今年も無事に、大晦日を迎えることができた。
ありがたいことだ。
自分のことは自分でできる幸せ。
当たり前のことが、当たり前にできなくなる日が、そう遠くはないだろうと自覚はしているけれど、可能な限りは自立して生きたい。
同市に住む妹が、年末の掃除片づけなど、手助けが必要なら…と、電話をくれた。
気遣いを嬉しく思う。
が、まだなんとか自分でできるし、気力も萎えていない。
(ただ、いい加減なことが多くはなったけれど…。)
溝や外回りの掃除は一昨日、そして、室内の掃除は、昨日済ませた。
さらに、少しばかりのおせちも作った。
今日はもう、是が非でもしておかなくてはならない仕事はない。
それに、二日間の労働(?)のせいか、少々疲れもある。
そこで、午後は、散歩に出かけることにした。今年の歩き収めに。
と言っても、実に久しぶりの散歩である。
大晦日に散歩というのは、いまだかつってないこと。
この冬は水仙が早く咲いたので、場所として、水仙公園を選んだ。
唐音まで、往復4キロの道のりを、1時間15分かけて歩いた。
途中、幾度も立ち止まって、水仙や海を眺めながら。
昨年よりも、風景が明るくなっていた。
歩道周辺の雑木が伐採され、見通しがよくなっている。
崖下の草も刈り込まれて、さっぱりしていた。
手入れが行き届いて、年々、水仙公園が美しさを増している。
水仙の数も、ますます増えて。
きっと、地元の人々の奉仕によるのだろう。
何となく心せわしい大晦日の、それも午後という時間帯に、水仙を眺めて遊んでいる人などないだろうと思っていたのだが、道中、10数台の車に出会った。水仙を見に来られたらしい。その中には、広島ナンバーの車もあった。
人それぞれ、それぞれの大晦日の過ごし方があるということらしい。
以下は、カメラに収めた風景。
唐音(奇岩)と水仙
高島の見える風景
土田海岸
今朝の空
ありがたいことだ。
自分のことは自分でできる幸せ。
当たり前のことが、当たり前にできなくなる日が、そう遠くはないだろうと自覚はしているけれど、可能な限りは自立して生きたい。
同市に住む妹が、年末の掃除片づけなど、手助けが必要なら…と、電話をくれた。
気遣いを嬉しく思う。
が、まだなんとか自分でできるし、気力も萎えていない。
(ただ、いい加減なことが多くはなったけれど…。)
溝や外回りの掃除は一昨日、そして、室内の掃除は、昨日済ませた。
さらに、少しばかりのおせちも作った。
今日はもう、是が非でもしておかなくてはならない仕事はない。
それに、二日間の労働(?)のせいか、少々疲れもある。
そこで、午後は、散歩に出かけることにした。今年の歩き収めに。
と言っても、実に久しぶりの散歩である。
大晦日に散歩というのは、いまだかつってないこと。
この冬は水仙が早く咲いたので、場所として、水仙公園を選んだ。
唐音まで、往復4キロの道のりを、1時間15分かけて歩いた。
途中、幾度も立ち止まって、水仙や海を眺めながら。
昨年よりも、風景が明るくなっていた。
歩道周辺の雑木が伐採され、見通しがよくなっている。
崖下の草も刈り込まれて、さっぱりしていた。
手入れが行き届いて、年々、水仙公園が美しさを増している。
水仙の数も、ますます増えて。
きっと、地元の人々の奉仕によるのだろう。
何となく心せわしい大晦日の、それも午後という時間帯に、水仙を眺めて遊んでいる人などないだろうと思っていたのだが、道中、10数台の車に出会った。水仙を見に来られたらしい。その中には、広島ナンバーの車もあった。
人それぞれ、それぞれの大晦日の過ごし方があるということらしい。
以下は、カメラに収めた風景。
唐音(奇岩)と水仙
高島の見える風景
土田海岸
今朝の空