ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

明日は我が身

2012-03-19 08:39:03 | 徒然の記

 瓦礫の処理が進まないのは、反対する人びとの声が大きいからだ。

 子供たちを守れ、生活を守れ、政府の言うことなど当てにならないと、その主張には、うなづかされる理屈もある。

 だがいつまでもそればかり叫び、被災地の不幸を思いやらないというのでは、エゴの醜さが際立って来るというものだ。被災地の住民たちにも子供がいて、生活があるという事実を、彼らはどうするつもりなのか。自分は自分、他人は他人と割り切っているのなら、果たしてそういう人びとの言うことを、いつまでも聞くべきなのだろうか。

 民主主義には多数決の原理があり、少数者の意見も尊重するが、どうしても結論のでない時には多数決で決めようと、それが決まりだ。かって美濃部都知事は、「一人でも反対者があれば、その施策は実行しない」と、少数者の意見を尊重にする立場を強調したが、そのため東京都は、都民の暮らしに必要な工事が滞っただけでなく、職員の給与ばかりが引き上げられ、現在の大阪みたいな職員組合の天国に成り果てた。

 破綻寸前の赤字団体となり、銀行も融資を尻込みするような始末だったが、今の日本をみていると、当時の二の舞をしているような気がしてならない。

 少数者の意見を尊重するということは、たいてい声の大きな者の意見を聞くということになりがちなのだ。動員された人びとが叫び、マスコミが報道するからといって、それが世論だとは言えない。今回のがれき反対の声にしても、住民の大多数ではないはずだし、日本人の多数は、昔から、よくも悪くも「サイレントマジョリティー」なのだ。

 地方自治体の政治家たちだって、国が決めないからと責任転嫁ばかりせず、自分でもっと、住民への働きかけをすべきだし、国会議員も、テレビ放映の議会で頑張るだけで、地元での地道な価値動画、が足りないのではないか。

 放射性廃棄物をブルーシートで覆ったまま、裸の地面に放置するようなやり方を改め、廃棄物を遮蔽する、立派な保管場所の新設に力を注ぐべきなのだ。政府や役所が当てにならないと、不安がられるのは、そうした杜撰な対応があるからでもある。

 余震と言われつつ、あちこちで、まだ嫌な地震が続いている現在だ。せめて東北の瓦礫だけでも、処理しておかないと、それこそ「明日は我が身」だ。お互いが身を切りつつ、協力し合うことが大事なのだから、もし千葉に瓦礫が来ると決まり、キチンと事前検査され、整備された保管場所に灰が収納されるのなら、私は住民として受け入れる。

 それにしても、我がタレント知事の森田氏は、こんな難しい話になると、ひっそりとし声も出さないのは、どうした訳か。

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