アンドレイ・タルコフスキーの眼

2007-01-14 19:03:16 | 映画

旧ソ連の映画監督アンドレイ・タルコフスキーの映画を、たまに観ることがあります。難解で宗教色も濃い彼の作品には、宗教美術がいくつか登場します。「アンドレイ・ルブリョフ」に登場するロシア・イコンの数々。「ノスタルジア」に登場するピエロ・デラ・フランチェスカの「出産の聖母」など。

070114

映画にも登場するそれらの美術品は、現在は美術館のなかで管理されています。美術品の劣化を防ぐという点では、空調・照明管理の整った場所で保管されるのが筋ですが、本来それらは教会や礼拝堂のなかに置かれたものでした。ロシア・イコンにしても、イタリアの片田舎で生涯を過ごしたピエロにしても、その作品が豪奢に飾られることはなく、簡素な礼拝堂のなかにおさめられ、人々の日常のなかに生きていました。アンドレイ・タルコフスキーは映画のなかで、それらの美術を本来の場所に戻しました。ほの暗く、足音がひびく空間。列柱の中を歩み進み、その奥にある一枚の絵に対面する。簡素な窓から絵に静かに光がなげかけられている。

ロシア・イコンにしても、ピエロの聖母にしても、その顔立ちや色だけを観ていると、なにか無表情で宇宙人のような、変な(失礼!)姿をしています。白く塗りたくられた明るい美術館のなかでは、あまり美術品に思いを馳せることができないなあ、とよく思います。ですがこれらの美術品を本来の場所に帰してあげると、きっと慈悲・慈愛の心を静かに物語ってくれるのだろうと思います。

個性など必要とされず、様式が定められていた時代の美術。それらは人々の生活にとって必要な感情を素直に表現した造形だったのでしょう。アンドレイ・タルコフスキーは、そんな時代の造形に光をあてました。個性以前のもの、個性を越えたもの。いろいろな分野で同様の価値は語られますが、僕はそんな美術・造形に憧れをもっています。難解で意味がわからなくとも繰り返しアンドレイ・タルコフスキーの映画を観てしまうのは、そんな憧れもあってのことなのかもしれません。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする