ぼくが幼少期に通った幼稚園は、ちいさなカトリック教会に併設されていました。
併設というよりも、教会そのものが園舎になっていて、ちいさいながらも教会然としたその佇まいは、幼少期の心にもしっかり留まり、今現在も記憶のなかに漂っています。
三角の屋根と、その上に掲げられた十字架。
門扉から奥に見え隠れするアーチ型のエントランス。
教会堂の高い天井。
白い壁と、とっぷりと黒光りする床板。
ステンドグラスから差し込む色とりどりの光。
幼少期に過ごした家のことはいろいろと覚えているけれども、それ以上に、3年間過ごしただけの教会の記憶が鮮明なのは、なぜなのでしょう。
自分自身が落ち着くと思える空間の原風景は、そこにあるのかもしれません。
家を設計するときに、お施主さんの記憶のなかを覗き見ることはできないけれども、お施主さんのなかに潜在的に宿る記憶の断片を引き出せたら、と思わずにいられません。
かっこいいかたちを創り出すのではなく、記憶のなかに宿る安心のかたちを見出したい、というところでしょうか。
上の写真は、ローマのとある小さな教会です。
大きすぎず、包まれるような優しい雰囲気の空間でした。
この教会を訪れてしばらく身を置いてみたときに、ぼくが過ごした幼稚園の空間と、どこか似ているなあと思いました。
無名の教会ですが、ぼくにとってはこういう空間に大切なヒントが隠されているように思うのです。
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