23日の朝、雨は上がっていた。
昨日、タクシーで、<セントコア山口>に向かうとき、ホテルへの入り口は、<シャレード>の角を曲がればいいのかと、思った。明日の朝、お天気が悪くなければ、温泉街に向かって歩いてみようと。
翌朝、私は方向音痴なので、フロントで支払いを済ませた後、
「シャレードは、右方向に行けばいいのでしょうか」
と、尋ねた。
「そうです。髪のお手入れですか」
と、愛想いい返事が返った。
「いえ、喫茶店の方へ…」
と言い残して、ホテルを出た。
<シャレード>が、喫茶と美容の両方を兼ねていることは知っていた。
私は、喫茶店をよく利用していた。雰囲気もいいし、コーヒーも美味しかった。まず、<シャレード>のコーヒーを飲み、行動を開始しようと考えたのだった。
ところが、行ってみると、喫茶店は姿を消し、美容室だけになっていたのだ。最近建て替えられたらしく、装いが新しかった。
昨夜、『LIFE』で読んだ、<すべては変わる>という真実は、有形無形のすべてのものに当てはまるのだと、移ろうときの変化の速さに驚いた。
(この日は、後で県立図書館に行ったときにも、書棚の置き換えにより、すっかり雰囲気が以前と異なっており、<すべては変わる>を実感したのであった。)
山口の町へ向かう前に、先日テレビで紹介していた、<飲泉場>に行ってみようと、温泉街に向かった。途中で、街の人に尋ねながら。
温泉街の中心どころにそれはあった。
できたばかりで、真新しい。(写真)
傍の足湯に、二人の女性が足を浸し、気持ちよさそうに雑談中だった。
温泉の湯は湧き出しているのに、それを掬いとる道具も湯飲みもない。
そこで、その横の観光案内所に入って尋ねた。
小さな湯飲みをすすめられた。一個、百円。
中には<気>という文字が記してあった。
「どうぞ、気を飲んでいってください。二杯は飲まれて大丈夫ですから」
なるほど、そういう試みだったのかと、商いの術に感心した。
その後、タクシーで図書館に行き、お昼過ぎまで、本を読んだ。
持参の玄侑宋久著『龍の棲む家』。
切なくなるような小説だが、これが人間社会の実相なのだろう。ほのぼのとした愛も書き込んであって、それが救いでもある。考えさせられることの多い作品だ。
帰途の車中も読み続け、津和野に着くまでに読み上げた。
益田に向かって、船平山の駅を列車が出ると、長短六つのトンネルを通る。
すると、津和野盆地の家並みが見えてくる。
帰途の津和野は、雨模様であった。
読み終えた本を膝に乗せ、いつもの習いで、盆地の町を見下ろす。
と、遥かな土手に傘を上下に振る人影が、豆粒のように見えた(気がした)。
あれは、本物の人影であったのか、それとも私の幻覚であったのか…。
私の誕生日の旅は、こうして終わった。
22日の午後三時半、雨は完全に上がっていたので、懐古庵から、駅通りの道を街に向かって歩いた。
文栄堂に立ち寄って、本を眺めた。
玄侑宋久の『アミターバ 無量光明』は、山口駅に着くまでに、車中で読み上げた。
カバンの中には、未読の本が二冊ある。
本を求めれば、荷物を増やすことになるから、ただ見るだけにしようと思いながら、加島祥造の新しい本が目に入り、手に取った。
昨年、上京の際、三省堂で入手した『求めない』は、人気の本らしく、どこの書店にも、山積みされている。その山の横に、また一山詰まれた本が『LIFE』<書・画・文>であった。
『求めない』と同じく変形版である。『求めない』よりは少し大形。
『求めない』を読んで、実に多くの感銘を得ながら、卑小な性は改まらない。生き方が急に楽になったというものでもない。それなのに、この本も、読めば心が救われるかもしれない、と思ってしまう。
手にすると、レジに向かっていた。
文栄堂を出たところから、タクシーで、<セントコア山口>へ行った。(写真)
荷物を部屋に置いたところで、メールが入った。
友人からの誕生日を祝すものだった。
<七十代に入り、五歳になりましたね。>
とある。<五歳>を切り離して考えれば、実質は変わらなくても、若やいだ気分が感じられる。不思議なものだ。
精神年齢は、まるで五歳だな、と自嘲する。
浴場が混み合わないうちに入浴し、その後、お礼のメールを打つことにしようと、地下の温泉に下りた。
(四時過ぎと、朝六時と、二回入浴した。二回とも、女性用の浴室を独り占めできた。当日は満室と聞いたのに、ひどく贅沢な気分だった。)
夜、『LIFE』を読んだ。
書「濁った水は
そのまゝ静かに
しておくと
いつしか澄んで
いる」
文<私たちは誰でも、しじゅう困ったり悩ん
だりする。そんなとき、そこから無理に
逃れようとせず、静かに待っているのだ。
不安が抑えられなければ不安なままでい
い。「これからもっと悪くなる」と考え
たっていい。ただ、いまは濁っていて
も、いつかは澄んでくる――この真実さ
え信じていたら、私たちのいまの生き方
が静まる、そして楽になるのではないか。>
書「すべては変る
ということだけは
永遠に変ら
ない」
文<社会のひとは変らないことで安心する。
「お変わりありませんか」と挨拶するの
は、相手が変らずにいることを願って
のことだ。社会も国家も、変らずにゆ
くことを願っている。でもね、すべては
変化するんだ。その方向に心を据えると、
気持ちが揺るがなくなるよ。道徳でも愛
情でも、ときとともに変わる。「すべて
は変わる」という真理を肝(はら)に入れると、
人生の嘆きや悲しさは、ずいぶん軽くな
るよ。だって本当の真理なんだから。こ
れは英国の作家、ジョナサン・スウィフト
の言葉。>
引用すればきりがない。私へのプレゼントとして、二つを書き止めておこう。
そのとおりだと思う。しかし、その真理への到達は、なかなか容易ではない。
そこで、人々の悩みは尽きないのだろう。だが、謙虚に自省をしたいと思う。
『LIFE』を読み上げて、部屋の灯りを消した。
そこで、ただ今、昨年1月のマイピクチャを開けてみた。ピンクの花の写真はあったが、白色の椿はなかった。
見落としたのか、咲いていなかったのか。
今年の白椿をカメラに収めた。(写真)
蕊の黄色い花粉を花びらにこぼしていた。
日時が同じだからといって、植物は同じ姿を見せるとは限らない、その当たり前のことを確認し、自分で首肯した。
山口線の途中から雨になったが、山口に下車したときには、傘は不要だった。
懐古庵のお庭に、品よくピンクの椿が咲いていた。(写真)
それを眺めに外に出た。
昨年の今頃は、椿に魅せられ、目にするごとに樹下に立って眺め、カメラに収めていた。
昨年も、同じ日に懐古庵を訪れているのだから、この椿は目にしているのかもしれない。しかし、仔細が思い出せない。今日の美しさで咲いていたかどうか?
とにかく一期一会だ。
今年の花は、去年の花ではない。
若木の前で、淡く楚々と咲く花を愛でた。
懐古庵には、二人の若い店員がおられる。物静かな人たちである。
私は、そのひとりに、携帯のアドレス修正のやり方を見てもらった。
ひとりで扱うことに自信がないのだ。
保証人から、それで大丈夫ですと言ってもらえると、安心する。
人に教えを請うことに恥ずかしさを覚えなくなったのは、自分の限界を悟ってからだ。若いときには、なんでもこなせるような思い上がりがあったのだが……。
1月22日、誕生日の午後、特急おき号で、山口に向かった。
特別な日くらいは、日常から脱出したい気持ちになって。
誰かに拘束されるわけではないのに、生活臭の染み付いた家にい続けると、それなりに私自身の生活に縛られている気がする。
抜け出すには、旅しかない。
昨年も、旅に出た。今年より気力があったようで、一泊多く、湯田温泉と博多に宿泊した。九州国立博物館で、「伊藤若冲展」が開催されていたので、それを観、大宰府天満宮にもお参りするという旅であった。
今年は、湯田温泉に一泊のみ。
よく見知っている土地柄なので、温泉に入り、ホテルのもてなしの料理をいただくという非日常の生活の他は、読書に時間を費やすことを目的に。
カバンに三冊の本を入れて出た。いずれも玄侑宋久の本。
大寒中というのに、山峡にも雪はなかった。
車中は、『アミターバ 無量光明』の続きを読む。
日原の辺りで、携帯の着信音がなった。
開いてみると、友人からメールアドレスの変更を伝えるものであった。
器械に弱く、即座にアドレスを修正できない。
そこで、ひとまず、送られたアドレスに返信を送った。
眼下に津和野の町が開けてきた。
山口線の沿線で、唯一、本から目を離して眺める町である。
四年間を過ごした町でもあり、ただそれだけでもない懐かしさがある。今でも、この町には友人知己が多い。盆地を眺めて通る旅人に、具体が見えるわけではなくても、なんだか目を凝らして、町の一部始終を眺めて通る。
冬のくすんだ町だが懐かしい。
山口では、懐古庵で、一休み。
お抹茶をいただく。(写真)
目の前に活けられた小さな水仙の黄を眺めながら。
懐古庵のお菓子を一箱求め、それに私が常用している整腸剤を一瓶添え、安来の妹宛に発送を依頼した。昨秋の軽い脳出血以後、万全ではないという妹の体調を案じながら。