移る、映る、写る、うつるにもいろいろある。
この展覧会では松岡正剛「日本という方法ーおもかげ、うつろいの文化」を一つの手がかりにして、それを西洋版画の世界に当てはめてみようとしているようだ。
国立西洋美術館の特別展覧会、かたちはうつるだ。
コーナーを取り上げると
うつろ
うつしの誘惑
うつしだす顔
うつる世界
うつせみ
のように構成されている。
たとえば、うつろで展示されるのはメランコリックだ。
メランコリック、憂鬱質はルネサンス期においては卓越性の象徴とされたという。
で、デューラーなどが展示される。
うつしの誘惑では、まずナルキッソスがあげられるという具合だ。
まあ日本文化論を西洋に単純に応用できるはずもない、主催者の試みは面白いとだけいっておこう。
しかしそれでも西洋美術館の版画コレクションは見応えある。
全部で127点の出品はかなり時間をとられる。
カタログによると西洋美術館所属の版画は3747点、さすがだ!
ここで開催された版画の展覧会を思い起こさせる作品も展示される。
バルトロメオ.コリオラーノのキアロスクーロ版画もそうだし、アビ.ヴァールブルクが、古代の残存という問題を「
情念定型」を手がかりに考察したことも思い起こさせる。
たとえばデューラーはマンテーニャやらの作品から異教古代の情念的な身体表現をキリスト教的主題に応用したとか。
長くなるので止めるが、オノレドーミエを世に出した作品、トランスナノン街1834年4月15日、が一番印象に残った。
住民が無差別に虐殺された日だ、ドーミエはこの事件を戯画化せずに、そのむごたらしさを真正面から描いている。
なお、検閲を恐れて事件の日にちを一日ずらしたとか。
他にも見応えたっぷり、夏バテをおして出た甲斐があった。
この展覧会では松岡正剛「日本という方法ーおもかげ、うつろいの文化」を一つの手がかりにして、それを西洋版画の世界に当てはめてみようとしているようだ。
国立西洋美術館の特別展覧会、かたちはうつるだ。
コーナーを取り上げると
うつろ
うつしの誘惑
うつしだす顔
うつる世界
うつせみ
のように構成されている。
たとえば、うつろで展示されるのはメランコリックだ。
メランコリック、憂鬱質はルネサンス期においては卓越性の象徴とされたという。
で、デューラーなどが展示される。
うつしの誘惑では、まずナルキッソスがあげられるという具合だ。
まあ日本文化論を西洋に単純に応用できるはずもない、主催者の試みは面白いとだけいっておこう。
しかしそれでも西洋美術館の版画コレクションは見応えある。
全部で127点の出品はかなり時間をとられる。
カタログによると西洋美術館所属の版画は3747点、さすがだ!
ここで開催された版画の展覧会を思い起こさせる作品も展示される。
バルトロメオ.コリオラーノのキアロスクーロ版画もそうだし、アビ.ヴァールブルクが、古代の残存という問題を「
情念定型」を手がかりに考察したことも思い起こさせる。
たとえばデューラーはマンテーニャやらの作品から異教古代の情念的な身体表現をキリスト教的主題に応用したとか。
長くなるので止めるが、オノレドーミエを世に出した作品、トランスナノン街1834年4月15日、が一番印象に残った。
住民が無差別に虐殺された日だ、ドーミエはこの事件を戯画化せずに、そのむごたらしさを真正面から描いている。
なお、検閲を恐れて事件の日にちを一日ずらしたとか。
他にも見応えたっぷり、夏バテをおして出た甲斐があった。