ぶらぶら人生

心の呟き

大塚海岸三景

2019-11-30 | 散歩道
 11月の最終日となった。
 最後の小春日和かもしれないと思いつつ、大塚海岸に出てみた。
 大海原の轟こそ、なかなか威勢がいいが、凍えるような寒さはない。
 白浪も穏やかな方であった。

     
    西(山口県側)の眺め

     
       沖の高島

     
  東(魚待ち灯台のある岬側)の眺め

     *******

     
     紅葉を残す桜の木

     
      高津川と青野山

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刻一刻と

2019-11-30 | 身辺雑記
 なるべく朝のテレビ体操をすることにしている。(河口の部屋にいる時だけ)
 夜明けの空が見られるように、二重のカーテンを全て開けて体操をする。
 自分の動きがガラス窓に映る。
 もう少し美しく手足を動かしているつもりだったが、年相応などとは認めがたい格好である。仕方ないかと諦めつつ、しないよりはマシと全身を動かす。

 今は、夜明けが遅い。
 体操の後は、窓辺に立って、刻一刻と変化する山の端の景を眺める。

     
      東雲の空(6時35分)

     以下、7時10分〜17分の移ろい
     

     

     

     

 日の出の位置が、ずいぶん南寄りになった。
 権現山を遠く離れて。
 冬至には、どの位置にあるのだろうか?
 
 明日から師走。幾日、日の出を楽しめる好天に恵まれるのだろう?
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夕方の散歩

2019-11-29 | 散歩道
 読書をしていると、体は楽で、充足感もあるけれど、偏った生活も良くないと思う。
 4時過ぎ、急に思い立って散歩に出掛けた。

 前回、家に帰るとき、日ごろ通らない近道をタクシーの運転手が走ってくださった。
 そのとき、皇帝ダリアはここにもあるのだ、と思った。それは大塚散歩で折々歩く道であった。昨年、一昨年は気づかなかった。今年植えられたものなのか、気づかなかっただけなのか?

 今夕はそれを見てくることを主目的にして、散歩に出かけた。

  

 まず、ひっそりした桜並木を歩いて、大塚神社前に向かった。
 桜の種類によるのか、大葉の紅葉を数多く残している木もある。

  

 皇帝ダリアの咲く家は、大サボテンの庭に向かう途中にあった。
 目にした皇帝ダリアの背丈は、低くめであった。まだ若いのかもしれない。
 折しも西陽を受けて本来の色を失い、まるで異なる花を見ているようであった。

 
     菊の花、色様々

 
    歩道近くに咲く山茶花

 
      今夕の落日
     散歩の帰り道で

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「この世の景色』

2019-11-29 | 身辺雑記
      早坂暁著
    『この世の景色』


   

 初めて、早坂暁さんのエッセイを読んだ。
 ご自分の体験に基づく作品なので、説得力を持っている。

 作者の死後に出版された本。(2019年10月7日初版発行)
 その内容を説明する代わりに、1章〜6章の題名を掲げておく。

 第1章 生のレッスン・死のレッスン
 第2章 おかしく、哀しい人びと
 第3章 美しく、たくましい者たち
 第4章 渥美ちゃんのこと
 第5章 戦争と原爆
 第6章 故郷、へんろ道

 作者の人生体験が凝縮されたようなエッセイである。
 おかしくて笑っていると、すとんと深い哀しみの淵に突き落とされてしまうといった話が多い。話術の巧みさであろうか。
 作者は、1929年〜2017年、88歳の生涯を生きた人である。
 昭和の時代が人生の大半である。しかも、戦前、戦中、戦後を生きた人であり、私より4歳年長ではあるけれど、同じ空気を吸って生きてきた人として親しみをおぼえた。
 脚本家の視点で、戦争、そして原爆体験、故郷・松山(北条)のこと、両親や妹のこと、正岡子規のこと、そして渥美清ほか、生涯で出会った人々が描かれており、その描き方に人間愛を感じる。人間味のある暖かさ、温もりが、表現の底に秘められていて、読みつつ心に響くものが多かった。

 赤旗の日曜版(11月10号)に紹介されていた本である。
 いい本に出会えてよかった。
 作者の病気体験だけでなく、同郷の正岡子規や親交のあった渥美清の生き方、さらに闘病と死についても描かれている。
 老いの日々を生きている私にとっては特に、考えさせられることが多かった。
 心打たれる感動的な逸話が、気取らず描かれている名著。

 これは蛇足だが、作者の故郷には、「ホマエ」という方言があったという。
 なかなか穿った方言だと感心したり、戦前には「ホマエ大会」があったという、ありえないような話を面白がって読んでいると、「ホマエ」の名人ゴロやんは、昭和18年に出征し、広島への原爆で命を落としたという展開となる。
 クスクス笑って読んでいた私はたちまち悲しみにくれる。

(「ホマエ」とは=なんでしょう? ヒント・人前ではちょっと口にすることも、その行為も、躊躇われる語。)
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カニシャボテン

2019-11-28 | 身辺雑記
 「花を見にきて」と誘われ、Oさんの部屋をのぞいた。
 「カニシャボテンですね」と言いつつ、写真を撮らせてもらう。
 以前、私の家にも、鉢を置いていたことがある。でも、花色は濃い紫紅色であった。
 こんなほのかな紅色の花は知らない。

 

 

 大方の人が、自室に花を置いておられる。
 しかし、私は不定期に家と施設を行ったり来たりの生活なので、植物を置くのは諦めている。
 こうして、折に、人の部屋の花を楽しませていただく。
 
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遠山に日のあたりたる…

2019-11-28 | 身辺雑記
 雲の中から日差しがこぼれ始めると、急に山が明るんできた。
 特に、平家山の紅葉🍁が、遠目にも明らかであった。
 施設で迎える三度目の晩秋である。今まで一度も、その紅葉に気づかなかったとは!
 遥かに遠い山ではあるけれど。

 高浜虚子の有名な句を思い出す。
 <遠山に日のあたりたる枯野かな>
 
 眼下の風景は、枯野ではなく家並みであるけれど……。

     

     

     
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冬めく海

2019-11-28 | 身辺雑記
 海の表情は日毎に変わる。
 今日は、まるで冬めく海。(写真は、いずれも4階の廊下から。)

 
    海上が白く霞んで

 
      白浪


 
      夕景
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『人生の節目で読んでほしい短歌』

2019-11-28 | 身辺雑記
    

      永田和宏著 
 『人生の節目で読んでほしい短歌』

    <死を見つめて>より

 いつしかも日がしづみゆきうつせみのわれもおのづからきはまるらしも
                         斎藤茂吉

 美しき死などかなわず苦しみておとろへ果てて人は死にゆく
                        犬飼志げの

    <ものを忘れて>より

 十万の脳細胞日々に減ると言ふ物忘れ多く年暮れむとす
                         宮地伸一

 思い出せぬ名前はあわれ二駅を話しつづけてついに浮かばぬ
                         永田和宏

 もの忘れまたうち忘れかくしつつ生命(いのち)をさへや明日は忘れむ
                         太田瑞穂
 
 物を忘れ添いくる心のさみしさは私がだんだん遠くなること
                         河野君江

 上記した歌は、死への思念、老いに伴い怪しくなる記憶力の不確かさなど、えも言えぬ不安を歌ったものである。
 この本には、人生の様々な節目の歌が採り上げられ、著者永田宏和さんの解説が書かれているのだが、私の関心は、上掲の人生晩年の歌である。
 他人の死は詠めても、自らの死について自らが詠むことは、ほぼかなわない。
 茂吉の歌にしても、晩年(斎藤茂吉は70歳で逝去)の歌というに過ぎない。
 犬飼志げのという歌人については、この本で初めてその名を知ったのだが、51歳のとき癌で亡くなられたという。死の予感はあったであろうが、<美しき死>など考えることもできなかったであろう。

 私も、私の死を冷めた感覚で見届けることはできないだろう。
 作者の歌、<人の死はいつも人の死 いつの日ぞ人の死としてわが悲しまる>が、この本に採り上げられれていた。
 私など、人に悲しまれることさえなさそうな気がする。
 「あッ、亡くなられたの?」と、多少は生前の交流を懐かしんでくれる人はあるのかもしれない(?)けれど……。あんまり長生きしすぎてしまったら、それさえ不可能になるだろう。
 ひどくボケないうちに(今すでにかなり怪しい! けれど)とは願うけれど、その日を予測することはできない。
 有原業平の有名な歌、<つひにゆく道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを>(この本にも採り上げられている歌)のように、自分の死期をはかることはできない。
 生と死だけは、願いどおりにはいかないのだから、日々を楽しんで! とは思うけれど、老いは勝手に心愉しむことの邪魔をする。

 この本の第一部は「若かりし日々」であり、第二部は「生の充実のなかで」、そして、第三部が「来たるべき老いと病に」となっている。
 感想として、私の今と結びつけて、第三部中心となったが、もちろん第一部・第二部ともに、いい歌がたくさん紹介されているし、永田宏和さんの文章も、魅力的である。

 以前出版の永田宏和著『近代秀歌』『現代秀歌』(いずれも岩波新書)も読んだ。繰り返し読みたいと思いつつ、それは果たせずにいる。

 



 
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ドコモショップへ

2019-11-27 | 散歩道
 今まで使用してきたブログのアプリは今日までという。  新アプリに変える、その手続き方法がよく分からない。そこで、ドコモショップへ相談に出かけた。  使用できるように計らってくださったが、万事うまくゆくかどうか分からない。  早速、道中で見た白い山茶花と栴檀の大樹を添付してみた。が、写真のサイズを選択する方法やレイアウトがうまくゆかない。  今のところ、果たして、使いやすくなったのか否か、よく分からない。            
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朝の光景

2019-11-27 | 身辺雑記
 雲の多い空ながら、朝陽が昇った。(7時10分)
 雲の隙間に。
 部屋の片隅に、かろうじて、日差しを届けて。

     

 廊下から海を眺めると、小舟が浮かんでいた。(7時20分)
 何漁なのだろう?

     

     

 河口に目を転じると、出港する船の姿もあった。(写真・手前)

  ※ 今日から、今までのブログが使用できなくなるとのことであったが、いつもの場面が出てきたので、簡単な記事を投稿してみることにした。
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