ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『私の昭和史』 - 4 ( 尾崎秀実と植村隆、元朝日新聞記者 )

2017-08-04 16:15:56 | 徒然の記

 ゾルゲ事件については、ほとんど知りません。朝日新聞憎しで固まっている私は、ゾルゲに協力し日本の国家機密をソ連に渡したのが、朝日新聞の元記者・尾崎秀実だったと、飽くまで「朝日新聞」という言葉がメインで、そのくらいの知識です。

 白石氏の本を「ねこ庭」で取り上げたので、改めてネットで調べました。

  ・ゾルゲ事件は、リヒャルト・ゾルゲを頂点とするソ連のスパイ組織が、日本国内で諜報・謀略活動を行っていたとして、昭和16年9月から翌年の4月にかけて、その構成員が逮捕された事件である。

 ・組織の中には、近衛内閣のブレーンとして日中戦争を推進した、元朝日新聞記者の尾崎秀実もいた。

 ・昭和19年11月7日、ゾルゲと尾崎の死刑が執行された。

   壮大な謀略を実行したスターリンは、不動の大政治家のように語られていますが、日中戦争前のソ連は、革命後やっと20年になろうとしている時期でした。
 
 共産主義を敵視する欧米諸国からは、厄介視され、孤立していました。そればかりでなく政権内の権力闘争も絶えず、スターリンは政敵と命がけの戦いをしていました。
 
 政権基盤を確固とし、一刻も早く国内経済を確立させてと、彼は社会主義国家建設の最中でした。ヨーロッパではヒトラーが近隣諸国を侵食し、アジアでは、日本が満州でロシアと対峙していました。
 
 ドイツと日本を敵に回し、同時に戦争をする国力がなかったので、スターリンは日本軍の動向から片時も目が離せませんでした。
 
 日本が何時中国と戦争を始めるか、いつ米英と戦争をするのか。その情報を得ることが、ソ連の存亡にかかっていました。中国や英米より前に、日本がロシアとの開戦を決意したらと、スターリンは何よりそれを恐れていました。
 
 敗戦国となり連合国に裁かれ、日本が苦難の道を歩き出すと、国内の反日左翼たちが一斉に政府と軍部を批判し、攻撃を始めました。
 
「勝ち目のない、無謀な戦争に政府は走った。」
 
 「負けるとわかっている馬鹿な戦争に、国民を駆り立てた。」
 
 「嘘とまやかしのスローガンで、国民を騙した。」などと、今も続く日本批判が開始されました。
 
 氏の本で初めて知るのですが、スターリンが恐れていたのは、日本だったということです。
 
 世界を一度に敵に回し国力以上の戦争をした、というより、スターリンの戦略に追い詰められた訳ですから、当然敗れます。だが当時の日本軍は、それだけの備えと実力を持っていたということも教えられました。司馬遼太郎氏の意見が、間違いだったことも分かります。
 
 当時も現在もそうですが、「世界の情報戦に日本は負けた。」ということを、貴重な教訓として心に刻まなくてなりません。
 
 この微妙な時期に、元朝日新聞記者だった尾崎秀実が何をしたのか。この具体的な事実が分かるのはひとえに氏のお陰です。「日中戦争前夜」の章で、詳しく語られていますが、そのうちの一つを紹介します。
 
 ・昭和11年林内閣がわづか四ヶ月で倒れた後、組閣の大命が、貴族院議長だった近衛文麿に降った。
 
 ・近衛の出現は、ゾルゲの組織にとって非常に好都合だった。
 
 ・風見章が内閣書記官長に任命されたため、その風見に代わって尾崎秀実が、中国問題研究会の責任者に抜擢された。
 
 ・ゾルゲは尾崎に近衛の心中を探るよう、できれば重要文書をすべて写真に撮るようにと言い、精密な小型写真機を渡した。
 
 ・モスクワで入手された資料によると、尾崎は近衛首相に「日本の対外政策について意見書を書きたいから、関係書類の閲覧を許して欲しい・と申し入れている。
 
 ・近衛首相はしばらく考えていたが、平常より信頼している尾崎のことであり、またその意見を聞くことも参考になると思って許した。
 
 ・早速、首相官邸の地下室にある尾崎の部屋に、多くの機密・重要書類が運ばれてきた。
 
 ・尾崎は外面悠々と、内心はできる限りのスピードでその全部に目を通し、大切なものを大部分写真に撮って部屋を出た。
 
 ・一時間ほど街を歩いて、ゾルゲの家の前に立った。灯っている玄関の灯が、ゾルゲの在宅を示していた。
 
 ・日本は、ここ当分ソ連と戦うことはないでしょう。日本が準備しているのは、中国に対する攻撃のためです。
 
 ・尾崎は今見た資料について意見を述べ、写真機をその場に置くと帰って行った。
 
 ・モスクワに送るフィルムの現像は、暗室を持っているブーケの役目で、英訳して暗号に組むのはゾルゲで、クラウゼンがモスクワへ打電する手はずになっていた。
 
 ・しかし今度の資料は慎重を期し、クラウゼンの妻アンナ・クラウゼンが伝書使として、上海に渡るという手はずが進められた。
 
 スターリンはこの情報を手にし、憂いなくドイツとの戦争準備にかかったのです。一方ではゾルゲを通じ日中戦争開始の強硬論を、近衛の側近である尾崎に進言させました。
 
 昭和12年の7月に起こった盧溝橋事件の衝突が、ソ連の仕業でないかという噂もまんざら嘘でない気がします。
 
 元朝日新聞の記者尾崎の裏切りと売国行為は、他にも書かれていますが、これ以上転記する気になれません。「日本を裏切った尾崎は死刑になって当然だ。」と、怒りが湧いてきます。
 
 こんな国賊を抱えた朝日新聞など、日本から消えてしまえと言いたくなります。
 
 先日の千葉日報ではこれもまた朝日新聞の植村隆元記者が、厚顔な自己主張をしている記事がありました。
 
 「報道の自由と民主主義を守るため、迫害に負けないで頑張る。」、こんなことを言っているのです。
 
 尾崎秀実の行為は国家反逆罪ですが、捏造記事で慰安婦問題を世界中に拡散した植村記者も、似たような売国奴と確信しています。戦前も戦後も、こんな売国記者を抱え日本をダメにしたのですから、朝日新聞もたいした度胸です。
 
 私は、二度と購読いたしません。
 
 つい朝日新聞の話になってしまいましたが、この新聞社が腐れマスコミの先頭に立ち、白石氏のような愛国者を「軍国主義者」、「戦争をしたがる極右」などと叩きまくったのですから、ブログの最後でこの新聞社を酷評しても違和感はありません。
 
 そろそろ、庭の水やりをする時間となります。ゾルゲ事件につきましては、ここで一区切りとし、明日は、家永教授に対する、氏の意見を紹介したいと思います。
 
 水やりをしながら頭も冷やし、白石氏が本を出版した気持を静かに辿ってみます。
 
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