ぶらぶら人生

心の呟き

2冊の新書

2011-10-25 | 身辺雑記
         

 先日、山口に行ったとき、文栄堂書店で、新書2冊(写真)を求めた。

 一冊は、新聞の広告を見て、入荷していれば、求めようと探していた本。
   興膳宏著 『仏教漢語50話』(岩波新書)

 もう一冊は、偶然目にし、拾い読みして面白そうだと思い、求めた本。
   長谷川櫂著 『和の思想 異質なものを共存させる力』(中公新書)

 いずれも、一部を読んだだけだが、それぞれの面白さがある。

 『仏教漢語50話』のうち、関心の大きいものから10話を読んだ。

   三昧・萬珠沙華・睡眠・世間・未曾有・迷惑・鬼・玄関・言語道断・蒲団
 
 仏教との関わりを知っていたものもあれば、初めて知ったものもある。

 <睡眠>は、かつては<スイメン>と読み、仏教用語として使われ始めたものだとは知らなかった。
 <眠>を<メン>と読むのは呉音であり、仏教用語は、一般に呉音で読む場合が多い。
 その程度のことは知っていたが、この本には、一つの単語の変遷も記されていて、なるほどと思うことが多い。
 
 睡眠(スイメン)は、修行のためには、控えるべきことだったようだ。(そういえば、修行をシュギョウと読むのも呉音)
 現在は、同じ漢語をスイミンと読み、健康のためには、よい睡眠を心がけなくてはならないことになっている。
 言葉の意味は、時代によって変わり続ける。

 例えば、<未曾有>の項では、まだ記憶に新しい、麻生太郎元首相の誤読の話から論を展開したり、また、他の項では、夏名漱石や吉田兼好などの例文を使ったりして、難しそうな漢語論のはずが、楽しく読めるエッセイとなっている。


 後者の『和の思想』が長谷川櫂氏によって手がけられるきっかけとなった一つは、昭和8年(1933年)に書かれた、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』だという。
 昔読んだ『陰翳礼讃』は、すっかり忘れた。
 深く意味を解さないまま、読んだつもりになっていたのかもしれない。
 『和の思想』の第一章を読んだばかりだが、先を読むのが楽しみだ。
 長谷川櫂氏の考え方に接しながら、<和>について、また、『陰翳礼讃』についても、考えてみたいと思っている。


 内容とは関係のない話だが、2冊は、いささか読みやすさが違う。
 岩波新書は、1ページが15行、中公新書は、14行である。
 当然、活字の大きさが異なっているのだ。
 私の目には、勿論、後者の方がはるかに読みやすい。

 若い時には考えたこともない活字の大きさが、気になる年になった。
 文字の大きさで、本を選択しなくてはならないのは寂しいことだ。
 が、次第に読める本が限られてゆくのだろうな。目の問題だけでなく……。 
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10月の庭(大樹の紅葉)

2011-10-24 | 草花舎の四季
 また雨が近いのかもしれない。
 少々蒸し暑い午後であった。
 小さな散歩と、食事を兼ねて、草花舎へ出かけた。

 今日も庭を歩く。
 裏庭の大樹が半ば紅葉していた。
 庭木の中では一番背の高い樹木。<亭々と>という表現の合う樹である。
 
 草花を眺めて歩く。
 草の繁みから、蚊が出てくる。夏の名残りの暖かさを楽しんでいるらしい。
 小さなキノコも見つけた。

           

   

   

   

            

 喫茶室の窓際には、ホトトギスが活けてあった。(写真 左)
 ホトトギスに、吾亦紅の添えてある花瓶もあった。(写真 右)

   

 中央のテーブルの上に、楡木令子さんの作品が置いてある。
 蓮の花がイメージされている。
 灯心は、和紙の紙縒(こより)らしい。小さな灯火が点っている。
 素材はオニックス(オニキス・縞瑪瑙)の由。
 暗がりで見ると、さらに趣があるとのことだった。
 が、昼間でも、十分楽しい作品だ。
 手をかざすと、ほのかな温かさが伝わってきた。

         
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機影の消えた空

2011-10-24 | 身辺雑記
 1時過ぎ、草花舎へ向かっているとき、空に機影を見た。
 東京発、石見空港行きの、到着寸前の機影である。

 急いでカメラを向けたけれど、画面は機影を捉えていなかった。
 あったはずの姿はなく、雲を浮かべた空があるばかりだった。

         

 堤の一面に、ミゾソバがはびこり、花を咲かせている。
 小さな花だが、一つ一つをよく見ると、色も形も愛らしい。(写真 右)

   
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風の彫刻家・新宮晋

2011-10-23 | 身辺雑記
 今晩のNHK<日曜美術館>で、「風の彫刻家・新宮晋」を見た。
 紹介された作品はみな、自然(草原や湖など)と調和し、融和して、さわやかであった。
 あるかなきかの風にそよぐ作品は、心のささやきのようであった。

 新宮晋氏ご自身の雰囲気も、いかにも風の彫刻家らしい。
 テレビで新宮晋氏の姿を見て、<やはり、このお顔だった!>と思った。
 が、ずいぶん昔の話で、記憶が非情に曖昧なのだ。
 私は偶然、新宮晋氏と言葉を交わしたことがあるような気がしているのだが…。
 山口線で。
 乗りなれた山口線の車中では、とにかく読書することにしていて、その日も本を読んでいた。 偶然目をあげたときに、4人がけの席の斜め前に坐っていた人が言葉をかけてきた。それが新宮晋氏であったように思っているのだが、少々覚束ない。あるいは、新宮晋氏をよく知っている人であったか?
 私は、すでに宇部市の野外彫刻展で新宮晋氏の作品に接していて、初対面の人とは思えず、言葉を交わしたように思う一方、思い違いをしているのかもしれないと自信がない。

 テレビを見終えて、書棚に向かった。
 新宮晋氏の本があるはずだと。
 予想した場所に、その本はあった。

 『風ありて 伊都子短章』(著者 岡部伊都子 小山三郎 新宮晋)(1986年刊)(写真 左)
 小山三郎によって選ばれた、岡部伊都子の詞華集に、新宮晋の作品が数ページごとに添えられた一冊である。

 ぱっと開けたページには、

  いつもその人に見ていてもらいたい。
  いつもその人を見ていたい。
  考えを話し合いたい。
  喜びをともにしたい。

     ○

  相手に自分の肩書きを忘れさせてしまう男。
  それは心にくく、しゃれた男だ。
   
     ○

  恋の歌の尽きせぬように、
  恋してなやみ、恋されて苦しみ、
  さて恋に縁なくてさびしむ、
  かなしい人の世。

 このような詞花が並んでいた。
 添えられた新宮晋の作品のすべてが、詞花に調和している。
 (表紙絵も、新宮晋氏の作品である。)

 この本を求めた動機も覚えていない。
 山口線の車中で、たまたまこの本を読んでいて、新宮晋氏ではなく、その知己に声をかけられたのかもしれない、そんな気もしてくる。
 実に朧な記憶である。
 が、とにかく、新宮晋という彫刻家には、かなり以前から(宇部市の野外彫刻展で、その作品を見て以来)、関心を抱いていたことだけは、間違いない。
 
 『風ありて』の本には、新聞の切り抜き(朝日新聞)が挟んであった。(下の写真 右)

    <新宮晋が彫刻で「風のサーカス」計画>(横見出し)
     <トレーラーで米国各地を移動 異なる環境と作品の共振探る>(縦見出し)

 この切り抜きには、1986(S61)・7・1(火)と、自筆で日付を記入している。
 25年前の新聞である。
 この切り抜きからも、新宮晋という彫刻家への関心のほどは分かるのだが、<風の彫刻>を話題とした人が、ご本人であったのか、知己であったのかは、依然として曖昧である。
 何という記憶の覚束なさ!

 切り抜きを読み返しながら、当時の活字の小ささにあきれた。
 老いの身には、新聞を読む楽しみが半減しそうな小ささである。
 その点、現在の新聞はありがたい。活字が大きくて、今のところ、読むのに不自由を感じない。


   
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父の祥月命日

2011-10-22 | 身辺雑記
 今日は父の祥月命日である。
 まる17年が経った。

 髪の手入れに出かけるとき、翡翠のペンダントをつけた。
 父からもらったものだ。何かのお祝いに対するお返しの品だったのだろうか、妹たちにも同じものが贈られたはずである。
 父から受けた影響は大きいが、有形のものとして手元にあるのは、今日胸に付けたペンダントぐらいである。
 こう書いたところで思い出した。
 そういえばもう一つ、もらったものがある、と。
 私名義の預金通帳。
 それは、私がボーナス時期に、父母におくったものの一部らしかった。積み立て日が、それを示していた。
 7人の子どもに学費のいる間は、父は経済的に決して楽ではなかったはずだ。が、晩年は、年金で、不自由のない生活を送っていたように思う。
 そこで、子どもから受けた好意は快く受け取りながらも、その都度、積み立てて遺してくれたに違いない。
 父は長寿だった。が、晩年、次第に体力は弱っていた。
 命の限界を感じ始めたころ、預金通帳は渡されたのだろう。

 
 父の亡くなった平成6年10月22日は、今年同様、土曜日だった。
 午後、勤めが終わって、妹が見舞いに来てくれたのを覚えている。
 寒い日だった。炬燵を囲んで話をした。
 父も、横たわったまま、話に加わった。
 妹が帰るとき、父は、「また来てね」と言った。
 しかし、その夜の9時過ぎ、父は96歳の生涯を閉じたのだった。

 爾来17年!
 烏兎怱怱。

 今日は暖かな午後であった。
 街路樹のアメリカンフー(? 勝手にそうだと思いこんでいる)は、木ごとに遅速はあるけれど、紅葉し始めている。(写真 上)
 美容院の窓辺には、季節はずれの朝顔が咲いていた。(写真 下)


         

          
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今、満開の花は…

2011-10-20 | 身辺雑記
    

 ツワブキの花が、庭の片隅を黄色く染め始めた。
 この花が咲くと、冬が近いと思う。
 が、近年、寒さの中で咲く花、というイメージが狂い始めた。
 温暖化のせいか、ツワブキが咲いても、暖かな日が意外に多いのだ。
 それはそれとして、この野性味のある花が好きなので、花を見かけると嬉しくなる。

 裏庭で、今年最初の花を見つけ(写真 左)、前庭に行ってみた。
 こちらの花はまだ頼りなく、ミズヒキソウの赤が目立っていた。(写真 右)

 家の庭で、今、満開となっているのは秋明菊とホトトギス。(下の写真)
 いずれも、秋という季節に似合う花だ。 


      

        
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行きはよいよい…

2011-10-13 | 散歩道
 前回、散歩に出かけたのはいつだったのか?
 <散歩道>(カテゴリー ジャンル)を開けてみると、3月18日であることが分かった。
 海辺に向かう道を歩けば、鶯の声が聞けるのではないかと出かけた散歩だった。

 それ以来半年余りが経った。
 昨日の午後、急に散歩を思いたった。
 体力の弱りが少々気になって。

 万歩計をつけ、午後の日差しが弱まるのを待って出かけた。
 前回と同じ道を歩けば4キロはありそうだ。往復を考えると、自信がない。そこで、駅前のポストへ郵便物を投函した後、最短距離で海辺に下りてみることにした。

 歩くことを怠っているうちに、脚力や体力がかなり衰えたらしく、帰り道は足が重かった。
 「行きはよいよい、帰りはこわい」の言葉通り。
 万歩計は、5700歩を刻んでいた。
 外歩きの時間は、ちょうど1時間。(3時半から4時半まで)

 かなり疲れたけれど、久しぶりの散歩は心地よかった。
 野菊に止まる蝶を眺めたり、ほのかな香に誘われて、そこに銀木犀を見つけたり…。
 コスモスは、あちこちの空き地でそよいでいたし、畑には以前見たことのある紫の名を知らぬ花が相変わらず咲いていたし…。(下の写真)

    

    

 土田の浜に下りると、海辺で遊ぶ親子の姿があった。
 砂遊びを楽しんでいる様子だった。
 が、それにも飽きたのか、立ち上がると、波打際に向かった。父親と一緒に。
 たちまち、打ち寄せる波が幼子の足を捉えたらしく、悲鳴に近い驚きの声が聞こえた。
 2歳くらいの幼子の心に、楽しさと共に恐怖の体験も、記憶されるのだろうか。

 私は、はるかな位置に佇んで、親子の姿を眺めた。

      

 帰途、弾む息を整えるために、勝手に名づけた<トランペットの丘>に足を止め、海原を眺めた。
 秋日和の一日。
 気温はかなり高く、水平線は霞んでいた。
 沖にある高島は、島影を曖昧にしていた。
 
 散歩を日課としていた5年前に比べると、散歩道は、概して寂しくなっていた。
 一時みごとだったエンジェル・トランペットの数も減っていたし、毎年サクランボをたくさんつけて楽しませてくれた早咲きの桜も(数本はあったのに)、みな姿を消していた。
 人界も自然界も、絶えず変化するのが道理らしい。

 が、浜辺のトベラは、今年も実をつけていた。
 やがてはじけて、赤いつぶつぶの実が、たくさんのぞくだろう。 

    
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10月11日のお月様

2011-10-12 | 身辺雑記
         

 宵の口、東の空に、満月に近い月が上った。
 山の端を離れたばかりで、ことさら初々しく。

 就寝前の11時半には、月は中天に落ち着き、東側に明るい星を伴っていた。
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10月の庭 (ススキの穂・アケビの実)

2011-10-11 | 草花舎の四季
 草花舎の庭に、秋が深まっていた。
 ススキが揺れ、アケビの実が弾けていた。

   

         

 アケビの実の数は、少なくとも10個はありそうだ。
 今年は、豊作である。
 その他、ピラカンサ、柿、棗なども、秋色となっていた。

    
          
               

 以下、庭で見かけた花々。

         

   

   

   

             

 草花舎の昼食(カレーライス)は、いつも美味である。が、今日はさらにおいしくいただいた。多分、<食欲の秋>のせいでもあろう。
 
 久しぶりにTちゃんと話す。
 その他、草花舎のお客さまで、顔見知りの幾人かとも、言葉を交わす。
 庭の散歩や語らいが、ひとときの憩いとなった。 
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濁音と半濁音と

2011-10-08 | 身辺雑記
 9月30日のブログに、「蔓花 デブラ?」と題した記事を投稿した。
 あの花の正式名が分かった。

 「デプラデニア」というらしい。
 妹が、自家の庭に咲いた同じ花の写真を添え、メールでその名を教えてくれた。
 
 <デプラ…>なのに、<デブラ…>で調べようとするから、うまくゆかなかったのだ。
 <プ>と<ブ>の違い。
 ハ行音には、濁音だけでなく、半濁音もあるから気をつけなくてはいけない。
 
 <パス>と<バス>
 <ピザ>と<ビザ>
 <パンク>と<バンク>
 等など。

 濁点(゛)か、半濁点(゜)かで、語意が異なる。

 折角教えてもらった「デプラデニア」という名前、またすぐ忘れるだろう。
 カタカナ名の場合、漢語名と違って、原意が想像できない。したがって、覚えにくい。
 記憶力の低下も加わって。
 第一、濁点か半濁点かを見分けるのにも難儀する。老眼鏡をかけた上にルーペを添え、背を丸めて判断しなくてはならない。

 視力だけでなく、聴力も微妙に衰えていて、<デプラ…>を<デブラ…>と聞き違えたのかもしれない。 

 
 毎年、家裏の崖に咲くナデシコが、先日、庭にも咲いていた。(写真)
 ナデシコなら、<撫子>と書かれていても理解できるのだが…。

          
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