラメン)

2008-11-25 | 身辺雑記

               
                          

 今朝、妹から電話があって、在、不在を尋ねてきた。
 お昼前、<ひまわりカイロ>に行き、昼食の後、所用を済ませて帰宅の予定であることを告げた。
 買い物をするなら、そこへ迎えに行き、届けたい物があるので、ついでに家まで送るとの話であった。
 私は、ショッピングの前に妹宅へ電話し、10分もあれば買い物をし終わるをことを伝えた。
 家まで送ってもらって、コーヒーを飲みながら、しばらく雑談をした。
 お土産にもらったのは、京都産の富有柿とコケ玉植えのシクラメンであった。(添付の写真)
 富有柿は見事である。柿好きの私にとって、今年最後の柿、ということになるのかもしれない。
 植物をコケ玉に植えるのは、最近のはやりだとか。
 今日の贈り物の一つが、妹たちの植えたシクラメンのコケ玉であった。妹は、持参したものを広縁のテーブルに置いてくれた。
 そういえば、昨年、一昨年、古いものでは一昨々年、友人や薬局などからいただいたシクラメンの鉢が、数個戸外に置いてある。今年も無事、みな花を咲かせ始めている。それらも、この際、屋内に入れておこう。霜が降りないうちに……。

M 歯科医院へ (医院前の菊)

2008-11-21 | 身辺雑記

                                                           

 昨日は、所用のために街に出た。
 まず、歯科の定期検査を受けるために、M歯科医院へ。その玄関先に、菊花の鉢が飾られていた。そういえば昨年も、同じ位置にあった。
 今年の花は、盛りを過ぎていた。それでも、鉢物、懸崖とも、辛うじて美しさを保っていた。小菊はあちこちで目にしてきたが、菊らしい菊を見るのは、今年初めてだった。

 美容院に行って、髪の手入れをし、本屋によって12月号の雑誌(中国語)を受け取ってきた。

 ここ三日、晩秋というより初冬めく寒さである。

京都へ 3 (京都市美術館)

2008-11-21 | 旅日記
 午後、京都を発つことにしていたので、それまでの間、京都市美術館(写真)を訪れることにした。
 
 11月3日まで開催中の<芸術都市パリの100年展>(ルノワール、セザンヌ、ユトリロの生きた街 1830-1930年)を見た。
 146点という、数多い作品が展示されていた。
 今、出品リストを順次眺めてみても、鮮明な印象を留めているものより、不鮮明なものの方が多い。
 ちょっと情けない気分である。
 が、観るとは、記憶することではあるまい。
 観る前に比べ、観ることによって心の中に何かが、留められていればそれでよし、と思う。記憶力の低下した者の、やや負け惜しみの言い訳めくけれど。
 寺社めぐりについても、同じことが言えるだろう。

 (注 記事内容は、10月31日のこと。考えて見ると、今日はもう、11月21日。旅の記録終了に時間がかかってしまった。このところ、することなすこと、全てスローになった。これも加齢のなせる業?)

京都へ 2 (京都ホテルオークラより)

2008-11-21 | 旅日記
 今回の旅では、宿泊の贅沢を、少々楽しんだ。
 奈良ホテルの二泊に次いで、京都ホテル オークラと。

 ホテル オークラの部屋からは、鴨川周辺の市街地と東山景観(写真)の夕景、朝景を楽しむことができた。
 夜は、ぶらぶらと夜の街に出て、コーヒーを飲みながら、友人と心ゆくまで語り合った。

 朝、窓から外を眺めると、川べりの遊歩道を散歩する人、勤務の途につくらしい人の姿もみかけられた。

 (注 記事内容は、10月30日から31日の朝にかけてのこと。)