永田和宏著
『人生の節目で読んでほしい短歌』
<死を見つめて>より
いつしかも日がしづみゆきうつせみのわれもおのづからきはまるらしも
斎藤茂吉
美しき死などかなわず苦しみておとろへ果てて人は死にゆく
犬飼志げの
<ものを忘れて>より
十万の脳細胞日々に減ると言ふ物忘れ多く年暮れむとす
宮地伸一
思い出せぬ名前はあわれ二駅を話しつづけてついに浮かばぬ
永田和宏
もの忘れまたうち忘れかくしつつ生命(いのち)をさへや明日は忘れむ
太田瑞穂
物を忘れ添いくる心のさみしさは私がだんだん遠くなること
河野君江
上記した歌は、死への思念、老いに伴い怪しくなる記憶力の不確かさなど、えも言えぬ不安を歌ったものである。
この本には、人生の様々な節目の歌が採り上げられ、著者永田宏和さんの解説が書かれているのだが、私の関心は、上掲の人生晩年の歌である。
他人の死は詠めても、自らの死について自らが詠むことは、ほぼかなわない。
茂吉の歌にしても、晩年(斎藤茂吉は70歳で逝去)の歌というに過ぎない。
犬飼志げのという歌人については、この本で初めてその名を知ったのだが、51歳のとき癌で亡くなられたという。死の予感はあったであろうが、<美しき死>など考えることもできなかったであろう。
私も、私の死を冷めた感覚で見届けることはできないだろう。
作者の歌、<人の死はいつも人の死 いつの日ぞ人の死としてわが悲しまる>が、この本に採り上げられれていた。
私など、人に悲しまれることさえなさそうな気がする。
「あッ、亡くなられたの?」と、多少は生前の交流を懐かしんでくれる人はあるのかもしれない(?)けれど……。あんまり長生きしすぎてしまったら、それさえ不可能になるだろう。
ひどくボケないうちに(今すでにかなり怪しい! けれど)とは願うけれど、その日を予測することはできない。
有原業平の有名な歌、<つひにゆく道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを>(この本にも採り上げられている歌)のように、自分の死期をはかることはできない。
生と死だけは、願いどおりにはいかないのだから、日々を楽しんで! とは思うけれど、老いは勝手に心愉しむことの邪魔をする。
この本の第一部は「若かりし日々」であり、第二部は「生の充実のなかで」、そして、第三部が「来たるべき老いと病に」となっている。
感想として、私の今と結びつけて、第三部中心となったが、もちろん第一部・第二部ともに、いい歌がたくさん紹介されているし、永田宏和さんの文章も、魅力的である。
以前出版の永田宏和著『近代秀歌』『現代秀歌』(いずれも岩波新書)も読んだ。繰り返し読みたいと思いつつ、それは果たせずにいる。