ぶらぶら人生

心の呟き

6月終わる

2015-06-30 | 身辺雑記
 桔梗の花が一つ咲いて、6月が去った。
 
  

 今年の半分が過ぎたことになる。
 
 今月は、体調の不具合を感じる日が多かった。
 自分の不注意で、左肋骨の下部に痛みを抱えたり、炊事をしていて額に火傷を負ったり…。

 原因不明の口内炎や舌の痛みが続いたり、体の冷えに悩んだり、胃の不具合に悩まされたり…。
 まあ、大方は年のせいだと思っている。

 調子が悪くても、可能な範囲で生活を楽しむ術が、少しずつ身につきつつある。
 
 
          ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 昨夕、前庭に回ろうとしたとき、ツバメが眼の前をよぎり、空に飛び去った。
 見上げた先に、巣らしいものを見つけた。
 土を固めたような奇妙なもの。
 ツバメの巣? 

      


 今朝、再び壁面を見上げた。
 すると、土塊の中から、2羽のツバメが、ひらりと飛びたった。
 やはり巣だったのだ。

 そのツバメは、しばらく低空を回旋飛行し、やがて電線に止まった。
 そこから、私の挙動を観察しているようだった。

            

 私の方が根負けして、家に入った。

 しかし、やっぱり気になる。
 今度は、玄関側から外に出て、巣を見上げた。
 すると、入り口が、はっきりみえた。
 なかなか巧妙にできている。

 電線に止まっている2羽のツバメが、協力して作ったものなのだろう。
 図面も引かずに。
 少しずつ土を運んでは固めてゆく、その苦労は、並大抵なものではなさそうな気がする。
 下から見上げる限り、実に堅牢な住まいである。

 どれほどの時間をかけて作り上げたものなのか?
 そのプロセスに立ち会えなかったのが残念だ。
 

          


 今日一日、巣が気になって、雨が降り出す2時過ぎまで、幾度、外に出たかしれない。
 子供じみた行動に自らあきれながら。
 頭を突っ込んでいるツバメの、尾の先だけが見えたり、巣の主が不在だったり…。

 まだ子ツバメがいる気配はない。           
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野の花と、空の雲と

2015-06-29 | 身辺雑記
 27・28日と、二日にわたって梅雨寒の日が続いた。
 エアコンで、暖を取る。
 重ね着しても、なお寒い。
 体の冷えが、異常だった。

 今朝は、昨朝より気温は低かった。
 それでも、エアコンに頼らなくてもよかった。
 体調回復!
 天気もいいので、買い物に出かけた。

 野の花や雲の動きを眺めて楽しむ。


      

      

      

 車窓に、夏の花がよぎる。
 合歓の花・夾竹桃の花・槿木の花・凌霄花など。


 昨日、アマゾンに注文した黒井千次さんの本が3冊届いた。
 
      

 今の私には、短いエッセイ集が合っている。
 早速、読み始める。

 

 今晩の月は、薄雲に覆われていた。
 肉眼では見えなかったのに、カメラに収めた月は、大きな輪を伴っていた。


      
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遊び

2015-06-26 | 身辺雑記
 昨日、蝶々が二匹、戯れて遊んでいた。
 私も、遊ぶ。
 レストラン<とみ>の近くの草原で。
 白と黄と。
 それぞれの羽に、文様があるのだが…。
 動きのある蝶の羽をうまくとらえる技術が、私にはない。

       

 帰宅してみると、鉄砲百合に、昆虫が止まっていた。
 20個咲いてくれた最後の花に。

       


 国道9号線を歩くと、鳥のさえずりが間近に聞こえる。
 一つの山ではホトトギスが、向き合った別の山ではウグイスが鳴いていた。
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レストラン<とみ>にて…

2015-06-26 | 身辺雑記
 昨日、郵便局に出かけたので、足を延ばし、レストラン<とみ>で昼食をいただいてきた。
 眼下の景と、今日の昼食(お刺身定食)。


          

  


  

  コーヒーをいただきながら、持参の本を20ページばかり読んで、帰宅した。

 (余禄 読書は相変わらず楽しんでいる。感想を書きたい本がたまっているが、思考力や筆力が鈍り、能率よく書くことができない。
  また調子のいい日にと思っているうちに、日はどんどん過ぎ去ってゆく。)


  
   <とみ>へ向かう坂道のほとりに咲くカンナ        入口に置かれた桔梗の鉢   
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高い梢に

2015-06-25 | 身辺雑記
 郵便局へ行かなければならない用事ができた。
 過日、工事してもらった<防湿マット>代の請求書が届いたのだ。

 昨夕、草花舎のYさんと立ち話をしたとき、<黄金ヤマボウシ>が、満開だと聞いた。
 その日は、庭を歩いたのに、視線が紫陽花ばかりに向いていたようだ。
 見上げることをしなかった。

 そこで今日、草花舎の前を通る際、その花を眺めてきた。
 あいにく、草花舎は休業日である。
 いつもの入り口は閉まっているので、潜り戸から庭に入らせてもらった。

 梢の上に、たくさんの花が咲いていた。
 

        

 毎年、季節ごとに、見上げてきたのだろう。
 タブレットで、<黄金ヤマボウシ>を調べたところ、そこには、私のブログ3篇が出ていて、少々驚いた。
 思いがけず、自分の過去に出会うきまり悪さを覚えつつ、読み直した。

 無断で潜り戸から庭に入ったので、Yさんにお断りのメールを送った。


 今日、見上げたのは、黄金ヤマボウシの外に、合歓の花とキササゲの花。

        

        
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瞬間の景

2015-06-24 | 身辺雑記
 草花舎に来ておられたTさんに、最近、珍しい写真を撮られたかと尋ねた。
 スマホを見せてくださった。

 その中から、私のスマホへ送っていただいた写真の3枚。

 <瞬間の景>の面白さ! 


   
     ホテイアオイの上で脱皮した蜻蛉         ホテイアオイの花

             
                   土田海岸の落日
             手前の港に繋留された船と海面に映る雲
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6月の庭 (紫陽花の草花舎)

2015-06-24 | 草花舎の四季
 だらしない生活が続く。
 ベッドに横たわって、本を読んでいると、電話が鳴った。

 起き上がって確かめる。
 <050>で始まる電話だ。
 受話器を取らずに、居間の子機を確かめに立った。

 草花舎のTちゃんから、注文した化粧品が届いている、との知らせであった。

 (家の電話は、親機と子機2台の番号が、統一されていない。一番新しい情報が入っているのは、
  新たに買いなおした子機3号である。
  それには、草花舎の番号が入っている。
  日ごろ、親機を使用することはまずない。
  購入当時の番号しか一致ないので、今回のような不便が生ずる。)

 Tちゃんに電話したあと、元気を奮い立たせて、外出した。
 病人ではないので、歩けないわけではない。
 ただ日常生活は、楽な方に流れやすい。


 今、草花舎の庭には、紫陽花が咲き満ちている。
 ガクアジサイが多い。
 庭を巡り、紫陽花や他の花々を眺めた。


        

        

        

  


  

  


 コーヒーとケーキをいただき、活け花も楽しんだ。

 今日は、顔なじみのお客が多く、いろいろな方と、お話した。
 話題にもそれぞれの色合いがあり、それはそれで楽しかった。

 帰りは、Yさんに車で送っていただき、また家の前で、立ち話を続けた。
 今日は、幾日分もの話をした感じだ。


               


              

              

  
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恥ずかしがり屋

2015-06-22 | 身辺雑記
     左手で、枝を持ち上げてやっと撮影。
     藪柑子は、よほど恥ずかしがり屋なのだろう、うつむいて咲く。
     ムラサキブに次いで、小ぶりな花。 

     

     ギボウシの花は、下から咲き上る。
     これも、はにかみ屋。

     
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小さな花

2015-06-22 | 身辺雑記
         庭に咲く、この上なく小さな花。それは、シロシキブ。
         ムラサキシキブより先に開花し始めた。その小さな白い花。

        

  
                   シロシキブとムラサキシキブの蕾。
                   蕾も、かすかに花色をにじませている。
                   紅色を帯びているのが、ムラサキシキブ。(右)


         小さな花を眺めながら、私は、人間のさまざまな一生を考えていた。
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二人の詩人

2015-06-20 | 身辺雑記
 茨木のり子著『智恵子と生きた ――高村光太郎の生涯―― 』 (童話屋 2007年4月刊)<写真 下>を求めた。
 先日、山口に出かけた折に。
 本屋の、詩歌の本の置かれた書棚に、故人となられて間もない長田弘氏の詩集を探した。が、それは見つからず、目に入ったのがこの本であった。

           


 先日来、少々体調を崩し、昼間からベッドに横たわり、本を読むことが多かった。
 その際、軽量な文庫本は、ありがたい。
 それに、この本は活字が大きめで、周囲に余白のあるレイアウトが、老いの目に優しい。

 一冊の本で、二人の詩人の魂に触れることができた。
 茨木のり子と高村光太郎と。
 いずれも好きな詩人である。
 二人とも、今は亡き詩人だが、その詩は古びることがない。


 茨木のり子(1926~2006 79歳没)(大正15年~平成18年)
 高村光太郎(1883~1956 73歳没) (明治16年~昭和31年)
 


 その人の生きた時代は、必ず作品に反映される。
 その意味で、私はなるべく生没年を確かめるようにしている。

 茨木のり子さんは、私とほぼ同時代の詩人。
 (大正生まれとはいっても、1926年は、その年の暮、年号が昭和に変わる。したがって、昭和・平成を生きた詩人といっていい。)
 高村光太郎は、明治・大正・昭和に活躍した詩人(文筆家)・彫刻家である。

 1883年という数字に驚いた。
 1933年生まれの私から、丁度半世紀前ということになる。
 明治生まれとは知っていたが、16年というのは意外だった。
 その詩風や表現には古めかしさがなく、現代詩の範疇にあるからだろう。
 考えてみると、祖父の世代に近い!
 祖父は、明治11年の生まれで、昭和37年に84歳で故人となった。
 
 茨木のり子さんの伝記を読みながら、私の知らなかった詩人の一面をいろいろ知ることができた。
 「高村光太郎」について、最初のページで、
 <日本の詩に新しい道をひらき、「現代詩の父」とあおがれながら、戦争賛美詩も書いたが悪びれず反省し責任を負った古武士のような詩人。>
 
と、書かれている。

 目次は、
   1 高村光雲のむすこ
   2 パリでの人間開眼
   3 父との対立
   4 『智恵子抄』の背景
   5 日本人の「典型」
   「あとがき」にかえて
 となっている。

 高村光太郎に限らず、戦争中、時代の趨勢に流され、戦争賛美の詩文をものした詩人や作家は多い。
 高村光太郎は、戦後、岩手県の雪深い山里に、小さな小屋同然の庵を建てて住み、晩年を過ごされた。
 <自分で自分を牢屋に入れたような花巻郊外での七年間>と、茨木のり子さんは書いておられる。

 そのことは、私も知っていて、 [高村山荘]を訪れたことがある。
 ずいぶん昔のことだが、花巻から、タクシーに乗って。
 運転手の言葉が、全く聞き取れず、途惑った。
 石川啄木の、人口に膾炙した、あの歌を思い出したものだ。
    「ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく」(『一握の砂』)
 ふる里を同じくする宮沢賢治の詩にも、方言が出てくる。

 昔は、その土地固有の方言が多く、訛が強かった。特に、東北地方は、ひどかった。
 方言や訛には、むしろ独特の味があって、懐かしい言語だったのだが…。
 (今は、テレビの普及で、かなり標準語化され、全国一律化されているのかもしれない。)

 山荘を出て、高村光太郎が東京に戻られたのは、最晩年、青森県から依頼のあった裸像を制作するためだったという。
 一年余をかけて、裸像を完成。
 十和田湖畔に、今もたたずむ「乙女の像」 である。
 それが最後の仕事となった。
 妻の智恵子と同じ結核が、死の病であった。

 青森から十和田湖畔を旅したとき、その像に出会った。
 二体の裸像は、湖の景に溶けあっていた。 

 まだカメラを持たない時代だったから、相当昔である。
 絵葉書を売店で求め、代金を支払ったあと、記念の絵葉書はお店に置いてきた。その悔しさは、今も覚えている。

 (若い時から、どこか間が抜けていた。今も同じ失敗を繰り返している。
  昔と違って、老女となった今は、<ぼけ老人>の烙印を押されかねないので、かえって気を使っている。
  が、天性の間抜けは直らない。)

 高村光太郎の最も好きな詩集は? と聞かれれば、 『智恵子抄』をあげる。
 茨木のり子の詩集では、 『倚りかからず』
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