過日、木斛の木に、季節外れの蕾が付いたことを書いた。
確認のため、庭に下りてみると、蕾に変化が生じていた。
思いのほか時間をかけて、開花し始めている。(写真)
1センチにも満たない小さな花である。黄色い蕊がぎっしりと詰まっている。季節外れの花でも、私にとっては、初めて接する花であり、とにかく嬉しい。この後は、結実を待つことになる……。植物の本に寄れば、赤紫の実がなるはずである。
今日は、10月最後の日。
蟄居して過ごすのがもったいないような好天であった。が、終日家にいて、11月に備え、身辺を片付けたり、カレンダーをめくったりした。
ふた月が一枚に収められているカレンダーは、残り一枚となり、いよいよ心寂しい。時間は連続し続け、一年分の厚みを持った来年のカレンダーへと接続することが分かっていても、現実に暦が薄くなると、人生の残りが少なくなったようで、侘しい気がする。一枚あるいは二枚となった薄いカレンダーを眺めながら、若いときにはつゆ思うことのなかった、はかなげな心の揺れを覚えるのだ。
確認のため、庭に下りてみると、蕾に変化が生じていた。
思いのほか時間をかけて、開花し始めている。(写真)
1センチにも満たない小さな花である。黄色い蕊がぎっしりと詰まっている。季節外れの花でも、私にとっては、初めて接する花であり、とにかく嬉しい。この後は、結実を待つことになる……。植物の本に寄れば、赤紫の実がなるはずである。
今日は、10月最後の日。
蟄居して過ごすのがもったいないような好天であった。が、終日家にいて、11月に備え、身辺を片付けたり、カレンダーをめくったりした。
ふた月が一枚に収められているカレンダーは、残り一枚となり、いよいよ心寂しい。時間は連続し続け、一年分の厚みを持った来年のカレンダーへと接続することが分かっていても、現実に暦が薄くなると、人生の残りが少なくなったようで、侘しい気がする。一枚あるいは二枚となった薄いカレンダーを眺めながら、若いときにはつゆ思うことのなかった、はかなげな心の揺れを覚えるのだ。