ぶらぶら人生

心の呟き

海へ 6 (トベラの実と……)

2009-09-29 | 散歩道
 海岸に植えられた植物、トベラの実は、はじけるにはまだ間がありそうであった。(写真①)
 が、殻の中では赤い実が、肥り始めているのだろう。
 殻が割れ、子沢山の実がはじけ出るのは、晩秋のころ(?)海辺に寂寥感が漂うころだ。その頃、また海辺を訪れよう。

 海を背にして、坂道を上ろうとしたとき、崖の上から声が下りてきた。
 「お久しぶりです」
 崖の上の住人、Nさんだった。
 「お久しぶりです」
 立ち止まって、私も鸚鵡返しに挨拶をした。
 散歩を日課としていたころには、Nさんに会う機会も多く、その都度、挨拶程度の言葉を交わしていた。

 「気をつけて歩いてくださいね。昨日は、そこの畑に猪が三匹現れましたから」
 豚のように鼻息荒くと、自ら猪をまねて擬音を発し、Nさんは、人里に現れた猪の模様を話してくださった。昨日のちょうど今時分だった、と。
 あの鼻息は、人を警戒しながら威嚇していたのだろうとも、話しておられた。
 畑にいた近所の人が追い払われると、猪は慌てて逃げ去るわけでもなく、幾度も足を止め、様子を伺いながら、やがて姿を消したそうだ。
 地を掘って、ミミズやお芋を食べるのだとか。
 散歩道には、人影などめったにないので、怖い話である。
 このところ、人と山に棲む動物との住み分けが、曖昧になってきたらしい。

 帰途、旧国道を歩いていると、路肩に陥没した箇所を見つけた。(写真②)
 すでに、<路肩注意>の杭も打たれ、周囲に危険防止の縄が張られてはいたが、これまた怖いことである。
 その陥没した穴は、たとえコンクリートの上の歩みにも、絶対の安全は保証されていないことの証のように思え……。

 思いがけないこととの遭遇は、散歩の楽しみの一つでもある。


              ①

              ②
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海へ 5 (曼珠沙華と蝶)

2009-09-29 | 散歩道
 花に蝶、というのは珍しくもない取り合わせだが、この季節、なんだかほほえましく眺められる光景である。
 今日は、曼珠沙華と蝶。
 蝶は、花から花へと巡っていた。
 曼珠沙華は、すでに盛りを過ぎ、形も色も精彩を欠き始めた。


              

              
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海へ 4 (花々)

2009-09-29 | 散歩道
 散歩の途中で見かけた花々。
 偶然だが、みな紫系の花々である。
 花の形が朝顔に似た<オーシャンブルー>(②)と、<ナス>の花(④)以外は名前を知らない。
 ③の植物は、立ち姿が風変わりで、剪定して形を整えたかのようだ。ちょっと気取って、すまし顔である。
 

             ①

             ②

             ③

             ④
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海へ 3 (トランペットの丘)

2009-09-29 | 散歩道
 今日も散歩の途中、<トランペットの丘>に立ち、日本海を眺めた。
 エンジェルストランペットの花は、6月にも咲いていた。
 ひと夏、咲き続ける花らしい。
 この花は、海をバックにすると、より映える。


            

            

            
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海へ 2 (秋桜の花盛り)

2009-09-29 | 散歩道
 今は秋桜の花盛り。
 散歩の途次、幾つかの群生を眺めた。
 色同様、それぞれに奏でる音色も、少しずつ異なっている。

 コスモスは、文字通り秋の桜だ。

              

              

              

              
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海へ 1 (土田海岸)

2009-09-29 | 散歩道
 久しぶりの散歩に出かけた。
 前回、海に向かって歩いたのは、いつだったか思い出せない。
 <散歩道>と題したカテゴリーを開いてみて、6月23日だったと知った。
 随分長い間、散歩を怠ったことになる。
 その間に季節はめぐり、盛夏を過ぎて今は秋。

 曇り日の今日だったが、土田海岸は波の穏やかな日で、前回と変わらぬ風情であった。まだ寂寥を感じさせる光景でもなかった。
 変わったことと言えば、浜辺に、釣竿を手にした中学生の一群が、集合していたことぐらいだ。
 課外活動? 遠足の帰り? 
 釣果はあったのかどうか?
 その小さな集団を横に見て、磯づたいに歩いた。 


              

              

              
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「爆睡」の幸せ

2009-09-28 | 身辺雑記
 今朝の『読売俳壇』で、下記の句に出合った。

    爆睡といふ幸もあり吾亦紅  門真市 皆木多恵子(正木ゆう子選)

 「爆睡」という語の、意味は想像できるけれど、私の語彙にはなかった。「熟睡」という漢語の意味する眠りより、さらに深い眠りを表現する言葉らしい。
 選者の評に、<熟睡の上を行く爆睡という言葉もだいぶ耳慣れてきた。>とあった。
 私にとってはなじみのない語を、枕もとの電子辞書で調べた。
 <ぐっすり眠ることをいう俗語。眠りこける。>(広辞苑の第六版)
 と、説明している。
 同じ<爆>を使った<爆笑>という言葉には、<爆>=<はじける>の意味が生きているが、<爆睡>の場合は、どうなのだろう?
 この場合は、<爆>=<超>といった特殊な意味で使われているのだろう。
 最近の言葉らしい。
 広辞苑の第五版を始め、私の持っている数種類の日本語辞典を調べてみたが、<爆睡>は出ていなかった。
 この新語は、私の好みではない。
 日本語としても、あまり好ましくない気もする。
 が、誰かが使い始め、熟睡を上回る深い眠り表現する言葉として次第に浸透し、新語として定着しつつあるのだろう。
 言われてみれば、好き嫌いは別として、《地震が起きても目の覚めないような深い眠り》が想像できる。
 眠りの下手な私には、<爆睡といふ幸>が、本当に羨ましい。
 そんな深い眠りを、たまにはむさぼってみたい。

 「吾亦紅」は、好きな花である。
 地味で目立たないが、「吾もまた紅し」とひそやかに存在を主張している。
 高浜虚子の句に、
    吾も亦(また)紅(くれない)なりとついと出て
 が、ある。
 <亦>については、遠い昔の漢文の時間に、<又>=<また>、<亦>=<もまた>と習ったことを懐かしく思い出す。<亦>は<~もまた>と訳せよと……。


 (添付の写真は、草花舎からの帰り、道の辺で見かけた植物。①ジュズダマ ②オシロイバナ ③曼珠沙華)

                 ①

         ②

         ③
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9月の庭 (オキザリスなど)

2009-09-28 | 草花舎の四季
 草花舎に出かけて食事をし、庭歩きをした。
 今日も、スーザンさんはお仕事のため、昼食に来られなかった。
 日本でのお仕事量が増え、多忙なご様子である。
 明日からは、Tちゃんを同道、上京されるという。

 ここ数日、秋の冷気が感じられない。
 じっとりとした暑さが鬱陶しい。ただ、蝉の声は聞こえなくなった。季節が移りつつあることは間違いない。

 オキザリスの花がやさしい。(写真①②)
 入り口には、秋明菊も咲いていた。(写真③)
 秋は結実の季節でもある。
 草花舎の裏庭の、棗や枳殻の色づきが目立ち始めた。(写真④⑤)


            ①
        
                      ②

            ③

                      ④

            ⑤
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訪問者、ついに現る

2009-09-27 | 身辺雑記
 毎年、洗面所の窓辺にやってくるヤモリを、今年は見かけなかった。
 どういうわけだろう? と思いながら、しばしば夜の窓を眺めてきた。

 今晩、ついに現れた。
 二匹も。
 大と小と。
 親と子?
 夫婦?
 恋人同士?

 爬虫類の大嫌いな私だが、硝子を隔てて眺めるかぎり、ヤモリは愛嬌があり、憎めない。


             
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岩内と木田金次郎

2009-09-26 | 身辺雑記
今日の読売新聞(「時の余白に」)欄に、編集委員 芥川喜好氏の<岩内漁港の岸壁で>が掲載されていた。筆者名と岩内という地名に目がとまり、早速、読んだ。

 かつて、読売新聞の日曜版に、絵画シリーズ<日本の四季> が掲載されていた。絵画好きの知人Mさんから、折にその紙面を見せていただいた。
 私は、そこに取り上げられる絵画もだが、その文章により興味を感じた。
 その解説者が芥川喜好氏であった。その筆の冴えに感心し、筆者はどんな人だろう? と、関心を抱いたものだった。
 その後、1994年、読売新聞社から芥川喜好編・文『画家たちの四季』が発行され、筆者の来歴を知ることができた。
 そのとき、購入した一冊が、私の手元にある。

 岩内は、遠い昔、北海道を旅したとき、訪れたことがある。
 雷電温泉に一泊し、折角の機会だからと岩内に足を伸ばし、木田金次郎の絵を見たのだった。
 1980年頃のことだったように思う。(日記やアルバムを繰れば確かめることが可能なのだが……)
 夏の嵐の日であった。積丹半島に近い北の海は荒れ、夏というのに陰惨な光景であったことを思い出す。
 岩内は、夏祭だったのだろう?
 折から開催中の木田金次郎の絵画展を無料公開していた。
 公民館?のような場所だったように思う。
 そこで、初めて木田金次郎の絵画に接したのだった。
 私にとっては、その画家が、有島武郎の小説『生まれ出づる悩み』に登場する主人公であること以外には関心がなく、ただその絵に、雷電海岸で目にした北海の、荒々しい風景との血脈を感じただけだった。
 後に知った芥川喜好氏のような鋭い眼識もないままに。

 芥川喜好氏の、今日の文章を読んで、岩内港のすぐ前に、開館15年を迎えた<木田金次郎美術館>があり、11月8日まで、「港と海の木田金次郎」展が開催されていることを知った。
 文中に、<こぢんまりした、しかし本格的な設計の、美しく行き届いた美術館>だと紹介してある。
 早速、インターネットで調べてみた。紹介どおりの美術館だ。
 もちろん、私が訪れた当時にはなかった美術館である。
 
 『画家たちの四季』には、<東山から見た早春の岩内山>(1960年作)が掲載されている。芥川喜好氏の名文とともに。
 木田金次郎(1893~1962)の晩年の作品である。
 『画家たちの四季』にも、今日の新聞にも記されていることだが、私は、<洞爺丸台風>(1954年9月26日)の夜、岩内の町が大火に見舞われ、その8割が焼失たという悲劇を知らなかった。その折、木田金次郎の家も、それまで描きためた千五百、六百点もの作品も、一挙に灰燼に帰したという。
 有島武郎に見てもらった絵も、みな失われたのであろう。
 私が岩内で見た絵画や『画家たちの四季』に掲載されている作品は、61歳以後の作品ということになる。
 なんという気力!
 災害時の年齢を考えると、死に至るまでの活躍に、ただ驚きを覚えるばかりである。

 指を折って数えてみると、今まで北海道を6度旅している。
 雷電温泉に宿泊し、岩内に行ったのは、確か四度目の旅の時だった。
 長万部の駅前を歩いたのは、その時だったのだろう。鄙びた駅前の店頭に、カニが沢山並んでいた。
 長万部からバスに乗ったように思う。
 時代が移っても、交通の不便さは、今もあまり変わらないのだろう。
 7度目の旅を実現できるとしても、再び、岩内を訪れることはないのでは……。

 今日は、50年前、5000人を超える死者・行方不明者を出した<伊勢湾台風>の、忌まわしい記念日であると、テレビが報じていた。そのさらに5年前の同月同日が、<洞爺丸台風>の日とは、不思議である。

 近年、ありがたいことに、台風による大被害がない。
 今年も比較的穏やかに、秋の日が徐々に深まっている。
 季節を違えず、玄関脇のススキが穂を出した。
 曼珠沙華の数は少ないが、昨年と同じ場所に、燃えている。(写真①②)


                 ①

          ②
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