様々な問題が絡み合っていて、このところ精神状態がすこぶる悪い。
それが、うまく眠れない原因にもなっているようだ。
自分の精神は自分で統御するしかない。
それが意外に難しい!
大方のことは、<ケ-セラ-セラ なるようになる>と、ごまかしている。だが、今回ばかりは、それがうまくゆかない。
体力を消耗すれば、安眠のリズムを取り返せるかもしれないと、長くサボっていた散歩を、一昨日から始めた。
今朝は雨が降っていたので外出を躊躇い、その散歩も、三日坊主の手前で止まっているのだが……。
最初の日は、散歩や外出の合計歩数が1万歩に達した。疲れてもいたので、多分眠れるだろうと思った。が、薬を飲まずに休んだところ、一時間もたたないうちに夢を見て眼を覚ました。
夢の場面が、私に<起きろ>と命じいているのだった。
場所など分からないが、オペラ鑑賞に出かけていた。もうすぐ幕が開くことになっていた。目を開けなくてはと、頑張るところで目を覚ましたのだった。
ヤレヤレと思いながら、また眠ろうと努力した。
すると、またも、すぐ前に見たのと同じ夢が現れて、私の眠りを奪うのだった。
<オペラが始まる、起きろ>と、夢の中の影法師にささやきかけれて。
ご丁寧にも、全く同じ夢で、眠りを妨害されるとは……。
私は、頭のなかの状態を変えるために起き出し、水を飲みに寒い炊事場に行った。その夜は、絶対に薬に頼らないで眠ろうと決意していたので、蒲団に入ると、意味もなく、「ありがたい、ありがたい」と呪文を唱えた。
私は、なんとか糊口をしのげる今の生活に、不満を抱かないように努めている。上を見ればきりがないので、足ることを知らなくてはと、自分に言い聞かせているのだ。そして、眠れないときには、「ありがたい、ありがたい」と、感謝の言葉を呟くことにしている……。
だが、このところ、それが功を奏してくれなくなった。
しかし、二度夢で起こされた後は、無事に眠りに入ることができた。
三度、同じ夢で起こされることはなかった。
ただ、次に目覚めたのが深夜の三時前。結局、三時間足らずの睡眠だった。
まあいいか、森鴎外は三時間しか眠らなかったというから…などと、大人物の生活リズムを基準にして、眠れない自分に、大丈夫との暗示をかけるのだった。
本当は、健康のため、明日のために、もっと眠りたいのだが、目が冴えきってしまった。そこで、枕元に置いていた、読み止しの山折哲雄の書を読むことにした。読みながら眠くなることを半ば期待しながら。ところが、この書は大変面白くて、ついに眠りを誘ってはくれなかった。
五時のサイレンが鳴ったので、新聞を取りに起き出した。結局、睡眠を追加することはできなかった。
二日目の散歩は、睡眠不足が心臓にこたえないだろうかと、多少気にはなったが、とにかく出かけた。案ずるほどのこともなく、土田の浜まで行って、引き返すことができた。
昨日は、連休後の週初めで、働きに出かける車が多く、国道は混んでいた。
道野辺の水仙を眺めながら歩いた。
前日、海の見える丘で、水仙が海に背を向けるようにして咲いているのに気づき、<そうよね、海風にはむかって咲くことはないよね>と、咲き方の向きに感心したのだった。(写真 沖の遥かに高島の島影も写っている。)
そこで、昨日は、水仙の咲く向きを眺めながら、ひとりでに観察者の目になって歩いていた。
ところが、線路脇の水仙などは、堂々と海風に抗う姿勢で咲いている。
結果は、咲く向きに一定の決まりはなく、方向は無秩序であった。わが家の庭の水仙は、わざわざ塀に向かって咲いている。私に背いているかのように。
二日続けて歩いたし、前夜三時間しか寝ていないのだから、昨夜も薬を飲まずに眠れるだろう、と床に就いた。
ところが、ダメだった。無理に呪文を唱えて眠ろうとすると、頭のどこかがメリメリ音を立てているような気がし、それが気になり始めると、もう眠れない。
(これは昨夜に限らない。このところしばしな経験する現象で、それが現れるとどうしても自力では眠れなくなる。)
そこで、12時が近づいたとき、昨夜も薬に頼ってしまった。
朝は五時半まで眠れたから、睡眠に不足はない。
ただ、今朝は、奇妙な夢で目覚めた。
夢というのは、どうして前後に脈略がなく、でたらめなのだろう。現実の生活から考えて、どこに接点を設ければいいのか分からない。
登場人物にも、顔がない。
目覚める前に、誰かとダンスを踊っていた。
そんな夢を見る原因を探れば、多少思い当たることはある。
お正月2日の夜、40人ばかりが集まる会合に出席し、昔語りをしているうちに、ダンスという言葉は出た。今のようにカラオケなどなかった時代だったので、飲んだ後は環になって、当時流行の歌を歌ったり、ダンスまがいのことを楽しんだりした、と。
それに、昨日、その折のスナップ写真を編集した小さなアルバムが、広島の人から届いたのだった。しばしそれを眺め、その会合を思い出したことは確かだ。
それが夢の舞台になったのであろうか。
そのアルバムを見ると、私など、何がそんなにおかしかったのだろうと、自ら不審に思うほど、首をすくめて楽しげに笑っている写真もあった。周囲もみな笑っているから、何か笑いを惹起する面白いことがあったに違いない。
が、ダンスの話など、アルバムを見ながら全く思い出さなかった。会合の日にも、誰ひとり踊ったりはしなかったし、珍しくカラオケが登場することもなかった。
それなのに、夢では顔のない相手と踊っていた。不思議な話だ。
もう一つ、尾篭な話になるが、同じ場面に、オムツを当てた赤ちゃんが登場した。
その赤ちゃんが、オムツカバーの横から、コロコロしたウンコを落として、なんだか嬉しいそうにはしゃいでいた。見覚えなど全くない赤ちゃんだった。
こんな夢、現実との接点の探しようもない。
なんだろう? いったいあの夢は?、と目覚めて思った。そのときふと思い出したのが、あれは、ワンちゃんのウンコの形に似ていた、ということだった。
どこかで見たワンちゃんのウンコが姿を変え、赤ちゃんのウンコとなって、夢の中に現れたのだろうか。
夢から、その時々の精神構造を判断することが可能だろうか?
専門家に夢判断をしてもらったら、一体、どういう判定が出るのだろう?
こうして、たわいない夢を見、浅い眠りと睡眠不足を続けている。
今晩は、どういうことになるのだろう?
また頭が、メキメキと音を立て始めるのだろうか?
不可思議な夢をまた見るのだろうか?
この頃、夜の迫るのが少々怖くなっている。
が、思い出せば、若い日には、もっとひどい経験をしている。眠りに落ちるのがやたらに怖った時期がある。入眠しかけては息苦しくなり、毎夜、蒲団の上に起き上がったものだった。あのときこそは、自分では原因が分からなかった。後になって、自覚はしていなかったが、多分精神が病んでいたのだろうと判断した。今でいうストレスだったかもしれない。でも、勤めを休むことはしなかったし、医者にもかからず、そのうち、ひとりでに危機を脱することができた。
それに比べれば、今の状況はずっとマシかなあ、と思っている。
自分では、原因らしいものも分かっている。それは、自分で何とかするしかない問題であることも。
今晩も、まずは薬を飲まずに、呪文に頼ってみよう。
※ 1面
薬害肝炎 和解で合意
文書に国責任・謝罪
2面 時時刻刻
肝炎救済道半ば
● 投与記録の有無
カルテ保存 病院次第
● 厚生省の再発防止
進まぬ医薬品行政改革
● 血友病・予防接種の感染者
対象外れ 一部訴訟
ひと欄
国との和解に合意した薬害C型肝炎訴訟全国原告団代表
山口 美智子 さん(51)
31面
薬害、私たちで最後に
肝炎訴訟 和解合意
原告、首相らに撲滅訴え
☆ 今日は、多紙面にわたって、薬害肝炎関連のニュースが取り上げられている。<ひと欄>に掲載された山口さんを中心に、国を相手に、怯まず戦って勝ち得た結果といえるのだろう。努力と活動が効を奏して本当によかった。泣き寝入りしてはならぬということ! しかし、すべての問題が解決したわけではないし、医療品による健康被害の防止対策にも、今後十分検討されなくてはならない課題が残っている。
※ 小さな関心記事 三つ
その① 7面 国際
バレンボイム氏に「パレスチナ市民権」
ユダヤ人指揮者 和平を訴え活動
その② 29面 社会
「モナリザ」モデルは伊商人の妻
独大に裏付け記述
その③ 同じく29面
もうセミ鳴く夏日 宮古島
☆
▼ イスラエルとパレスチナの和平に取り組む国際的な指揮者兼ピアニストのダニエル・バレンボイム氏(65)に、パレスチナ自治政府から名誉の「市民権」と「パスポート」が与えらたという。
バレンボイムの言葉。
「イスラエルとパレスチナの人々の運命はつながっている。私が市民権を得られるのは、共存が可能だということを示している。」
「相手の言葉に耳を傾けなければならない。互いの無知こそが、平和を遠ざける。」
「(ホロコーストなど)抑圧に満ちた歴史を持つユダヤ人が隣人の苦難に無関心でいられるのか」とパレスチナ占領を批判し、イスラエル政府を困惑させたこともあり、イスラエルの右派からは目の敵にされ、「イスラエルの市民権を取り上げろ」と叫ぶ国会議員も出ているという。
バレンボイムの姿勢、志は大変立派だ。ただ音楽家として優れているだけでなく……。
しかし、どうして、こう共存することは難しいのだろう?
考えてみると、国同士の問題だけではないのかもしれない。
隣人とさえ、時に仲良くできないのだから、人間の、卑小な性が悲しくなってくる。
▼ 「モナリザ」のモデル騒ぎ、絵画を鑑賞する側にとっては、どうでもいいことのようにも思えるが、研究する側にとっては、重要な問題なのかもしれない。
レオナルド・ダビンチ(1452~1519)作の名画「モナリザ」(パリのルーブル美術館所蔵、仏語「ラ・ジョコンド」)のモデルが、イタリアのフィレンツェ商人の妻であるとの、証拠が見つかったというのだ。
随分遠い昔の話なのに、今になって明るみに出るとは!
1477年に印刷された書物の余白に、ダビンチに関する手書きの記述が見つかったという。それには、「1503年10月」の日付があり、ダビンチのモナリザ制作の時期と重なるのだそうだ。
そのモデルは、商人の妻、<リザ・デル・ジョコンド(リザ・ゲラルディーニとしても知られる)>とのこと。
▼ 宮古島で、早くも12日にセミが鳴いたらしい。
私がその島に旅したのは、いつだったのだろう? 平成の10年頃? 季節は春先ではなかったかと思う。夏でもないのに、セミが鳴いていた。それを不思議がった私に、タクシーの運転手が、この島に生息する小さなセミだと教えてくれた。
今日の新聞によると、<イワサキクサゼミ>というらしい。
「シィー、シィー、シィー」と鳴いていた。
タクシーで島めぐりをした、春の旅を懐かしく思い出した。
記事を読んでいると、そのセミの声が幻聴のように蘇ってきた。姿を見ることはできなかったが、全長2㌢と、非常に小さなセミらしい。
沖縄本島以南に生息する日本最小のセミで、クサゼミという名の通り、海岸沿いの草原で、ススキの葉などに止まって鳴くという。(写真も掲載されていた。)
(添付写真は、現在、近所の庭先に咲いているアロエの花。)