ぶらぶら人生

心の呟き

2016年大晦日の落日

2016-12-31 | 身辺雑記



夕方の5時過ぎ、外に出てみる。
今年最後の落日を眺めるために。
(下半分は、雲の中)

し残しの多い年末となった。
書きかけのブログも、未完成のままになった。

何かをすれば、何かが出来ない。
365日を生きたはずなのに、1年が200日ぐらいしかなかったように思える。
中身のない日々が多かったということなのだろう。

来年は、どうなるのだろう?
若い時のように、輝く希望は抱けない。

予測し難い2017年が、やがてスタートする。
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シクラメンの花のあと

2016-12-30 | 草花舎の四季



過日(21日)、草花舎にいったとき、小さな花瓶に注目した。

「何か分かります?」
と、Yさんに聞かれた。
葉がユキノシタに似ている。
が、ユキノシタではない。

「何?」
と、尋ねる。
花瓶に挿してあるのは、シクラメンの葉と花が終わった後の茎なのだそうだ。

どう考えても、シクラメンの花の名残には見えない。
花茎が、くるくる巻きになっているのは、その先にある種子(?)を守ろうとしているのだろうか。
まるでゼンマイのようだ。

自然界は、不思議に満ちている。

書棚にあるはずの本、
田中修著の『植物はすごい 生き残りをかけたしくみと工夫』
       『雑草のはなし 見つけ方、たのしみ方』
を思い出した。

帰宅後、中公新書2冊(写真)を、予想した書棚に見つけ、取り出した。
その後、折々ページを繰って、植物の不可思議な世界を楽しんでいる。




植物は、黙々と生きている。
いかにして身を守るか、いかにして子孫を残すかなどを、仲間同士で語り合ったり、口論したりすることはない。
それでも、身を守るすべを考え、利口に生きている。
黙々と。
決して、不平も言わない。

それに比べて人間は、政治家を始め、何かにつけて駄弁を弄し、多弁であり過ぎる!
そして、内容は空疎である。
虚しい饒舌が時に鬱陶しく、植物を見習いたくなってくる。


※ 昨日、近所の87歳の方が亡くなられた。
  私同様、昭和の一桁生まれで、<昭和の匂い>の濃く漂う人であった。
  働き者のお婆さんであった。
  野菜はいらないかと、よく来宅されたものだった。
  しかし、ここ数年、足が不自由になり、畑作りもやめておられた。

  昨夕、通夜に出かけてきた。
  心は寂しく、心身ともに、ひどく疲れた。
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師走の栴檀(センダン)

2016-12-28 | 身辺雑記

12月25日
タクシーで帰宅の途中、少々迂回して、栴檀の木のある雪舟橋公園に立ち寄ってもらった。
11月、初めて、その公園のそばを通り、栴檀の見事な大木に出会った。
落葉の季節であった。

今は、すっかり裸木となり、高い梢には、10数羽の椋鳥が止まっていた。
堂々とした栴檀の木だが、冬の姿は、やはりどこか寂しい。

今や、<椋鳥のお宿>である。
群れをなして、実を啄ばみに来ているのだろうか。
私に気づくと、一斉に飛びたったが、私が樹下を去ると、たちまち戻ってきた。
この椋鳥の、どこか狡猾な感じが好きになれない。

以下は、師走の栴檀




その実 (枝にも地面にも)

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Mレストランで

2016-12-28 | 身辺雑記

12月25日
冬日和。
おそらく今年最後の好天。
街に出て諸用を済ませた。


Mレストランに立ち寄り、食事もして。


ガラス窓に貼り付けられたリンゴ🍎
その窓から撮影した駅前の風景。


大輪の薔薇は萎れかけ。  この日の軽食。
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一夜の変貌

2016-12-22 | 小庭の四季
冬至の日(午前の山法師と空)
紅葉と青空が美しい。


22日 落葉の甚だしい山法師
空も曇って。



美しい紅葉は、一夜のうちに、見事に散ってしまった。
こんなに早く、裸木になるとは思わなかった。

昨夜は、相当吹き荒れたようだ。
ところが、玄関には落葉がない。
南風は、木の葉をどこに運んだのか?

崖よりの溝をのぞいてみると、
過日、掃除してもらったばかりの溝に、落ち葉が吹き寄せられている!
久々に自分の手で、溝掃除をしておいた。
(それを待つようにして、激しい風雨の荒れ模様となった。)


紫陽花はなお、たくさんの葉を残している。


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庭に咲いた水仙

2016-12-22 | 小庭の四季

スマホで撮影した水仙。
一輪の花が、新たな場所に咲いた。

小さな庭にも、ささやかな変化がある。
この株は、年々増えてゆくのだろうか?

 

ついでに撮影した藪柑子の実。




昨日、草花舎のTちゃんに、スマホで撮影した写真を、PCと同じ要領で、スマホのブログに取り込むやり方を示唆していただいたが、うまくゆかない。
あらかじめ契約が必要らしい。
従って、今回は今までどおり、写真をメールでPCに送って利用した。
機器を自在に操れると嬉しいのだが、私には、基礎的な知識も応用力も、欠けている。

年が明けたら、ソコロシステムズの方に相談してみよう。
スマホやタブレットで撮った写真を、様々なサイズに変更し、ブログに利用するには、もう少し勉強しなければならないようだ。
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憩いのひと時

2016-12-21 | 草花舎の四季

例年より早く、冬至の今日、賀状を投函。
草花舎で、昼食をいただき、憩いのひと時を…。

室内の景、いろいろ。
















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爽やかな朝

2016-12-21 | 寸感
未明の6時半、埋め立てゴミを出しに、家を出た。
下弦の月が、南寄りの空に冴えている。

月と私。
今、確実に対峙している存在。
シーンとした静寂の中の、個と個の、言葉を介さない対話。

と、背後の闇の中から、声が届いた。
「おはようございます。寒いですね」
と。
姿は見えないが、Sさんだ。
「おはようございます。早朝は、寒いですね…」

心地よさが膨らむ。
さりげない言葉が、私の心を温める。

幸せな気分は、ささやかなことから生まれるようだ。
(同様に、些細なことで、心は傷つきもする。) 
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比較

2016-12-20 | 身辺雑記

雨が上がった気配の夕、100メートル先の駐車場に咲く水仙を見に行ってきた。
スマホとデジカメを持って。
写真の出来具合を比較してみようと…。
(同じサイズに縮小できなかったので、正確な比較はできないけれど…)


スマホで撮った水仙


デジカメで撮った水仙

花壇の葉牡丹も撮影


スマホで撮った葉牡丹


デジカメで撮った葉牡丹
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新旧交代

2016-12-20 | 身辺雑記

鉢のツツジ
枯れる葉あり、芽生える葉あり…
ひそやかに、新旧交代を行っている

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