ぶらぶら人生

心の呟き

3月の庭 (桜ほか)

2009-03-30 | 草花舎の四季
 甲子園では春の選抜高校野球が行われている。
 今日明日で、4強が出揃うことになる。
 11時から、中京大中京と報徳学園が、互角に戦っていたが、報徳が勝ちを収めたところで、草花舎へ向かった。
 好ゲームからは、つい目が離せなくなる。どちらかを応援しているわけではなく(どちらかといえば西寄りのチーム?)、ただ高校生の溌剌とした姿を見ているのが楽しいのだ。

 今日は日差しがまぶしく、初めて日傘をさして出た。
 一週間ぶりの草花舎の庭には、花が増えていた。
 入り口の桜は八分咲き。(写真①)
 丈の低い木が、ピンクのやさしい花をつけていた。(写真②)
 数年前、スーザンさんからプレゼントされた鉢の木を、庭に下ろされたものだという。海棠の花である。
 スーザンさんは、明後日頃にフランスから帰国されるらしい。
 海棠はまだ花をつけていることだろう。

 草花舎の庭には、Yさんにとっては、思い出につながる木々が幾本かあるようだ。殿敷侃さん、亡きお母さま、そしてスーザンさんといった具合に。
 わが家の庭木のメインは、家を建築したばかりのとき、車に庭木を積んだ業者がやってきて、親切顔に植えてくれたものである。
 万一のことを思って、電話番号だけは聞いていたが、のちに電話しても、その業者は存在しなかった。植樹はうまくいって無事に育ってはいるけれど、結局はまんまと騙されたわけで、情けない話である。
 私はすぐ人を信用し、騙されやすいらしい。
 退職金目当てにやってきた業者に儲かる話を持ちかけられてひっかかったし、床下の柱が傷んでいるから、湿気取りの換気扇をつけた方がいいと持ちかけられ、これも実際以上の金額を支払わされた可能性が高い。
 後で気づいたがどうにもならない。
 先日、還付金詐欺らしい電話がかかってきた。が、さすがにこれには引っかからなかった。
 人の言が信用できないとは、悲しい世の中だけれど、それが現実であれば、警戒しなければならない。
 
 海棠が、スーザンさんのプレゼントであることを聞き、きれいさっぱり忘れていた、間抜け話を思い出した。

 空の青さを見上げたら、高い梢に白い花の蕾がついていた。
 枳殻である。(写真③)
 北原白秋の歌を口ずさむ。

  ♪ <からたちの花が咲いたよ。
   白い白い花が咲いたよ。> ♪

 昔、白秋の生家を訪れたのは夏であり、花にはめぐり合わなかった。
 草花舎には、その木があるのに、今日まで花に気づかなかった。花の時期にめぐり合わなかったというより、高い梢を見上げなかったのだろう。
 そこにあっても見えないものの、なんと多いことか!

 写真④のボケの花も、今年初めて気づいたように思う。
 あちらこちらで見かけるムスカリ(写真⑤)やニラバナ(写真⑥)も、今日の庭に咲いていた。
 下手な写真からも伺えるように、花々のすべてが、春日を存分に浴びていた。

       ①

                   ②

      ③

                ④

      ⑤

                    ⑥
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二人の歌人

2009-03-30 | 身辺雑記
 朝日歌壇に、今日は、私が注目する二人の歌人(郷隼人さんと公田耕一さん)の歌が選ばれていた。
 しかも、郷さんは、はるか遠いアメリカの獄中から、ホームレス公田さんを想う歌を寄せ、恋歌ではないけれど、あたかも相聞歌の如くである。

 囚人の己れが<(ホームレス)公田>想いつつ食むHOTMEALを
                    (アメリカ) 郷 隼人
               高野公彦・馬場あき子・永田和宏選

 温かき缶コーヒーを抱きて寝て覚めれば冷えしコーヒー啜る
                    (ホームレス)公田耕一
                     永田和宏・高野公彦選

 食物であれ、人の心であれ、<温かさ>は、生きる者に、ほのぼのとした幸せをもたらしてくれる。
 獄中の郷隼人さん自身は、囚われの身ではあっても、温かい食事には恵まれ、その境遇下で、ホームレスの公田さんに想いを馳せている。
 花冷えの続くこの季節、公田さんの生活を想像するだけで哀しい。
 束の間の温もりをくれる缶コーヒーも、たちまち冷えてしまうに違いない。目覚めて、その冷え切ったコーヒーを啜る公田さん。
 さらに、想像を絶する数の、公田さんに似た存在があることを考えればなお……。

 両人に歌のあることが、読者の私にとっては救いに思えるのだが……。

            下の写真は、今年も咲き始めたシャガ。
            花々は今、社会の現象とは関係なく、
            春の喜びを歌っている……。

               
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池田晶子著 『人間自身 考えることに終わりなく』

2009-03-29 | 身辺雑記
 先日、山口に出かけたとき、文栄堂に立ち寄った。
 特別な本を探す目的はなく、ただ洪水の如く並ぶ本を眺めてまわった。
 街を歩けば、そこで出会う大方の人が、無知の人たちであるのと同じで、本屋に並ぶ数ある本の大方は、他人の顔をしている。
 その他人顔の本が、急に親しみを見せるて近づいてくることがある。
 同じ著者の本の、4、5が冊置かれた前にたった。
 作者は、池田晶子。
 私は、その中の1冊を手に取った。
 『人間自身 考えることに終わりなく』(新潮社 2007年刊)(写真 ①)

 私はこの作者を知らなかった。
 しかし、多数の著作があるところを見ると、多くの人に読まれて来たに違いない。帯には、<珠玉の哲学エッセイ><著者急逝! この先を考えるのは、あなたです。>などの言葉が添えられている。筆者の顔写真を見ると、知性的美人である。
 雑誌に連載されたエッセイを1冊にまとめたものらしく、帰りの列車で、気ままに読めそうだと思い、買い求めた。
 こうした類の本は、どこから読み始めてもいい気楽さがある。面白くなければ、読み飛ばしてもいい。

 気ままに開いたページには「ご苦労さまでした」の小題がついている。
 <先月、父親がなくなった。>
 という書き出しで、始まる文章であった。
 先月というのは、雑誌に発表されたのが平成18年の12月だから、その年の11月をさすのだろう。娘の目を通して、父親の死に至る闘病の長い日々を、客観的に描いている。
 作者の死は2007年2月23日とある。この文章の発表から3ヵ月後、まさに急逝である。1960年生まれだから、早世でもある。
 パソコンで調べて分かったことだが、ガンのようである。

 筆者は哲学専攻の文筆家である。哲学的な小難しい気取りはなく、読者に語りかけるような文章である。深い味のある思索のあとを追いながら、親しみを覚えた。 作者の、切実な遺言を聞く思いで、列車と帰宅後に読了した。
 右顧左眄のない、小気味いいエッセイである。
 話題は、社会の諸問題に及ぶ。
 例えば、三部に分かれた各章の題名の一部をあげると次のようなものがある。
 【Ⅰ】自殺のすすめ 核の行方 国家の品格 etc.
 【Ⅱ】天才とはどういう人か 「プロ」といえる人 etc.
 【Ⅲ】いじめの憂鬱 学者の魂 第三の性 厚かましいNHK etc.

 読了して、若き筆者の死を惜しむ思いが強くなった。
 全作品をぜひ読まねば、とまでは思わない。が今後、筆者の他の本を手にすることはあるだろう。
 思考の型が、私と類似しているように思う。臆病な私が、なかなか赤裸々に書けないことを代弁してくれているような快さが、この筆者のエッセイにはあるのだ。

 写真②は、徳佐駅に列車が止まったとき、左方の窓から眺めた風景。遠くに十種ヶ峰が見え、窓辺に近い木はまだ冬木の姿のままであった。
 山口線を通過するとき、あるいは友人の車で9号線を走るとき、私の見飽きない山は、この十種ヶ峰と青野山である。

                   ①

           ②
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道の花々 (3月26日)

2009-03-28 | 身辺雑記
 26日、かかり付けの医院で、定期の診察を受けた。
 薬も受けとり、時計を見ると、バスの時間に間があった。いつもなら、車を呼ぶところだが、お天気がいいので、三つ先のバス停まで、20分ほど歩くことにした。
 その間に出会った花々に、春の移ろいを覚えた。
 自然の命が、急に蘇ってきた感じである。

 ①は、医院の花畑に植えられていたチューリップ。淡いクリーム色の一群が、思いのほか強い風に、大きな花びらを揺らしていた。

 ムスカリの季節になった。(写真 ②)
 あちこちに咲いている。
 先日来、この名前が、なかなか思い出せず、記憶の引出しから取り出すのに苦労した。4音からなる名前には間違いないと思いながら、最初の<ム>が、容易に出てくれなかったのだ。

 バスや車の車窓から、黄色い菜の花の群生に気づいたのはいつだっただろう?
 風景の一角が、黄色に輝くのに気づいたのは、かなり前のような気がする。
 病院を出て歩いていると、国道脇に広がる、その菜の花畑の傍に来た。
 田圃の一面が、菜の花である。(写真 ③)
 菜の花は、春の色である!
 高島野十郎の<菜の花>の絵を思い出した。

 国道を少し入った所に、紫木蓮が咲き満ちて、空を隠していた。(写真 ④)
 見事な咲きっぷりである。

        ①

                   ②

        ③

                   ④
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訃報に接して

2009-03-28 | 身辺雑記
 26日、病院での診察を終え、街に出た。食事の後、S美容院に行った。
 そこで、思いがけずTさんの訃報に接したのだった。
 昨年の始めごろまで、S美容院に勤務しておられた美容師さんである。なぜやめられたのか、詳しいことは聞いていなかった。が、長い間、咳に苦しんでおられたから、療養のためだろうと勝手に想像していた。
 そのころから、死に至る病を抱えておられたらしい。病名は知らないが、呼吸器系の病気だっのだろう。
 昨年の夏以後、相当苦しまれた様子である。
 享年63歳というのだから、早すぎる死である。

 美容院では、「Tさん」と苗字を呼ぶだけで、名前は知らなかった。亡くなられて初めて、名前の表記(漢字)も読み方も、私と同じだと知った。珍しい名前ではないが、読み方も同じであったとは……。

 私は、Tさんに、髪の手入れを幾度となくしていただいた。
 本来の心やさしさで、客への快い接し方をしてくださる方であった。
 余分な言葉を発しない、寡黙な人でもあったが、発せられる言葉は快かった。
 
 洗髪の時、肌に触れる手の動き、そして、仕事の最後に両肩へ当てて下さる手のやさしかったこと!
 Tさん亡き後も、私は、その感触を忘れないだろう。

 髪の手入れの仕方にも、流行があるのか、最近はTさん式のサービスがない。
 出来上がりを手鏡で見せられることよりも、人の温もりのある手を、両肩に置いていただく方が、どんなに幸せな気分であるか知れない。
 髪の手入れの薬品や器具は、随分進歩しているのだろうけれど、人の心から生じるやさしいサービスは、そう簡単に向上するものではなさそうだ。
 とにかく、Tさんが職場を去られたときから、美容院で肩をほぐし、心をほぐしていただくことはなくなった。
 多分、過剰なサービスはしない風潮に、最近は変わってきたのだろう。

 通夜や葬儀に参加しない代わりに、お別れのお供えを、S美容院の方に託した。
 苦しみから解放されたTさんは、今頃は生前同様、愛する花々や小動物たちと、やさしい時間を過ごしておられそうな気がする。

 写真の花は、美容院に活けてあったもの。
 名前は分からない。細長い花弁がぶら下がる、風変わりな花である。         

            
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上杉知弘「グルジア」 2008.Oct. 展

2009-03-28 | 草花舎の四季
 23日、草花舎で展示中の「グルジア」の写真展を見、写真家、上杉知弘さんにもお会いした。
 間もなく来られるというAさんの来店を待っていなかったら、お話する機会はなかったであろう。
 絶えず、人生にはこうした不思議がある。
 私が食事しているときから、上杉さんは店内で他の客と話しておられた。が、写真展の作者とは知らず、ただ一人のお客であろうと思っていた。

 Aさんが来られ、いつものように言葉を交わす。スーザン邸で、一緒に食事をし、深夜まで話した日以来であった。
 「スーザンの<烏>、見られました?」
 と、尋ねられた。
 私は、兄の納骨の前日ということもあって心落ち着かず、それに、他用も重なって、参加できなかったことを話した。
 「僕も、用事ができて……」
 とのことだった。

 Aさんが、私より前から来店の青年に挨拶をされた。
 話の様子から、写真展の作者であることが分かった。そこで、私も初対面の挨拶をした。
 草花舎とはなじみの芸術家で、私がまだ山口で暮らしているころ、地球の温暖化により、埋没の危機にさらされているツバルの問題を取り上げ、ビデオで紹介した方でもあるという。その名は、上杉知弘。

 案内状のはがきを見ると、<1970年、広島生まれ>とある。
 今年に内に、39歳ということらしい。実年齢より若く見える。そのことを話すと、
 「未成年が、お酒飲んだらいけないなんて言われたことがあります」
 とのこと。未成年とは思わないが、20代の後半かな、とは思った。
 Aさんが、
 「僕と同世代です」
 と、言われる。ついでに生まれ年を尋ねると、
 「1971年です」
 とのことだった。
 初めてAさんの年齢も知る。同じ水瓶座であることは、スーザン邸に集いした日に聞いて知っていたのだが……。
 二人とも、実に若く見える。
 私が年をとってしまったために、世代の隔たる人が、特に若く見えるのかもしれない。私の38、9歳ころは? と、遠い過去に思いを馳せる。当時は、どこで働いていたのだろう? と。
 そうだ、あの当時は、私も人目には若く見られていた、と思い出した。
 夏休みのことだった。遠い旅にでかけるため、駅で切符を求めたとき、駅員から、
 「学生証は?」
 と、尋ねられたのだった。一瞬、学生に見えたらしい。
 40歳の半ばくらいまでは、なんとか年齢をごまかせるのかもしれない?
 たっぷりと余生のある間は、輝きが身体のどこかに残っていて、若く見えるということなのだろう。

 若く見えるということは、未熟と同義ではない。
 上杉知弘氏は、信念のある芸術家である。
 若き写真家、上杉知弘さんと、その後、2時間あまり話すことになった。始めは互いに立ったまま、そのうち椅子に腰掛けて。

 案内のはがきには、次のように紹介してある。
 <広島を拠点に写真、演劇、音楽など表現活動に取り組む映像作家。
 キューバ、台湾、ヨーロッパ、ツバル、ボスニア、08年10月グルジアに入る。
 各国を現地取材し、写真、映像のインスタレーションなどで作品化し各地で発表を続ける。>
 と。
 当然、二人の話題は、目の前に並ぶ、今展示中の「グルジア」の写真について、そして、正方形におさめられた写真のアングル、ロシアの軍事侵攻による村里の荒廃、そこに住む人たちの日常などなど、話題には事欠かなかった。
 写真には、いずれの戦いにもつきものの、惨禍の風景を免れないのだが、一方、そこには里人村人たちの生活が、住処(すみか)を失ったり、家族を失ったりした後にも続いている光景がとらえられている。
 復興に向かいつつある里は、秋の気配の中にあるらしい。
 そこに生活を続ける人々への、写真家の温かい視線が、被写体をやさしく包み込んでいるようにも思える。
 被写体の表情は、概して柔らかい。
 いかなる条件下でも、命のある限りは生きてゆかなくてはならぬ人間の、諦念の後に生ずる表情とでも言えばいいのだろうか?
 それにしても繰り返される戦争の愚を、いつになったら、くい止められるのだろう? 写真を見ながら、哀しくなる。

 写真家の秀逸な写真展について書くため、私の下手な写真を添付して紹介するのは気が引ける。が、その一例を載せてみた。(写真)
 草花舎の、2部屋の壁を上手に利用して、20余の写真が展示してある。
 会期は4月1日まで。

 上杉さんとは、実にたくさんのことを話した。
 話しているうちに、パソコンの利用に関する一方法も教えてもらった。検索したいものを、画像や動画等で見る方法を……。
 お蔭で、パソコンの活用の仕方が豊かになった。
 帰宅後、早速、グルジア、ツバルなどについて動画で調べた。初めて知る知識も多々あった。文字で頭に入れるのとは違って臨場感があり、面白い。続いて、私の住む益田を地図で調べたり、京都の桜について、調べてみたりした……。
 パソコンの、無尽蔵ともいえる知識の宝庫に感心しながら。
 
 この日は、6時を告げるサイレンを聞いて、帰ってきた。
 草花舎で以前求め、預けたままになっていた平坂常弘さんの絵を持ち帰るために、家まで、上杉さんに車で送っていただくことになった。  
 
        

        

 
 <追記 3月30日 草花舎の展示品より
  上杉さんがグルジアから持ち帰られた砲弾の欠片。
  欠片とはいえ、間近に眺めるのは初めてで、無気味な凶器の一部を、記録に留めておくことにした。>

 
     
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3月の庭 (躑躅も咲いて)

2009-03-26 | 草花舎の四季
 23日、草花舎へ出かけた。
 昼食のカレーライスをいただくために。
 まずは、Tちゃんに、19日の夕、スーザン邸の庭で行われたダンスに行けなかったお断りを言い、その後、食事前のひと時、庭に出た。

 すでに、淡いピンクの躑躅の花が咲いているのに驚いた。(写真 ①)
 季節が、先へ先へと急ぎすぎているような気がする。
 
 真っ赤なチューリップも咲き、その後方の鉢にはクリスマスローズも咲いていた。この鉢は以前からあったのかどうか? (写真 ②) 
 地面に植えらてた一叢のクリスマスローズにしか、私は気づいていなかったのだが……。
 満遍なくものを見ているようでいて、実にいい加減なものである。

 白い花も咲き始めた。
 うつむいて咲き、白い花弁の裾に、薄緑の斑点を持つのはスノーフレークである。(写真 ③)
 写真④は、この季節、野にたくさん咲いているのだが、名前が思い出せない。
 (追記 「クサイチゴ」では、と教えていただいた。植物の本を調べて、間違いないことが分かった。やがて、野イチゴが実るのだろう。)
 
    ①

                    ②

    ③

                    ④

 草花舎では、現在、写真展が行われている。
 昨秋の、グルジアを舞台にした写真展である。
 展示を見、食事も済ませたとき、Yさんから、もう少ししたらAさんが来られると聞いた。折角だから会って帰ろうと、ゆっくりコーヒーをいただいた。

 そのうち、Tちゃんが旅支度を整えて店に顔を出し、私に、
 「行ってきます」
 と、挨拶された。
 スーザンさんのフランス公演に同行して、夕方、空港から出発ということなのだ。とても気軽な雰囲気の旅立ちである。
 Tちゃんといい、写真家の上杉さんといい、若い人たちの海外への旅立ちは、お隣を訪ねるに似た感覚に近い。私にとっては羨ましいことである。
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寒緋桜のこと

2009-03-24 | 身辺雑記
 先日、お彼岸の中日に、三隅公園に立ち寄った。
 その際、濃い紅色の、小さな釣鐘型の花々が密集している木の下に立った。(このことは、先日のブログに書いた。)今日は、その後日譚である。
 昨年も、三隅公園で眺めた花であった。
 今年は開花が早かったせいか、落花した花が、木の下の地面を紅に染めていた。
 花びらではなく、花ごと落ちている。
 それは、ハラハラと舞い散る桜のイメージではない。
 「これ、桜?」
 と、言いつつ、妹一家と見上げたのだった。

 翌朝のテレビで、桜の種類を紹介していた。その数、300種もある、と。
 その中に、前日、三隅公園で見た、濃紅色の桜もあった。
 <寒緋桜>であると、紹介していた。(写真)
 そういえば、昨年も、その名をテレビで聞き知ったような気がする。それなのに、それをすっかり忘れ、今年もまた、<桜かしら? なんという種類かしら?>などと、頭を傾げて眺めたのだった。

 テレビで<寒緋桜>であると知った日、妹と電話で話す機会があった。
 妹も、その朝、同じ番組を見たらしく、
 「あれ、寒緋桜でしたね」
 と、言った。
 「去年も、あの花を見た後、その名を知ったのではなかったかしら?」
 と、私。
 「そうね。……知っては忘れ、毎年、感動を新たにしてたら、いいんじゃない…」
 と、妹。

 しかし、来春、同じ桜にめぐり合えば、三たび頭を傾げることはないのではあるまいか?
 いくら記憶力が衰えてきたとはいえ、<寒緋桜>(<緋寒桜>ともいう)の名を、おそらくもう忘れはしないだろう!
 春に先がけ、まだ寒さの残るころ、緋色に咲く花と記憶すれば……。 

    
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山口へ 4 (懐古庵で)

2009-03-22 | 旅日記
 山口駅前にある<懐古庵>に立ち寄り、抹茶セットをいただいた。

 ここにも黄色い花が活けてあった。白いカラーを添えて。(写真 ①)
 お店の方に、
 「黄色い花、ミモザですか」
 と、尋ねた。
 「パールアカシアです」
 と、教えられた。
 街で見た黄色い花とは、葉の趣が違っている。
 ミモザ、アカシアの類にも、色々な種類があるようだ。

 庭には、馬酔木の花が咲いていた。(写真 ②)

 <懐古庵>は、心の安らぐお店である。和菓子の種類も多く……。
   
    (写真 ①)

                    (写真 ②)
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山口へ 3 (道の花々)

2009-03-22 | 旅日記
 街を歩いているときも、野道を散歩しているときも、もの言わぬ植物に心惹かれることが多い。若いときより、草花への関心が深くなってきた。老人趣味というのかもしれない。
 ただ、植物の名前がなかなか記憶に留められない。一旦は覚えても、一年後の季節に出会うころには、その名が出てこなかったり、気になり始めて数日も経って、ふっと思い出したりする始末である。過去のブログに遡れば、記録があるはずなのに、それを探す労も厭うてしまうのだ。
 ブログにも、上手な編集の仕方があるのかもしれない。しかし、私は、専ら日々の記録を書きとめるだけで、そうした勉強をする努力も怠っている。

 昨日、山口の街を歩いていて、辛夷や桜以外の花にも出会った。
 知己のように親しい花もあれば、初めての出会いもある。
 写真①は、山口の駅通りを歩いていて出会った「金のなる木」の白い花。
 肉厚の葉に似つかず、可憐で清純な花である。
 過日、Mレストランで、ピンクの花を見たことを思い出しながら、白い小さな花の、造化の妙を眺めた。

 昨日は、Y薬局に寄ることも、山口へ出かける目的の一つであった。
 長く飲み続けている漢方薬を求めるために。
 その店先にあったのが、目立ちたがり屋の椿であった。「王冠」という名札がついていた。名前負けしない花の風情であった。
 椿の中では、なんといっても山椿がいい。だが、他を排除したりはしない。好みと関わりなく、異なる個性も良しとしてしまうのだ。
 華やいで咲きながら、なにかしら、私には侘しげに見える。そこがいい。

 ③と④は、同じ花である。人家の庭先に咲いていた。
 「ミモザ」だと思う。
 すぐ名前が出てきたのではない。歩いているうちに、多分そうだろうと思い出したのだ。
 春の黄色い花といえば、連翹が代表と言えそうだ。
 黄色い花は、よく目立つ。このミモザも。

 同じく黄色い花に出会った。⑤と⑥は同じ花である。
 葉の特色からして、「柊南天」であろう。
 葉が柊に似ている。実は南天に似ているのかしら?

 花々との対話は、人との対話同様、心を浮き立たせてくれる。

    (写真 ①)

                   (写真 ②)

    (写真 ③)

                   (写真 ④)

    (写真 ⑤)

                   (写真 ⑥)
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