だらだら日記goo編

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自然に溶け込んだ建築

2005-12-04 22:54:58 | アート・文化
「普通の人が見て普通にいいと感じたものが本当にいい」
建築家の言葉だ、当たり前のことではある、しかし建築の世界は「専門家」が見てよしとしなければということがあるのだろうか、建築に限らない、絵画だってそうだ、高尚な理屈より普通の人がいいと感じるものがいいのだ。
急に思い立って日曜の上野、藝大美術館に「吉村順三建築展」を観に行く。
北斎やプーシキンから流れてきた客で混雑しているかと思いきや、さほどでもない。
僕はこの人について何も予備知識はない、新しい宮殿の設計や、ロックフェラーからも建築を依頼されたことなど何も調べていないから知る由もない、しかし入館料以上の感激があった。
この人の基本思想は自然に溶け込んだ建築ということであろう、それは又日本古来からの伝統思想でもある。
それは軽井沢に建てた自分の家、森の木々のなかに浮かぶような家にうかがえる。
この人は一階をコンクリートにし、居住空間を二階に木でつくった、それは軽井沢の湿気への対策ということもあろう。
しかしそのため、居住空間の窓からは森が見渡せる。
会場ビデオの言葉を使えば「屋内にいながら屋外にいるような」気分を味わうことができるのだ。
なんと素敵な家だろう、「専門家」が何を言おうがこれぞ「普通の人」が「普通にいい」と感じるものではないか。
自然との調和はこの人に一貫している。
グラフィックデザイナー亀倉雄策の山荘は木々を切らずに山中湖や富士山を望むことができるし、愛知県立芸術大学はでこぼこな土地を平らにならすことなく、むしろ建物が建っているあいだの空間を生かそうとする。
奈良の国立博物館は鹿のいる公園との調和が図られるといったぐあいだ。
新しい宮殿の設計以来が舞い込んだのも当然ともいえるが、吉村は「真の創作」に自分は欠けるとして結局この仕事から辞退してしまう、もったいない。
その敷地の持つ雰囲気が原点とする吉村にあって、写真よりスケッチが尊ばれたことは特筆してよい。
写真は一回きりだが、スケッチは実際手を動かすから記憶に残るというわけだ。
こういう人にあっておそらく建築の集大成は八ヶ岳高原音楽堂1988になったことは自然のなりゆきともいえる。
初めに人間の生活がある、生活に関係ない余計な装飾など省く、僕はこの人の姿勢に共鳴する。
会場には映像コーナー、DVDコーナー、スライドいろいろあり、僕は二時間も使ってしまった。
素敵な日本人を又一人発見した、会期は12/25まで、ぜひいかれてください皆さんも。