ぶらぶら人生

心の呟き

10月、最後となる

2018-10-31 | 身辺雑記
 10月、最後の日となる。

        
         前庭の秋 石蕗の花咲き競い

     
        シコンノボタンの花咲きやまず

     
        裏庭 ジューンベリーの黄葉進む

        
           季節外れの花
      開花寸前のヘメロカリスと数個の蕾



 昼前、施設に戻る。
 家を出る前に、カレンダーをめくっておく。

           5時14分の夕景
           部屋前の廊下より
     
            寒空となる


 今月は二度も転倒し、いやがうえにも、老いを感じる10月であった。
 しかし、日常のスタイルを変えようとは思わない。
 ビクビクして生きても面白くない。
 長くダラダラよりも、短くても内容のある日々を生きたい。
 85歳は、すでに十分<長命>であると思っている。

 同学年の女性が、8月に15号室に入居された。
 が、その20日後には入院。
 今回、施設に戻ってみると、配膳車の名札がなくなっていた。

 同年、同学年の入居者は初めてだったので、今後互いに、どんな老いの日々を生きることになるのだろう? と楽しみにしたのは束の間だった。
 私より二か月遅い生まれのMさんの方が、先に退去された。詳しい事情はわからないまま。

 また、私の斜交いの部屋に入居され、入退院を二度繰り返しておられた男性も退去されたのか、配膳車の名札がないのに今日気づいた。(挨拶したこともないままに。)

 老少不定が、人の世のならいではあるが、不安定さの確率は、若い人より老年の方が、間違いなく高い。

 それはそれとして、明日から11月、深まる今秋の「ひと日、ひと日」を楽しみたい。


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えごの青い実

2018-10-29 | 身辺雑記
 上田三四二さんの『うつしみ』の第2章を読んでいて、

 <青い実を鈴なりにつけたえごの木の多い林を抜け、………>
 という文に出会い、あっ、私は「えごの実」を見ていない、と思った。

 来年の5月には、美しい白い花にも会い、さらに、鈴なりになった青い実の姿にも、ぜひ会いたいものだ。
 すべては、無事生き永らえてという、仮定の話だけれど。

 
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バスで街へ

2018-10-28 | 散歩道
 4階の窓から眼下をのぞくと、栴檀の大木が枝を大きく揺らしている。
 風が強いらしい。が、秋雲を漂わせた空は明るい。
 昼食を済ませたら、街へ出てみようと考えを決める。

 目的地は文華堂とコメダ珈琲店。
 行きだけは、バスを利用する。

 バス停に立つと、目の前の河口が波立っていた。

     
             銀波

 <あけぼの本町>停留所で下車し、文華堂に寄る。
 フリクションの芯を求めるために。
 先日、他のお店で、フリクションの文字は自然に消えやすいと表示してあるのを見た。そこで、文華堂で確かめてみた。
 温度の変化に弱いところがあるけれど、そう簡単には消えないとの話であった。
 私はレシートの文字がいつの間にか薄くなるように消えてゆくのかと心配していた。が、その心配はなさそうであった。
 ただ公式な文書などには使用しない方がいい、との話。
 その点は心得ている。フリクションで書かれたものは、悪意があれば簡単に消せる。それは当然避けたほうがいい。
 芯の買いだめをする。よく使用するので、すぐ消耗してしまう

     
           文華堂入り口の花

 文華堂からコメダ珈琲店まで歩く。

     
           歩道近くのガウラ
        ずいぶん寿命の長い花のようだ

     
          歩道近くの柿の実と空
            秋らしい眺め

     
       珈琲店前の植物(赤く色づいた葉)

 店内は程よく混んでいる。しかし、いくつかの席を選べる程度に。
 いつも座る入り口の席の横には、女性二人が座っておられた。
 もう一つ奥の席に座る。隣は、テーブルにノートバソコンを置いて、手を休めている若い女性であった。
 店内には、人語が雑然と満ちているのだが、本を読むのには却って心が落ち着く。
 喫茶店で本を読むのが好きなのは、昔からの長い習慣のせいかもしれない。
 今日は平凡社刊の文庫本をバッグに入れて出た。

        
    上田三四二著『うつしみ』<この内なる自然>

 相当重い中身の作品である。
  1 再起 2 自然 3 他者 4 自己 5 無常 の5章に分けられている。

 今日は、その最初の章「再起」だけを読んだ。
 作者の上田三四二は、早逝の作家・高橋和巳と同じ結腸癌を患い、その病からの再起されている。その体験を中心に書かれた章である。それがどれだけ過酷なものであるかを、文章通して追体験しながら読んだ。
 著名な脳外科医・ペンフィールドの『脳と心の正体』の考え方を紹介しながら、作者自らの考えが述べられていた。日頃深く考えたこともない「心」について思索したり……。

 読書のひと時を楽しんで、タクシーを呼んだ。
 私が席を立つとき、隣の女性はまだパソコンの画面に向かっておられたし、視界に入る席におられた年配の女性二人も、まだ雑談に余念がなさそうであった。
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『ハレルヤ』を読む

2018-10-27 | 身辺雑記
 10月6日の朝日新聞、10月7日の赤旗日曜版で、保坂和志さんの『ハレルヤ』の紹介記事を読んだ。
 朝日新聞の見出し
  [猫の教え受け、物語の向こうへ]
 赤旗日曜版の見出し
  [生きることは喜びなんだ
  川端康成文学賞受賞「こことよそ」収録短編集『ハレルヤ』
  片目が見えない猫「花ちゃん」が僕に教えてくれたこと]
 (両紙とも、本の表紙写真を掲載。)

 短編集であること、猫が登場する小説であること、そこに心惹かれて、アマゾンへ注文した。
 保坂和志さん(1956年生まれ)が、芥川賞受賞作家(『この人の閾』で受賞)であることは知っていたが、受賞作も、その他の作品も読んだことがない。
 今回が初めての出会いである。

         保坂和志著『ハレルヤ』
        

 短編4作品が掲載されている。
 巻末の初出一覧(掲載順)によると、
 ハレルヤ………………………………「新潮」2018年4月号
 十三夜のコインランドリー…………「文学界」2018年2月号
 こことよそ……………………………「群像」2017年6月号(川端康成文学賞受賞作)
 生きる歓び……………………………「群像」1999年10月号
 となっている。

 一番最後に掲載されている、片目の見えない猫の花ちゃんが登場する小説「生きる歓び」をまず読み、ついで「ハレルヤ」を読んだ。
 花ちゃんと名づけられたお饅頭ほどの子猫は、谷中の墓地で拾われた。
 谷中の墓地にはゆかりがある。
 平成の15年以来、谷中にある師のお墓にお参りしている。
 確かに猫が多い。お供え物を狙う烏も多い。
 「生きる歓び」にも、子猫を狙う烏が、木の梢から自らの出番を伺っている描写があった。

 花ちゃんに関わる2作品は、花ちゃんの一生(老いて病み、死に至るまで)とともに、徹底的に猫の世界を描いている。作者の観察眼の鋭さや的確な捉え方に感心する。猫の魅力をますます強くした。
 作者は、猫だけを描いているのではなく、話が自在に、人間社会に向かっても広がりを持つ。

 (カバーに使われた、片目の花ちゃんの愛らしいこと!)

 他の2作品も、読み応えのある作品であった。が、(私にとっては、)花ちゃんの登場する作品の魅力が、絶大であった。

 作者の文体が変わっていた。私なら、句点にするところが読点になっていて、一文が長い。その特色が、効果的かどうかはよく分からない。文体は、作者の数だけある、と言えそうだ。

 近年は、現代活躍中の作家への関心が薄らぎ、作品をあまり読まなかった。が、『コンビニ人間』も『ハレルヤ』も、味わい深い作品であった。
 はじめから読まないと決めてかかるのはやめよう。気が向けば読んでみることにしたい。

           朝陽と夕陽
    
    朝陽の位置は、権現山の右裾に移動している。

    
(夕方、5時前に散歩。施設の周辺を歩く。思いのほか、戸外は寒かった。晩秋というより初冬を感じる冷えであった。)
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コスモスの咲く野

2018-10-26 | 身辺雑記
 花の咲き続けている間に、コスモスを近くで眺めたいと思っていた。
 幾度か、車で通過してしまい、なかなか果たせなかった。

 今日は、家前でタクシーに乗るとき、あらかじめ運転手さんにお願いしておいた。
 津田医院の前方、西寄りに広がるコスモスの咲くあたりで横道に入って欲しいと。

 春にも、乗車した運転手さんにお願いして、菜の花の群生を眺めた。
 今回は、コスモス。

 草原を下り、もう少し近づいて眺めたかったが、万一の転倒が怖く、農道から眺めた。
 最近、どうも体のバランスが良くないので……。

     

     

     

 今日の運転手さんは、比較的よく乗せていただく方であった。
 「何階にいらっしゃるのですか?」
 と、尋ねられる。
 「4階です」
 と、答える。
 「大変な方がおられるそうですね」
 と、話される。
 すでに様子をご存知とは!
 施設には、タクシー利用者が多いので、話題となったのであろう。

 4階に上がると、南のテーブルにTさんとSさんが座って話しておられた。
 「帰りました」
 と挨拶する。
 
「今度はね、熊がいるって騒がれたのよ」
 と、私の不在中の話を聞かせてくださった。
 主語はなくても、誰の話かはすぐわかる。
 9月の入居当時は、<オットセイがいる!>と騒いでおられた。


 ※ 部屋の温度が20度を下がる日はまだない。が、<そろそろ冬布団がいいな>と思っていたところ、シーツ交換に合わせて、冬用に替えてくださっていた。今晩は心地よく休めるだろう。

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郵便局まで

2018-10-25 | 散歩道
 予定していた仕事を予定通りにこなせる一日となった。
 少々時間がかかりすぎたけれど。

 手紙や葉書5通を、久しぶりにパソコンで書き、4時過ぎ郵便局まで出かけた。
 体の衰えに抵抗して、丁寧に歩く。転ばないように気をつけながら。

      郵便局前のホウキグサと小花たち
    

    

 家の前まで帰ると、隣の猫に会った。
 郵便局まで往復して、人には一人も会わなかったのに。

           隣の猫
    
     棒のようになって、ぐるぐる回転する猫

    
       忽然と立ち上がり歩み始めた猫

 何か大切なことでも思い出したかのように。私には目もくれず……。
 なんとなくではなく、確たる意志の感じられる動きである。
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嬉しいプレゼント

2018-10-25 | 身辺雑記
 今日は来訪者があるので、寝坊せずに支度する。
 Sさんのが、新米を届けてくださった。
 格別美味しい、山峡の新米を。
 食材の中で、一番好きなのがお米。
 美味しいご飯があれば、それで満足。
 そんな私だから、新米はありがたい。

 Sさんは、半世紀前からの知己。
 浜田へ行く途中の訪問であったが、ゆとりをもって、立ち寄ってもらった。
 わずか1時間ではあったが、今昔を楽しく語り合う。

          いただいた新米
    
        

 もう一つ、クロネコで届いたRさんからのプレゼント。
 知人の染色家の手に成るマフラー。
 添えられた手紙によるよ、「ソヨゴ」の葉で染められたものという。
 やさしい風合いの、ふわりとした感触の、幅広く色々な色に合わせられそうなマフラーである。

 衣紋掛けにかけている上着に載せてみた。
       

 10年ほど前であろうか、「ソヨゴ」の木を知った。
 漢字表記は「冬青」である。冬になっても葉の美しさを保つゆえの表記であろうか?
 山口駅前のお菓子屋(兼喫茶室)の庭にあって、その木を知った。花が咲いているのも、実がなっているのもみた。
 あの植物から、マフラーの色がどのようにして生まれてくるのか、染色についてまるで知識のない私には想像もできない。

 美味しいお米やお洒落なマフラーをいただき、もう少し余生を楽しめとの励ましのように思う。


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庭の秋と月

2018-10-24 | 小庭の四季
 朝霧が晴れると、快晴の秋日和となった。
 午後帰宅。
 荷物を置くと、家の周りを歩く。
     
          ジューンベリーの黄葉

     
          ホトトギス、咲き続く

       
            高砂百合
          季節遅れの開花

     
        万両の実、少し赤みを帯びて

     
        南天の実も、色づいて

 夜は、お月さまを眺める。
     
          裏庭より(7時)

     
          前庭より(8時半)

     
          同上(9時過ぎ)

     
       夜の庭(高砂百合とツワブキの花)

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4時40分の目覚まし

2018-10-24 | 身辺雑記
 廊下のソファの辺りから、話し声が聞こえる。
 もう朝? と枕元の目覚まし時計のライトをつけてみる。
 時計の針は、4時40分を指している。
 FさんとSさんの話し声である。

 Fさんが入居されて、北廊下周辺の雰囲気がガラリと変わった。
 廊下から、絶えず話し声が聞こえる。
 93歳のSさんは、Fさんの指示通りに動いておられる。
 以前から、Sさんは廊下などで言葉を交わすと、<退屈>という言葉を発しておられた。Fさんという知己を得て、その退屈を紛らせておられるのかもしれない。迷惑がっておられる雰囲気はまるで感じられない。
 昨年までは、常識を備えた人であったが、今年になって、かなり思考力が鈍ってこられた。つい最近のことを忘れらるようにもなったし、客観的な判断力も鈍ってこられた。

 早朝の会話が、他室の人へ迷惑になるという思考が、お二人にはできないようだ。
 直接迷惑を被っているのは、ソファに近い私だけであろう。私が我慢すればいいことなのだが、私もわがままなので、おおらかに平然と構えることができない。最近は我慢を強いられている感じだ。
 ついに朝のまどろみまで奪われるのかといった不満がつのる。個室でありながら、個を殺した集団生活に絶えているような…。

 家で暮らせばいいのだ、と思ってみる。が、食生活を考えると、買い出しも作ることも億劫である。我慢しつつ、施設のその時々の環境に慣れるしかないのかと、頭を抱える。それに、最近のように転倒を繰り返したりすると、先々のことなど案ずる必要もないかと自虐的なことも考えてしまう。

 夜明けまで話が続くのかしら? と眠れずにいると、15分で話し声は止んだ。
 早朝の廊下は、部屋より寒いだろう。廊下にいるのが耐えられなくなったのかもしれない。
 朝冷えの感じがしたので、暖房を入れ、部屋を暖める。すると、再び浅い眠りに入ることができた。

 6時、本式に起床してみると、窓の外は霧である。
 夜が明けて、霧はますます深くなった。近くの山は見えていたのに、その山も、さらには眼下の家々もみな霧に包まれた。
 施設に入ってから、初めての眺めであった。
 7時のお日様は、月のようにおぼろであった。

     

 午前中、ゆめタウンに行って、眼鏡のフレームの付け替えをしてもらった。
 二度も、転倒の原因となったつっかけは、今日家に持ち帰った。しかし、よく考えてみると、本当の原因はつっかけではなく、私の体力の弱りである。

 帰宅と同時に多忙な午後となった。
 電気店に電話して、お風呂場の電球の取り替えを依頼したり、灯油の配達をお願いしたり、10月の常会費を担当者に届けたり……。
 そして、たまった新聞3日分を読んだ。洋間のソファに寝そべって。

 生きている限り、なんの煩いもなく、のんびりできる日はないらしい。
 が、自由気ままであることの、なんという楽しさ!
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『コンビニ人間』

2018-10-23 | 身辺雑記
      村田沙耶香著『コンビニ人間』    
      

 久しぶりに若い作家(1979年生まれ)の小説を読んだ。
 二年前、芥川賞受賞のニュースを聞いたときには、直ちに読んでみたいとは思わなかった。
 が、先日、店頭に、文庫本となって積まれているのを目にし、ふと、読んでみる気になった。

 今日は昼前、前回の内出血の跡が完全に消えないうちに、再び転倒し、気分が上々というわけではなかった。が、読み始めたところ、その不快感などすっかり忘れ、一気に読むことの楽しみに浸ることができた。

 作者の筆力に脱帽した。
 うまいと思った。
 現代を生きる人間が、よく描けている。
 私にはあまり縁のないコンビニも、そこで店員として働く主人公も新鮮で、いかにも現代的でありながら、描写力に優れ、人の生き方を見つめる目の確かさにも深みがある。

 最後の段落は、蛇足ではなかろうか、と感じた。
 が、解説者・中村文則さんの文章を読んで、なるほどそういう読み方もあるのか、と思った。伏線となるものを十分読み取っていなかったのか? と。

 しかし、小説は自分なりの感じ方で読めばいいのだろう。
 作家村田沙耶香さんとの出会いを嬉しく思っている。この作者のものであれば、旧作、新作も機会があれば読んでみたいと……。
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