ぶらぶら人生

心の呟き

母の命日

2012-07-29 | 身辺雑記
 今日は、母の祥月命日である。
 平成4年の永訣の時から20年が経った。
 今日も、20年前の日と同じように、夏陽の燃える一日であった。

 妹夫婦がお供えを持って来宅。
 一緒にコーヒーを飲みながら、ひとときを過ごした。

 母の亡くなった歳まで生きられるなら、なお10年がある。
 過ぎた10年は瞬く間であったが、余生の10年を考えると、少々複雑な気分である。
 老いの日々は、安穏に楽しめる日ばかりではあるまい、と思えるゆえに…。

 母にしても、父にしても長命であった。
 長生きはおめでたいことではあるけれど、必ずしも、<長命> = <幸せ>とはいい難いのでは?
 私自身が老境を生きる身になってみると、老いてからの歳月は、結構、難儀を伴うことのような気がする。
 かといって、死期だけは、早めることも遅らせることもできはしない。
 生存の可能な限り、日々を息災に、愉しく生きるように努めるしか仕方ない。


 妹たちを送って、外に出たついでに、近所の百日紅の花を見に行った。
 先日来、家の窓から眺めていた花の下に立ってみた。
 咲き満ちて、ピンクが盛り上がっている。
 花に出会える、これも、ささやかな喜び。

   

 そうだ、夾竹桃の花も見てこようと、かつてスーザンさんが借りておられた家にも行ってみた。
 空高く繁っていた木が剪定されたらしく、背丈が短くなっていた。
 梢の先に、花の影をわずかに認めた。

     

 スーザンさんが軽井沢に転居された後、空き家になっているとばかり思っていた家の庭に、バイクが一台置いてあった。
 若者の気配を感じた。
 家主の子息が住んでおられるのかもしれない。
 田舎に生活していても、都会なみに、数軒先の情報が不確かである。、

蔓延るコニシキソウ

2012-07-24 | 身辺雑記
 徹底的に庭の草抜きをしてもらったのだが、ヨウちゃんの死角となった草がある。
 前庭の、砂利の上に蔓延ったコニシキソウ。(写真)
 地面に地図を描いたように広がる。
 これを抜くのには、力もいらないし、時間もかからない。(茎が折れると、粘っこい白汁が出て少々不愉快だけれど。)
 明朝にでも、涼しいうちに、抜いておこう。

 コニシキソウは、実に地味な雑草である。
 しかし、図鑑で調べて以来、その名前を忘れたことはない。
 かつて活躍した、ハワイ出身の力士の名前と結び付けて覚えたからだろう。

        

 それに対し、毎年、名前を思い出すのに苦労する花がある。
 今年も、花壇の隅で、花数を増やしつつある黄色い花。(写真)
 (草花舎には、ピンク系の花があり、色は様々のようである。)

 あれは…?
 と、幾度も花を見据えて考えるけれど、名前が浮かんでこない。
 昨年も、妹に電話して教えてもらった。
 4音のカタカナ名には違いないと思うけれど…。
 そのうち思い出せるかどうか?

 (ブログの途中で、庭に出た。
  花壇の中にも、コニシキソウが蔓延っている! そう思って眺めているうちに、湧くように<ランタナ>という名前が浮かび上がった。黄色い花は、そうだ、ランタナに間違いない! 確信して、またパソコンの前に座った。
 「脳内現象」(脳学者・茂木健一郎氏の本で知った言葉)の、なんと不思議なこと!)

        

 梔子の花が、今年は5個咲いてくれた。
 芳香を漂わせ、新たに咲いた花をカメラに収めた。(写真)

      

二日がかりで

2012-07-23 | 身辺雑記
 昨日から今日にかけて、Hさんに崖の草刈りをしてもらった。
 例年は、午前中に草刈りを完了し、夕方4時ごろから、刈り草の片づけをしていただいていた。
 今までどおりなら、昨日のうちに、作業は終わる予定であった。
 が、昨日午後、Hさんから電話があり、片付けは今日ということになったのだった。

 Hさんは、私と同年。
 炎天下での重労働が、年々、身に堪えるだろうことは十分想像できる。
 日延べの理由は、そこにあった。

 今日、朝からお昼前にかけて、刈り草の片づけを終えてくださった。
 崖の草刈りは、二日がかりの作業となった。

 毎年、作業日には、Hさんの補助役として、一緒に来てくださる夫人のヨウちゃんに、今年は特別に草取りをお願いした。
 帯状疱疹が治りきらないのを口実に、4月中旬以来、伸びゆく草を無視してきた。
 そこで、雑草は、適度の降雨と好天により、伸び放題だった。

 先日、庭木の剪定の際、庭師のO夫妻が、木々の周辺だけは、草取りもしてくださった。
 が、それ以外の場所でも、草は自在に伸びている。
 その処理をヨウちゃんにお願いしたのだ。
 黙っていても、側溝周辺の草を取りは、いつもしてくだるのだが…。
 昨日以来、ヨウちゃんは、私の依頼に応えて、徹底的に草取りををしてくださった。

 7月の行事である剪定と草刈りが終わり、崖も庭もさっぱりして、家周辺の風通しがよくなった。
 気分も、すっきりした。

 今日は、7月23日、<市民防災の日>と定められている。
 10時のお茶を一緒にし、3人で話しているときに、サイレンがなった。
 豪雨による犠牲者の冥福を祈る合図である。
 昭和58年の集中豪雨は、多くの人命を奪い、甚大な被害をもたらした。
 Hさんも、被災者のひとりである。裏山が崩れ、住み慣れた家を失われた。
 29年前の、その豪雨災害を思い出し、暫く思い出話をした。

 当時の苦労は、歳月を経て薄らいではいるが、水の怖さと被災後の大変さだけは、体験を通して理解し得るつもりだ。
 九州の被災地では、今もなお、苦労の多い日々を過ごしておられることだろう。


 昨日、花瓶に挿すようにと、ヨウちゃんが「五色(錦)ドクダミ」を持ってきてくださった。(写真 上)
 そして、今日は、鉢植えのドクダミを。(写真 下)
 今は緑の葉だが、陽を受けて、五色の美しい色になるらしい。

 日々、その移ろいを観察する楽しみができた。

      

              

「大暑」の日

2012-07-22 | 身辺雑記
 今日は、暦の上の「大暑」。
 暑いのが当たり前となって、猛暑が続いている。

 お隣の家では、兄妹二人が、仮設のプールで楽しそうであった。
 全く危険のない水遊び。
 日曜日の今日は、子どもたちの若い両親も加わって。

 通りかかった私も、ひと時の清涼をいただく。

      

              


 カナカナの声が急に増えた。
 暫くは、蜩の季節。

 三日月を探しに、夕方の庭に出た。
 上空が賑やかである。
 見上げると、電線に燕が集合していた。(月影は見えなかったけれど…)

 これも、「大暑」の日の、一幅の景。

     
 

撫子の花

2012-07-19 | 身辺雑記
 そろそろ「思い草」(ナンバンギセル)の咲くころだろうか? と、崖の草むらを探しているとき、その上方に「撫子」の花が咲いているのに気づいた。
 真夏の中にも、<秋>が潜んでいるかのようだ。
 結局、「思い草」は見つからなかった。

       

 思い切りよく庭師が剪定をしてくださったので、咲き始めていた槿の花もなくなり、家の庭から一切の彩りが消えた。
 寂しくなったな、と思いながら、家の横に回ると、梔子の花が、小木の陰に、白く崩れて咲いていた。
 蕾が、もう一つは確実にある。開花の時期を楽しみに待とう。
 前庭の万両は、三角錐の蕾をたくさんつけている。やっと開花した花もあった。

 今日も、暑い!
 夏は苦手な季節である。

   

7月の庭 (猛暑の日)

2012-07-18 | 草花舎の四季
     

 草花舎へ食事に出かけた。
 梅雨の明けた夏空を眺めながら。

 真夏の日差しが、容赦なく降り注いでいた。それでも、日差しが強い割には、身体に暑さがこたえない。
 夏らしい夏は、梅雨期の蒸し暑さに比べれば、かえって凌ぎよい、そんな感覚だった。

 しかし、今夕のニュースで、当地の気温が全国で二番目に高い37・6℃だったと知り、驚いた。
 なるほど、あの日差しは異様だったと、改めて思った。
 その途端に、急に身体が熱を帯びてきた。エアコンの部屋にいながら…。
 不思議な感覚だった。

 気温がそんなに高くなっているとは知らず、炎天の庭をいつものように歩いた。
 夏の庭に、花は少ないけれど、見落としそうな小さな花にも足を止めて。

 前回、草花舎を訪れた日には、体調不良でお店に姿のなかったTちゃんが、今日は元気そうで安心した。
 栄養的に、この上なく身体にいいという、緑の野菜に果物をプラスして作られたジュースを試飲させてもらった。
 青菜特有の、くせのある味や匂いは、果物(今日は、草花舎の庭で実った夏橙)によって中和され、実に美味であった。


  
    外国製の涼しそうなテーブルクロスと空調の微風に揺らぐオブジェ
 
    以下は、庭の花々。

  

  

                       

梅雨明ける

2012-07-17 | 身辺雑記
    

 今日、広範の地域で、梅雨が明けた。
 たちまちの猛暑。39.2度を記録したところもあるという。
 当地では、15日に、35・2度の猛暑日となった。その前後から、夏日が連続している。

 梅雨明けの今日も、気温は高いが、じめじめさはなく、凌ぎよい。
 これから本格的な夏の日々となるのだろう。
 空も、夏本番である。(上の写真)

 昨日、庭木の剪定をしていただいた。
 木と木の間に空間ができ、軽やかで涼やかな眺めとなった。(下の写真)
 地面を覆っていた雑草も、潔く引き抜いてくださった。
 私の気分まで軽くなった。

    

怒らず笑って…

2012-07-13 | 身辺雑記
 昨日の「天声人語」に、

 <週刊朝日の名編集長だった扇谷正造は「一怒一老一笑一少」の言葉を好んだ。
  一度怒れば一つ老い、一度笑えば一つ若返る。還暦を過ぎて大声で怒鳴る自身
  への戒めだったそうだ。云々>

 とあった。

 扇谷正造氏ご自身が、日々の戒めとされた言葉。
 私も、「一怒一老一笑一少」をお借りして生きよう。
 私の場合、まず人に向かって怒鳴ることはしないけれど、心の乱れることはある。
 つまらない苛立ちは、老いをますます醜くしそうだ。心穏やかに暮らしたい。

 「一笑一少」、確かに、笑って過ごせば、若返りできそうな気分になる。
 世の中、辛いことが多すぎるけれど、笑みのある暮らしを、と思っている。


      ×  ×  ×  ×  ×  ×  ×

    一昨年、捩花(ネジバナ)の鉢をもらった。
    今日、その鉢に、今年も花が咲いるのに気づいた。
    強い日差しのなかに。
    <よく咲いてくれたね>
    そんな思いで、長く伸びた茎の花を眺める。
    <別名 文字摺草(ミジズリ)ともいう。>    

       捩花はねぢれて咲いて素直なり   宮津昭彦 (『新日本 歳時記』より)

    捩花は、螺旋状にねじれて咲く花。しかし、素直に。しかも、優しく。     

     

<とみ定食>

2012-07-12 | 身辺雑記
 郵便局に用のある日は、帰途、草花舎によって食事をすることが多い。
 が、昨日(木曜日)は定休日だった。
 そこで、散歩をかね、少し遠出して、レストラン<とみ>に出かけた。(昨日のブログに既述)

 入り口の美しい花に迎えられて。

      

 <とみ定食>(840円)は、お魚中心のお膳である。
 鮮度のいい魚料理に満足する。(お刺身・フライ・お吸い物)
 その他に、小鉢とお漬物。
 
 ご飯は多すぎて残したが、おかずは全部いただいた。
 食後には、コーヒーも。 

        

 正午頃は、空全体を薄い雲が覆っていて、風景が霞んでいた。
 レストランの窓から、海に向かって延びる道や山蔭に敷設された山陰本線の路線を眺める。 

 今年の春の頃から、市内のあちらこちらに熊が出没している。
 <とみ>の周辺にも、熊が出たという情報があった。
 山すその路線の辺りを、熊はのそりのそりと歩いていたのだろうか? 
 黒い塊の幻覚がよぎる。
 今も、繁みに潜んでいる可能性は大である。

 (ひと時に比べれば、市役所からの<熊出現情報>は減っているけれど…。)

   
 

槿の花が咲いて

2012-07-12 | 身辺雑記
 ニュースによると、九州には(特に熊本地方を中心に)豪雨が続き、大被害をもたらしているという。
 昨年来、自然災害が多すぎる。

 当地も、昨夜は大雨洪水警報が出て、一時雷鳴が轟き、強い雨が降った。
 が、今日は次第に雲が薄くなり、昼過ぎには完全な夏空となった。

 郵便局と「レストラン」(とみ)に出かけた。
 この夏初めて汗をかいた。
 気温が上がっているのだろう。湿度もかなり高いのだろう。
 へとへとに疲れた。
 帯状疱疹を病み、体をいたわっているうちに、体力が落ちたらしい。
 行きの20分、間に食事をはさんで、帰途の20分を歩いただけなのに…。
 情けない思いだが、現状を受け入れて生活することも大事だろう、と考えている。

 
 帰宅して、裏庭の槿が、高い梢に花をつけといるのに気づいた。青空を背景にして。

        

 野辺で出合った、夏の花々も留めておこう。
 ホトトギスや鶯の声を聞き、草花の彩を眺める楽しみがなければ、散歩の疲れは倍加するだろう。
 耳に、ジージーと聞こえるものがあった。
 蝉の声?
 少し早すぎる気もするのだが…。