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ガウディからはじまる。

2024-09-29 21:53:03 | アート・デザイン・建築


 大学で建築を勉強したいと希望する高校生が、ぼくのアトリエに遊びに来てくれました。
都内でいくつかの話題の建築を見学し、その後ぼくのアトリエへ。見学してきた建築、すごくカッコよかったです!そんな素朴な感想を聞いているだけで、とても嬉しくなります。
住宅の設計を中心に仕事をしているぼくの小さなアトリエ。小さな空間で、少人数のメンバーで設計を進めていくのは、独特の充実感があります。
模型やスケッチや図面など、少しばかり実際の仕事の風景を見てもらいました。彼にとってちょっとしたいい思い出になってくれるといいのですが・・・。

 話の流れで、ひょんなことからスペインの建築家ガウディのことに話が及びました。実はぼくの卒業論文のテーマはガウディでした。当時は、友人や先輩からは「今時ガウディとかやって、なんか役に立つの?」とよく言われました。
ぼくにしたってよくわかりませんから、言葉を濁すことしかできませんでした。でも今では、ガウディの建築にはこれからますます大きな可能性があるとはっきりと思います。
そんな話をしながら、ぼくが学生だったときにガウディの建築に取り組み、見学したときのことを思い出していました。

 写真は、バルセロナにあるガウディ設計の集合住宅「カサ・ミラ」の屋上。不思議なカタチの煙突がニョキニョキ生えています。
この造形、あらためて見るとホントにすごいですね。煙が上りやすくするための実験をしながら見つけたカタチだそう。それが不思議な宇宙人のようにも見えるのも愛嬌ですね。

 よく見ると、下から覗きこむ大学生の頃のぼくの姿が(笑)訪問してくれた高校生の彼も、やがて旅行に出て夢中で建築を見て回るのでしょうか。そんな時期が、絶対に必要です。
ガウディの建築は、名作といわれるものはだいたい未完成なのです。未完成なのに名作と言われるのも不思議ですが、建築は時代とともに変化していくべきものだから、完成なんて永遠にあり得ないのだよ、と言われているようです。
実際に、ガウディのいくつかの建築は、全体像が描かれないまま造られました。そう、あのサグラダファミリア、でさえも。
 技術革新により、あと数年後には完成するという話ですが、だからこそ、完成しないことの意義についても考えてみたくもなります。



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レトロな窓

2024-09-21 15:52:30 | 山中湖の家


レトロな窓のデザイン。
前回に書いた自由学園明日館の雰囲気に呼応しているけれど、こちらの写真はできたばかりの新築の家。
山中湖の森のなかに建てた家です。

木の枠に繊細な飾り格子をデザインして、レトロガラスを合わせました。ガラス越しの風景が歪んで見えるニュアンスが妙。
取っ手も真鍮製で、だんだんと鈍く風合いが出てくるのが楽しみです。

レトロガラスは、カタログに載っていた寸法を設計図に書いたつもりでいたのだけれども、実際に届いたガラスはちょっと厚かったようで・・・
ガラスの厚みに合わせて木枠をトリマーで削って納めてくれたとのこと。建具屋さんにはご苦労をお掛けしました。

しっくい塗りの壁のなかに、印象的に並ぶレトロな窓。
新しいけれども懐かしい、そんな雰囲気を求めて、床フローリングや壁の素材も吟味して選びました。
ひとつ、新しいチャレンジがうまくいったように思います。

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自由学園明日館の演奏会

2024-09-15 21:07:21 | 音楽


自由学園明日館 講堂でのクラシックコンサートに行きました。
ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの三重奏。
シューベルト、コダーイ、モーツァルト、そしてアンコールはバッハ。

フルオーケストラも素適だけれど、ぼくは室内楽がとても好きです。
楽器の音色が無垢のまま体に沁み込んでくるというのでしょうか。
そしてそれが自由学園明日館で演奏されるところにも、建築家としては大きな楽しみでした。

この日の会場であった明日館の講堂は、フランク・ロイド・ライトの弟子の建築家・遠藤 新 が戦前に設計を手掛けた建築です。こじんまりとしていて、素朴さと優雅さが絶妙に響き合う空間です。
音響措置の整った無窓の音楽ホールで聴くよりも、この古びた厳かな空間で聴くほうが、断然にいい、と思ってしまいます。

この日の曲目は、著名な作曲家たちの曲でありながら、あまり知られていない、演奏される機会は少ないものが主だったそうです。
でもそうした曲のもつ魅力を演奏家は熟知していて、それを聴者に届けること自体が、喜びなのだと。

この美しく古びた空間で、数々の演奏が行われてきたことでしょう。そして、音響としてはベストな空間ではないことでしょう。演奏家としてそれをわかりつつ、この空間に集う人々に、楽しんで音色を届ける。
そんなあり方に感動しました。


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旅のスケッチ

2024-08-31 21:35:20 | 旅行記


 スケッチブックの山。これらは、ぼくがこれまでの旅先で描いたものです。
大学で建築学生だった頃、先生からは、とにかくスケッチを描きなさい手を動かしなさい、と呪文のように言われていたものですから、旅先には必ずスケッチブックを持っていって、気に入ったシーンがあればスケッチに描く、ということを続けました。

 当時はデジタルカメラもまだ高価で、スマホで写真を撮るなんて考えもしない時代。
それでも、気取ってリバーサルフィルムを旅先に持っていきましたが、撮る枚数も限られますし、現像するまでちゃんと写っているかどうかもわかりません。
ですから、写真に撮れないぶんはスケッチに残すしかない、というわけです。

 何回か海外へ建築を見る旅の機会を得るうち、現地でスケッチブックを買って描くようになりました。
そのまま持ち歩いてハードに使うので、旅が終わるころにはボロボロになっていたりして。でもそんなことも思い出になります。

 風景を見たままペンで描いたり、コンテを使って陰影に凝った表現をしてみたり、メジャーで測って寸法を記録したり。思ったことを余白に書き留めたり。
今思えば、そんな不器用でゆっくりな旅の時間は、貴重だったんだなと思います。

 スケッチをしながら続ける旅は、一緒に誰かがいると気兼ねしてしまうので、一人旅のことが多かったように思います。
スマホで情報収集もできない時代の海外での一人旅は、半分は不安と一緒に過ごしていたように思います。
夜、ホテル(というか安宿)に戻って、無事に帰ってこれたと安堵しながら、「執筆活動」と称してその日の記録や思ったことを文章にしたり、昼間に描いたスケッチに色エンピツで着色したり・・・。
そんな時間が大好きでした。

 もうこの数年間になると、手元には手軽に撮れる膨大な量のデジタル写真が主となり、スケッチはごく僅かになってしまいました。
手軽に撮れるカメラがあると、仕方がないですね・・・。
でも、写真もいいけれど、するすると頭からこぼれ落ちて行ってしまうのです。
スケッチを見返して、この時にこんなことを思ったんだよな、とか、こういうことに感動したんだよな、などと思い返せるのは、かけがえのないことなのだと思います。
こんな時代にアナログ賛歌ではありませんが、この世に一品しかない、思い出いっぱいのこの下手なスケッチ集たちを、今後も大切にしていこうと思います。
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夏のローマの思い出

2024-08-18 22:10:56 | 旅行記


あついあつい今年の夏。同じようにとても暑いときに訪れたローマの思い出から。

とある修道院にて。
日本の建物に比べて、ローマの古建築は壁が多く、窓が小さいのが特徴です。
目も眩むような陽射しが、小さな窓から入ってきますから、まるで闇と光が闘っているよう。

そんな光に照らされて、天井のフレスコ画がぼぉっと浮かび上がっていました。
美術館で照明でライトアップされるのではなく、自然の光だけで素朴に浮かび上がるフレスコ画は、内側から光るような美しさがあります。

だんだんと剥離していくのはフレスコ画の宿命ですが、そのぶん、存在の強さが際立つようにも思います。
欠けていることによって、むしろ強く在る、という感じ。そんなことを、画家の有元利夫が言ってたっけ。
個性を求めることなく、神の僕として絵を描くのみ。芸術に個性が芽生える以前の時代の絵画は、懐が深くて、とにかく色使いが渋い!



床に目を移すと、古びた床に光の影が踊ります。
すべてのものが、作為の演出ではなく、あるがままに。



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