22日の午後三時半、雨は完全に上がっていたので、懐古庵から、駅通りの道を街に向かって歩いた。
文栄堂に立ち寄って、本を眺めた。
玄侑宋久の『アミターバ 無量光明』は、山口駅に着くまでに、車中で読み上げた。
カバンの中には、未読の本が二冊ある。
本を求めれば、荷物を増やすことになるから、ただ見るだけにしようと思いながら、加島祥造の新しい本が目に入り、手に取った。
昨年、上京の際、三省堂で入手した『求めない』は、人気の本らしく、どこの書店にも、山積みされている。その山の横に、また一山詰まれた本が『LIFE』<書・画・文>であった。
『求めない』と同じく変形版である。『求めない』よりは少し大形。
『求めない』を読んで、実に多くの感銘を得ながら、卑小な性は改まらない。生き方が急に楽になったというものでもない。それなのに、この本も、読めば心が救われるかもしれない、と思ってしまう。
手にすると、レジに向かっていた。
文栄堂を出たところから、タクシーで、<セントコア山口>へ行った。(写真)
荷物を部屋に置いたところで、メールが入った。
友人からの誕生日を祝すものだった。
<七十代に入り、五歳になりましたね。>
とある。<五歳>を切り離して考えれば、実質は変わらなくても、若やいだ気分が感じられる。不思議なものだ。
精神年齢は、まるで五歳だな、と自嘲する。
浴場が混み合わないうちに入浴し、その後、お礼のメールを打つことにしようと、地下の温泉に下りた。
(四時過ぎと、朝六時と、二回入浴した。二回とも、女性用の浴室を独り占めできた。当日は満室と聞いたのに、ひどく贅沢な気分だった。)
夜、『LIFE』を読んだ。
書「濁った水は
そのまゝ静かに
しておくと
いつしか澄んで
いる」
文<私たちは誰でも、しじゅう困ったり悩ん
だりする。そんなとき、そこから無理に
逃れようとせず、静かに待っているのだ。
不安が抑えられなければ不安なままでい
い。「これからもっと悪くなる」と考え
たっていい。ただ、いまは濁っていて
も、いつかは澄んでくる――この真実さ
え信じていたら、私たちのいまの生き方
が静まる、そして楽になるのではないか。>
書「すべては変る
ということだけは
永遠に変ら
ない」
文<社会のひとは変らないことで安心する。
「お変わりありませんか」と挨拶するの
は、相手が変らずにいることを願って
のことだ。社会も国家も、変らずにゆ
くことを願っている。でもね、すべては
変化するんだ。その方向に心を据えると、
気持ちが揺るがなくなるよ。道徳でも愛
情でも、ときとともに変わる。「すべて
は変わる」という真理を肝(はら)に入れると、
人生の嘆きや悲しさは、ずいぶん軽くな
るよ。だって本当の真理なんだから。こ
れは英国の作家、ジョナサン・スウィフト
の言葉。>
引用すればきりがない。私へのプレゼントとして、二つを書き止めておこう。
そのとおりだと思う。しかし、その真理への到達は、なかなか容易ではない。
そこで、人々の悩みは尽きないのだろう。だが、謙虚に自省をしたいと思う。
『LIFE』を読み上げて、部屋の灯りを消した。
最新の画像[もっと見る]
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます