僕たちが生きている。世界が存在することが不思議だ。
何時もそう思う。
人間のためでも、誰のためでもない。それ自身の存在のために自然が息づいている。そのあたりまえのことを知ることがいつも驚き。
星野道夫の言葉だ。
明日まで、銀座の松屋で、彼の展覧会が開かれているので、日曜の今日行ってみた。
彼は、週刊朝日に、Alaska 風のような物語、を連載していた。
そこから、幾つもの言葉が会場には引用されていた。
-森、氷河、クジラ、悠久な時の流れの中で、どこかで深くつながっているような気がした。
ザトウクジラは、ハワイで冬を過ごしアラスカに、4000キロの旅をするという。
何故だか私たちには分からない。しかし、そう出来ている。何か自然界には法則があるようだ。
-私たちもまた、無窮の時の流れの中でひと粒の雨のような一生を生きているにすぎない。
当然、自然の大きさは、人間の存在の小ささを感じさせるだけだ。
経済学部卒業の星野が、卒業後に敢えてアラスカに行った。当然、偉大なる自然の前で、人は謙虚にならざるを得ない。
インディアンの知恵に彼は撃たれる。
彼らは、食用にクジラを捕る。そこには、儀式がある。クジラを解体した後、クジラのアゴの骨を海にかえしてやるのが掟だ。
生命の本質とは、他者を殺して食べることだが、彼は、そこに悲しみ、をみる。その悲しみから生まれたのが、古代からの神話だと彼は言う。我々の忘れた世界、他者への慈しみ、他者を殺すことへの悲しみ。
そもそも、殺して食べる動物を、他者、と呼んでいる星野はどんどん内省的になっていく。
そして、存在の究極へ、ワタリガラス、彼らにとって、世界の創造者であるワタリガラスの伝説へとたどり着き、その神話を追って、シベリアへと、渡る。
アカスカからロシアへと、1996年に渡るが、そこでみたモノもまた、アラスカと同じだった。
クジラの骨の遺跡がそこにはあった。ユーラシア大陸の人々もまた、クジラを手厚く葬っていた。
そして、カムチャツカで、彼は、ヒグマとの事故で亡くなったが、それこそ、本望だったろう。
-何も生み出すことのない、ただ流れていく時を大切にしたい
ただ流れていく時、それは、日常の慌ただしさから離れた時間、深みのある時間。
宗教とはそういうものではないか。
キリスト教では、神は、人間を超越した存在としてだけではなく、我々の内なる愛の働き、としてもとらえられる。
無論、これは、イエスの教えではない。イエスはユダヤ教徒だった訳で、勝手に後から、パウロが、ケノーシス、という概念で作ったものに過ぎないが、どうしても、大いなる自然の働きを前にしては、心の底にある愛とか、悲しみ、とかを考えなくてはならないと思う。脳の働きで、人間が理解できるなんていうのは、とんでもない傲慢だ。
会場は、人で溢れていた。もう、三回目という青年もいた。
しかしご心配なく、この展覧会は、横浜高島屋に巡回します
何時もそう思う。
人間のためでも、誰のためでもない。それ自身の存在のために自然が息づいている。そのあたりまえのことを知ることがいつも驚き。
星野道夫の言葉だ。
明日まで、銀座の松屋で、彼の展覧会が開かれているので、日曜の今日行ってみた。
彼は、週刊朝日に、Alaska 風のような物語、を連載していた。
そこから、幾つもの言葉が会場には引用されていた。
-森、氷河、クジラ、悠久な時の流れの中で、どこかで深くつながっているような気がした。
ザトウクジラは、ハワイで冬を過ごしアラスカに、4000キロの旅をするという。
何故だか私たちには分からない。しかし、そう出来ている。何か自然界には法則があるようだ。
-私たちもまた、無窮の時の流れの中でひと粒の雨のような一生を生きているにすぎない。
当然、自然の大きさは、人間の存在の小ささを感じさせるだけだ。
経済学部卒業の星野が、卒業後に敢えてアラスカに行った。当然、偉大なる自然の前で、人は謙虚にならざるを得ない。
インディアンの知恵に彼は撃たれる。
彼らは、食用にクジラを捕る。そこには、儀式がある。クジラを解体した後、クジラのアゴの骨を海にかえしてやるのが掟だ。
生命の本質とは、他者を殺して食べることだが、彼は、そこに悲しみ、をみる。その悲しみから生まれたのが、古代からの神話だと彼は言う。我々の忘れた世界、他者への慈しみ、他者を殺すことへの悲しみ。
そもそも、殺して食べる動物を、他者、と呼んでいる星野はどんどん内省的になっていく。
そして、存在の究極へ、ワタリガラス、彼らにとって、世界の創造者であるワタリガラスの伝説へとたどり着き、その神話を追って、シベリアへと、渡る。
アカスカからロシアへと、1996年に渡るが、そこでみたモノもまた、アラスカと同じだった。
クジラの骨の遺跡がそこにはあった。ユーラシア大陸の人々もまた、クジラを手厚く葬っていた。
そして、カムチャツカで、彼は、ヒグマとの事故で亡くなったが、それこそ、本望だったろう。
-何も生み出すことのない、ただ流れていく時を大切にしたい
ただ流れていく時、それは、日常の慌ただしさから離れた時間、深みのある時間。
宗教とはそういうものではないか。
キリスト教では、神は、人間を超越した存在としてだけではなく、我々の内なる愛の働き、としてもとらえられる。
無論、これは、イエスの教えではない。イエスはユダヤ教徒だった訳で、勝手に後から、パウロが、ケノーシス、という概念で作ったものに過ぎないが、どうしても、大いなる自然の働きを前にしては、心の底にある愛とか、悲しみ、とかを考えなくてはならないと思う。脳の働きで、人間が理解できるなんていうのは、とんでもない傲慢だ。
会場は、人で溢れていた。もう、三回目という青年もいた。
しかしご心配なく、この展覧会は、横浜高島屋に巡回します