ぶらぶら人生

心の呟き

合歓の木の今

2019-04-30 | 散歩道
 昨日の午前中、雨の降り出す気配が感じられないので、Y邸にある合歓の大木を見に出かけた。
 若葉ののぞき具合を確かめるために。
 その枝えだは、栴檀以上にそっけなく、まだ芽吹く気配はまるでなかった。
 <うつわ>のAさんの言葉どおりであった。
 合歓といえば、花ばかりを気にして、花のころ、細かい羽状の葉に気づくだけであった。

 今日は昼食を済ませ、3時から部屋の掃除をしていただく日なので、それを終えたら、一旦帰宅の予定にしている。
 次回、施設に戻ったら、また合歓の木の下に行ってみよう。

     
            合歓の木

     
            この木は?
 見慣れない色合いの葉を茂らせる庭木が、気になっている。
 なんの木であろう?
 夏になれば緑に変わるのだろうか。
 

       
      針槐(ハリエンジュ)=ニセアカシヤの花
          満開までもう一息。


    
        野草にも、美しいものがたくさんある。
  折りたたまれた形は、そのうちほどけ、どんな姿を現すのやら?

      
              造化の妙

    
         酸葉の赤い花とナガミヒナゲシ

      
             川面と水鳥

 向きを変えると、Kさんの車が止まっていた。窓を開けて言葉をかけてくださった。
 須臾の立ち話をする。

 今日は思いがけない人に会う日だ。
 散歩に出掛けようと入り口に降りたところで、施設のオーナーのI先生にも久々にお会いした。
 昨年10月、転倒したおり、大丈夫かと声をかけていただいて以来のように思う。
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<ギャラリーうつわ> その2 花々

2019-04-29 | <うつわ>便り
 花を眺めていると、心が安らぐ。
 昨日、<ギャラリーうつわ>の店内に活けられていた花や、庭に華やぎ始めた花々。
             
             室内の花
           <手の添えられた美>

        

     

     

     
        
         

        

              庭の花
           <自然のままの美>

        

        

        

       
           以上 オダマキの花

     

     
          以上 ミヤコワスレ
          
     
            ゲンペイソウ

     
              ツツジ

     

         

     
            カツラの葉
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<ギャラリーうつわ> その1 鉛筆画展

2019-04-29 | <うつわ>便り
 昨日、<ギャラリーうつわ>で、鉛筆画展をみた。

    

            山口幸一展

 山口さんの展示会は、今まで、幾度も開催されているようだ。
 年々、画材を変えて。
 この度は、高校生の柔道部の練習風景が中心であった。
 その他、萩市の藍場川の雪景色や、額紫陽花などが描かれていた。 

 偶然、会場で山口幸一さんにお会いした。
 萩在住の方である。全く気取りのないお人柄が、そのまま画風となっているようだ。
 鉛筆一本で点描するような描き方を想像するだけで、気の遠くなるような作業である。
 根をつめ、丹念に長時間かけて作業することを全く不得意とする私には、そうした創作に打ち込めること自体が不思議である。

 鉛筆画といえば、かなり昔、草花舎で開かれた、吉村芳成さんの作品展を思い出す。
 自画像といい、花々の絵といい、言葉を失うような精緻な作品であった。
 63歳という早逝が惜しまれる。
 その子息が、やはり鉛筆で、野良猫を描いき続けておられると、山口さんからうかがった。

 私にとっては、不可思議にさえ思える世界である。
 もっぱら楽しませていただく側の存在である。

 作品の一部を添付しておく。
照明を避けつつカメラに収めた。が、見栄えのしない写真になり、山口さんに申し訳ない思いである。
 この方向からがいいと思います、などといろいろ指示してもらいつつ撮影したのだが……。
 
     

     

     

     

        
           (以前の作品)

       
            展示室の花
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<ギャラリーうつわ>へ

2019-04-28 | 散歩道
 天候も体調も万全ではなかったが、4月中に<ギャラリーうつわ>に出かけるとすれば、今日しかない。
 (明日も明後日も、雨が降るとの予報が出ている。)
 今日は雨の心配はないが、曇り日で肌寒い日であった。

 川沿いの、桜並木の道は、両端を桜花の蕊で臙脂色に染めていた。
 晩秋から、つい最近まで、川面は枯れ葦で覆われていた。
 その間、街中を流れる益田川は、決して美しい川とは言えない。
 あの枯れ葦はどうなるのだろう? と、毎年思いつつ、その成り行きを観察することもなかった。

 自然の営みは大したものだ。
 新たな緑の成長によって、枯れ葦はひとりでに傾げ、枯れ朽ちていくらしい。
 そんな気配が感じられた。
 まだヨシキリの声もなく、川全体が蕭条とした雰囲気である。
 お天気のせいもあるだろう。また、私の気分が何となく冴えないせいもあるのだろう。

 <ギャラリーうつわ>へ行くときは、必ず公園の大樹にご挨拶する。
 栴檀の大樹は、こせこせと急がないらしい。
 悠然と大きく枝を広げたまま、まだ緑を纏うことなく佇んでいる。

     
 
 この春は、格別、新緑を美しいと感じると同時に、芽吹きにかなりの遅速があるのに気づいた。
 就中、栴檀の芽吹きはかなり遅いようだ。
 <ギャラリーうつわ>で、Aさんにその話をしたところ、合歓の木も遅い、と教えてくださった。そう言えば、合歓の新緑を意識して眺めたことがない。
 大サボテンのあるY邸に合歓の大木があることを昨年知った。
 今年の花を楽しみにしていたが、新緑のことは考えてもみなかった。
 次回の散歩では、気をつけて眺めてこよう。    

 道中、花水木にも会った。
 花は、とっくに盛りを過ぎたようだ。

     

     

     

 大塚散歩のとき、洋風の建物の前で、上掲の植物に出会った。
 今日また、赤い葉と小さな花をつけた美しい木に出会い、樹木名が知りたくなった。
 インターネットで調べてみた結果、レッドロビン(べにかなめもち)ではないかと思う。
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久しぶりの落日景

2019-04-27 | 身辺雑記
 夕食後、しばらく待たなくては、落日の景を見ることができなくなった。
 いつの間にか、一日が長くなった。
 しかも、落日の位置が、随分、北よりに変わった。
 自室のドアを開ると、目の前に入り日を眺めることができる。

 当地の日没は18時53分となっているが、海上に雲の層があり、間もなくその中に消えゆく気配である。

     
            18時39分

     
            18時42分

     
            18時43分

 今日が無事に終わろうとしている。
 今朝は、起床後しばらく激しい咳が出て、検温すると微熱もあった。
 また風邪だろうかと、重ね着をして静かにしているうちに咳が治った。
 微熱は続いたが、37.5以下なので気に留めずに暮らす。
 今朝は、かなり気温が下がっていた。激しい咳は、そのせいだったのだろうか。
 (老人の熱は、若いときに比べて高め…?)
 
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野花と遊ぶ

2019-04-27 | 散歩道
 昨夜はかなりの荒れ模様だった。
 しっかり防音された部屋でも、嵐の気配が感じられた。

 そして、今朝は寒い朝であった。
 午後になってやっと風が和らぎ、日差しも暖かくなったので、野花と遊ぶため施設の周辺を歩いてみた。

 まずは、ミヤコグサを探すことにした。
 この花は、10年くらい前、土田海岸へ向かう散歩の途次、色の鮮黄さと風変わりな花弁に目を止め、自分で名前を調べた植物である。以来、親しみとゆかしさを覚える花となった。
 施設の近くに咲くことは、すでに知っていたので、まず、その場所に行ってみた。
 咲いていた!
 心和んで、対面する。

     ミヤコグサほか、今日出会った野の花たち

            ミヤコグサ

     

     

     

         アカツメクサとシロツメクサ

     

     

     

     

            コバンソウ

     

             アザミ

     

     

           ヒメジョン(?)

     

          ヒメツルニチニチソウ

       

           オオイヌノフグリ

     

           名前を知らない花

         

          

     

     

 
 海の見える場所まで行って見た。

         荒れ模様の日本海と高島
     

          釣り人のいる船着場
     
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映画鑑賞

2019-04-26 | 身辺雑記
 施設の3階で催された映画鑑賞会に参加した。
 前回(昨年の秋ころであっただろうか?)に続いて、二度目の参加。
 今回も、『裸の大将』であり、<高岡編>であった。

 と書いて、前回はどこが舞台だったかしら? と考え込むが、とっさに出てこない。
 山下清が、お世話になった地を離れ、大河を船で下って行く場面で終わっていたことは思い出すけれど、場所や内容については曖昧極まりない。
 忘れることへの申し訳として、その場その場で感動すればいいのだ、と考えたりする。
 ブログにも書いたはずであるし、あのときは、映画鑑賞のあと、山下清の本や、山下清について書かれた本を求めて読んだりした。

 芦屋雁之助演ずる山下清より、今回は悪戯っ子(子役)の演技に感心した。
 山下清が、その子に自分の旅の荷物(バッグ)を隠されるところから始まる。
 小銭さえ失ってしまった山下清は、「高岡ホテル」でお世話になる。
 そのホテルの娘で、彫刻家であり、少年指導員でもある女性・よし子(十朱幸代)が登場。
 山下清・よし子・悪戯っ子を中心に、ドラマは展開する。
 親子離散の悲劇などを盛り込みながらの人間ドラマ。

 一時間余りの映画だったが、きちんと椅子に座して見ていたせいか、ひどく疲れた。
 だいたい今日は朝から、体調は「上・中・下」の「下」であった。
 (数独も、一度で正解を得られなかった。)

 左肩がひどく凝る。「バンテリン液」を塗ってごまかしてみる。

 今日は富山県に縁のある日らしく、民間のテレビをつけ、ぼんやり見るともなく眺めていたら、
 砺波のチューリップを紹介していた。(下の写真)

     

     

     

 今日のドラマの舞台・高岡を旅した日もあった。
 砺波を通過したのは、大牧温泉(船でしか行けない風情のある温泉であった)から、富山に抜ける途中だったように思う。
 遠い昔の、曾遊の地を懐かしむ。
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花々を眺めながら

2019-04-25 | 散歩道
 いつ降り出してもおかしくないような空模様であった。
 気持ちが、歯の不具合に向くと、痛みが増してくるような気がする。
 痛み止めの薬はなるべく飲みたくない。
 体を動かし、道の辺の草花など眺め、気分転換を図ることにした。

 よく歩くコース。
 大塚神社の前を通って、大サボテンのあるY邸まで行き、別の道を引き返すという散歩コース。
 スマホによると、<総距離2キロ、2732歩>。
 短距離散歩である。

 よく目にする植物ばかりだが、名前の分かる植物、その名を思い出せないもの、名前を知らないもの、いろいろである。

 出会いの順に、花々の表情を添付することにする。

     
            ソラマメの花

               

                  

     
             ツツジ

     
             ツツジ

     
            ナガミヒナゲシ

     

     
             ツツジ

     

     
             ツツジ

     

     
      上2葉 ハリエンジュの花(ニセアカシヤ)

     

     

     

     

     


        < 大サボテンのある花壇 >

     

     
           上2葉葉 バラ
  
     
       大サボテン(なお実を数個とどめて)

     
       大サボテンの鉢に置かれた実と花

     
           チューリップ

     

     

     

          
            再び野や庭先の花

     

     
           モッコウバラ(黄)

     
            オオデマリ

     
            ウツギ(?)

       
           モッコウバラ(白)

     

     

     

         
           ハナショウブ(?)

     
           エンドウの花(?)

     

     
             ガーベラ

     

     

     
          畑いっぱいの葱坊主

     
           アカツメクサ

     
      遠い山並みだけでなく近景さえ霞んだ風景
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吉沢久子著・2冊

2019-04-24 | 身辺雑記
 赤旗の日曜版に、吉沢久子さんのエッセイが周期的に出ていたのに、最近見かけないなと思っていた。
 逝去されたことを全く知らなかった。(朝日新聞などでも、死去は報じられただろうけれど……。)
 赤旗の日曜版(4月14日)で、「追悼 吉沢久子さん」を読み、101歳の大往生だったことを知る。

 最後の夕食には、オムライスとクリームコロッケを食べ、その数時間後、眠りについたまま息を引き取られたという。ああ、こういう最期もあるのかと驚嘆する。

 最期まで自立した高齢者の死に遭遇したのは、96歳で亡くなった父の死だけである。
 父の場合は、一週間前から急速に食が細って、最期を迎えた。
 それは、老衰者に訪れる典型的な死の姿かと思っていた。
 ところが、吉沢久子さんの場合、ご病気だったのか老衰だったのか知らないけれど、いずれにしても、最期のお食事が、オムライスとクリームコロッケとは!

 エッセイ「四季折々」が、17年間も続いたのかと感慨深い。それらのエッセイをまとめ、『楽しく百歳、元気のコツ』(新日本出版社)が、最後の著書となったと紹介されていた。

 それはすでに読んでいるエッセイであるから、他の100歳話を読んでみようと、以下の2冊をアマゾンへ注文した。

         吉沢久子著
      『100歳の100の知恵』

  (中央公論新社・2018年4月25日刊)

     


         吉沢久子著
      『100歳。今日も楽しい』

  (主婦の友社・2018年3月31日刊)

    


 <工夫することが頭の体操>とか、<自分の体の声を聞いて暮らしやすい環境に>とか、<心と体のもとはやっぱり食べること>だとか、体験を通して語られる至言は多いのだが、私にとっては、なかなか実践は不可能に近いことばかりである。
 人間はそれぞれ同じ条件下には生きられないのだから、宝石のような至言は、胸にとどめながら、私は私の日々を生きていくしかない、と思っている。

 吉沢久子さんの立派さは、生涯一貫して、反戦を訴え続けられたことである。
 赤旗日曜版の記事にも、「声が続く限り戦争の愚かさを訴え、戦争はいやだ、憲法9条を守ろうと訴えたい」と、記者に語っておられたという。
 
 考えてみると、「平成」と呼ばれる時代が、後一週間で終わる。
 憲法改正など行われたら、「令和」を生きる人たちは、夢など持てなくなってしまう。
 私は昭和8年生まれで、終戦の年は12歳であった。
 山陰の田舎暮らしだったので、戦火に見舞われることはなかったけれど、戦争の悲惨さ非情さは十分体験した。
 食糧難の戦後も惨めであった。女学校在学中には、お弁当泥棒があり、一斉にカバン検査を受けた惨めな思い出は忘れられない。
 私の世代は、幼くして、非人間的な時代を体験させられた。
 いつの時代であっても、良い戦争などあり得ないし、いかなる正義もない。
 戦争は絶対悪であるし、戦争に移行可能な道を開くような政治が行われてもならない。
 吉沢さんの戦争に対する考えに、全く同感である。
 (「ぶらぶら人生」では、封印していた思いを、吉沢さんにあやかって記しておきたい。)

 
         (^.^)(^.^) (^.^)(^.^)(^.^)(^.^)(^.^)

 今日から、<ご飯>を<軟飯>に替えてもらった。
 <お粥>と違って、<軟飯>は<ご飯>に近くて美味しいし、歯の不具合にとってもやさしい。
 もう少し早く(今年の始めころから)、施設の職員に相談すべきだった。
 <ご飯>と<お粥>との間に、<軟飯>のあることを全く知らなかった。
 今日は、久しぶりに食事らしい食事ができた。

 <軟飯>という語彙は聞き慣れない言葉なので辞書を調べた。
 広辞苑には出ていなかったが、インターネットで調べると、本来、幼児の成長過程において、米飯の炊き方として遣われることを知った。
 なるほど! と納得。
 老いることは、何かにつけて幼児に戻るらしいことは否めない。
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施設の藤ほか

2019-04-23 | 身辺雑記
 久しぶりに施設へ戻った。

 昼食から食事をいただく。
 歯に気兼ねしながらの食事は味気ない。
 ゆっくりゆっくり柔らかいものだけいただく。

 午後は雨になるという予報である。
 降り出さないうちに、施設の庭に咲く藤を見に出た。
 戸外には、雨の前の、なま温かな風がかなり強く吹き、藤の花房を揺らしていた。
 藤花の香も、辺りに漂わせながら。

     

     

     

 ついでに、施設の周囲を一周した。

     
      (施設の垣根の外にはみ出して咲く花。)

        施設の裏側の民家周辺に咲く花々。
         

         

       

         

        

     

     

     
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