ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

10月18日 毎日新聞の「社説」

2013-11-01 08:37:22 | 徒然の記

 毎日新聞の社説の結論は、安倍総理の靖国参拝は、見送りにするのが妥当であるということだ。理由は次の二つだ。

   1. 米国主導の戦後体制への挑戦と、受け取られかねない。

   2. 中国が戦争賠償を放棄したのは、戦争責任は一部の軍国主義者にあり、

     一般国民にはないと区別した為で、そういう経緯を踏まえる必要がある。
 
 70才になった私は今でも、正しい日本の歴史が知りたいという願望を持っている。とりわけ、昭和初期と敗戦後の昭和だ。

 昭和の歴史に関し様々な意見が存在し、右左で激しく対立していることを、学校では教わらなかった。先生たちが教えてくれたのは、日本が酷い戦争をしたこと、日本が間違っていたこと、日本が愚かであったことなど、今で言う自虐史観だった。

 そうだとすれば日本人は、世界中の国に謝罪し、反省し、うなだれて生きなくてならないと、定年退職するまでそう思って来た。

 会社をやめ、自由な時間を得て本を読むと、教えられた歴史への疑問だけでなく、先生たちへの怒りが生まれて来た。日本だけが間違っていて、日本人だけが悪かったというのが事実なら、私は受け止める覚悟をしていた。

 自分の国を責めたり否定したり、それをする者には、国民としての苦痛と悲しみが伴う。大江健三郎氏のように自分は何も苦しまず、政府や軍人や戦前の国民を攻撃する姿勢に、私は疑問を抱く。というより、こうした当事者意識のない著名人に怒りを覚える。

 社説に憤るのは、左翼知識人の論調と同じものがあるからだ。歴史を振り返り、地に落ちた国の誇りを取戻したいと、それを語る政治家を私たちは総理大臣として選んだ。その総理を批判するのなら、毎日新聞社はもっと本気になるべきでないのか。

 前例のない事後法により、敗戦国の日本を裁いた戦勝国は、果たして正しかったのか。広島・長崎の殺戮を語らず、日本の戦争犯罪だけ問うのは、正義にかなうことなのか。米国の弁護人でさえ、裁判で疑問を述べていたというのに、なぜ毎日新聞は、東京裁判を頭から正しいとして論を進めるのか。

 日本の歴史を再考することが、結果として米国と対立することにつながるとして、それのどこが間違っていると言うのだろう。毎日新聞社は、自分の国とアメリカとどちらが大切なのか。米国への挑戦と受け取られないためなら、日本人の誇りや魂はどうなってもいいのか。

 2つめの理由については、なんの戯言かと笑ってしまう。先の戦争は、一部の軍国主義者がやったのではなく、全国民が参加した。戦意を高揚させたのは他でもない、毎日を含むマスコミではなかったのか。

 中国が、戦争責任が一部の軍国主義者だけにあると言い、一般国民にはないと言ったと、そんな詭弁を鵜呑みにするのなら、毎日新聞は常識が欠けている。

 戦前と戦後で豹変した、報道機関としての反省や羞恥心は、どこへ捨てたのか。中国の詭弁に救われ、毎日に限らず、朝日を筆頭に全マスコミが責任をすり抜け、口を拭っている事実はどう説明するのか。

 私が求める歴史認識は、右でも左でもなく客観的な事実だ。卑屈に変節したマスコミの一員である毎日の社説に、ハイそうですかとうなづけない根拠がそこにある。

 こんな社説なら「みみずの戯言」にも劣るでないか。だから私は言う。「ブルータス、毎日よ、お前もか。」と。

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