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ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

澤地久枝氏著『一九四五年の少女 ( 私の昭和 )』

2015-02-03 17:28:16 | 徒然の記

 澤地久枝氏著『一九四五年の少女 ( 私の昭和 ) 』(  昭和64年刊 文芸春秋社 )  を読了。後味の悪い本だった。

  現在の「反戦平和」「護憲」「反政府」「反日」活動の、萌芽となる本だ。昭和5年生まれの氏について私は、名前を聞いた気がするがほとんど知らない。『婦人公論』、『暮らしの手帳』、『朝日ジャーナル』、『文芸春秋』などに、作品の殆どを発表と書かれている。

 児童文学者佐野美津男氏が解説した、氏の意見を紹介する。

  ・あの戦争、わたしの家族4人が死んだ戦争は、仕掛けられたものでなくて仕掛けたものであり、私の親も兄弟も、そして私自身も、戦争には賛成であった。

  ・日本人はすべて、戦争の加害者だった。だからわたしは、日本という言葉さえ嫌いなのだが、日本は国民こぞって戦争を始め、多くの国で多くの人々を殺したのである。

  ・原爆だの空襲だの戦死だのといっても、その全てを数えても、日本人の死者よりも、日本人によって殺された死者の方が圧倒的に多いのだ。そういう事実を忘れてはならない。

  ・日本人が仕掛けた戦争によって殺された人々のことを考えるならば、こちらの死者のことなどは、ひっそりと悲しむぐらいしか許されないのではないかと、私は死んだ家族のことを偲びながらもそう思うのである。

 と、これが氏の立脚点だ。まさしく、自虐史観そのものである。澤地氏も佐野氏も、戦時中は神国日本を信じ、勝利のために日々を捧げた軍国少女・軍国少年だったと言う。

 敗戦国となった日本が目の前で連合国に裁かれ、「聖戦」が「侵略」となり、「皇軍」が「残虐な軍隊」へと変貌した。マッカーサー元帥の手で天皇の神聖なベールが外され、国政を担った政治家と軍人が弾劾された。近衛元首相が自決し、将軍たちが切腹した。

 天地が逆さまになるような変動であり、価値観の崩壊だったと、当時の書物を読むとそのようなことが沢山書いてある。だから軍国少女だった氏が、自己嫌悪に陥り反省するのも無理はない状況がある。

 氏は、過去の自分と決別する。

  ・愚かな女学生だった私。私はつまり鸚鵡 ( おうむ) だったのです。

  ・いい大人たちが給料をもらう代償として、大真面目に説いた「必勝の信念」とその裏づけを、私は素直に受け入れ信じていたわけです。

 氏は日本の政府そのものが信じられなくなり、自虐の「反戦・平和の士」として歩き出す。

  ・ミズーリー号の上で、降伏文書への調印がなされた半月後、なめらかに占領軍を受け入れ、民主主義を受け入れて戦後政治が始まるのです。

  ・戦争責任も問わず、戦争の意味も考えず、民主主義がいかなるものであるかを学びもせず、戦争は過去になり、戦後が始まったのです。

 このあたりの叙述から、私は氏の思考に疑問を抱く。一時的に激しく政府や指導者に八つ当たりしても、氏のように聡明な人物がなぜ単純に真逆の思考に転じたのか。

 敗戦国として占領軍に支配され、目前には飢えと欠乏に苦しむ国民がいた。だから日本の指導者は、国民の生活を先ず再建しようと戦争の反省を後回しにした。

 指導者たちが、どのような思いでマッカーサーの命令に屈していたか。「日本軍残虐説」を世界に広めた極東 ( 東京 ) 裁判の実態が、勝者による報復裁判だったとしても、非難を甘受するしかない状況があった。

 氏は「すべては日本が仕掛けた戦争」と断定するが、ソ連による謀略説や、アメリカが故意に戦争へ突入させたとする、新たな事実も出てきている。氏の一途な気持は分かるとしても、GHQ統治の内実が明らかにされても背を向け、氏は極論に踏み込んでいく。

  ・陸軍中将武藤が問われるべき戦争責任は、ある時期のある部分であって、全体ではない。」

  ・A級戦犯のいずれもまた同様で、責任を負うべき程度に差があるだけであり、昭和の戦争の全期間を通じて、国策決定の一つのポストにいた人物は、天皇以外にない。

  ・その責任を問わなくては、戦争責任の総体を問うことはできない。

 氏のような意見が世間に流布し、左翼の反日政治家や運動家たちに利用されたのかと、戦後史の一端が見えた。

   ・私は昭和という時代の戦争が、どんなにも人間を苦しめ、どんなにもむごい人生を人々に強いたか、命のある限り訪ねて書き記したい。

   ・無名の、忘れられていく人々の、悲しみと苦しみを書き残したい。

 氏が訪ねた相手は、日本との戦争に悲しみと憎しみを語る敵国の人々に限定されていた。アメリカとソ連に足を伸ばし、そこで氏は、日本の極悪非道な戦争を謝罪したのである。

 こうなると私には、氏の人間性そのものが疑わしくなってくる。

  日本は永久に近隣諸国に謝り続けなくてはならないと、外務省の小和田次官が言ったが、氏もまた救いのない歴史観を持つ人物だった。私はここに、氏の人間としての限界、言論人としての限界を見た。昭和の戦争経験だけに焦点を当て、国際社会の戦争を語る氏の限界だ。

 古来、歴史とはどういうものであったか。戦争はどのようにして始まり、終わったのか。

 植民地戦争を始めた西欧諸国は、南米諸国やアジアでアフリカで、土地の住民を殺戮し残りの人間を奴隷として使った。100年、200年の間、彼らは征服した国々に君臨した。

 最初の強国はスペインとポルトガル、次の強国がイギリスやフランスやオランダだった。これらの国々は、自国のした虐殺や奴隷支配を一度でも謝っただろうか。

 日本人が、卑屈に身をかがめて生きる歴史観を持つ妥当性が、本当にあるのか。日本人の祖先と子孫の未来を否定する氏の歴史観の、どこに真っ当さがあるのだろう。

 氏の生真面目さに感心し、最後まで読んだが、右から左へと振り子の揺れ方の激しさと単純さに、私は嫌悪感を抱いた。

 氏が日本以外の諸国が正しいと言い、日本が残虐だったとする意見は、GHQの意向に添ったものだ。戦前の権威だった日本の指導者の言葉を信じたように、今度は戦後の権威者GHQの言うことを信じている。何も疑うことをせず、新しい権威に跪いている。

 つまり氏にはもともと自分の考えがなく、強い権威者に従う召使の心しかない人物に見える。敗戦後に変節した氏は、やはり同じ鸚鵡 ( おうむ) でしかなかった。

 残念ながら氏も日本の「獅子身中の虫」の一人で、この本も「有価物ゴミ回収」の日に出すこととする。

 〈 追 記  〉

  中国の天安門事件に関し、氏は中国共産党と政府の暴挙を激しく糾弾し、こんなものが共産主義というのなら自分は認めないと書き記している。

 日本の左巻きの共産主義者たちが、卑怯にも無言でいた事実と比較し、これだけは氏のために記録しておきたい。

コメント
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