ぶらぶら人生

心の呟き

11月30日 夕月と夜の月

2009-11-30 | 身辺雑記
 草花舎からの帰り道、東の空に13夜かと思える月があった。(写真①)
 保育所のすぐ上に、その月はあった。

 夜は曇りだと、天気予報が報じており、お月見はだめだろうと思っていた。
 が、就寝前、玄関に出てみると、天心に月が冴えていた。(写真②)

 月を眺めているとき、心はひととき、月に和して澄明となる。


              ①

              ②
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スーザンさんのお土産

2009-11-30 | 草花舎の四季
 草花舎で、スーザンさんと食事をした。
 フランス土産に、ジャムとカード型の懐中電灯をいただいた。(写真)
 ジャムには、生姜と肉桂が入っていて、試食すると、かおりがよく、体に独特な温かさがゆきわたる気がした。

 カード型の懐中電灯は、この上なく極小のランプである。
 裏側に赤字で<PRESS>と書かれた部分があり、スーザンさんが抑えられると、可愛いランプが点った。
 名刺大の、<Violette>の絵入りカードである。
 カードの中にしこまれた電池には、使用期限があるだろう。が、そのあとのカードは、記念として残すことができる。
 こんな愛らしい実用品を生み出す発想が面白い。
 どんな頭脳が生み出すのだろうか。

 夜、家の中の灯りを消し、カードランプをつけてみた。
 小さな灯りは、思いの外、明るく闇を照らしてくれた。

 スーザンさんが、フランスの、とあるお店で、この小品を手にされ、お土産選びをなさっている光景を思い描くと、これがまた、楽しい気分を誘ってくれるのだった。

             
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11月の庭 (地面には)

2009-11-30 | 草花舎の四季
 青空と梢を見上げた眼を地面に転ずると、そこにも美しさがあった。
 樹下には、木々の名残りがある。
 ナンバンハゼの木の下には、落葉の色模様が美しく(写真①)、山茶花の木の下には、細長い、白色の花弁が、無数に散り敷いていて美しかった。(写真②)

 いずれの樹下にも、季節に関わりなく、絶えず萌え出る草の緑がある。それに、紅葉や花弁の白が混じり合って、ひと時の美を生み出しているのだ。


               ①

               ②
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11月の庭 (見上げれば)

2009-11-30 | 草花舎の四季
 今日で、11月が終わる。
 月末の今日は、ぽかぽかの小春日和であった。

 草花舎に行く。
 スーザンさんも来られるというので、待ちながら庭を歩いた。

 木々の梢を見上げ、青い空に点在する木の実を見た。
 ナンバンハゼの実。(写真①)
 梢に残った棗の実。(写真②)
 まだ小振りのナツミカン。(写真③)
 窓辺の赤い実はテイカカズラか。(写真④)


             ①

             ②

             ③

             ④
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豪華船の影を求めて

2009-11-27 | 身辺雑記
 昨日、バスで町に出たとき、同じ町内のNさんと一緒になった。
 その際、明日の朝、7時から8時頃に、高島沖を<飛鳥Ⅱ>が通過することを聞いた。浜田港に入港するのだ、と。
 詳細は分からなかったので、帰宅後、インターネットで調べてみた。
 横浜港を出た<飛鳥Ⅱ>が、27日の朝9時、浜田港に入港停泊し、その夜、韓国・釜山へ向かうのだと分かった。

 早く目覚めたら、高島の沖を東に向かう豪華船を眺めてこようと考えた。が、朝の新聞を読み終えたのは、8時少し前だった。
 Nさんが教えてくださった時間は、すでに過ぎていた。が、とりあえず顔だけ洗って出かけた。
 しばらく、海辺にあるホテルの丘に立って、沖を眺めていたが、水平線の近くには高島が存在するだけだった。いつもと変わらぬ単調な日本海であった。目に入るのは、小さな漁船ばかりであった。

 磯伝いに近づいてくる人影があった。
 間もなく、近所のK夫妻だと分かった。
 海を見に来たわけを話し、夫妻と一緒に帰途についた。
 K夫妻は、7時半から海辺を歩いたけれど、船影を見ることはなかったと話しておられた。
 <飛鳥Ⅱ>は、早朝に、土田沖を通過したのだろうか。
 知る由もない。

 どうしても、豪華船の<飛鳥Ⅱ>を見たかったわけではない。
 朝の散歩を思い立つはずみに利用しただけであった。本気で船を見るのなら、もっと早く出かけるべきであった。
 見事に当ては外れたが、久々に朝の空気を吸うことができたし、K夫妻と爽やかな会話を交わせたのだから、よい朝であったと言える。

 (お昼の地方ニュースで、<飛鳥Ⅱ>が、浜田港に停泊している様子を放映していた。乗船客は、昼間、石見銀山や津和野などを観光するのだと報じていた。)


            

            

 浜への往復路は旧国道を歩いた。その斜面に、木が伐採されており、(写真)
 <桑の木?>
 と、足を止めて眺めたが、なぎ倒された木の種類は、よく分からない。
 旧国道沿いには、桑の木だけでなく、他の雑木もある。

 同級生のMさんが、その桑の実の熟する頃には、よく電話してくださって、桑の木の下に出かけたものだ。そして、黒紫色に熟した桑の実を食べ、子供の頃を懐かしんだものだった。
 その木だろうか?
 道を覆うように垂れていた枝がないところを見ると、桑の木なのかもしれない。

 散歩を日課にしていたのは過去のことになった。
 Mさんとは歩く時間が似通っていたので、偶然出くわせば、同じ道を一緒に歩くこともあった。
 私の方が、先に散歩をやめてしまった。
 Mさんも、ここ一、二年体調がすぐれず、外歩きできない状況のようである。
 昨年も今年も、桑の実が熟したことを伝える電話はなかった。
 伐採されたのが桑の木であるか否か、Mさんに確かめることもかなわない。
 倒された木を眺めながら、Mさんの調子はどうだろう? と案じた。
 近く、お見舞いの電話をしてみよう。

            
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幸運なイヤリング

2009-11-26 | 身辺雑記
 二週間くらい前、病院で定期健診を受けた後、R喫茶店で食事をした。
 申し合わせたように友達が入ってきたので、一緒に食事をした。
 その際、マスターが、あなたのではないかと、イヤリングの片割れを差し出された。私の座席近くに落ちていたらしい。間違いなく、私の物であった。
 早速、左耳につけ、もう一方の耳に手を当てたところ、すでに右耳のイヤリングもなくなっていた。両方とも落とし、喫茶店で落とした物だけが拾われたのだと気づいた。
 イヤリングは、戸外で落すことが多い。したがって、なくなった物が見つかったためしがない。
 また、片端(かたわ)を作ってしまった、と思いながら、マスターに拾われ、一旦は耳につけたイヤリングを外して、財布に収めた。

 友人からプレゼントしてもらったものなので、とりわけ残念であった。
 ネックレスとの揃いでもある。
 片方だけ残ったイヤリングを、記念として残しておいた。
 このほかにも、すでに連れをなくしたイヤリングは沢山ある。
 私ばかりでなく、イヤリングの一方を落とす人は多いようだ。

 M歯科で定期健診を受けた後、今日も食事をするため、R喫茶店に寄った。
 すると、マスターがまた、イヤリングを差し出されたのだった。
 前回、片方を拾ってくださった日、夕方店の掃除をしていていて、見つけてくださったのだという。
 両耳のイヤリングを、R喫茶店に入ってから落としたらしい。
 運よく、二つともマスターに拾われたのだった。
 嬉しかった。
 しっかりお礼を言った。
 こうして、すでに諦めていたイヤリングが、再び私の元に返ったのだった。

 <幸運なイヤリング>である。(写真)


            
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皇帝ダリアと水仙

2009-11-25 | 散歩道
 今日、散歩の途次、皇帝ダリアの花を三箇所で見た。
 バスの車窓からも、今年はこの花をよく見かける。
 空高く咲く花は少ないので、よく目立つ。色も爽やかである。
 育ちやすいのだろうか、年々増えている。
 近年、流行の花らしい。

       

     

 先日、草花舎の花瓶に挿してある水仙を見た。
 今日は、野に咲く水仙を眺めた。まだ花数は少ないけれど、あちこちに咲いている。
 八重も一重も。

     
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海へ

2009-11-25 | 散歩道
 昨日は「コクリ」、今日は朝日新聞の見出しに出ていたカタカナ語、「コスプレ」に、?と思った。
 
 午前中、ソコロのSさんが、パソコンの点検に訪問してくださった。
 その折、「コクリ」や「コスプレ」などの、カタカナ語を話題とした。
 Sさんは、「コスプレ」については、よくご存じだった。
 私の語彙にないだけで、ごく普通に遣われる言葉らしい。

 「コスプレ」は、今日の<オピニオン欄>のインタビュー記事、「詩はどこに行ったのか」(谷川俊太郎さん)の見出し語として出ていた。
 私はすぐ辞書で調べた。が、広辞苑には出ていなかった。そこで、インターネットで調べて、「コスチューム-プレー」から来ていることを知った。
 「コスチューム-プレー」は、広辞苑にも出ていた。
 (日本での用法)と断って、その意味を、
 <漫画・アニメの登場人物などの扮装をして楽しむこと。コスプレ。>
 と、説明してあった。
 漫画やアニメに関心がなく、全く疎いため、知る機会がなかったのだろうか?
 
 「コクリ」や「コスプレ」は、一旦理解すると、記憶に留まる。意味が理解できるからだろう。
 カタカナ語で、なかなか記憶に留められないのは、外来種の花の名前である。
 最近は、記憶力の悪さを自覚するのが厭で、覚えようと努力することさえ怠っている。

 午後、散歩に出かけた。あまり暖かな天気なので。
 運動能力の衰えと、頭脳の衰えには、相関関係があるのでは? 
 最近、そんな気がしている。
 頭を鍛えることで体は鍛えられないけれど、身体を鍛えることで、頭の働きは高められるような気がする。
 そこで、<体を動かすべし>と、自らに命じるようにしている。が、本来怠け者なので、楽な方に流れてしまいがちである。

 今日は、戸外が心地よく、外歩きが苦にならなかった。
 土田の穏やかな海辺を歩き、トベラの赤い実を見て心和んだ。 


              

              

              
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花のことなど

2009-11-24 | 身辺雑記
 髪の手入れに出かけた。
 久しぶりに、お昼前の列車に乗ろうと駅に向かった。
 ホームに上がると、機械的に遅れを告げらる放送が流れた。もうとっくに通過したはずの上り列車が一時間遅れている、と。
 何が起こったのだろう?
 私が乗ろうとする下りの列車も、すでに発車の時間を過ぎていた。が、それについては何の知らせもない。
 いつ来るとも分からない列車を待つのを諦め、タクシーを呼んだ。
 無人駅の不便さをかこちながら。

 喫茶店の窓辺には、二色のポインセチアの鉢が置いてあった。葉の華やぎが美しい。その横の座席に坐って、食事をした。
 美容院にゆくと、マンジュシャゲに似た園芸種の花が、お店の前に咲いていた。
 帰宅後、教えてもらった名前を、インターネットで調べてみたが、同名の植物は見つからなかった。私が聞き違えたのであろう。

 美容室で、週刊誌を読んでいて、「コクリ」という若者言葉を知った。
 動詞が「コクル」(告白する)、その名詞が「コクリ」(告白)なのだと。
 <コクリ失敗>と見出しにあって、とっさに意味を解することができなかった。<告白に失敗>という意味だと、美容師に教えてもらって理解はしたが、心和まなかった。
 知らぬところで勝手に増殖する、美しさに欠けた若者言葉に対し、不機嫌になるのは、老いて、頭の柔軟性が失われているせいかもしれない…。


            

            

            
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山茶花と晩秋の空

2009-11-23 | 身辺雑記
 草花舎からの帰途、山茶花と晩秋の空を眺めた。(写真)
 午前中、<ひまわりカイロ>で、身体の手当てを受けたところ、左お尻の下の、深部にあった痛みが、かなり楽になった。
 そこで、かげりのない青い空と紅白の山茶花を、晴れやかな気持ちで眺めることができた。小春日和の、日差しの温もりを楽しみながら。


              
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