ぶらぶら人生

心の呟き

台風10号接近中

2024-08-28 | 身辺雑記



 台風の接近により、夕方の空模様が怪しくなった。それでも、重い雲の隙間から、落日は、海上に光を送ってはいる。
 進路予想では、当地にも影響のありそうな気配である。が、大雨にならぬよう願っている。自宅の方は、<絶対の安全地帯>とは言えないので……。


    




    




 朝、Tさんと階下に降りてみた。
 小さな花畑の、草花の様子を見るために。
 懐かしい草花3種。

    




     




     




  ★  庭に降りる、最後の機会となった。
    直後に、階を跨ぐ移動が禁止となっ
    てしまった。
    行動の規制は、心の規制でもある。

     
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

漢字についてのエッセイ

2024-08-26 | 身辺雑記



 辰野和男の本を、家から2冊持参している。
 今日は、その一冊『私の好きな悪字』を読了。

 私が下手に説明するより、森本哲郎の解説の一部を引用して紹介した方がよさそうだ。

 「粗雑・雑音の「雑」は嫌われるが、雑木林・雑貨屋・雑記帳には、なつかしい味がある。雑・懶・迷・忘・愚・落・老など歓迎されない漢字を著者は「悪字」と名付け、その価値を再発見する。漢字の一つ一つから織りなされる深い思索とともに、時代に流されないやわらかな生き方を指南するエッセイ集。 
 『漢字の楽しみ方  悪字の数々を弁護する』を改題。」




    


 一つ一つの漢字は、それぞれ深い意味や味わいを持っている。この本を読むことで、一個の漢字が持つ、その意味や味わい深さを、改めて、存分楽しむことができた。
 作者は、朝日新聞の『天声人語』を、1975年から88年にかけて担当された方でもある。
 『天声人語』は、603字(原稿用紙一枚半ばかり)という限られた字数のコラムである。
 私自身、その当時の『天声人語』も読んでいたが、確かな筆力で、味わい深い文章であった。

 この本は、購入当時(2002年)に一度読んでおり、今回は再読である。それにもかかわらず、改めて、漢字一字の持つ奥深さを味わいながら、ページを楽しんで繰ることができた。

 机上には、いつも電子辞書を置いている。
 それを利用して、日々、絶え間なく、言葉の真の意味や味わいを深めている。
 老いつつも、今のところ、眼も指先も、自在に活躍してくれているのを、心から、ありがたいことだと思っている。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8月25日の夕空

2024-08-25 | 身辺雑記


 ひととき雷鳴が轟いて、一雨あったが、土地や大気が潤うほどの量ではなかった。
 が、その一雨があったせいか、今夕の落日は格別美しく、海面に鮮明な光の道を留めつつ、雲の中へ沈んでいった。

    




 落日後の空を眺め続けていると、羽田行きの飛行機が、私の耳には音も届かぬ高い空の彼方を飛び去っていった。


    


 時間はたっぷりあるのに、無為の一日。
 昼前、Tさんと、1階から5階までの階段を2往復する運動? をした以外は、部屋に籠りっきりの生活である。
 このことを成し遂げたという実績のない時間を過ごした。

 あと一週間! (の辛抱で、不自由千万な生活に終止符が打たれればいいのだが……。)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八月の満月

2024-08-20 | 身辺雑記



 八月の満月を、部屋のベランダに出て眺めた。
 満月は、山の端を離れるにつれて輝きを増し、9時半近くには、夜空の雲まで明るく染めていた。
 (スマホで撮った、私の写真としては上出来! と、満足している。)


     




 今夕、施設前にある小さな花壇の草取りを手伝った。ついでに、日ごと、4階の、廊下の窓から見下ろしている百日紅の花を、直接眺めた。
 ピンク色の花である。
 (家の庭にある、至極平凡な百日紅も、花をつけているだろうな、と思いつつ。)


    



 日の暮れが早くなった。
 辺りは、たちまち黄昏の気配となり、上空だけに明るさの残る光景となった。

    


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

津田医院へ

2024-08-19 | 身辺雑記



 8月になって、初めての外出。
 津田医院へ行き、検診を受けた。
 家の方には、確か3日分の薬があるはずだが、施設へ持参している薬は、昨日でなくなった。そこで、今朝は薬を飲まずに病院へ行ったせいか、血圧が189と高く、驚いた。でも、低すぎるときのような違和感や不安はない。
 先月受けた血液検査の結果表も、今日いただいた。
 項目別に、LやHがやたらに多い。半年前の検査では、まずまずの結果だったのに、どうしてこういう結果になるのか、よくわからない。
 「90歳とは、とても思えませんから」と、先生は、励まして下さったが、見かけは達者そうでも、体の中は、かなり弱っているらしい。

 今は、自在に買い物もできない。タクシーの運転手・Sさんは、よく知っている方なので、
 「僕が買ってきましょうか」
と言って下さった。が、荷物を抱えて、施設の事務室前を通る勇気もなく諦める。
 3食は施設の食事をいただいているけれど、果物やお菓子など、美味しいものが食べたくなる。
 <無い無い尽くし>は、どこか昔(戦中戦後)に似ている。
 窮屈千万!

 幼い日々は、戦中戦後の不自由に耐え、老いの日々は、コロナ禍で自由を奪われている。私だけではないのだが……。


 待合室に、鬼灯(ホオズキ)があった。鉢植えされたものであろうか。
 初夏の散歩道で、イヌホウズキは見かけたが、本物には会わなかった。
 花屋さんには、この夏、置いてあっただろうか? 鬼灯は、妙に懐かしい
 来夏まで命があれば、ホオズキを買って、机上に置いて眺めていたい。


    



 待合室の窓辺にあったカエルの置物。
 親蛙・子蛙のいろいろ。


    




    



    水槽で遊ぶ熱帯魚。

    




 以下は、廊下と自室の窓から眺めた夕景。

    




    




    


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の昆虫に出逢う

2024-08-10 | 散歩道


 猛暑続きのなか、心弾まぬ日々がすぎてゆく。外出禁止中なので、家へ帰って気分転換をはかることまもかなわず。
 自分で自分を楽しませるしか方法はないのだが、そんな努力も面倒になってきた。
 一瞬、心を和ませてくれたのは、夜明けの光景。

    5時30分 日の出の気配

  



     5時39分 日の出

     



 早朝の窓(廊下)に、薄緑色の虫が止まっている。地面から4階の窓まで飛んでくるとは!
 キリギリスであろうか? (あるいはバッタ?)

 [追記 イナゴのようにも見える、とRemさんからコメントをいただきました。そういえば、イナゴにも似ているな……?]

 秋だなと、と思いつつ眺める。

     


 4階に暮らしていては、初秋の夜の風情とも、無縁である。
 スズムシなども、鳴いているのであろう。
 京都の鈴虫寺(妙徳寺)で、鈴虫の声を聞きながら、説教を聞いた日を思い出す。話の内容は、全く覚えていないけれど。
 友達に鈴虫をもらって一夏楽しんだこともある。しかし、鈴虫の末路は哀れで、再び飼いたいとは思わなかった。
 家の周囲も、コンクリートが多くなって、草むらにすだく虫の声を聞くことが少なくなった。
 それでも、外出禁止が解かれたら、早速帰宅して自然のなかに身を置いてみたい。


     19時 落日の景

    



     真正面の高山や小島

    

      
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『四季の雑草図鑑』

2024-08-06 | 身辺雑記



 8月2日のブログに載せた『雑草先生の短歌教室』(作者・稲垣栄洋)が、とても楽しく読める本であった。そこで、その作者の専門分野の本である下掲の本
   
    『四季の雑草図鑑』

 を求め、早速読んだ。
 草花の写真入りの紹介が、素人にも分かりやすく説明してあり、折に触れて開きたくなる本である。取り出しやすい机上に立てておいて、参考にしたい。


    



 施設では8月いっぱい外出が禁じられているし、それがなくても、今年の猛暑は格別で、草花を楽しみつつの散歩などできそうにもない。
 ツユクサも、ムラサキゴテンの花も、きっと咲いているだろうな、と想像で楽しむだけである。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒井千次のエッセイ

2024-08-05 | 身辺雑記


 作家・黒井千次(昭和7年5月生まれ)と、昭和8年1月生まれの私とは同学年である。
 私が愛読している作家では、五木寛之もそうである。
 その他、物故された作家では、高井有一、高田宏、石原慎太郎も同学年のはずである。

 特に、黒井千次の「老い」にまつわるエッセイ集(中公新書)は、私自身の老いそのものを見つめながら、本が出版されるごとに読んできた。

 『老いるということ』
   『老いのかたち』
   『老いのつぶやき』

は、既読し、家の書棚に並んでいるはず。
 以下の2冊を、この度、Amazonへ注文し、早速読了。


     




     


 上掲の本の<帯>にある言葉どおり、「年齢とは常に初体験」であると、私もしみじみ思う。就中、<幼少期>と<老年期>では、それが顕著であると言えそうだ。
 そして、作者同様、90代の大台に踏み込み、人目にはどこか危なっかしく見えるに違いないと確信しながら、なんとか老いの日々を一日一日生きているのが、今の状況である。

 その日一日の無事に感謝しながら、91歳の半分を生きた。しかし、明日のことが不明であるとの意識は、絶えず心の底に潜んでいる……。
 そして、認知症という病名こそもらっていないけれど、万事に、認知力が弱ってきていることは否定し得ない。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長岡市の花火

2024-08-03 | 身辺雑記
 昨夜は、長岡の花火を、テレビで楽しんだ。
 年々、花火も進化し、夜空に予期せぬショーが展開される。
 クーラーの効いた部屋にいて眺めるテレビ画面からは、真夏の夜の、むんむんした空気感こそ味わえなかいが、見事な花火が、一瞬夜空を彩り、儚く消えゆく夜空のショーを愉しんだ。
 夏の旅先で、偶然眺めることになった幾度かの花火を思い出したりしながら。
 花火は<夏の風物詩>と思っていたが、(かつてのブログにも書いたが、)冬の北海道を旅し、阿寒湖で、ホテルの部屋の窓越しに、<冬の花火>を眺めたこともあった。 が、やはり花火は、夏にこそふさわしい気がする。


    




    




    




    




    




    




    




    




    




    





   [追記  今夕の落日]

 久しぶりに、空と海との境界線が不鮮明。



      



 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『雑草先生の短歌教室』

2024-08-02 | 身辺雑記



 朝日新聞の第1ページ、『天声人語』下の広告の中に、下掲の本を見つけ、昨日、即座にAmazonへ注文した本。

 今日、届いて、早速読了。
 この本の第1刷発行日は、<8月3日>となっているから、発行予定日より一日早く入手したことになる。
 どうかすると、私が一番早い読者ということになるのかもしれない。
 老女でも、楽に楽しんで読めそうだとの予想が、ぴたりと当たって、帯の言葉にある通り、<短歌+エッセイ+自然科学>の世界を楽しむことができた。


       稲垣栄洋 著

    『雑草先生の短歌教室』


     



 いたどりの芽生えの燃えるごとき赤、だんだん失せて大人になりぬ

 今日もまた不要不急なことをして 不要不急な我が生きてる

 上掲の二首など、私の今に、ぴたりと当てはまる歌である。

 <作者紹介>で、知った本『散歩が楽しくなる 雑草手帳』も読んでみたくなり、Amazon へ注文した。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする