だらだら日記goo編

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ゴーギャンの問い

2009-07-04 23:58:17 | インポート
「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」
この絵画史上に残る畢竟の大作に作者ゴーギャンは語っている。
「福音書に比すべきこのテーマをもって、私は哲学的作品を描いた」と。
福音書とは穏やかではない。もはやこれは宗教の世界だ。
ヴィトゲンシュタインに習えば、語りえぬものについては沈黙しなければならない。
だから僕もこの絵について解釈することは止めよう。
ただ絵の前で圧倒され長い間立ち尽くしていたというにとどめよう。
ゴーギャンはあの世へ行く遺言としてこの絵を描いたことは付け加えるべきかもしれない。
だからここにはゴーギャンの全てがある。
実際ゴーギャンはこの絵を描いて自殺をこころみた、だが死ねずにもう少し生きることになる。
国立近代美術館はゴーギャンの展覧会だ。
ゴーギャンの作品ばかり53点が並んでいる。
混じり気なしの展覧会ー普通は影響を受けた画家の作品を併置したりしてお茶を濁すものだがそうしたことはいっさいしない。
ゴーギャンは株式仲買人として成功をおさめていたという。
しかし印象派の画家たちとの交遊で絵画への情熱が高まり、金融恐慌で仕事が立ち行かなくなるとあっさり仕事を放り出してしまう。
そしてブルターニュへ。ケルトの伝統が残るこの町をゴーギャンはいたく気にいったらしい。
「ブルターニュには野生があり、原始があるのだ」
そしてさらなる野生を求めてタヒチへと。
13歳の現地妻テハアマナはゴーギャンにとって創作意欲をかき立てるミューズだ。
タヒチへ行ったのが1891、異国のエヴァとか、かぐわしき大地といった作品が生まれる。
で、パリへ戻るがゴーギャンを待っていたのはタヒチ時代の作品への無理解だ。
ゴーギャンはまたタヒチへと旅立つ。
しかしパリから愛娘の死の知らせが届き衝撃を受けたゴーギャンは自らも死のうと考えて、我々はどこからーを描いたのだ。
しかししにきれなかったことは幸いでもあった。
生き延びたから、我々はどこからーのバリエーション作品を製作し、この作品の解釈のよすがを与えるとともにゴーギャンという画家の名前が後世に残ることにもなった。
ゴーギャンはタヒチからマルキーズ諸島のある島へ移りそこで亡くなる。
展示最後はマルキーズで描いた「女性と白馬」繊細さが目立つ作品で、この作品に描かれている、十字架の輝く墓地に埋葬されることになる。
そして、墓地にはタヒチ時代に作った、彫像オヴィリのブロンズが置かれている。
オヴィリも出品されるが、これまた謎めいた作品、女殺人者を意味するとか。
ゴーギャンは墓の中でも、人間とは何か?という究極の問いを問いかけているようにみえる。
会場はかなり寒く温度設定されています、羽織るものをもってお出かけください。