草花舎で、スーザンさんと食事をした。
フランス土産に、ジャムとカード型の懐中電灯をいただいた。(写真)
ジャムには、生姜と肉桂が入っていて、試食すると、かおりがよく、体に独特な温かさがゆきわたる気がした。
カード型の懐中電灯は、この上なく極小のランプである。
裏側に赤字で<PRESS>と書かれた部分があり、スーザンさんが抑えられると、可愛いランプが点った。
名刺大の、<Violette>の絵入りカードである。
カードの中にしこまれた電池には、使用期限があるだろう。が、そのあとのカードは、記念として残すことができる。
こんな愛らしい実用品を生み出す発想が面白い。
どんな頭脳が生み出すのだろうか。
夜、家の中の灯りを消し、カードランプをつけてみた。
小さな灯りは、思いの外、明るく闇を照らしてくれた。
スーザンさんが、フランスの、とあるお店で、この小品を手にされ、お土産選びをなさっている光景を思い描くと、これがまた、楽しい気分を誘ってくれるのだった。
フランス土産に、ジャムとカード型の懐中電灯をいただいた。(写真)
ジャムには、生姜と肉桂が入っていて、試食すると、かおりがよく、体に独特な温かさがゆきわたる気がした。
カード型の懐中電灯は、この上なく極小のランプである。
裏側に赤字で<PRESS>と書かれた部分があり、スーザンさんが抑えられると、可愛いランプが点った。
名刺大の、<Violette>の絵入りカードである。
カードの中にしこまれた電池には、使用期限があるだろう。が、そのあとのカードは、記念として残すことができる。
こんな愛らしい実用品を生み出す発想が面白い。
どんな頭脳が生み出すのだろうか。
夜、家の中の灯りを消し、カードランプをつけてみた。
小さな灯りは、思いの外、明るく闇を照らしてくれた。
スーザンさんが、フランスの、とあるお店で、この小品を手にされ、お土産選びをなさっている光景を思い描くと、これがまた、楽しい気分を誘ってくれるのだった。
昨日、バスで町に出たとき、同じ町内のNさんと一緒になった。
その際、明日の朝、7時から8時頃に、高島沖を<飛鳥Ⅱ>が通過することを聞いた。浜田港に入港するのだ、と。
詳細は分からなかったので、帰宅後、インターネットで調べてみた。
横浜港を出た<飛鳥Ⅱ>が、27日の朝9時、浜田港に入港停泊し、その夜、韓国・釜山へ向かうのだと分かった。
早く目覚めたら、高島の沖を東に向かう豪華船を眺めてこようと考えた。が、朝の新聞を読み終えたのは、8時少し前だった。
Nさんが教えてくださった時間は、すでに過ぎていた。が、とりあえず顔だけ洗って出かけた。
しばらく、海辺にあるホテルの丘に立って、沖を眺めていたが、水平線の近くには高島が存在するだけだった。いつもと変わらぬ単調な日本海であった。目に入るのは、小さな漁船ばかりであった。
磯伝いに近づいてくる人影があった。
間もなく、近所のK夫妻だと分かった。
海を見に来たわけを話し、夫妻と一緒に帰途についた。
K夫妻は、7時半から海辺を歩いたけれど、船影を見ることはなかったと話しておられた。
<飛鳥Ⅱ>は、早朝に、土田沖を通過したのだろうか。
知る由もない。
どうしても、豪華船の<飛鳥Ⅱ>を見たかったわけではない。
朝の散歩を思い立つはずみに利用しただけであった。本気で船を見るのなら、もっと早く出かけるべきであった。
見事に当ては外れたが、久々に朝の空気を吸うことができたし、K夫妻と爽やかな会話を交わせたのだから、よい朝であったと言える。
(お昼の地方ニュースで、<飛鳥Ⅱ>が、浜田港に停泊している様子を放映していた。乗船客は、昼間、石見銀山や津和野などを観光するのだと報じていた。)
浜への往復路は旧国道を歩いた。その斜面に、木が伐採されており、(写真)
<桑の木?>
と、足を止めて眺めたが、なぎ倒された木の種類は、よく分からない。
旧国道沿いには、桑の木だけでなく、他の雑木もある。
同級生のMさんが、その桑の実の熟する頃には、よく電話してくださって、桑の木の下に出かけたものだ。そして、黒紫色に熟した桑の実を食べ、子供の頃を懐かしんだものだった。
その木だろうか?
道を覆うように垂れていた枝がないところを見ると、桑の木なのかもしれない。
散歩を日課にしていたのは過去のことになった。
Mさんとは歩く時間が似通っていたので、偶然出くわせば、同じ道を一緒に歩くこともあった。
私の方が、先に散歩をやめてしまった。
Mさんも、ここ一、二年体調がすぐれず、外歩きできない状況のようである。
昨年も今年も、桑の実が熟したことを伝える電話はなかった。
伐採されたのが桑の木であるか否か、Mさんに確かめることもかなわない。
倒された木を眺めながら、Mさんの調子はどうだろう? と案じた。
近く、お見舞いの電話をしてみよう。
その際、明日の朝、7時から8時頃に、高島沖を<飛鳥Ⅱ>が通過することを聞いた。浜田港に入港するのだ、と。
詳細は分からなかったので、帰宅後、インターネットで調べてみた。
横浜港を出た<飛鳥Ⅱ>が、27日の朝9時、浜田港に入港停泊し、その夜、韓国・釜山へ向かうのだと分かった。
早く目覚めたら、高島の沖を東に向かう豪華船を眺めてこようと考えた。が、朝の新聞を読み終えたのは、8時少し前だった。
Nさんが教えてくださった時間は、すでに過ぎていた。が、とりあえず顔だけ洗って出かけた。
しばらく、海辺にあるホテルの丘に立って、沖を眺めていたが、水平線の近くには高島が存在するだけだった。いつもと変わらぬ単調な日本海であった。目に入るのは、小さな漁船ばかりであった。
磯伝いに近づいてくる人影があった。
間もなく、近所のK夫妻だと分かった。
海を見に来たわけを話し、夫妻と一緒に帰途についた。
K夫妻は、7時半から海辺を歩いたけれど、船影を見ることはなかったと話しておられた。
<飛鳥Ⅱ>は、早朝に、土田沖を通過したのだろうか。
知る由もない。
どうしても、豪華船の<飛鳥Ⅱ>を見たかったわけではない。
朝の散歩を思い立つはずみに利用しただけであった。本気で船を見るのなら、もっと早く出かけるべきであった。
見事に当ては外れたが、久々に朝の空気を吸うことができたし、K夫妻と爽やかな会話を交わせたのだから、よい朝であったと言える。
(お昼の地方ニュースで、<飛鳥Ⅱ>が、浜田港に停泊している様子を放映していた。乗船客は、昼間、石見銀山や津和野などを観光するのだと報じていた。)
浜への往復路は旧国道を歩いた。その斜面に、木が伐採されており、(写真)
<桑の木?>
と、足を止めて眺めたが、なぎ倒された木の種類は、よく分からない。
旧国道沿いには、桑の木だけでなく、他の雑木もある。
同級生のMさんが、その桑の実の熟する頃には、よく電話してくださって、桑の木の下に出かけたものだ。そして、黒紫色に熟した桑の実を食べ、子供の頃を懐かしんだものだった。
その木だろうか?
道を覆うように垂れていた枝がないところを見ると、桑の木なのかもしれない。
散歩を日課にしていたのは過去のことになった。
Mさんとは歩く時間が似通っていたので、偶然出くわせば、同じ道を一緒に歩くこともあった。
私の方が、先に散歩をやめてしまった。
Mさんも、ここ一、二年体調がすぐれず、外歩きできない状況のようである。
昨年も今年も、桑の実が熟したことを伝える電話はなかった。
伐採されたのが桑の木であるか否か、Mさんに確かめることもかなわない。
倒された木を眺めながら、Mさんの調子はどうだろう? と案じた。
近く、お見舞いの電話をしてみよう。
二週間くらい前、病院で定期健診を受けた後、R喫茶店で食事をした。
申し合わせたように友達が入ってきたので、一緒に食事をした。
その際、マスターが、あなたのではないかと、イヤリングの片割れを差し出された。私の座席近くに落ちていたらしい。間違いなく、私の物であった。
早速、左耳につけ、もう一方の耳に手を当てたところ、すでに右耳のイヤリングもなくなっていた。両方とも落とし、喫茶店で落とした物だけが拾われたのだと気づいた。
イヤリングは、戸外で落すことが多い。したがって、なくなった物が見つかったためしがない。
また、片端(かたわ)を作ってしまった、と思いながら、マスターに拾われ、一旦は耳につけたイヤリングを外して、財布に収めた。
友人からプレゼントしてもらったものなので、とりわけ残念であった。
ネックレスとの揃いでもある。
片方だけ残ったイヤリングを、記念として残しておいた。
このほかにも、すでに連れをなくしたイヤリングは沢山ある。
私ばかりでなく、イヤリングの一方を落とす人は多いようだ。
M歯科で定期健診を受けた後、今日も食事をするため、R喫茶店に寄った。
すると、マスターがまた、イヤリングを差し出されたのだった。
前回、片方を拾ってくださった日、夕方店の掃除をしていていて、見つけてくださったのだという。
両耳のイヤリングを、R喫茶店に入ってから落としたらしい。
運よく、二つともマスターに拾われたのだった。
嬉しかった。
しっかりお礼を言った。
こうして、すでに諦めていたイヤリングが、再び私の元に返ったのだった。
<幸運なイヤリング>である。(写真)
申し合わせたように友達が入ってきたので、一緒に食事をした。
その際、マスターが、あなたのではないかと、イヤリングの片割れを差し出された。私の座席近くに落ちていたらしい。間違いなく、私の物であった。
早速、左耳につけ、もう一方の耳に手を当てたところ、すでに右耳のイヤリングもなくなっていた。両方とも落とし、喫茶店で落とした物だけが拾われたのだと気づいた。
イヤリングは、戸外で落すことが多い。したがって、なくなった物が見つかったためしがない。
また、片端(かたわ)を作ってしまった、と思いながら、マスターに拾われ、一旦は耳につけたイヤリングを外して、財布に収めた。
友人からプレゼントしてもらったものなので、とりわけ残念であった。
ネックレスとの揃いでもある。
片方だけ残ったイヤリングを、記念として残しておいた。
このほかにも、すでに連れをなくしたイヤリングは沢山ある。
私ばかりでなく、イヤリングの一方を落とす人は多いようだ。
M歯科で定期健診を受けた後、今日も食事をするため、R喫茶店に寄った。
すると、マスターがまた、イヤリングを差し出されたのだった。
前回、片方を拾ってくださった日、夕方店の掃除をしていていて、見つけてくださったのだという。
両耳のイヤリングを、R喫茶店に入ってから落としたらしい。
運よく、二つともマスターに拾われたのだった。
嬉しかった。
しっかりお礼を言った。
こうして、すでに諦めていたイヤリングが、再び私の元に返ったのだった。
<幸運なイヤリング>である。(写真)
昨日は「コクリ」、今日は朝日新聞の見出しに出ていたカタカナ語、「コスプレ」に、?と思った。
午前中、ソコロのSさんが、パソコンの点検に訪問してくださった。
その折、「コクリ」や「コスプレ」などの、カタカナ語を話題とした。
Sさんは、「コスプレ」については、よくご存じだった。
私の語彙にないだけで、ごく普通に遣われる言葉らしい。
「コスプレ」は、今日の<オピニオン欄>のインタビュー記事、「詩はどこに行ったのか」(谷川俊太郎さん)の見出し語として出ていた。
私はすぐ辞書で調べた。が、広辞苑には出ていなかった。そこで、インターネットで調べて、「コスチューム-プレー」から来ていることを知った。
「コスチューム-プレー」は、広辞苑にも出ていた。
(日本での用法)と断って、その意味を、
<漫画・アニメの登場人物などの扮装をして楽しむこと。コスプレ。>
と、説明してあった。
漫画やアニメに関心がなく、全く疎いため、知る機会がなかったのだろうか?
「コクリ」や「コスプレ」は、一旦理解すると、記憶に留まる。意味が理解できるからだろう。
カタカナ語で、なかなか記憶に留められないのは、外来種の花の名前である。
最近は、記憶力の悪さを自覚するのが厭で、覚えようと努力することさえ怠っている。
午後、散歩に出かけた。あまり暖かな天気なので。
運動能力の衰えと、頭脳の衰えには、相関関係があるのでは?
最近、そんな気がしている。
頭を鍛えることで体は鍛えられないけれど、身体を鍛えることで、頭の働きは高められるような気がする。
そこで、<体を動かすべし>と、自らに命じるようにしている。が、本来怠け者なので、楽な方に流れてしまいがちである。
今日は、戸外が心地よく、外歩きが苦にならなかった。
土田の穏やかな海辺を歩き、トベラの赤い実を見て心和んだ。
午前中、ソコロのSさんが、パソコンの点検に訪問してくださった。
その折、「コクリ」や「コスプレ」などの、カタカナ語を話題とした。
Sさんは、「コスプレ」については、よくご存じだった。
私の語彙にないだけで、ごく普通に遣われる言葉らしい。
「コスプレ」は、今日の<オピニオン欄>のインタビュー記事、「詩はどこに行ったのか」(谷川俊太郎さん)の見出し語として出ていた。
私はすぐ辞書で調べた。が、広辞苑には出ていなかった。そこで、インターネットで調べて、「コスチューム-プレー」から来ていることを知った。
「コスチューム-プレー」は、広辞苑にも出ていた。
(日本での用法)と断って、その意味を、
<漫画・アニメの登場人物などの扮装をして楽しむこと。コスプレ。>
と、説明してあった。
漫画やアニメに関心がなく、全く疎いため、知る機会がなかったのだろうか?
「コクリ」や「コスプレ」は、一旦理解すると、記憶に留まる。意味が理解できるからだろう。
カタカナ語で、なかなか記憶に留められないのは、外来種の花の名前である。
最近は、記憶力の悪さを自覚するのが厭で、覚えようと努力することさえ怠っている。
午後、散歩に出かけた。あまり暖かな天気なので。
運動能力の衰えと、頭脳の衰えには、相関関係があるのでは?
最近、そんな気がしている。
頭を鍛えることで体は鍛えられないけれど、身体を鍛えることで、頭の働きは高められるような気がする。
そこで、<体を動かすべし>と、自らに命じるようにしている。が、本来怠け者なので、楽な方に流れてしまいがちである。
今日は、戸外が心地よく、外歩きが苦にならなかった。
土田の穏やかな海辺を歩き、トベラの赤い実を見て心和んだ。
髪の手入れに出かけた。
久しぶりに、お昼前の列車に乗ろうと駅に向かった。
ホームに上がると、機械的に遅れを告げらる放送が流れた。もうとっくに通過したはずの上り列車が一時間遅れている、と。
何が起こったのだろう?
私が乗ろうとする下りの列車も、すでに発車の時間を過ぎていた。が、それについては何の知らせもない。
いつ来るとも分からない列車を待つのを諦め、タクシーを呼んだ。
無人駅の不便さをかこちながら。
喫茶店の窓辺には、二色のポインセチアの鉢が置いてあった。葉の華やぎが美しい。その横の座席に坐って、食事をした。
美容院にゆくと、マンジュシャゲに似た園芸種の花が、お店の前に咲いていた。
帰宅後、教えてもらった名前を、インターネットで調べてみたが、同名の植物は見つからなかった。私が聞き違えたのであろう。
美容室で、週刊誌を読んでいて、「コクリ」という若者言葉を知った。
動詞が「コクル」(告白する)、その名詞が「コクリ」(告白)なのだと。
<コクリ失敗>と見出しにあって、とっさに意味を解することができなかった。<告白に失敗>という意味だと、美容師に教えてもらって理解はしたが、心和まなかった。
知らぬところで勝手に増殖する、美しさに欠けた若者言葉に対し、不機嫌になるのは、老いて、頭の柔軟性が失われているせいかもしれない…。
久しぶりに、お昼前の列車に乗ろうと駅に向かった。
ホームに上がると、機械的に遅れを告げらる放送が流れた。もうとっくに通過したはずの上り列車が一時間遅れている、と。
何が起こったのだろう?
私が乗ろうとする下りの列車も、すでに発車の時間を過ぎていた。が、それについては何の知らせもない。
いつ来るとも分からない列車を待つのを諦め、タクシーを呼んだ。
無人駅の不便さをかこちながら。
喫茶店の窓辺には、二色のポインセチアの鉢が置いてあった。葉の華やぎが美しい。その横の座席に坐って、食事をした。
美容院にゆくと、マンジュシャゲに似た園芸種の花が、お店の前に咲いていた。
帰宅後、教えてもらった名前を、インターネットで調べてみたが、同名の植物は見つからなかった。私が聞き違えたのであろう。
美容室で、週刊誌を読んでいて、「コクリ」という若者言葉を知った。
動詞が「コクル」(告白する)、その名詞が「コクリ」(告白)なのだと。
<コクリ失敗>と見出しにあって、とっさに意味を解することができなかった。<告白に失敗>という意味だと、美容師に教えてもらって理解はしたが、心和まなかった。
知らぬところで勝手に増殖する、美しさに欠けた若者言葉に対し、不機嫌になるのは、老いて、頭の柔軟性が失われているせいかもしれない…。