安野光雅・高橋源一郎・高山文彦のエッセイ集。
2002年発行の本。
三人ともよく知る作家だが、どういう経緯で、この本を求めたのかは、全く覚えていない。
内容も、すっかり忘れている。が、付箋を何箇所かにつけているので、一読したことは確かである。
花に嵐のたとえもあるぞ(帯にあることば)の後に、
サヨナラだけが人生だ(表題)が続く。
井伏鱒二の漢詩訳として有名な詩句が表題となっている。
中国唐代の詩人・干武陵の「勧酒」(五言絶句)の転句結句の部分、
花発多風雨
人生足別離
を、井伏鱒二が訳したものである。
この本の内容と表題の関連が、今ひとつよく分からないが、追求するまでのこともあるまい、と思考することを諦める。
三者三様のエッセイを面白く読んだ。
就中、高山文彦の内容に、特に関心を覚えた。
高山文彦は、『火花 北条民雄の生涯』の作者である。
文中に、光岡良二著『いのちの火影』のことが出ていた。
私も若き日、北条民雄の小説やその生涯に関心を抱いていた。
私の書棚にも、同著(下掲の本)がある。
遠い昔、多摩全生園で、光岡良二さんにお会いしたとき、サイン入りで戴いた本である。
6年前(83歳のとき)、日記や写真、書簡類を全て処理したので、光岡良二さんや全生園の写真も今はないが、広大な敷地内に全生園はあり、天を突くような柊の垣根に囲まれていたことを思い出す。
北条民雄や光岡良二との関連もあって、いっそう高山文彦のエッセイに関心を抱いたのかもしれない。
(『サヨナラだけが人生だ』を読了したのは、6月20日だったのに、ブログへの投稿が、ずいぶん遅れてしまった。しかも、まとまりの悪いまま……。)