ぶらぶら人生

心の呟き

湯田温泉 <セントコア山口>にて

2008-01-24 | 旅日記

 22日の午後三時半、雨は完全に上がっていたので、懐古庵から、駅通りの道を街に向かって歩いた。
 文栄堂に立ち寄って、本を眺めた。
 玄侑宋久の『アミターバ 無量光明』は、山口駅に着くまでに、車中で読み上げた。
 カバンの中には、未読の本が二冊ある。
 本を求めれば、荷物を増やすことになるから、ただ見るだけにしようと思いながら、加島祥造の新しい本が目に入り、手に取った。
 昨年、上京の際、三省堂で入手した『求めない』は、人気の本らしく、どこの書店にも、山積みされている。その山の横に、また一山詰まれた本が『LIFE』<書・画・文>であった。
 『求めない』と同じく変形版である。『求めない』よりは少し大形。
 『求めない』を読んで、実に多くの感銘を得ながら、卑小な性は改まらない。生き方が急に楽になったというものでもない。それなのに、この本も、読めば心が救われるかもしれない、と思ってしまう。
 手にすると、レジに向かっていた。

 文栄堂を出たところから、タクシーで、<セントコア山口>へ行った。(写真)
 荷物を部屋に置いたところで、メールが入った。
 友人からの誕生日を祝すものだった。
 <七十代に入り、五歳になりましたね。>
 とある。<五歳>を切り離して考えれば、実質は変わらなくても、若やいだ気分が感じられる。不思議なものだ。
 精神年齢は、まるで五歳だな、と自嘲する。
 浴場が混み合わないうちに入浴し、その後、お礼のメールを打つことにしようと、地下の温泉に下りた。
 (四時過ぎと、朝六時と、二回入浴した。二回とも、女性用の浴室を独り占めできた。当日は満室と聞いたのに、ひどく贅沢な気分だった。)

 夜、『LIFE』を読んだ。

 書「濁った水は
   そのまゝ静かに
   しておくと
   いつしか澄んで
   いる

 文<私たちは誰でも、しじゅう困ったり悩ん
    だりする。そんなとき、そこから無理に
    逃れようとせず、静かに待っているのだ。
    不安が抑えられなければ不安なままでい
    い。「これからもっと悪くなる」と考え
    たっていい。ただ、いまは濁っていて
    も、いつかは澄んでくる――この真実さ
    え信じていたら、私たちのいまの生き方
    が静まる、そして楽になるのではないか。


 書「すべては変る
    ということだけは
   永遠に変ら
        ない

 文<社会のひとは変らないことで安心する。
    「お変わりありませんか」と挨拶するの
    は、相手が変らずにいることを願って
    のことだ。社会も国家も、変らずにゆ
    くことを願っている。でもね、すべては
    変化するんだ。その方向に心を据えると、
    気持ちが揺るがなくなるよ。道徳でも愛
    情でも、ときとともに変わる。「すべて
    は変わる」という真理を肝(はら)に入れると、
    人生の嘆きや悲しさは、ずいぶん軽くな
    るよ。だって本当の真理なんだから。こ
    れは英国の作家、ジョナサン・スウィフト
    の言葉。


 引用すればきりがない。私へのプレゼントとして、二つを書き止めておこう。
 そのとおりだと思う。しかし、その真理への到達は、なかなか容易ではない。
 そこで、人々の悩みは尽きないのだろう。だが、謙虚に自省をしたいと思う。

 『LIFE』を読み上げて、部屋の灯りを消した。

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