ぶらぶら人生

心の呟き

二月も尽きて

2011-02-28 | 身辺雑記
 昨夜来の雨が降り止まぬ中、美容院に出かけてきた。
 帰宅の昼過ぎには、予報どおり雨は上がった。その代わり、風が出てきて、折角、整えてもらった髪も、たちまち乱れた。
 夕方になって、弱い日差しが、庭をひととき朱に染めた。

 二月は、国内外に、問題が多かった。
 簡単に、出口の見つかりそうにない政治問題に加え、復興の見込みの立ちにくい自然災害など。
 地図を広げ、地球儀を回して、なりゆきを案ずるばかり。

 二月は、今日で終わり。早くも、一年の六分の一が過ぎた。
 私の身辺は、まずまず穏やかであった。
 だが、今日は思わぬところで、見事に転倒した。実に久しぶりのことだ。
 何が起こったのか、とっさには分からなかった。擦り傷さえないのだから、運がいいとしか言いようがない。しかし、危機は絶えず身辺にあり、と自戒した。

 今日は、白梅紅梅が目についた。
 道の辺に、水仙の花も目立つようになった。  


      隣家の白梅

      休耕田の水仙
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早春の庭

2011-02-26 | 身辺雑記
 2月が終わりに近づいたけれど、本格的な春とはいえない。
 ただわずかずつ、春の足音は近づいているけれど…。

 蕗の薹が紫の衣を脱ぎ始めた。
 『歳時記』に、

   風にまだ芯の残れり蕗の薹  及川睦子

 という句が載っていた。
 <芯の残れり>とは、言い得て妙だ。
 今日あたりも、日差しには春の気配がありながら、風は冬の名残りを留めているのだ。
 
    

 年末に植えた、ラナンキュラスの花が、少々くたびれ気味に咲いている。
 ライトイエローの花。
 レッドの一株は、<寒さに参りました>という風情で、哀れげである。
 
 落合恵子さんの連載エッセイ(朝日新聞・26日)に、澤地久枝さんのことが出ていた。
 文末に、<ベランダでは、澤地さんのお好きな春の花ラナンキュラスが、丸い蕾をつけ始めている>と、書いてあった。
 一文から、澤地さんの一面を知ったり、落合邸のベランダを想像したりした。
 私は、格別ラナンキュラスが好きなわけではないが、庭に明るさをもたらしてくれるのを嬉しく思っている。  

    

 よく咲くスミレ<ブルーハワイ>は、パンジーやビオラに似た花である。
 両者の特色を併せ持ったような花、といえそうだ。
 寒さに強く、雪の下になっても、自らの花色を保ち続けた。

    

 白い小さな花の<イベリス>は、私の好みの花である。
 しかし、これだけでは雪色と同じで、花壇が寂しすぎる。

     

 家の庭に、水仙が咲き始めた。
 庭の片隅にも、春が感じられる。   

         


    × × × × × × × × × × × × × × 

 21日、山口に出かけた。
 県境には、10日前に降った雪が消え残っていた。
 山肌だけでなく、田圃にも、家の軒下にも。
 しかし、残り具合が均等ではない。
 雪の名残りは、太陽の恵みの届きやすい場所とそうでない場所とを、見事に判然とさせる。
 鋭角的な十種ヶ峰にも、穏やかで円やかな青野山にも、残雪の名残りがあった。
 当日は、一片の雲もない快晴であった。その後も、比較的暖かな日が続いている。
 県境の山や里にあった名残りの雪も、すっかり消えてしまったであろう。 
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如月の満月

2011-02-19 | 身辺雑記
 洋間のカーテンを開けて、東の空を見上げた。
 望月が、山の端から宵の空にのぼろうとしていた。
 大きな月であった。
 床に跪いて、やっと眺められる位置に月はあった。

 (撮り方が悪く、歪な月になった。手前の無愛想げな幹は、ヤマボウシである。)

    

 追記 先日、<朝日俳壇>を読んでいて、「繊月」という言葉を知った。
    いつか、私も表現として、文中に使ってみたいと思った。
    「細い形の月。三日月などの称。」と広辞苑の説明にあった。

    肝心な俳句は忘れてしまったけれど、同じ句には、「太白星」という言葉も使われていた。
    「五星の一つ。金星の漢名。」と辞典に出ていたので、ついでに「五星」も調べてみた。
    「中国で、昔から知られている五惑星、すなわち歳星(木星)・熒惑(けいこく 火星)・鎮星(土星)・
    太白(金星)・辰星(水星)の総称。」だと知る。
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束の間の冬日和

2011-02-16 | 散歩道
 明日、というより今晩、日付の変わるころには雨になるという。
 が、今日は、突然春が訪れたかのような好天であった。
 郵便局に用があって出かけたついでに、海の見える<トランペットの丘>まで足を延ばした。
 気が向けば、海辺に下りてみようと思っていたのだが、折に散歩する海辺を眼下に眺めて引き返した。
 帰り道の距離と上り坂を考えると、海岸まで降りてゆく元気がなかった。
 無理はしないでおこうと、自らを甘やかす私が、心の中にいる。

  


 9時前、外に出てみると、中天に13夜の月があった。
 その背景には、やがて雨を呼ぶ雲がうっすらと広がっていた。
 深夜になれば、月光は雨雲に消されてしまうだろう。

        

 夜の9時から、BS朝日で、<世界の名画 ゴヤ&ピサロ 印象派・新たな冒険>を観た。
 登場した画家は、ゴヤ・ピサロ・ゴーギャン・スーラ・シニャック・ロートレック・ゴッホなどなど。
 大方の名画は、美術展などで観たことのあるなじみの作品だったが、今晩は解説つきの名画鑑賞となった。改めて、画家の生涯、作品の背景、画家たちの繋がりなどを考えながらの…。
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寺戸恒晴作品展(草花舎)

2011-02-14 | 草花舎の四季
 小雨の降る中、郵便局へ出かけた。
 昼前、草花舎へ電話したけれど通じない。臨時の休業かと思ったが、お店の前には<Open>の札が出ていた。
 そこで、局へ行く前に立ち寄り、カレーライスを注文しておいた。

 お庭には、まだ花が少ない。
 入り口の鉢に、ヒヤシンスの花が咲いていた。

  

 折しも、<寺戸恒晴作品展>の開催中であった。
 第一部が、2月16日まで。
 第二部が、2月21日~3月2日まで。
 石正美術館で、企画展を開催中とのこと。それにあわせて草花舎でも、1980年代から没年までの作品が展示されている。

 現在展示の作品には、日本海沿岸が多く描かれている。
 独特の<青>の世界に、画家の魂が込められているらしい。

 私の手元にも、寺戸恒晴氏の3作品があり、常に身近に眺めている。が、私は、あまりにも、寺戸恒晴氏の過去を知らないまま、作品に接してきた。
 シベリヤ抑留の体験者であることも、絵本や挿絵の作品があることも。
 新たな一面を知って、今日は作品を鑑賞し、食後のひととき、絵本を読んだ。
       
 その一冊は、『ケンといわみかぐら』。
 ケンの父親は神楽面の作り手である。
 だが、子どものケンは、面作りにも神楽にも興味がなかった。
 そのケンが、神楽や面に目覚めてゆくお話である。
 古くからの伝統を、子どものケンが感動をもって、自然に理解してゆく様が、絵と文で表現されている。

      

   

 展示室の片隅には、春の気配が活けられていた。
 こうしたさりげなさが、心楽しい。 
   
   

 帰途は、雨上がりの空が晴れ渡り、画伯の絵に見た青を重ねて眺めた。

   
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暴風の片づけ

2011-02-13 | 身辺雑記
 昨日の未明、浜田市では、瞬間風速35・3メートルを記録したという。
 当地も深夜から吹き荒れた。
 ただならぬ風の音で、私は3時過ぎに目覚めた。
 その後、風は一日中吹き荒れた。
 ゴミ箱や鉢が飛んだ。
 
 前夜から出ていたらしい<暴風雪>警報は、昼前解除になったけれど、なかなか風は収まらなかった。騒々しい唸りが家を包み、時には家の建具を軋ませた。

 雪は積もらなかった。霙の降った気配が庭の片隅に残っていただけである。
 昨日は、宵になって風は収まった。
 就寝前、戸外がほのかに明るんでいたので、庭に出てみた。
 半月が、中天の西よりに出ていた。嵐の名残りの雲を伴って。(写真 上)

 今晩も、月は一日分大きくなって中天に冴えている。(写真 下)


    12日深夜の月

    13日の月


 今日は、午後から天候も和らいだので、急に思い立って暴風がもたらした狼藉の後始末をした。
 散乱した鉢を片付けたり、溝にたまった落ち葉を片付けたり。
 高手にある保育園の庭から、杉の小枝が容赦なく落ち、溝を埋めている。
 溝だけでなく、家の周囲に様々な木々の葉が飛んできている。
 片付けは1時間程度で済むだろうとの予想は、誤算であった。

 溝の水捌けが悪くなっていることに気づき、裏口の重い鉄板を持ち上げてみた。
 驚いた。土石がたまっているばかりでなく、大きなポトルや小さな鉢まで溝に留まり、水の流れをせき止めているのだった。
 2枚の鉄板は持ち上げることができたので、頑張って不要物を取り除いた。が、相変わらず水の流れは悪い。
 もう1枚の鉄板下にたまった土石を取り除かなくてはだめらしい。だが、鉄板の一部が土砂に埋まっていて、どうにもならない。
 日を改めて、人の力を借りよう、そう思っているところへ、同じ団地のNさんが通りかかられた。
 私の諦めていた鉄板を、Nさんは難なく持ち上げ、堆積した土石を取り除いてくださった。私の道具では能率が悪いらしく、自宅に道具を取りに帰ってまで、仕事してくださった。
 その結果、たまっていた水は、当然の如く流れ始めた。
 
 散歩の時間を変更し、さりげなく奉仕してくださったNさんに感謝の気持ちでいっぱいだ。
 Nさんは病弱なお体なのに、人の困惑を目にした以上、見ぬフリをできない方なのだ。
 私には、こうした奉仕がなかなかできない。

       × × × × × × × × × × × × × ×

 今日は、漢字を一つ覚えた。
 朝日俳壇の長谷川櫂氏選の句から。
 
   楪や遊ぼうと来しとなりの子  (志木市)坂本 登

 の、<楪>である。
 <ゆずりは>と読むことを知らなかった。
 辞書で確かめたところ、<ゆずりは>は、<譲葉><交譲木>とも、表記されるようだ。
 句を読んで、ほほえましい情景が浮かび、いい句だと私も思った。

 老いてなお、日々、学ぶことも多いが、それにも増して忘れることの多さにあきれるこのころである。
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水仙の里へ

2011-02-11 | 身辺雑記
 明日からまた、寒波が襲来するらしい。
 嵐で水仙が傷まないうちにと、午後、<水仙の里>への散歩を試みた。
 早くも、ポツポツ雨が落ち始めていた。
 傘を差して出かけ、小降りになると、傘を杖代わりに使った。

 唐音への入り口に、知人のM氏が立っておられた。
 水仙を見に来る人の車を誘導しておられるのだ。
 「お散歩ですか。気をつけて!」
 と、声をかけられた。
 「ご苦労様です」
 と、私も労をねぎらい、海沿いの小路に入った。
 広島ナンバーの車に2台出合った。
 今年も、県外からのお客があるらしい。

 歩道脇の水仙が、例年に比べて貧弱である。
 丈も短く、花数も少ない。
 夏の猛暑が株太りを妨げたのだろうか?

 いささかがっかりしながら、樹間に高島を眺めたり、水仙の小さな群生を眺めたりした。
 年々、唐音に向かう道は、少しずつ整備されている。
 今年は、<不法投棄>を戒める看板や監視カメラが、新たに設置されていた。

 唐音の駐車場に着いたとき、M氏が車で来られた。
 <水仙の里>で、案内をしている人に、今日の仕事はきり上げようと告げておられた。
 帰途はM氏の車に乗せてもらった。

 嵐を予感させる雲が広がり、雨が強くなり始めていた。


    

    

    
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紅梅とハナカンザシ

2011-02-10 | 身辺雑記
 内科の定期健診に出かけてきた。
 血圧はすこぶる安定していた。
 このところ、体調は良好である。

 待合室の、かつてスッポンモドキの水槽が置かれていた棚に、紅梅の鉢植えがあった。相当な老木である。老いてなお深い味わいのある紅色の花を咲かせている。
 看護婦さんの話によると、患者さんが育てられたものの由。せっかく大事に育てられたものを……と言ったところ、その方は、育てる過程を十分楽しんでいるので、と答えられたという。

 そういうものかもしれない。
 結果よりも過程、そのプロセスにこそ、楽しみはあるのかもしれない。

 ハナカンザシの鉢も置いてあった。
 私も年の暮れに、花壇に植えた。寒い冬を乗り切って、今も花の小ささを誇るように、多くが寄り添いながら咲いている。

    

    
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大宰府と九州国立博物館

2011-02-09 | 旅日記
 立春を過ぎ、暖かくなったら、大宰府に出かけようと心を決めていた。
 天満宮のお参りと、<ゴッホ展>の鑑賞を兼ねて。

 2月に入ると、急に寒気が緩んだ。
 ゴッホ展は13日までなので、お天気の崩れぬうちにと、7日に出かけた。
 島根と山口の県境には、まだ雪がかなり残っていたのに、福岡は快晴であった。


 参道から天満宮にかけて、大変な人出である。
 韓国からの団体もあった。
 大宰府に行ったときの習いで、今回も、<かさ家>に入り、抹茶と梅ヶ枝餅をいただいた。
 喫茶室に入るのに、記名して、暫く順番を待たなくてはならなかった。

 その後、天満宮にお参りした。
 <飛梅>の開花には少し早すぎ、枝が蕾の膨らみで、わずかに色づいている程度だった。

   

   


 参拝の後、山を貫かれた長いトンネルをエスカレーターで上った。と、九州国立博物館の風変わりな建物が現れる。斬新な建築である。
 今回は三度目(一番最初に訪れたのは、<伊藤若冲展>であった)なので、最初に見たときの驚きはなかった。それでも、聡ガラス張りの壁面が向かいの山影を映している様や、大きくうねる屋根の形状は独特なものである。
 設計者は、菊竹清訓氏。
 宍道湖のほとりに立つ島根県立美術館も、同じ設計者である。
 自然との融和を考慮し、いわゆる箱型を拒否した建造物として個性的である。
 建物そのものも、一つの芸術作品として興味深い。

 ゴッホ展の会場は、混雑していた。
 ゴッホ人気のせいだろうか。
 昨年12月に上京の際、国立新美術館で同展が開催されていた。が、数年前、東京現代美術館でゴッホ展を見たときの、大混雑ぶりを思い出し、いずれ九州に巡回するのだから、そのときゆったり見ればいいと思い、横浜美術館の<ゴヤ展>を見てきたのだった。

 立錐の余地なしというほどではなかったが、やはりゆったりと鑑賞できる状況にはなかった。
 大きな作品はいいとして、デッサンなどの小品は、人の肩越しには見えにくく、その点が残念であった。
 それでも、念願かなって、満足であった。

 博多に一泊の、今年最初の小さな旅は、無事終わった。
 帰途は雨となり、県境の消え残る雪原にも、雨が降りしきっていた。

   
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芽生え

2011-02-05 | 身辺雑記
 2月に入った途端、急に暖かくなった。
 節分・立春も過ぎ、今日も穏やかな好天であった。

 庭の、いつもの場所に、蕗の薹が顔を出していた。
 周囲の小石に似た固さのままに、拳を握り締めた形で。(写真)

 この時期になると、確定申告の書類作成が気になる。
 税務署から届いた封書を、昨夜、開封してみた。
 思いのほか、楽に作成できた。ほっとしている。
 街へ出たとき、税務署の窓口へ提出しておこう。

          
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