ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

野良猫タビー

2017-03-02 20:55:28 | 徒然の記

 雨風の日は姿を見せませんが、このところ毎日朝の10時か11時頃になると、野良猫が一匹顔を出すようになりました。庭の昇降口に置いた踏み台の上で、きちんと両足を揃えています。

 茶と白と黒の混じった三毛猫のメスで、お目当ては、キャットフードです。正確な記憶がありませんが、三ヶ月くらい前から訪ねて来るようになりました。以前から、時々庭を横切りる猫が何匹かいましたが、その内の一匹です。

 亡くなった飼い猫の餌が残っていましたので、スーパーの空き容器に入れてやったら、警戒しながら食べ、それがいつの間にか習慣になってしまいました。けれども猫は決して私たちになつかず、近づくと逃げてしまいます。手渡しで餌をやろうとして、私も家内も、鋭い爪で引っ掻かれてしまいました。

 飼い猫と野良猫の違いは、決して体を人に触らせないところです。無理に近づくと激しく怒り、敵意を露わにします。常に周囲を警戒し、近づくものには敵意を燃やし、こうして野生の猫は生きながらえているのだと知りました。

 それでも毎朝来るようになりますと、どうしても可愛くなってきます。亡くなった猫の身の回りの品が、まだ倉庫に残してあります。今では餌入れも水飲みの容器も、この野良猫が使っています。

 「ねこ、ねこ。」とか、「みけ、三毛」とか呼びかけていましたが、こうなってくると、名前のないのがもどかしくてなりません。「たびー、たびー。」ある日家内が、そう呼びかけていました。何となく洒落た名前なので、理由を聞いてみますと、あっけない話でした。「揃えている前足が、まるで白いタビでも履いているように見える。」

 どこかの国の言葉で、野良猫をタビーと呼ぶのかと考えたのに、それだけの話でした。しかしこれも不思議なことで、毎日呼んでいると互いに馴染んでしまい、なんと野良猫までが反応し、かすかな鳴き声で応えるようになりました。近づくと離れていくのは今も同じですが、離れていく距離が短くなりつつあります。

 決して目を合わせず、話しかけても他所を向いているのは、今でもそうですが、少し違ってきましたのは、食事の後の行動です。餌を食べ水を飲み終えたら、どんなに呼びかけても無視して立ち去っていましたのに、この頃は昇降台の陽だまりで、時間つぶしをするようになりました。毛づくろいをしたり、爪研ぎをしたり、背を丸めて目を閉じたりします。寛いだ様子を見せはじめたということは、警戒心を少し解いたのかもしれません。

 気にかかっていますのは、尻尾のあたりの背中の毛が、縦方向に十センチばかり抜け落ちいてることです。皮膚病らしいので、病院に連れて行きたいのですが、捕まえるのは至難の技です。病院で治療をしたら、家に入れても良いと思っていますが、それもできません。病気の猫では、遊びに来る孫にも良くありません。

 そんなことを日々考えつつ、それでもタビーの愛らしさが日々強まり、毎朝やってくるのを楽しみにしています。亡くなった飼い猫が、元気だった頃から見かけていたので、人間の年で言えば、タビーはおそらく13か14才だと想います。元気そうに見えても、若い猫ではありません。もしかすると、野良猫なので、私たちより早く亡くなるのかもしれません。

 どうやらタビーは、歯が悪いらしく、ドライフードに難渋していました。近所のスーパーで缶詰を買ってきましたら、あっという間に、平らげました。

「タビーが亡くなるときは、私たちが面倒を見てあげようね。」

 これが妻と私の、約束です。亡くなった飼い猫については、忘れられないことばかりですが、タビーのお陰で、少し慰められます。きっと天の神様の贈りものなのでしょうが、その神様はキリストか、アラーなのかと、そんなややこしいことは考えません。八百万の神様のどなたかが、タビーを、ねこ庭に招いてくれたのだと、感謝だけしています。

 人生には、時々楽しいことがあります。

コメント (5)
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