ぶらぶら人生

心の呟き

8月の庭 (大きなソテツ)

2014-08-31 | 草花舎の四季
 昨日、草花舎へ出かけた。
 今月末で、吉岡萬理展が終わるので、もう一度、作品を眺めたり、お昼をいただいたりして来ようと。

 よく晴れて、秋めく空が心地よかった。
 出かけるころは、一片の雲もなかったが、時間の経過とともに、雲が増えたり、また青空が広がったりした。


 草花舎中庭の、大きなソテツが、印象的であった。
 頭の部分にある擬宝珠のようなものは、これから葉となるのだとか。
 やがて、緑を濃くしながら、空に向かって伸びるのであろう。

       

 紅白の百日紅は、盛りを過ぎようとしている。

     

 クサキの花も。
 タマスダレは、しばらく緑の中に、白い清楚な花を楽しませてくれるだろう。

     


 吉岡萬理さんの大きな花瓶に、それに似合う華やいだ花々が活けてあった。

          


 昼食は、サンドイッチとコーヒー。

            

 


 今日はドコモショップに出むき、タブレットとスマフォの使い方について、教えを乞うてきた。
 便利で、楽しい機器だと思う。
 訳なく、調べごとのできるのが、なんといっても嬉しい。


 夜は、もう完全に秋である。
 今は特に、鈴虫の声が、際立っている。
 寂しげに、澄んだ声で歌っている。

 8月、終わる。
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飛蝗(バッタ)に逢う日

2014-08-30 | 身辺雑記
 起床時、裏口のドアの硝子に、はりついているものがあった。
 何だろう? と、近寄って目を凝らし、<飛蝗>の類であることが分かった。

 もっとよく、観察してみたくなった。
 しかし、バッタの静止しているドアを開けるわけにはゆかない。
 せっかくの訪問者に逃げられてしまっては困る。

 玄関を出て、裏に回った。
 思いがけぬ訪問者は、同じ姿勢で、同じ場所に留まっていた。
 何の目的で、ことさら、硝子戸に止まっているのだろう?

 紅赤色の美しい触角が、格別長い。
 動きと言えば、その微動だけである。

 とにかくデジカメに収めた。
 (内外、どちらの映像も、硝子や朝の光線が邪魔して、不鮮明なものになってしまったけれど。)


   

 『昆虫図鑑』で調べてみた。
 <キリギリス>ではないだろうか?
 
 朝、その存在に気づいて以来、幾度となく、その姿を確かめた。
 何だろう、この執着は? と思いながら。

 姿が、ついに見えなくなったのは、午前10時ごろであった。
 ドアを開けてみたが、周辺に姿はなかった。
 お騒がせの訪問者は、本来の居場所、草むらのあたりに、帰ったのであろう。



 午後、草花舎に行ったとき、また、バッタに出逢った。
 入り口の鉢の陰で、ごそごそしていた。
 よく見かける、細身のバッタである。 


                 


 デジカメに収め、草花舎の方たちに尋ねてみた。

 Kさんが、
 「これは、コメツキバッタ。キチキチキチと鳴く、あのバッタ」
 と、教えてくださった。

 帰宅後、PCで調べ、正式名は、<ショウリョウバッタ>(精霊蝗虫)であることが分かった。
 別名、<ショウジョウバッタ>ともいうらしい。
 その他、<キチキチバッタ><コメツキバッタ><ハタオリバッタ>の呼び名もあると、付記されていた。

 Kさんの言われた通りであった。
 私が見たバッタ(写真)は、小型だったから、雄なのだろう。
 雌雄の大きさの、極端に違うことが、この昆虫の特色らしい。


 昆虫の名前を知ってみても、何の得にもならないけれど、日ごろ、気にもしない昆虫(バッタ)が、妙に気になる今日であった。
 まるで、動くものに関心を持つ猫のようだ。
 このところの頭の働き具合は、確かに猫クラスである。


 終日、久しぶりに青空の広がる一日でもあった。

            
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もう秋 ?

2014-08-28 | 身辺雑記
 もう、秋なのかしら?
 朝は心地よさを通り越して、少々肌寒かった。

 青空の日数が、今年ほど少なかった夏(8月)は、近年珍しい。
 それだけに、酷暑に苦しめられることも少なかった。
 夏嫌いの私には、ありがたいことであった。
 しかし、繰り返される豪雨が、土砂災害や浸水被害をあちこちにもたらした、不幸な8月でもあった。

 朝、外をのぞいた時、(時間をかけ、20個ばかり咲いた)高砂百合の最後の花が、散り落ちて地面を汚しているのに気づいた。
 それを片付けておこうと、昼前、庭に下りた。

 その庭で見つけたのが、ミズヒキソウ。
 夏の初め、草取りを、業者に頼んだ。
 きれいにしていただいた代わりに、秋の野草は楽しめないだろうと諦めていた。
 両方いいことはないものだ、と。

 ところが、数は少ないけれど、ミズヒキソウの細い茎が伸び上がり、赤い小花をつけている。
 庭に、秋を見つけたようでうれしい。

             

 ノボタンの落花が、地面を紫に染めていた。
 花壇のランタナは、蔓延りすぎてムラサキゴテンを覆っている。
 そこで、ランタナの三分の一を、ハサミでとり除いた。
 花壇は、散り落ちたランタナの花びらで、黄色に染まった。

    


 シモツケの花の数が増えた。
 シュウメイギクは、蕾に白をのぞかせ、開花の準備を進めている。
 庭にも、秋がそっと、忍び寄っているようだ。 

    


 <余禄>

 近日、心に残った文章。

 ※ 本当の平和をもたらすものは、
    ややこしい会議や思想ではなく、
       ごく単純な愛の力による。 ― 永井隆 ―
                          (グラントワから届いた、「Takashi」より)

 ※ 何によらず、いいことずくめ、とはいかない。寿命にしてもそうで、長寿に恵まれた人だけが知る
    悲しみもあるだろう。
     
     …… 略 ……
                                 
   <老後は、わかき時より、月日の早き事、十ばいなれば、一日を十日とし、十日を百日とし、一月
    を一年とし、喜楽して、あだに日をくらすべからず>(『養生訓』)【著者は貝原益軒。1630~1714】

                          (8月27日 読売新聞 編集手帳 より)
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へまばかり

2014-08-27 | 身辺雑記
 診察を受けるため、T 医院へ出かけた。
 診察券と保険証を提出し、診察を待ったつもりだった。

 ところが、診察料支払いのとき、受付の看護師さんから、
 「これは、介護保険証ですから、ピンクの……」
 と言われ、間違っていたことに気づき、病院関係のものを収めた小ケースを開いた。
 が、ケースの中に、保険証はなかった。
 
 「次回で、かまいませから」
 と、言っていただいたけれど、やはり気になる。

 ふと、先日、ドコモショップへ行った時のことを思い出した。
 ケースごと持ち歩くと、バッグが重くなる。
 少しでも、身軽に歩きたくて、ケースから保険証だけを取り出したことを思い出した。
 (万一に備え、保険証は常に持ち歩くことにしている。)

 
 薬局で、薬の順番待ちをしているとき、ふっと、保険証の在り処を思い出した。
 バッグの別の場所に移動したまま、元のケースへ返し忘れていたのだ。

 薬を受け取った後、もう一度、医院の受付に行って、保険証を提出した。

 へまばかり!
 我ながら、あきれてしまう。

 昨日は、香典を送るため、郵便局へ出かけた。
 現金封筒2通にお悔やみの文を添えて。
 手元の現金封筒が残り少なくなっていたので、それも買い足しておこうと出かけたのだ。
 小雨の降る中を。
 ところが、支払いをしようとバッグを開けると、お財布がない。
 トートバッグに、入れ忘れたのだ。
 
 仕方なく、家まで取りに帰った。
 局まで二往復。
 帰りは、国道が緩やかな坂になっていて、息苦しくなる。
 やれやれの思い。
 1時間の散歩をしたようなものだった。
 5200歩も歩いたのだから結構なこと、と言い訳して、心を慰めるしかなかった。

 それにしても、間抜けたことが多すぎないか!?
 年相応、あるいはそれ以上に、ボケが入っていないだろうか。
 呆れながら、笑って過ごしていいものかどうか。


 今日も、院内には、盆栽愛好家(多分、患者さん)が、手塩にかけて育てられた鉢が並んでいた。
 眼福のひと時を過ごさせていただく。
 (メモ帳に、名前を記録したものと、聞き忘れたものとがある。メモした文字が曖昧だったり、不備だらけ。)


         

           
           二枚とも スベリリュウ(全身ピンク系)


         

   
     ギボウシ                             サワギキョウ

    
       トウガラシ                 ヒメリンゴ

    
                                 マユミ

    
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二人の訃報

2014-08-26 | 身辺雑記
 二人の訃報が、24日の夜、25日の朝と、続いて届いた。
 母方の従兄弟と父方の従姉妹。
 私より年上と年下。

 誰の身にも、その日が来ると自覚はしていても、心がなえる。
 それぞれの、数少ない思い出を反芻しながら。
 
 各々の遺族に、お悔やみの手紙を添え、香典を送る。
 葬儀への参列は遠慮して。
 体調が万全ではないうえ、是が非でも、葬儀に出席ということになれば、まず喪服から整えなければならない。(めったに着ることのない夏用の喪服は、体重5キロ増で、今は体に合わない。)

 それに、私自身、形式的(?)な儀式を好まない。
 私にその時が来れば、そっと消えるように、この世を去りたいと考えている。
 同様な考えを持つ人は増えつつあるようだが、まだマイナーである。
 (人には、それぞれの終わり方があっていいのだと思っている。)

 二日にわたる悲報と、それにまつわる雑用処理などで、心身ともに疲れた。
 


   
        近所の朝顔             最後の高砂百合
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私の玩具

2014-08-22 | 身辺雑記
 老人にとって、PCは、ありがたい遊び道具だと思っている。
 それに加え、先日、スマフォとタブレット(写真)を求め、ひとり遊びの玩具が増えた。

          

 スマフォ名は、「らくらくスマートフォンF‐06F」、タブレット名は、「Android SH‐06F」というのだそうだ。
 PCを開かなくても、手近に調べごとができたり、手慰みにもなる。

 とりあえず、私のブログを、スマフォやタブレット上で、見ることができるように設定してもらった。
 タブレットの方で、投稿を可能にするには、手続きが必要らしい。(スマフォは大丈夫だと思うけれど)
 それについては、次回ドコモショップで教えていただこうと思う。

 タブレットでは、<マイブック>に、無料で読める本をインストールし、ちょっとした暇に、韻文を楽しもうと思っている。
 例えば、現在<マイブック>に入れているのは、石川啄木著「一握の砂」「悲しき玩具」、高村光太郎著「智恵子抄」、中原中也著「在りし日の歌」、与謝野晶子著「みだれ髪」等など。
 長文は、やはり紙の本で読みたい。

 地図を眺めたり、いろいろ検索を楽しんだり、私の知恵袋として、また玩具として、役立っている。
 
 PCもそうだが、長時間付き合うと、必ず目も頭も疲れる。
 ほどほどに楽しみたい。

 
   何処(いづく)やらむかすかに虫のなくごとき
   こころ細さを
   今日もおぼゆる
                (「一握の砂」より)

 昨日、マイブックの中の「一握の砂」を読み、上記の歌に共感を覚えた。
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ドコモショップ&民俗資料館

2014-08-21 | 身辺雑記
 8月12日、お盆前の買い物に出かけた。
 そのついでに、歴史民俗資料館の企画展「教科書は語る」を覗いてみた。
 しかし、残念なことに、その日は休館日であった。

 また日を改めようと思い、1921年築の由緒ある建物と、その庭にある老木(120年余)を眺めるにとどめた。

               

      

      

               
             ニセアカシヤの古木(その幹と枝葉)

 ただ買い物だけをして帰るのは味気なく、前々から思案していたスマフォやタブレットの検討をしてこようと、ドコモショップを訪ねた。
 成り行きに任せて、二つの商品を求めることになった。
 どうせ使うのなら、頭の働きが鈍りすぎないうちにと、店員と相談しながら、機種を選んだ。
 順番待ちと機種選び・手続きだけで、4時間余りかかり、くたくたに疲れた。

 その日(12日)、家に帰ってみると、義姉から贈り物が届いており、早速、スマフォで、お礼のメールをしたためた。
 ケイタイとは多少やり方が異なるけれど、それほど戸惑うこともなく、メールを打つことはできた。
 着信音や音量設定なども、自分でできた。

 しかし、使い方の詳細は、教えを乞うしか仕方がない。
 特に、タブレットの方は、使い方が全然分からない。
 全く無用の長物である。

 そこで、昨日、ドコモショップへ出かけた。
 前回のように待たされては、体調を崩しかねないので、前日、10時の予約をして出かけた。
 Oさんという女性店員が、丁寧に手解きしてくださった。
 私のしたいことを伝え、使用度の高いアプリを並べていただいた。
 しかし、一度の指導だけで、使いこなすのは無理である。
 もう一度、教えを乞うことにした。
 
 まずは、使い慣れることが、PC同様大事なことであろう。
 

 昨日は、Rさんに会い、一緒に食事したり、歴史民俗資料館へ出かけたりした。
 Rさんの車に乗せていただいて。
 昼食は、グラントワのポニーでいただいた。

              

 昨日も、食欲は今一つ。
 口には美味しいと思うのに、お皿を空にすることはできなかった。

 Rさんは、かなり以前から、タブレットで、電子書籍を読んでおられる。
 そのタブレットを見せていただいた。
 私のものの倍の大きさだ。
 タブレットは、電子書籍を読むことだけに使っておられる様子だ。
 今まで、幾人かの方から、所持されるタブレットを見せていただいたが、私の求めたのは最も小さい形だ。
 持ち重りするのは、避けたかった。

 
 食事の後、「教科書は語る」展を見るため、歴史民俗資料館を訪れた。
 Rさんは、私より7歳若く、完全に戦後の教育を受けられた人である。
 私には思い出のある<修身>の教科書にも、なじみがない様子だ。

 私は、「サイタ サイタ サクラガ サイタ」の教科書で、小学校の国語学習を始めた世代である。
 その教科書を手に取って、ページを繰ることができたのは、嬉しかった。
 
 期待していたものよりは、規模の小さい展示会であった。
 それでも、教科書の変遷の歴史を大まかに見ることはできし、教科書を通して、思い出をたどることもできた。

 Rさんとの久々の語らいも、楽しかった。

  昨日来、広島(安佐南区・安佐北区)の大雨による土砂災害のニュースが報じられている。
   老若男女をとわず、犠牲者の数が増え続けている。
   悲惨な状況が、テレビ画面に映し出されるたびに、心が痛む。
   救済や復興の、一刻も早いことを祈ることしか、私にはできない。

   明日も、広島には雨が激しく降るらしい。
   それにしても、気象の偏りが、特に極端な夏である。   
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吉岡萬理展

2014-08-20 | 草花舎の四季
 現在、草花舎では、『吉岡萬理展』が開かれている。(~31日まで)

 萬理さんの作品を眺めていると、いつも心が躍る。
 頬が緩む。
 こんな個性的な器は、珍しい。

 コーヒーカップやマグカップ、花瓶など、展示会ごとに、萬理さんの作品をいただいた。
 玄関の棚や食器棚に置かれた花瓶や器が、今も私の生活に潤いを与えてくれている。

 今回は、大き目の器も、かなりある。
 壁に掛けたい花瓶なども。

 色彩は、いつもの萬理さんの世界だ。
 が、そこに描かれる内容は、毎回異なる。
 だから、また手にしたくなる。
 しかし、今回は、今まで持たなかったシックな黒系の器を一ついただいた。
 今一つ、プレゼント用に、心地よい色彩の湯呑と。


 以下、吉岡萬理さんの作品。(その一部)


     

     

     

     

     

              


        
                 私に求められた器   
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8月の庭 (ピンクバナナほか)

2014-08-20 | 草花舎の四季
 昨日、郵便局からの帰り、いつものように、草花舎に寄った。
 ピンクババナの実がついていた。
 花の時期を見落としてしまったのが残念。
 白い百日紅の花は、今が盛りである。

 庭を一巡する。
 雨が降り出しそうな空模様である。
 このところ、夏らしくない日々が続く。


      


     

 せっかくカレーライスを作っていただいたのに、食べ残してしまった。
 最近、珍しく食欲不振。
 働いていた昔は、夏になると3キロ痩せるのが普通であったが、退職後は楽をして暮らすので、食欲満点で夏痩せもしない。
 今年は暑くもないのに、食欲が落ちている。
 ただし、残念ながらというべきか、喜ぶべきか、体重は全く減らない。
 コーヒーはいつも美味しい。


     


 眼の前のカウンターに、紫系の、やさしい、3種の花が活けてあり、私の好みの風情であった。

              

 現在、『吉岡萬理展』開催中。
 それについては、稿を改める。
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郵便局の向日葵

2014-08-19 | 身辺雑記
 鮎の季節である。
 今年は不漁で、漁協から発送していただくのが遅れた。
 それでも、7月末には、高津川の鮎を、妹たちに届けてもらった。

 ところが、請求書が届かない。
 支払うべきものは、早く片を付けたい。
 せっかちなのは、余生が短いせいだろうか。

 昨日、ついに電話で確かめたところ、今しがた郵送したとのことであった。
 今日昼前に、請求書が届いた。
 
 そこで、散歩を兼ねて、郵便局に出かけた。
 郵便局には、たくさんの向日葵が咲いていた。


     

     

 ふと、中原中也詩の一節を思い出した。

     焦げて図太い向日葵
     田舎の駅には咲いている。(詩集『山羊の歌』・<夏の日の歌>)

 最近見かける向日葵は、一般的に花が小さい。
 子どものころの向日葵は、みな大きかったような気がする。
 中也の詩にあるように、<焦げて図太い向日葵>であった。
 幼かった目に、そう映っただけであったのかどうか?


 帰途、道脇に咲いている「ヘクソカズラ」の花を見つけた。
 歩道に膝をついて撮影した。
 すれ違いの、見知らぬ人が、
 「珍しいものがありますか」
 と、尋ねられた。
 「ヘクソカズラの花です」
 と、答えたが、関心はなさそうであった。
 その呼び名が耳に快くなかったのかもしれない。
 名に似合わず、花はかわいい。
 ケイトウの花も、咲いていた。


     


 郵便局往復歩数=2625歩。 (スマフォが計測した数字)
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