藤原正彦著『常識は凡人のもの』[管見妄語]
(平成三十年一月二十日・新潮社刊)
藤原正彦さんの本を読むのは、二冊目である。
10年近く前のことだろうか、話題となって読んだ『国家の品格』以来。
今回の本は、本屋で見て、この作者のものなら楽しみながら読めるだろう、と思いつつ求めたものである。
週刊新潮(2016年10月〜2017年10月)に連載されたエッセイ集である。
私は、週刊誌を読む習慣がなく、全く知らなかったが、藤原正彦さんは、長期にわたり
『管見妄語』と題してたコラムを書いておられるようだ。
たまたま、その一冊を手に取ることになったということらしい。
題名には、『常識は凡人のもの』とあるが、これは一つのエッセイの題名であって、一冊を貫くものではない。
このエッセイ集には、自由闊達に、身辺の出来事が描かれている。
小説とは違って、エッセイには、その人の、ものの考え方や生き方、人柄がそのまま出やすいようだ。
藤原正彦さんは、数学者だからといって、世の現象をことごとく理詰めで考えてゆく人ではないらしい。
非常に自由な発想で、偉ぶることなく書かれているので、親しみやすい。
<篠笛の唇>という題名のエッセイを読めば、アイパッドで、篠笛の曲を聴いたり、「青葉の笛」のことが出れば、昔習った文部省唱歌を思い出して歌ってみたり……。
即座に、生活に役立つ話もあったりする。
寒夜、ベッドに入っても体温が全身一定になりにくく、即座に寝つけないことがある。
特に胸部。(60代ころには、お腹が冷え、真夏でも、タオルケットを二枚折にしてかけねば眠れないことが長く続いた。)
ここ数年は、胸である。
真綿を取り寄せ、夜は胸に真綿を広げてのせているが、なかなか温度調整がうまくゆかない。
数時間前から寝室に暖房を入れ、アンカーも入れおくのだが、体の一部が温もらないのだ。
これも、老いのせいなのであろう。
<冬の攻防>というエッセイに、戦時中の話として、「セーターを首の前面から胸の上部に乗せて覆い、セーターの袖で首の左右から肩にかけて覆うのである。これが実に暖かい。」と書かれていた。
早速、実践してみたところ、真綿より広い範囲が温まるためか、冷えを早く解消できた。
(今のところ、首回りが冷えて寝付けないということはないので、袖の部分を活用することはしなかった。)
これは、たまたま実用的な話だが、大方は精神に作用する、深くて面白い話である。
雑誌には、名エッセイがよく載っている。
数年前、『暮らしの手帖』に連載されたエッセイをまとめた本を読んだ。
ブログにも書いたはずなのに、書名も作者も思い出せない。
その本を置いている本棚は思い出せるので、帰宅したら、書棚をのぞいてみよう。
私にとって、読書とは、コーヒーを味わう楽しみに似ている。
特に老いてからの読書は、読んでは忘れてしまうけれど、読んでいるそのときが楽しいのだ。
どんなに美味しいコーヒーを味わっても、いつまでもその味をおぼえていることはない。
それに似ている。
ただ活字に接しているのが、無性に楽しいだけである。
文章を書く方は読書ほど楽しくはなく、一週間前に読了したこの本の感想を記すのが、今日になってしまった。
(読んでも感想を書く努力を怠り、記録に残せないものが多い。)