ぶらぶら人生

心の呟き

時が移ろい、ものも移ろう

2013-03-30 | 身辺雑記
 国道9号線脇に、新しい保育所が完成した。
 公民館や町内の集会所などのある敷地の近くに。
 
        

  

        
            9号線から見た保育所(㋃3日追加)


 現在は、私の家にほど近い、丘の上にある。
 3月末をもって、現保育所の閉じられることは知っていた。
 卒園式のあった24日に、やがて閉鎖される保育所をカメラに収めた。

           
             

 その翌日には、<かまて保育所>の看板は外され、新保育所に掲げられた。

 時の移ろいは、実在する物の移ろいでもある。
 裏口を出れば耳に飛び込んできた甲高い幼子たちの声は、間もなく聞こえなくなる。
 保護者に伴われて、保育所への坂を上り下りする、愛らしい姿も見られなくなる。
 寂しくなるだろう。

 建物は、今後どうなるのだろう?
 他のことに活用されるのか、取り壊されるのか?

           
 新保育所の近くにある桜の幼い木は、今やっと三分咲きである。
 公民館の側にある濃いピンクの桜は、種類を異にするらしく、かなり花数を増している。
 東京あたりの桜は、早々に盛りを過ぎようとしているらしい。
 が、当地の桜は、まだまだ黒い枝があらわである。

  
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小さな花

2013-03-29 | 身辺雑記
 裏庭に、由緒不明の、やや大きめな鉢がある。
 その鉢に、妹からもらったチオノドクサの球根を植えたのは、数年前である。
 他にも、数種の球根をもらって、前の花壇などに植えたのだが、一度か二度、花を楽しませてくれたあと、絶えてしまった。
 チオノドクサだけが、その後も、律儀に咲いてくれる。
 同じ鉢に、植えたはずもないムスカリも咲く。
 控え目に、遠慮がちに、チオノドクサが花を終えた後になって咲く。
 

  
       チオノドクサ                  ムスカリ
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春のほほえみ(チューリップ)

2013-03-27 | 身辺雑記
 先日、郵便局に出かけたとき、プランターに咲いているチューリップを眺めた。
 程よい蕾の形して。

 帰途、立ち寄った草花舎には、淡いピンクの花が活けてあった。

  

        

 チューリップは勿論、外来の花。
 文久年間(1861~1864)にもたらされ、当時は、<欝金香>(うこんこう)と呼ばれていたようだ。
 北原白秋の詩には、<欝金香>の名が遣われていると、広辞苑に出ている。

 <欝金香>は、いささか堅苦しい。
 この花には、<チューリップ>の方が似つかわしく思える。単に、なじみ深いだけのことかもしれないけれど。

 暫くは、行く先々で、<チューリップ>の花を目にし、その都度、春のほほえみに、心を和ませられることだろう。
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春の月

2013-03-26 | 身辺雑記
 今晩、3月の集金常会が開かれた。
 往復の夜道に、月を眺めた。

 春の月である。
 少し朧に霞んで、下界を照らしていた。

 下の写真は、夜ふけの空に雲を伴っていた月。
 前庭から見上げたお月様だ。
 多分、満月だろう。

     

 班長としての仕事は、終わりに近くなった。
 一応の任期は、3月末だが、4月7日の総会までは、万事終了というわけにはいかないらしい。
 いずれにしても、心理的負担から開放されるまで、後もう少し!
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紫木蓮とスノーフレーク

2013-03-26 | 身辺雑記
 昨日は、する事なす事うまくゆかず、私にとっての<凶会日>(くえにち)であった。
 1年365日の色合いは、いつも同じというわけにはゆかない。
 いい日(吉日)もあれば、物事のうまく運ばない日(凶会日)もある。

 今日は、3通の葉書を書こうとして、ことごとくしくじった。
 なんとか印刷をし終え、午後、郵便局と草花舎に出かけた。
 その支度も、もたもたして、きびきびと事が運ばなかった。

 入浴の準備をしかけて、ポストの中を点検すると、班長として、至急各家に連絡しなくてはならない訃報の通知が入っていた。
 入浴どころではなくなった。
 日暮れまでに仕事を済ませようと、少々焦りながら、18軒に配る<お知らせ>を作成した。そのときも、作業の計(はか)がゆず、もたついた。

 ひどく疲れた気分であった。
 最悪な出来事は、入浴後におとずれた。
 湯船を出た途端に、目眩が起こった。
 手すりを摑み、<これは大変!>と思った。

 だが、意識が遠のくという大事には至らなかった。
 私は、湯にゆっくり浸るのが好きである。昨夜は疲れを除こうと、とりわけ長く湯船に浸っていた。
 それがまずかったのだろう。
 暫く、低血圧のまま、脈拍数が上がりっぱなしで、不快であった。

 こんな日は、休むに如かずと、日記も書かず早々に横臥した。
 が、帯状疱疹の後遺症のある左足の冷えがひどく、いつも夕方から夜にかけて悪化しがちな神経の異常が、痛みにまで達した。
 ついには、安眠を阻むほどとなった。
 そこで、ベッドから起き上がって、気分の転換を図った。
 歩もうとしても、思うように歩けなかった。(しかし、痛みは長く続かず、何事もなかったかのようにおさまった。実に不思議なことだった。)
 が、まさに(これは、安倍総理の口癖)、<凶会日>であった。

 
 昨日、草花舎からの帰りに撮った紫木蓮の写りが悪く、先刻、撮り直しに出かけた。(下の写真)
 今日は、普段どおりの一日である。
 
 紫木蓮の下には、スノーフレークも咲いていた。(わが家のそれは、まだ咲く気配もないけれど…)
 そういえば、昨日、地面にしゃがんで、スノーフレークの写真を撮ったおり、立ち上がろうとして、ふらついた。
 その時は、<年だな>と思っただけだが、それも不調の黄信号だったのかもしれない。
 さらに、「ますだへ」とひらがな書きしたボードを手にした(ヒッチハイクが目当てらしい)、外国人かと思える男性が、バス停にいて、それを振り返ったときも、また、9号線を西に向かう車の中から、私に呼びかけた人(多分私を知る人だったのだろう)の声に反応して、ふり向いたときも、ふと平衡感覚の異常を感じた。

 総合して、昨日は、黄または赤信号の点り続ける一日だったということらしい。
 老いの身には、何が起こるか分からない。
 しかし、怖れていても仕方のないことだ。
 その日任せ、なりゆき任せで、生きてゆくしか仕方ない、と思っている。
  

      

      

      
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<栢野紀文 陶展>

2013-03-25 | 草花舎の四季
 今、草花舎で、<栢野紀文 陶展>が開催中である。(~4月14日まで)
 形の楽しさや絵柄のおもしろさなど、親しみやすい器の数々が並んでいる。
 先日、23日の開催以来、多くの作品がすでに売れている様子だ。
 私が目をつけた器の幾つかは、すでに購入者が決まっていた。

 ほしい作品も、私の住まいや置き場所、実用の方法などを考慮すると、自ずから求める器も限定される。
 それはともかく、作品として眺めているだけで、心が和む。

 以下、展示の作品の一部。

  

  

  

     
        (花瓶も、栢野紀文さんの作品)

        私の求めた器。(表面と裏面)

  
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三種の椿、咲きそろう

2013-03-23 | 身辺雑記
 家にある3本の椿が、ほぼ咲きそろった。
 白い花は、毎年、花数が多い。
 ピンクの2種は、、数えられるほどの数しか咲かない。
 ピンクの椿は、色こそ似ているが、花弁の形など、微妙に異なっている。

 色の乏しかった庭の、春の彩りである。

           

         
 
         
 
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灯火様々

2013-03-22 | 身辺雑記
 先日来、ダイニングルームの天上にある蛍光灯の、5本のうちの1本が、音を立てて瞬き始めた。
 そこで、近所の電気店に電話し、見にきていただいた。
 明滅を繰りかえしている1本は、その場で、外してくださった。

 近年取り替えてもらった洋間や書斎に類する照明を、と頼んだところ、今はやりのLED(発光ダイオード)を勧められた。

 「10年は保(も)ちますから…」と。
 「私の寿命が足りませんね」
 と、笑った。
 考えてみると、身辺に存在する大方は、私の死後にも、存在し続けるに違いないものばかり。

 勧められるままに、LEDに替えた。
 リモコン操作で、色も替えられる。
 その他の機能も、いろいろついている。

 お風呂場の電球が一つ切れたのは、昨年のことだ。
 そのままに放置していたが、これもLED電球に取り替えてもらった。(2個とも)

  

  

         


 灯火の進化!
 電気のない昔には、ランプの時代もあった。
 
 昔、信州を旅し、<五色温泉>に宿泊した。
 そのおりの、ランプの部屋が懐かしい。
 後にも先にも、ランプの確かな想い出は、そのときだけである。
 実に趣のある雰囲気であった。

 嵐の中の蝋燭の灯も、過ぎてしまえば懐かしい。
 が、戦時下の、不安な灯火管制には、嫌悪感しかないけれど。
 遮光の中で聞く、敵機襲来の爆音など、再び聞きたくもない。

 蛍雪を頼りに読書した大昔から、LEDの時代へ、その灯火の変遷には、長い歳月があり、開発への叡智があってのこと。
 LEDの明るさのなかで、ふと過去に思い及んだ。
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3月の庭(バイモなど)

2013-03-21 | 草花舎の四季
 先日、S眼科へ行った帰り、バスを途中下車して、草花舎にも立ち寄った。
 黄砂の日であったが、バイモが咲いているとYさんに聞いて、中庭にある柿の木の下へ行ってみた。

 バイモは、ひっそりと咲く花である。
 
                 

 落ち椿の赤が美しく、自然の偶然が、絵画の世界を生んでいた。

             

 白とピンクの沈丁花も、咲き満ちていた。

  

 コーヒーをいただきながら、Yさん、Tちゃん、お客のGさん等と、ひと時の対話を楽しんで帰宅した。
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お彼岸の墓参

2013-03-20 | 身辺雑記
 お彼岸の今日も、黄砂の降る日であった。
 墓参の前、妹の一家と、<とみ>で食事した。

 <とみ>は、小さな丘の上にあって、遠望がきく。
 が、残念ながら、昨日に続き、黄砂が風景を損なっていた。
 
      

 食事の後、義弟の車に乗せてもらい、途中、亡き兄の妻、義姉をM駅に迎え、7人で墓参した。
 墓前で、祖父母、父母、そして兄を偲ぶ。

 肩の骨折で墓参のかなわなかった義姉に会うのは一年ぶりであった。
 右肩は癒えても、腕が上がりにくいとのこと、生活に不自由さがあるのだろう。
 それよりも、義姉の足の弱りが気になった。表情に生気のないことも。
 義姉の老い姿が、人ごとに思えなかった。
 兄が生存した歳月を超えてなお生きている私だが、明日のことは分からない。

 お彼岸の日は、彼岸の人の想い出に浸る一方で、此岸に生存する者の今を考える日でもある。


 義姉をM駅に送り、電車の到着を待ちながら、しばらく話した。
 待合室の椅子に坐り、雑談をしている限り、いつもの義姉であった。頭には衰えのないことに安堵する。

 その駅に置いてあった、鉢植えのクリスマスローズ(上)と、ホームの花壇に咲いていた黄水仙(下)。

           

       
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