だらだら日記goo編

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東京マラソンの日は

2008-02-15 21:54:37 | アート・文化

明後日は東京マラソンです。

それに伴い東京都が運営する美術館博物館も一部無料になったりします。

http://www.rekibun.or.jp/

庭園美術館は庭園だけか、せこいなあ。

江戸東京博物館は常設展だけか、僕は次回企画展のチケットあるからいいやー。

というわけで写真美術館が狙い目となりそうです。

「土田ヒロミのニッポン」と「文学の触覚」が無料になりますから。

それからこの日は「美術手帖」発売の前日。

多くの人が購入するこの雑誌のプレゼントは「先着順」、まともに応募していたら当選するはずもない。

しかし写真美術館のミュージアムショップでは発売前日に売られているのですよ。

発売前日に購入して応募すればー僕のいわんとすることはおわかりかと。


「わたしいまめまいしたわ」とは

2008-02-10 22:00:29 | アート・文化

何とも怪しげな回文だ、「わたしいまめまいしたわ」

しかしこれも企画力の勝負ということになろう、今国立近代美術館で行われている企画展のタイトルだ。

まあ簡単にいえば「私とは何か」という古来からの問いかけに答えようとするとその「私」なるものの存在根拠があやふやになってしまうーそういう事態を芸術の場面に探そうとする。

たとえば圧巻なのは澤田知子の「ID400」という作品。

髪型や服装を替えて澤田は証明写真という手段で400枚もの写真を並べる。

それはどれが本当の私?と問いかけているようである。

ビル・ヴイオラの「追憶の五重奏」というビデオも流れる。

男女五人が極端なスローモーションで死を悼んでいるビデオだ。

しかしこれはキリスト教の世界に深く根差した発想が見られるとして、キュレーターはマックス・ベヒシュタインの版画とポール・ストランドの写真を上下に並べて展示するという仕方で、その発想を相対化しようとする。

牛腸茂雄の「self and others」の六十点の写真もすべて展示される。

六十点のうち五十七点の写真は普通にカメラのレンズを見つめている。

しかし1,34,60の写真だけは被写体はカメラのレンズに目を向けていない。

写真家はいったい何を言いたかったのか不思議な写真だ、しかも自己のセルフポートレートまでさりげなく入っている!

さてここいらへんで変な歌が聞こえるのに気づく。

行ってみると高嶺格という人の「God Bless America」だ。

男と女が粘土をいじって頭像を制作している、その頭像が「ゴッドブレスー」とうたっているのだが男と女は途中で寝たり、寝ながらいちゃついたりしている。

誰が見ても9.11後のアメリカを皮肉った作品であるのは明白だ。

最後は都知事選に二度立候補した秋山祐徳太子のポスターで締めくくられる。

そのほか絵画ではすさまじいばかりの麻生三郎の自画像や盲目の旅芸人を描いた斎藤真一の絵などが光る。

五人のキュレーターの合作だというがキュレーターそれぞれの特徴がみられないのが惜しい。

とはいえ常設展観覧料で観覧できるこの企画展なかなか面白い。


幸福なお父さん

2008-02-06 21:58:17 | アート・文化

さてこの展覧会をどう評価すべきか、少なくても今まで類例のない企画であることは確かだ。

画家のお父さんと映画監督の息子、その二人を並べて鑑賞しようというのだから!

渋谷Bunkamuraは「ルノワール+ルノワール」の展覧会、Juneさんからチケットをいただいたので混雑する前に鑑賞、会場は今ならガラガラだ。

画家のルノワールには三人の息子がいた、長男ピエールは俳優、二男ジャンが映画監督、そして三男クロードは陶芸家だったー。

この展覧会は画家ルノワールの作品と二男ジャンの映画からの抜粋ー全部で15本の作品でたいがいは一分程度の抜粋から親子の影響を見ようとする。

僕は映画に関しては全くの無知なので作品名すらも知らないが、たとえばルノワールの長男の俳優ピエールが「ラ・マルセイエーズ」という作品にルイ十六世の役で出ているなど家族愛を感じたのは事実。

それにしても画家ルノワールは本当に見事だと思う。

オルセー美術館所蔵の「麦藁帽子の少女」など画面全体が赤で統一されていて、帽子にはルノワールの好んだバラが飾られていてえもいわれぬ幸福感をかもしだす!

ルノワールは本当に人間が好きだったのだろう、風景画を描いても風景は人間が穏やかに暮らす場であり、晩年の裸婦像も自然に溶け込んでいる。

そしてまばゆい色彩、ルノワールは光を求めて住む場所をいろいろ変えたようだが、なかでもレ・コレットに住んだ記憶が印象深かったからか、息子のジャンは映画「草の上の昼食」の舞台をレ・コレットに設定している。

この展覧会ではそのほかにも三男クロードとともにジャンが作った陶器だとか、これは珍しい「アトリエでのピエール=オーギュスト・ルノワール」の映像とかルノワール一家の家族愛をふんだんに観ることができる。

会場はゆったりとした構成で展示数も多くなく、これからテレビ宣伝放送などで混雑してもまあ楽しめるだろうと思えた。

この展覧会はこのあと京都国立近代美術館に巡回します。

最初にも書きましたがこの展覧会、企画力で勝負あり!


お知らせ

2008-02-04 21:40:16 | インポート

2/7午前二時より、2/8午前二時までたっぷり一日、OCNではメンテナンス工事を行うそうです。

したがいましてこのブログも閲覧は可能ですがコメント投稿、トラックバック送信はできなくなります。ご了承ください。


蟻の目線でみる

2008-02-02 22:03:10 | アート・文化

会場のあちこちにこの画家の言葉があってそれがまた面白い。

たとえば「蟻は左の二番目の足から歩き出すんです」

本当かどうか知らないが、この画家の骨頂観察眼がよくうかがわれる。

76歳で軽い脳卒中の発作を起こして以来自宅の敷地内からほとんどでなくなり、50坪ほどの森のような庭で植物やいきものを観察して多くの絵が生まれた。

ご存じ、熊谷守一、その回顧展に埼玉県立美術館に初日に行く。

初期のこの人は「光」をめぐって格闘していたようだ、レンブラント風の絵も残されている。

しかし1936ごろの「山形風景」やら「最上川上流」あたりから、対象を線で括る「守一様式」があらわれてくる。

この人の最大の特徴は同じ題材を繰り返し描きながら重要な要素だけを残してまとめあげていくことだ。

だから絵画は単純で平板になる。

「天皇さんがわたしの絵をごらんになって「子供の絵か」とお聞きになられたそうです」と守一は言うが笑い話ではなく、その作業がいかに難しいものであるかを僕らは「日曜美術館30年」の展覧会の識者の言葉で知っている。

守一の絵画を初めて純粋に評価した人は木村定三だ、そのコレクションは愛知県美術館に収められているがそこからもかなり出品されている。

さて、守一は油絵だけでなく、日本画も書もやった、今回それが展示されるのはうれしい。

油絵は時間をかけて夜中に作業したが日本画は気軽にささっと描いたとか。

日本画では「寒山拾得」が断然面白い。

観音様など頭から描くと下が詰まってしまうので、足から描いてみた、日本の寒山拾得だから草履をはかせてね、など誠に茶目っ気たっぷりだ。

しかし茶目っ気ばかりではない、これはカタログには載っていない藤村武が撮影した写真コーナーにある言葉だが、長谷川利行を念頭に置いて「絵は貧しい時代ほどいい絵が生まれます」と語る、恐らく晩年の守一は時代の風潮を嘆いていたのであろう。

常設展示も「おせん」で挿絵画家としての人気を不動のものにして「昭和の春信」と呼ばれた小村雪岱だの初公開横山大観四点だの充実している。

素晴らしい展覧会だった。